[#猫を棄てる感想文]猫を棄てる〜父親について語るとき〜村上春樹
父に一度だけ殴られたことがある。当時住んでいた社宅の近くの公園で、僕は家に帰りたくないと父にごねていた。たぶん、帰る時間になってもまだ遊んでいたかったのだと思う。頰をぶたれて尻をつき、続いて背中と頭が芝についた。びっくりした、というのが当時の印象だったと思う。一度空を見上げた格好から起き上がると、父は家に帰る方向に歩み始めていたため僕は泣きながらその背中を追いかけた。
背の高い大人の早歩きに追いつくには短い足の僕にとって時間のかかることで、泣きながら走るのはやけに呼吸が苦しかった。それは僕が5歳の時、20世紀最後の年である2000年の夏に起きた出来事だった。
この出来事は父との数ある思い出の中でも愉快ではない部類に入る。だけど、約20年間一緒に生活した穏やかで優しい父の別の面を一瞬とはいえ垣間見れたこの出来事は今でもよく覚えている。"トラウマ"ということではなく、僕の中では一種の“父の威厳”のような形で記憶として残っている。
著書の村上春樹が父親について語るとき、小説のような会話文が出てこない。父親の発言から父親について語るのではなく、父親と同じ時間を共有した出来事から父親について語る。その出来事から村上春樹は父親を掬い取ろうとする。ゆっくりと、謎は謎のままに、だけど自らが納得できる形で。
著書の冒頭に、海岸に一匹の猫を棄てた話が父親との共有体験として出てくる。2人が自転車で猫を捨てに行った後、父親は「かわいそうやけど、まあしょうがなかったもんな」という感じで家の戸を開けると、猫が先回りして家に戻っていたという謎深い出来事だ。猫を見た瞬間、父親は唖然とした表情に、やがて感心した表情に、最後にはほっとした顔に変化する。その時の父親の表情の変化を著者は鮮明に覚えている。
父はごねた僕を叱り、怒った顔をした。起き上がり、追いついた後も怒った顔をしていたが、徐々に叱り口調から優しい口調に変化していくにつれて表情が優しくなっていった。家に着く直前には何事もなかったように穏やかないつもの顔に戻っていた。
情けないが、当時の僕にはそのような父の表情の変化に対して、落ち着きや安堵を感じたわけではなかった。ただただ泣き続け、家に帰るとすぐに布団に入り込んで毛布をびしょびしょに濡らしていた。
父に追いついた後、家に帰るまでの道のりの間に父からどんな言葉をかけてもらったかは覚えていない。だけど、父の口調や表情が柔らかくなっていく変化だけは、今もありありと思い出せる。
父の表情の変化をよく覚えているのはなぜだろうか。記憶が曖昧な僕にとって、これは簡単には理由を説明できない謎である。
著書の村上春樹は父親の死後、村上家の血筋を辿るようなかっこうで、父親に関係するいろいろな人から聞いた話や過去の新聞に載ってある記事を元にして父親の情報を集めた。数々の作品を生み出してきた作家らしいやり方に思える。それは歴史を紡ぐための作業の一部だろう。
調べて得られた情報によって、著者には父親と戦争との関係性を文章によって紐解いていくことができる。父親が体験した血なまぐさい戦場を想像することができる。戦争というものが一人の人間の生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるか、という問いに対して、思考をめぐらすことができる。父親が戦場での体験を著者に語った言葉が少なくとも、著者にはそれらの行為を通して父親の歴史を紡ぐことができる。
集団の中で歴史を紡ぐことは非常に難しい。今の社会で最も難しい行為の一つに思える。もちろんインターネットを中心とした新しい社会システムによる構造変化が原因である可能性は一般的に見ても明らかだろう。事実は他人から見たら事実ではないという当たり前のことが、他人に敵意を抱かせ牙を剝く社会だと言えるかもしれない。
事実を深掘りし、歴史を紡ぐ作業では、事実とは断定できない曖昧さを伴う。著書の村上春樹が父親について語るとき、たびたび父親の胸の内を推測する。歴史はたった一つしかないのだから完璧に説明できる歴史的事実など存在しない。推測や想像を伴ってしか歴史を紡ぐことができない。
将来生まれてくる子どもに、僕の父のことを伝えるためにはどうすればよいだろうか。当時住んでいた社宅は時代の役目を終えて全て解体され、今はただ広い土地だけになった。広い土地以外何も残っていない。当時の僕の思い出とよべる物はきれいさっぱり消えてなくなってしまった。
歴史を紡ぐことは、起こってしまったことを後になって次に伝えることは、登ってしまった高い木の上から目の眩むような地上に向かって垂直に降りていくことのように難しい。著書の表現を借りればそういうことになる。
僕にはきっとそれが困難な作業になるだろう。それでも、父の息子として生まれてきた個体として歴史を受け継いでいく責務を忘れてはいけないとこの著書は僕に教えてくれた。僕なりの歴史を紡ぐ作業はこれからだ。