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#大徳寺

高桐院

高桐院

高桐院(こうとういん)は、大徳寺の塔頭のひとつ。
灯台躑躅で赤く染まる茶室が印象的。

開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)である。

戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が父・細川藤孝(幽斎)のために慶長7年(1602年)建立した寺で、玉甫紹琮を開山とする。

玉甫紹琮は幽斎の弟で、三斎のおじにあたる

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黄梅院

黄梅院

黄梅院(おうばいいん)は、大徳寺の塔頭。

千利休作庭と伝わる苔一面の直中庭が美しい。

永禄5年(1562年)に織田信長が父・信秀の追善供養のため春林宗俶(大徳寺98世)を迎えて創建、黄梅庵と名付けられた。

天正10年(1582年)の本能寺の変により信長が急逝し、その葬儀が羽柴秀吉により大徳寺で盛大に行われた。秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築したが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から

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興臨院

興臨院

興臨院(こうりんいん)は、大徳寺の塔頭。通常は公開されていない。

大永年間(1521年- 1528年)に、能登国の戦国大名・畠山義総が大徳寺86世の小渓紹ふ(「ふ」は「付」の下に「心」、仏智大通禅師)を開山として建立

その後、畠山家が没落するが天正14年(1586年)に加賀百万石の基礎を築いた戦国大名・前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護される。

室町時代の方丈建築様式の特徴

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聚光院

聚光院

聚光院(じゅこういん)は、大徳寺の塔頭のひとつ。
寺内は通常は公開されていない。

閑隠席は一見の価値があり、特別公開の際には是非訪れたい。

室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶の養子・義継が永禄9年(1566年)に養父の菩提を弔うために笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)を開山として建立。

千利休が開祖・笑嶺和尚に参禅したことから利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代

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瑞峯院

瑞峯院

砂の波紋と竜の背中のような石組が印象的な枯山水庭園

天文4年(1535)に、キリシタン大名として知られる大友宗麟が大友家の菩提寺として建立。

創建当時から残る客殿と表門、唐門は国の重要文化財

方丈周りにある「独坐庭」と「閑眠庭」はどちらも昭和36年(1961)に重森三玲が開祖400年遠忌を記念して作庭。
「閑眠庭」は縦4個、横3個の石が配され、石組みが十字になっていることから「十字架の庭」と

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龍源院

龍源院

龍源院(りょうげんいん)は、大徳寺の塔頭。

大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵

文亀2年(1502年)に東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登守護の畠山義元、豊後守護の大友義長、周防守護の大内義興らが創建

創建年次については永正元年(1504年)など諸説あり、大徳寺の塔頭の中では最も古い。

方丈南庭は「一枝坦(いっしだん)」 と言い、- 1980年(昭和55年)に当時

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