『意識』って別に大したことないんだなぁ
久しぶりに大嶋信頼先生の本を読んだんですけど、いや~すごいね。すごいですね。
あのふわふわ~っとした手ごたえに「???」と混乱して、他のわかりやすーい話に触れたくなるんですけど、時間置いて久しぶりに見たときの「これこれぇ!」感がすごい。
今回読んだのは『無意識さんの力でぐっすり眠れる本』なんですが。
何がわかりやすいって、今回内容として『無意識でする対策』と『意識でする対策』を並べて書いてくれてるところ。
これが個人的にすーごくよかった。
意識で「解決しよう!」と考えるとしんどい
自分はライティングを学んで、「伝わる文章はこう書いたほうがいいよ!」「これがセオリーだよ!」という方法論を知って、いろんな人のハウツー的な書き方を知ったわけなんですが、…つまんなく感じるんですよね。書き方というか、内容が。
ライティングに限らず、「この悩みを解決するにはこれ!」と言ってくれるわけですが、読みながら心の底で「なんか違うんだよな~」という違和感が拭えない。
やり方、という小さな事象で解決してるんなら、もうとっくに解決してる! みたいな。
その違和感が、この本で挙げられていた『意識的な対策』を読んだときと半分重なっていたので、「あああ、その違和感って意識だけで頑張って解決しようとしてるからなんだ」ってようやく気付きました。
「半分」っていうのは、スタートは『意識的』なんだけど、その後は『無意識をベースにした行動』だから。
「意識」って別に何も解決してない
わかるよ。意識が言うロジックって、認識しやすいし、わかりやすいですよね。
ラベンダーを嗅ぐとセロトニンが視床下部と下垂体で調整されて、寝やすくなるとか。深い睡眠のノンレム睡眠を増やすには、よいパジャマを用意して就寝前から身体をリラックスさせるといいとか。
でも、これで本当に解決してんのかな? こういうことで解決するなら睡眠の悩みなんて根絶してるんじゃないの? 「○○だから△△」という論理って、実は意識を納得させるためだけで、深層心理では「え、そうかな…?」って違和感を持っている気がしている。
つまり、意識で考えられることって、別に大したことじゃないかも。
意識で固めると、鉛色になって地面に落ちてしまう。
けれど少し視線を上に上げるだけで、虹色のもやが私の周囲を取り巻いてくれてる。
そのもやが指し示す先に、一歩ずつ足を踏み出すと、また次のもやの固まりが見えてくる。
すべてを固めないで、ふわふわしたものに私の身体を委ねると、いつの間にか今までとは違う新しい世界に足を踏み入れてる。
そんな気がするんですよね。