「こじらせ ”感謝” に囚われさん」 #1
さてさて、ダラダラと前回まで前置きを書いてしまいました。
やっとの本題!
今回から少しずつ、「どんなスピさんが、どんな風にこじらせ、迷子になってしまって、私のところにいらしてくださったのか」を紐解きながら、こじらせる必要がなくなるヒントを見ていきたいと思っております。
そんな第一回目は「こじらせ ”感謝” に囚われさん」。
皆さんの周りにもいますか?笑
何を言っても「感謝だねー」だったり
寝る前に「今日の感謝」に想いを巡らせる
愛しき「こじらせ ”感謝” に丸投げさん」。
「感謝をしていれば、その感謝の ”バイブレーション/ 波動” と
同じことが起こる」と、頑張って感謝を見つけ
感謝できないことも、そのどこに感謝できるかを見出し、
笑顔を張り付け、呪文のように「感謝だわー」っと繰り返す頑張り屋さん。
私のところにも何人もの
「感謝に囚われてしまった」こじらせさんがいらっしゃいました。
囚われてしまっているので、その体は強張り
肩や首、背中がガチガチ。
なんなら、お腹もこわばって柔らかいはずの腹部がカッチカチ。
すでに自分の心がどう感じているかはお預け状態で
素直に感じることよりも、「感謝する」という行為を優先してしまって
「自分不感症」状態。
大丈夫、感謝さえしていれば、感謝したくなることが起こるはず!
なんなら、感謝しなければ感謝できない状態になってしまう!
と半ば強制的に感謝の虜になってしまっているのです。
「感謝」は本来ことはいいことですよね
まず初めに、感謝ってとってもいいことだと思うのです。
私たちは、あまりに日常が無意識になってしまい
◉ありがたい環境に感謝することを忘れてしまう
◉そこにSNSの影響でみんなのキラキラワールドを本気にしてしまい、
すぐに誰かと自分を比較してしまう
◉自分の環境がなんだか不足しているような感覚や
自分への自信を見失ってしまう
そんな時、「当たり前の生活の中にこそ
感謝すべきことに囲まれているんだ」と気づくことは
とっても素敵なことだと思うのです。
◉感謝できることを一つずつ認識できるようになると
本当にありがたいと思えてくる
◉ありがたいと思えてくるからこそ、「これからも頑張ろう」いう
やる気や私も人の役に立てるようにという意欲が湧いてくる
◉ありがたいと思えるから誰かにも優しくなれる
というような、素敵な循環が始まると思います。
なのに、どうして感謝に囚われてしまい、
心が苦しくなる循環が始まってしまうのでしょう?
ここで”感謝”を見つけることで
心が軽くなった事例を見てみましょう。
◾️自分には価値がないと感じてしまっていた男性(80代)
バリバリと働いていた頃には
周りの人に頼られ、家族に頼られていたのが
年齢と共に体力が落ち、自分の思うように色々なことができなくなって
「頼られる」ということを感じられなくなってきました。
そんな「活躍できない自分」に価値を見出すことができなくなってしまい、
襲ってくるのは「無価値感」。
言葉で出てくるのは「大変だ!」「もうダメだ!」
「気合い入れてないと死んでしまいそうだー」
「世界は大変な状況になっている」っといった
もう世の中終わるんですか?っというくらいに不遇な空気感を纏い、
それでも自分を鼓舞しなければいけない!という緊張状態。
そして、それが続くことで、
パニックを起こすようになってしまったのです。
幸い重度のものではなかったのですが、
一緒に住んでいるご家族の負担になっているのは、
私からもよく見て取れました。
その頃一緒にマインドフルネスの瞑想を毎日行ってみたのですが
初めの頃は上手くできないことで自分を責め、
時には自分を叩いてしまう。
そして、慰めないで叱責してくれと自分を貶めてしまっていました。
そんな時、「心地よいと感じたこと」を毎日ひとつ
お互いに言い合いっこしてみようというチャレンジをしてみたんです。
初めの頃は「心地よい」が見つけられない状態でした。
「心地よい」が特別な何かだと思い込んでしまい、日常にある、
ありふれた中に見出すことが難しい状態に陥っていたからです。
「もっと頑張らなければいけない」という無意識の自己否定が
「心地よい」を感じる感覚を遠のけてしまっていたのです。
自分には「心地よいことは全くなかった」「幸せだと感じることは起こらなかった」と毎日の生活に感謝できるような要素を
見出すことのできない状態でした。
せめて人の迷惑ならないように頑張らなくてはいけないと
もっと力んで、自分を鼓舞し続けている様子は見ていても
苦しくなってしまうくらいでした。
だからこその「心地よい」を見つけてみよう!というチャレンジ!
ハードルをうんと下げ、「心地よい」ということを感じてもいいんだよと
自分にそれを感じることを許すことから始めました。
少しずつ、今日の「天気はいいなー」っと
太陽の暖かさが感じられるようになり
これも「心地よい」だと気づけるようになりました。
そして
◉自分が作ったお味噌汁を家族が「おいしいね」と言ってくれたのが
嬉しかった
◉朝日が絵に当たっているのを見て「なんて美しいんだ」と
感じられるようになったことにホッとした
◉朝、散歩ができることへの感謝が湧いてきた
という風に、
自分にも「心地よいこと」が起こっていることを自覚することから始め、
そして「嬉しい」という気持ちを感じていることに気づき、
そこから始めて「感謝」が自然と湧いてくるようになったのです。
感謝って湧いてくるもの
感謝って湧いてくるものですよね。笑
でも「感謝」を忘れている時期が長かったり、
「感謝」してもらえるように頑張らないとと奮闘しすぎていたり、
なんなら「感謝」してもらえる自分にならないと「自分の価値」が
なくなってしまうような不安があったりすると
自分の中に感謝が湧いてこない。
自分の中に感謝が湧いてこないから、
誰かに「感謝」されても素直に受け取れず、
もっと頑張らないといけないと思い込んでしまいます。
この男性とは私の父です。
そして一緒に住んでいる家族とは母。
遠方に住んでいるのでzoomを使って毎日マインドフル瞑想を続けました。
その結果、感謝がちゃんと湧いてくるようになりました。
こんな風に自然と湧いてくる感謝って
自分の毎日の生活を豊かにしてくれるとっても素敵なものだと思うのです。
では、どうして「感謝に囚われる」ようになってしまうのか….
きっと私のところにたどり着いてくれた
「こじらせ ”感謝” に囚われさん」達も初めは父のように
「感謝」に気づくことがご自身の心を軽くしてくれたんだと思うのです。
そしてこれはなんて素敵なワークだ!と
その魅力の虜になってしまった。
………………………………..
とまたしても、まだまだ続いて書いてしまいそうなので
続きは次回とさせてくださいませ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回は、「どうして「感謝に囚われる」ようになってしまうのか….」を
書いていこうと思います。
こちらから、お時間の許す時にお立ち寄りいただけたら嬉しいです。
ということで
今日のプチまとめ
事例を見ながら初めて書いてみました。
初回は「感謝に囚われてしまった」こじらせさんについて。
まずはこじらせる前段階のお話でした。
◉「感謝」が心から湧き上がるものではなく、
そうしなければいけない!ということからこじらせが始まるよ
◉感謝っていいことよね
感謝ができると、やる気が出るし誰かの役に立とうという意欲も湧いてくる
◉「ありがたい」を感じられなくなっている状態から
感謝が自然と湧いてくるまでの父のお話
◉「感謝」が感じられるようになると自然と「幸せ」であることにも
気が付く。だから、心が軽くなるよね。
でも、そこからどうして「こじらせ ”感謝” に囚われさん」になってしまうのだろう!という本題を次回に繰り越してしまうという失態…..
えへへ。
気をながーくお付き合い頂ければとっても幸いです。
続きを書きました!
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#2・#3・処方箋
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