私が漬物石だから、どうしても推しって言えない。
推し。推し活。推しメン。推し。推し。推し。
私も人並みに世間の情報を仕入れているつもりではあるから、最近そこら中に溢れているその言葉の意味はなんとなく分かる。
芥川賞作品にだって出てくる言葉で、それはもう一般的な言葉になってるんだろうことも知っている。
ただ、その成り立ちや、使って良い対象と良くない対象などの細かな分類を深く知ってるのかと言われると、手も足も出ない。
たしか、生まれたての時は主にアイドルに使われていたような気がしている。
今はもうそれ以外の人たちにはもちろん、物にだって使われていて、対象への気持ちを的確で簡潔に言い表すことができるポップで優秀な言葉だと思う。
誰もが「好きな人、もの、こと」というのを自分の中に持っていて、更にその中に「もっと広く知られてほしい!」みたいな気持ちが存在することは多い。
私にだってそれがある。
そう。私にだってある。
私にも「皆様に推奨したいほどたまらなく好きな人たち」がいる。
ただ、その人たちをどうしても「推し」と言えない。
なんで言えないのだろう。
それはそれはもう、確実に推している。
なのに「推し」とは言えない。
動詞としては平気で使えるのに、名詞になった途端に口が人見知りをする。
新しく生まれた煌びやかな言葉を私はなかなか自分のものにできない。
こうやって時代に取り残されていくんだろうか。上手く年を重ねられない人間なのだろうか。
新しい言葉を知っても、どうにかして既存の方法でやりくりしていけないだろうかと考えてしまう。
だって、今までずっと「皆様に推奨したいほどたまらなく好きな人」だったのに、それを「推し」と変換するなんて、容易な作業じゃない。
2文字!?2文字でいいんですか!?
と、口がびっくりしてしまう。字足らず的な。
最近、ドラマや映画などを倍速で観る人が多いというのを受け入れられないのと同じだろうか。
そんなにお急ぎなんでしょうか。もっとのんびり生きましょうよ。と感じるのと同じだろうか。
やっぱり上手く年を重ねられない人間なのだろうか。
いや、もしかして。
私のその気持ちに、ポップで煌びやかなイメージが似合わないからかもしれない。
「推し」の気持ちを部屋に例えると「デザイナーズ物件のフローリングの部屋」と言うイメージ(個人的見解)
対して、私の「皆様に推奨したいほどたまらなく好きな人」の気持ちを部屋に例えると「四畳半一間の畳の部屋」だろうか。
「推し」の気持ちを物に例えると「桃」というイメージ(個人的見解)
対して、私の「皆様に推奨したいほどたまらなく好きな人」の気持ちを物に例えると「漬物石」だろうか。
重い。
重いしなんか暗い。
暗いしなんか怖い。
私のその気持ちにポップさがまるで無いせいで、私はその人たちを「推し」と言えないのかもしれない。
だんだん自分が気持ち悪く思えてきた。
単純に年齢のせいであった方がまだ良かったかもしれない。
結局、考えても「推し」と言えるようにはならない。
決してその言葉を嫌っているわけではない。
ただ、本当に私のこの気持ちに「推し」という言葉を当て嵌めて良いのだろうか。中途半端な理解で使うべきではないのではないだろうか。
とは思う。
どうやら私は「推し」という言葉にまで漬物石のような気持ちを持ち始めたらしい。
重い。
重いしなんか暗い。
暗いしなんか怖い。
一旦「推し」という言葉と距離を置いて、冷静になった頃にまた口にしてみることにしよう。
とにかく、今の私にはどうしても「推し」とは言えないけれど
皆様に推奨したいほどたまらなく…
今日もすきだぞー!
倍速が重宝される忙しない世の中ですが、ぜひ15分最後まで見ていただきたいものです。だって、推してるのだから。
漬物石が愛を込めて推してるのだから。
やっぱり重い。
重いしなんか暗い。
暗いしなんか怖い。
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