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あの時助けてくれたメロンパンへ
助かった…!
とよく言ってしまう。
助けられるということを、本来ならおしまいになってしまうはずだった展開を最終的には私の力で大丈夫な方向に持っていけるようなお手伝いをしていただいたという意味で捉えている。竜宮城の亀もいじめっ子を追い払われた後おそらくなんとか自力で海に逃げたんではないだろうか(詳細は存じ上げず)。
ありがたいことに最後の最後まで大丈夫なほうに導いてもらうことだって少なくないが、「助けてもらった」というときは最後は自力だなぁとふと思う。
当然それだって生半可なことじゃなくて、ダメな時に自力でがんばれるようになるように自分一人だけでなんとかできることは多くない。しかも、差し伸べられたその手がなかったらそこで物語は終わってしまう可能性の方が高いのだ。
したがってとても暖かい、お守りのような気持ちで助けという概念を想うし、そのようにしてくださった方にはありがとうの次につい、とても助かりましたと言ってしまう。
メロンパンに助けられたことがある。忘れもしない小学生の夏休みのことだ。
私は昔から車酔いがひどく、長距離の外出の際は選べるならば必ず電車を希望していた。大人になった今はかなり大丈夫になったが、昔は車に乗ったならばものの5分でウーとなってしまうのだった。
バス移動も然りで学校行事の際は毎度なかなかしんどい思いをしていたが、その日は特にひどい状態になってしまった。学童のイベントで親たちと一緒に山の中でキャンプするという内容だったのだが、朝早く集合し山道をガタゴトとバスで移動するのが災いしてとんでもない車酔いをしてしまったのだった。あの時乗ったバスの窓ガラスの隅のあたりに青い日除のような色が付いていたことすら今も覚えている。
今思うと道の駅的なところだったのかサービスエリアに寄ったのか、山道の途中でトイレ休憩を挟んだタイミングで下車を希望した。これ以上バスは難しかった。幸い母が同行してくれており、少し休んでからタクシーで最寄りの駅に行ってキャンプ場まで電車で向かう提案をしてくれてその場は解散となった。みんなが先に行って、私は母と残った。
閉塞感のあるバス移動で忘れていたが、山の空気は綺麗だった。思えばまだあれは午前だったのだろう、真夏ながら涼やかな空気に少しずつ元気を取り戻した。そうして空腹に気づく。慣れない環境と吐き切ってしまった疲れでクタクタだった。
その場で売っていたのがメロンパンだったのである。具体的には神戸屋さんのメロンパンだ。
私はメロンパンが大好きだ。甘くてサクサクでふわふわで、シンプルなのに飽きない。栄養とかビタミンとかはさておき、食べるたび気分がとても上がるほどに愛している。初めて食べたきっかけは祖母が教えてくれたときなのだが、おばあちゃんは昔デパートのエレベーターガールとして働いていた頃に食べていたのだと教えてくれた。これ一個でお腹いっぱいになるからさ、とニヤリと笑っておやつに食べた。はて、今更ながらおばあちゃんが働いていた頃からメロンパンはあったのだろうかと思ってこの記事を書きながら調べたら明治から昭和初期にはあったらしい。比較的新しく現れたパンを仕事の合間にたしなむワーキングレディ、おばあちゃんはハイカラな女性だったんだなあ。
そんなメロンパンを、心から食べたくて母にねだって買ってもらった。なぜかとにかく甘さを感じたくて、喉が渇いていたけれど甘いものが良かったので、お茶や水ではなく傍にあったいちごミルクも一緒に買ってもらい、ビニール袋の隙間からメロンパンをかじって食べた。
あの時の感動にも近い美味しさを、なんと表そうか。もうなんとも言えない。その証拠に今でもメロンパンを見たらいちごミルクを思い出すし、いちごミルクを見たらメロンパンを思い出す。食べて、元気が出て、それまで立てないくらいだったのに気がついたらこの爽やかな山道を歩くことが心から嬉しい…と思うほどだった。
その後の記憶はほとんどないけれど、おそらく無事に辿り着いたのだろう。次の記憶はキャンプ場で当時好きだった男の子のお母さんからお鍋でご飯を炊くやり方を照れながら教えてもらっている景色だからだ。
そう、私はメロンパンといちごミルクに助けてもらった。ズタボロだった心身に染み渡ったあの甘さを今も覚えているほどに感謝している。そしてもちろん、メロンパンやいちごミルク以前に助けてくれたのは母だし、メロンパンの美味しさを教えてくれた祖母だってそうだ。
そのことも忘れてはいけない。
メロンパン、大好き。