日記2023年5月①

以前ウェブで文章を載せていただいたつながりで、人と会ってきた。港区を歩こうという趣旨で、有栖川宮記念公園から六本木ヒルズへ行き、ちょっと地下鉄に乗って赤羽橋から芝公園へ向かった。港区は高低差のある地形で、街ごとに特色も異なり、街の中でも通りと路地ではまた違う。少し歩くと風景がガラッと変わる。話しながら歩いているといつのまにか違う場所に来ている。場所と場所の境目があるわけではないけれど、変化のグラデーションの密度が高い。有栖川宮記念公園は近所の子供がたくさんいて、土地柄か外国にルーツのある人も多くて、外国語が飛び交っていた。公園内でも高低差が結構あって、流れ落ちる小川に沿って高い木が並び、よく茂った樹冠が頭上を覆って光と湿り気を閉じ込める。小さな虫が塊を作って飛んでいるのを手で払いながら通ると視界がひらけて池が広がり、子供たちがザリガニを釣っていた。ボールを投げる親子、ボールを蹴る親子、親はベンチに座って子供が走り回る。小さくひらけた場所がいくつかあって、ちょっと進むと景色が変わる。公園を出て、詩を書く人と犬の話をした。ヨークシャーテリアを昨年亡くされたらしい。公園の近くは小型犬から大型犬まで色んな犬が歩いていた。さっきヨークシャーテリアもいましたねと話した。私は、猫も犬ほどではないが尻尾の動きで気持ちがわかることとか、猫もその猫ごとに色々な個性があることを話した。統合失調症とヘルダーリンのことも話した。

前を歩くダンス研究者とキュレーターの二人について歩く。急に高いビルが増えて、いつのまにかエスカレーターに乗って六本木ヒルズに入っていた。詩人の方は最近ヒグチユウコさんの個展で森美術館に来たそうだ。スマホでイラストを見せてもらって私は初めてヒグチユウコさんを知った。その方は漫画の古本屋で働いていて、イラストや漫画が好きだと言っていた。東京の書店と古書店を教えていただいたので今度行ってみようと思う。ガロの漫画家の名前を教えていただいたけれど忘れてしまった。坂を下って大江戸線の駅に入って、キュレーターの方が紙パックのカフェオレを買って飲んだ。赤羽橋から芝公園へ。丘の下から東京タワーの全身が見えた。子供がまだ妻のお腹の中にいるときに、一緒に東京タワーに登った。その頃はまだ子供に名前がついていなかった。東京タワーのぬいぐるみが丸っこくってかわいくて、大小一個ずつ買って今も家にある。芝公園は有栖川に比べて平たく続いている。私たちが行ったところは全然人がいなくて、閑散としていた。遊歩道につかず離れずという距離で太い木がいくつもどっかと生えていて、曇天の下でその木々は人の不在を確かめているようだった。一口に公園と言っても印象が全く違った。

そのあと居酒屋さんでもう一人演劇研究者の方が合流した。研究者二人とキュレーターの方で演劇・ダンス関係の話が盛り上がって、固有名詞が九千個くらい出た。私は一割もわからなくて、へえ、とか言いながら聞いていたけれど、こういうのはつまらないということはなくて、そうやって話している人を見ているのはおもしろい。私は小学校からの友達と会うときにも黙って聞いていることが多い。それにしても、小さい頃からミュージカルや演劇、コンテンポラリーダンス、歌舞伎とつまみ食いしてきたけれど、研究者のものの見方を知ると、自分はせっかくの演劇経験を食べっぱなしにずいぶんと食い散らかしてきてしまったなと思う。大学に入って東京を離れてから演劇関係も足が遠のいてしまって、子供が生まれてさらに出かけにくくなり、多くのものを見逃してきた。演劇が好きだ、歌舞伎が好きだ、と人に自己紹介することが多いけれど、いざどんなのをご覧になっているんですか、などと言われると、自分の演劇の体験が遠く海みたいな印象のプールに注がれ拡散して、何もかもが溶け合って漠として眼前に打ち寄せるばかりで、そこから再び言葉を取り戻すなど遙かに隔たった困難な行為に思える。この十五年ほどは私にとっては一種の自閉的な時期であった。けれどもその閉じこもりの中で小説に出会ってこうやって自分の文章も書いているから、意味はあったのだと思う。

とりあえずアピチャッポンの映画を観ようと思った。

私のような、学問や芸術の文脈から外れたところでただ思ったことを(一応は真面目に考えてはいるけれども)ブログに上げたりPodcastで話しているだけの者でも、一種の創作をしている人間の端くれとして普通に捉えてもらえるのは嬉しい。私は最近ずっと生活、日常の普通さ、つまらなさを、つまらないままに創造的なものとして考えようとしているのだとあらためて思った。それがおもしろいかどうかはまた別の問題なのだが、私にとっては大事なのだと思う。研究者の知のあり方というのは非常にパブリックでコミュニカティブだった。詩人の方の言葉は非常に構築的というか、将棋のように一手一手置かれていく感じがした。翻って私のあり方を考えてみると、大いに精神科臨床の影響を受けてしまっていて、知のあり方がパーソナルでプライベートなものになっている。もちろんそれをパブリックなコミュニケーションへと開いていくのが医学研究の要点なのかもしれないけれど、なかなか難しいなと思う。

23時近くまでお店にいて、帰った。夜中に家に着いて、うつ病人間としてはとても疲れたけれど、その疲れはうつ病の症状としての疲労感とは違って、心地よいものだった。また会いたいけれど、皆さんにはまた会いたいと思っていただけただろうか。

翌日は大学の後輩の家に子供と妻と遊びに行く予定だった。

大学の後輩は去年、私たち一家を結婚式に呼んでくれた。当時二歳の子供は会場の人の多さや放送や映像の音量の大きさに驚いてしまって、怖がってずっと別室(元々は両家親族の控室)を使わせてもらって避難していた。その後輩の家に行くよ、と知らせたらまた結婚式場だと思ったみたいで、出かける前に「こわい」と泣いて抵抗したので困ってしまった。でもまあ親はやっぱり行きたいので、後輩の家は結婚式場ではないということを説明した上で多少強引に説得して、とりあえず電車で最寄り駅まで行って、ダメなら帰ろうということにして出かけさせた。いつもより抱っこが多かった。行ってみたら、まあわかってはいたが、とても優しい子供好きな後輩たちなので最初こそモジモジしていたけれど時間が経つとすっかり打ち解けて、しっかり遊んでもらっていた。

後輩も大学院に入ったところだったようで、卒業後はどうするんですかという話になった。いやあ、ね、どうするんだろうね、わかんないわ。医者の仕事で出世して管理職はやりたくないし、でも医者の仕事は嫌いじゃないし。後輩はとりあえず新しい手術や治療をしっかりとやっていきたいらしく、そのために大学に残りたいとか、そういうことを言っていた。なんて立派なのか。至極まっとうで力強い志が掛け値なしに眩しかった。私が、管理職をしたくないし、文章を書くほうがおもしろいし、院卒後は少しプータローみたいにしててもいいかなと思って、と言うと後輩は、ああ、主夫みたいな感じですかね、ときちんと言い換えてくれて、その辺もしっかりしていたのだった。そんな感じでなんだか後輩に私がお悩み相談するようなかたちになってしまった。

子供は私のスマホでみんなの写真を撮っていた。結構ちゃんと写っていた。

主夫というと、最近私はうつ病の回復における家事について考えていて、家事をクリエイティブなものとして、心地よくやって、毎日を停滞なく流していく、そういうことの重要性を考えていたのだけれど、そんなことを妻に話したら山崎ナオコーラさんの『むしろ、考える家事』という2021年の角川の本を出してきて、これよかったよ、と渡してくれた。読んでみたらドンピシャでそういうことを書いているエッセイで、さらに山崎ナオコーラさんは家事が社会貢献や政治活動でもあるというところまで考えを拡げていて瞠目した。私も家事について他者との共同性が重要ではないかと思っていて、この辺りはよく読み直してまた考えていきたいと思う。

17時頃帰った。電車で子供はあっという間に寝た。私は後輩にお悩み相談をしてしまいつつ同時に文章でいくつかお仕事をもらえたことなんかも得意げに話してしまったことを恥ずかしく思い始めていて、でも、前の自分だったらどっちも何も言わないでいたはずだと思うと、この数年でずいぶん変わったなと妙な感慨を抱いたりした。こんな先輩でも仲良くしてくれて本当に嬉しい。

そういえば仲のいい同級生の友達に子供が生まれた。彼の子供は彼に似ているのではないかと思って写真を見せてもらったらしっかり似ていたので笑った。彼もなぜだか私に世話を焼いて仲良くしてくれて本当にありがたい。近いうちに会えるといいな。

5月21日の日曜日は文学フリマ東京に出店する。一緒にやっている国語教師が、最初は忙しくて来られないと言っていたのだけれど、私一人だと大変だろうからと言って来てくれることになった。この二年ほど大体月一のペースで二人で話していているけれど、会うのは三年ぶりになる。後輩にポロッと思っていることを漏らせるようになったのも、こうやって思ったことを言葉にして口に出す作業を続けてきたからだろうと思う。それはたぶんいいことなのだ。

仕事で知り合えたお友達、大学の後輩、同級生、昔からの友達、といろんな人にお世話になっている。ありがたいことです。そういう週だった。

ちなみに文学フリマ東京36に出す同人誌について話したPodcastをアップしたのでよろしければお聴きください。私精神科医が小説を、国語教師が短歌を作りました。https://t.co/8c6qMjfIls

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