思い出の鮮度のあげカタカタ
こんばんは、ゆーまるです。
今日は一日有給で休んでいましたが、だらだらごろごろとした一日でした。(笑)
たまにはいいですね。
ゲーセンで5000円をすってしまったので、気持ち的には少しブルーです。
でも、「気にしないチャンピオンの私」には大したことではありません。(笑)
もうこんな時間か。
時間が過ぎるのは本当に早いですね。
今日は「心の鮮度のあげ方について」書きます。
みんな大好き「さこらじかる」の記事で
傷ついたことは、鮮明に心に残るけど、反対にうれしいことはそこまで鮮明に心に残らない。と言っておられました。
確かにそうだなと思いました。
嫌な思い出というのは、心の奥底にいつまでもなくならないのに、
良い思い出は気が付くと鮮度が低くなっている。
なぜなんだろう。
少し考えてみると、
「人間にとって、必要だから」かなという答えが見ました。
嫌な思い出は忘れられないけれども、
次に同じようなことが起こりそうになると、それを回避できます。
失敗から経験するみたいな感じですね。
同じ失敗を避ける意味では、忘れられないというのも必要なのかもしれませんね。
そこまで、鮮明に残っていないと生命の危機にも遭遇する可能性もあるからやっぱり必要なのかもしれませんね。
そして反対に、
良い思い出はいつまでも心に残っていると、次に進めなくなってしまうのではないでしょうか?
いつまでもそこにすがっている事になるかもしれません。
だから、少しずつ少しずつ忘れていくのかもしれませんね。
ここまで書いてきましたが・・・
それではあまりに悲しいじゃないか!と憤慨しました。
悲し過ぎますよね。
良い思い出をいつまでも鮮度をよく取っておくためには、方法がきっとあるはずです。
ないと思えば、ないけれど
あると思えば、必ずある。
考えました。
忘れないようにするためには、単純に残しておけばいいのです。
残しておくと言えば日記ですよね。
しかし、文字だけだとやっぱり少し弱い感じがしますね。
文字だけでなくて、写真、音声
五感をフルに使ったアウトプットをすることによって、思い出の鮮度は上がるはずです。
これらはすべて、「note」でできますね。(笑)
やっぱりnoteは素晴らしい!
さらに、人との繋がりが深い「note」ではコメントなんかで記事をレベルアップできるのがいいですよね。
良い思い出が、他の人にも伝わって、自分だけの思い出ではなくなる。
皆の良い思いでになるんですね。
その時の鮮度を「note」に封印しておけば、そこに戻ってくれば、少なくともやらないよりは鮮明に思い出として残っているでしょうね。
だから、「note」の投稿は大切なんですね。
さこらじかるさんの記事で私は「note」の大切さについて気が付くことができました。
人の記事に、触発されて記事を書くのは面白いです。
新たな発見が増えてきます。
ありがとうございました。
それでは、また明日