GW最後の1日の哀愁
「電車、みんな哀愁ある顔してるなぁ〜」
5/6(日)の17時ごろ、夕方、
ぼくは都電荒川線に乗っておりまして
(荒川線:東京荒川区の三ノ輪停留所 ~ 新宿区早稲田停留所を結ぶ、地域に愛される、路面電車)
始発の早稲田から乗ったものの、
その時点で乗車率70%ほど。
乗った矢先、乗り合わせた家族層、
出稼ぎインバウンド、30代男女の顔に浮かぶ
哀愁たるや。。
みなさんも経験ありませんかね?
「小学校、夏休み後半の夕方、家の縁側に
差し込む夕日を見てると、ドッと押し寄せる
孤独感、寂しさ。」
そんときの哀愁ある表情。
皆々方、お顔に携えていらっしゃいました。
それを見て、ぼくは、とある絵画を思い出しました。
それが、以下イメージの絵画。
デ・キリコの『秋の、ある午後の謎』
デ・キリコお得意の、形而上絵画の代表例。
長く伸びた物体の影、全体性を失ったモノ、
コトの脈絡性。
いわば、世界のゲシュタルト崩壊。
漫然と、ぼーっと眺めてると起きやすい感覚。
GW最後の1日の、午後17時ごろ、
都電荒川線内で経験した、この感覚。
自分自身の意識が漫然としていたわけでは
ないのだけれど、感じた、この感覚。
上記のような、哀愁のような感覚は
共通無意識として伝播するものなんだなと。
特に、同じ時間、同じ場所をリアルタイムで
経験している人々の間では。
それから1日経って、本日5/8(火)。
GW前の仕事が立て込んでる都合で
赤坂オフィスに12時ごろから出社。
道中、電車で乗り合わせだ人たちの雰囲気は
まだGWの雰囲気を纏っている。
長期連休後とかは、関係のない人たちも
たいてい同じような時間感覚、経験をしているので、共感覚がなくとも雰囲気を感じ易い。
この共感覚は、知らない人たちと同じ感覚を
言葉なく共感できた気になって、心地が良い。
夏休みの終わりの夕方、縁側で感じられる
寂しさは、エモいし、なんとなく懐かしい。
社会人7年目か、8年目かになって
さらに上記のような共感性を感じられる余裕を
持てる働き方がてきているということに、
有り難いと思いつつ、GW明けの初日を終える。
拝読いただいた方々、GWが明け、
また日々の生活がもどってきますね。
気楽に、やってきましょう。