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GW最後の1日の哀愁

「電車、みんな哀愁ある顔してるなぁ〜」

5/6(日)の17時ごろ、夕方、
ぼくは都電荒川線に乗っておりまして
(荒川線:東京荒川区の三ノ輪停留所 ~ 新宿区早稲田停留所を結ぶ、地域に愛される、路面電車)

(引用先:LENS BLOG
http://lens-blog.jp/2018/07/29/todenarakawa/)

始発の早稲田から乗ったものの、
その時点で乗車率70%ほど。

乗った矢先、乗り合わせた家族層、
出稼ぎインバウンド、30代男女の顔に浮かぶ
哀愁たるや。。

みなさんも経験ありませんかね?

「小学校、夏休み後半の夕方、家の縁側に
 差し込む夕日を見てると、ドッと押し寄せる
 孤独感、寂しさ。」

そんときの哀愁ある表情。
皆々方、お顔に携えていらっしゃいました。

それを見て、ぼくは、とある絵画を思い出しました。
それが、以下イメージの絵画。

デ・キリコの『秋の、ある午後の謎』

デ・キリコ『秋の、ある午後の謎』

デ・キリコお得意の、形而上絵画の代表例。

長く伸びた物体の影、全体性を失ったモノ、
コトの脈絡性。

いわば、世界のゲシュタルト崩壊。

漫然と、ぼーっと眺めてると起きやすい感覚。

GW最後の1日の、午後17時ごろ、
都電荒川線内で経験した、この感覚。

自分自身の意識が漫然としていたわけでは
ないのだけれど、感じた、この感覚。

上記のような、哀愁のような感覚は
共通無意識として伝播するものなんだなと。

特に、同じ時間、同じ場所をリアルタイムで
経験している人々の間では。

それから1日経って、本日5/8(火)。
GW前の仕事が立て込んでる都合で
赤坂オフィスに12時ごろから出社。

道中、電車で乗り合わせだ人たちの雰囲気は
まだGWの雰囲気を纏っている。

長期連休後とかは、関係のない人たちも
たいてい同じような時間感覚、経験をしているので、共感覚がなくとも雰囲気を感じ易い。

この共感覚は、知らない人たちと同じ感覚を
言葉なく共感できた気になって、心地が良い。

夏休みの終わりの夕方、縁側で感じられる
寂しさは、エモいし、なんとなく懐かしい。

社会人7年目か、8年目かになって
さらに上記のような共感性を感じられる余裕を
持てる働き方がてきているということに、
有り難いと思いつつ、GW明けの初日を終える。

拝読いただいた方々、GWが明け、
また日々の生活がもどってきますね。

気楽に、やってきましょう。

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