適時期ってありませんか??
子どもたちにもっと余裕のある生活を送らせませんかという趣旨の発言をすると、ほぼ100%返ってくる意見の中に「うちの子には、そういう甘いことをさせるとサボりますから!」というものがある。
ただ、僕は何でもかんでも早期にやり込めば力が付くという考えには正直反対だ。
もちろん、とんでもなく稀な才能に溢れた子どもであれば、違うのかもしれないが、『大人のさせたいこと』と『子どものしたいこと』の開きがあればあるほど上手くいかないことが多いなという感覚を持っている。
何にしても『習慣』を作ることというのはとても大切なことだと思うが、子どもに『我慢』や『根性』を外から教え込もうとしても『失敗』に終わることの方が多いと思う。
『小学生』の中心は『遊び』
僕は、小学生にこそとことん遊んで欲しいと考えている。
ただ、現代の小学生は結構忙しいことが多い。
もちろん、社会の変化によるものが多いのではあるが、学校で放課後ゆっくり遊べる学校も減ってきたり、習い事の種類が増えたりで『遊び』に没頭していられる時間が少なくなっている。
その影響か、世の中の至る所が『ながら』に対応したもので満たされている。『動画を見ながら宿題をしたり』『移動をしながらゲームをしたり』『LINEをしながら勉強をしたり』忙しいという意識は持っていなくても、何かに没頭することを許される余裕が無い訳だ。
そんな生活を経験している『小学生』に好きな遊びは??と聞いても『特にない、別に…』と返ってきても不思議は無い。急かされるような『時間』を過ごす『小学生』には何かに夢中になって『遊んだ経験』が不足してしまうと1つのことに『没頭』して取り組む感覚を学ばずに大きくなることが多くなってしまうと僕は感じている。
習い事には熱心だから!と安心もしていられないところも実はある。ある年齢からは小学生であっても「習い事は、自分が始めるって言ったから」とか「親が期待しているから」とか「勉強よりはマシだから」と何となくレールに乗っかっている可能性も十分あるので、無条件に『没頭』できる環境は整えてやる必要がある。
そして、純粋に本人の興味が出やすいのが『遊び』なのではないかと僕は考えている。そういう余裕の先にこそ、それぞれの『個性』が光っていくのではないかと日々感じている。
『中学生』の中心は『自己決定』
中学生は、思春期、真っただ中である。
自我もしっかりと芽生え、好き嫌いがはっきりしてくる。そんな子どもたちに『将来大切だから!!』と言い張って無理やり大人が必要だと思うことを押し付けようとしたってなかなか通用しないだろう。
インターネットが普及し、様々な情報が子どもにも簡単に触れられるような環境が出来上がってきた。すると、こんな言葉をたくさん目にしたり、耳にしたりする訳だ。
「学校の勉強なんて将来ほとんど役に立たない!」何て話だ。すると嫌々やっていることに対しては、『中学生』はすぐに反応して、「将来何の役に立つかわからないことやってられるか!!」となってしまうのは当然のことだと感じる。もはや、何を信じれば良いのかさっぱりわからないというのが正直なところだと思う。
だからこそ、そんな子どもたちを『ルールや圧力』でもって従わせるのではなくて、正しく『自己決定』できる状況を整理しておいてやることが大切だと思う。
僕は、この『自己決定』の連続でしか、人は『成長』しないのではないかと思うくらい大切なことだと考えている。
そのためにはやはり、子どもたちの生活に『時間』を生み出してやる必要があるのだが、それはまたの機会に書くことにしたい。