ブッダに学ぶ現代の生き方――エヴァンゲリオンに見る心と体の境界線
最近、私はふとしたきっかけから仏教に興味を抱くようになりました。というのも、別に何か特別不自由してるわけではないけど、ふと「あれ、なんか幸せじゃない。。。」と思うことが増えたからです。
物質的な豊かさや最新のテクノロジーに囲まれているにもかかわらず、日々の中で不安や迷いを感じることがあるのはなぜなのか――この問いを抱くうちに、自然と仏教の教えや「悟り」について考えるようになり、般若心経を学んだり瞑想を試したりするようになりました。
そして、その実践の中で、「自我と身体の感覚が分離する」という不思議な感覚を体験することがあったのでちょっとシェアしてみたい。
最早日常のルーティンと化した、筋トレで自分を限界まで追い込んでいたときのこと。
息も絶え絶えで「もう無理だ」と感じているのに、ふと「あれ、このしんどさって本物物理的に存在する?」「これ以上やったら死ぬと思ってるけどホントに死ぬのか?」と疑問が湧いたのです。(生粋のドM)
性分として疑問には答えを出したくなるため、限界に達している自分をさらに追い込み続けました。すると意外にも、体は動き続けたのです。もちろん、しんどさは増しているのですが、そのとき私は「しんどい」と感じる自分をどこか遠くから観察しているような冷静さを得ていました。
「ん、、、?これが仏教で言う自我と身体感覚の分離の一端なのかもしれない」と、なんとなく理解できた瞬間でした。
そしてその時、「あれこの自我意識ってあれと似てないか」と気づきました。
エヴァンゲリオン――
ロボットアニメの代表作であるこの作品の中で、エヴァのパイロットたちは、魂を持たない人造人間「エヴァンゲリオン」と同期して、その巨大な肉体を操ります。
通常、パイロットの「意識」はエヴァに侵食されることなく俯瞰的な視点を保てますが、戦闘中に極限まで追い込まれるとエヴァは暴走し、パイロットの「自我」を取り込み、支配してしまうという設定ですが、このエヴァの暴走状態――これは私たちが感情に飲み込まれ、冷静さを失う瞬間に似ているのではないかと思ったのです。
仏教では、こうした「感情の暴走」や「煩悩への執着」こそが人間の苦しみの原因であり、これを防ぐためには「心の内側をよく見つめ、冷静な視点を保つこと」が重要だと説かれています。
私たちも、自分の心や体の反応を冷静に観察する「もうひとりの自分」の視点を持つことで、感情や欲望に飲み込まれずに生きることができるのです。感情に支配されず、ただ観察し、自分を保つ――それが仏教の教えが目指す「悟り」への一歩なのではと。
今、私たちが生きる現代社会では、この仏教的な「自己観察」の視点がますます重要になっているのではないかと思います。
特に日本では資本主義が根強く、"科学教"の時代とも言えます。目に見える成果や理論的な正しさが重要視され、私たちは他者との比較や物質的な豊かさにとらわれがちです。
しかしその豊かさがもたらす満足感は一時的なもので、むしろ物質的に満たされるほど「本当の幸福とは何か」「自分にとっての生き方とは」といった問いを抱える人も少なくありません。
加えて情報が氾濫し、SNSで人々の生活が可視化され、誰とでも簡単に自分を比べられるこの時代において、煩悩や迷いも増えやすくなっているように思います。
人生に無限の選択肢が広がるこの世界は、ある意味で「煩悩まみれの世界」であり、私たちは今こそ「自分は何を求め、何に価値を置くべきか」を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
私は、仏教の教えや瞑想を通じて「自分を冷静に観察する視点」を育むことが、こうした迷いや不安の中で軸を見失わないために必要な素養だと感じています。
エヴァンゲリオンの「暴走」のように、自我が感情に飲み込まれる瞬間は誰にでもあります。大切なのはそのときに冷静に自分を俯瞰し、理性を保つこと。そして現代だからこそ、自己観察という鍛錬を通じて、感情や欲望にとらわれない「冷静な自分」を育てることが、実は自分を幸せにする一歩ではないかと思うのです。瞑想や仏教の教えが、迷いや不安を抱える私たちに必要な理由は、まさにそこにあるのかもしれません。
というシェアでした。
長々と読んでいただきありがとうございました!
最後に興味持ってもらった方向けに本の紹介しておきます。
この辺は読みやすくて面白いので是非!
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