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舞台 「日本人のへそ」 観劇レビュー 2022/10/28


【写真引用元】
虚構の劇団 Twitterアカウント
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虚構の劇団 Twitterアカウント
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公演タイトル:「日本人のへそ」
劇場:座・高円寺
劇団・企画:虚構の劇団
作:井上ひさし
演出:鴻上尚史
出演:久ヶ沢徹、鷺沼恵美子、倉田大輔、小沢道成、小野川晶、三上陽永、渡辺芳博、梅津瑞樹、溝畑藍、藤木陽一、辻捺々、木村友美、オカモトマサト、帯刀菜美(ピアノ伴奏者)
公演期間:10/21〜10/30(東京)、11/4〜11/6(大阪)、11/12〜11/13(愛媛)、12/1〜12/11(東京)
上演時間:約155分(途中休憩15分)
作品キーワード:ミュージカル、音楽劇、サスペンス、どんでん返し、昭和レトロ
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


日本の演劇業界を代表する劇作家の一人でもある、鴻上尚史さんの劇団である「虚構の劇団」の舞台作品を初観劇。
解散公演となる今回の「虚構の劇団」の公演演目は、戦後の日本を代表する劇作家の一人である、「ひょっこりひょうたん島」の作者井上ひさしさんの初期の代表作「日本人のへそ」。
私自身は、井上ひさしさんの戯曲を観劇することも、鴻上尚史さんの舞台作品を観劇することも初めてとなる。

物語は、吃音患者の治療法について研究している大学教授が、吃音患者を集めて役者として舞台演劇を上演することによって、彼らの吃音を治療しようと試みる劇中劇である。
そこで上演される劇中劇では、ヘレン天津(小野川晶)という岩手県遠野出身の田舎娘が集団就職して上京し、浅草のストリップ劇場のストリッパーとして働くという彼女自身の半生を描いている。
上演自体は第1幕と第2幕に分かれた2部構成であり、第1幕はヘレン天津の半生を描く劇中劇、第2幕はヘレン天津の半生の劇が終わった後のとあるサスペンスを描いている。

時代設定が1960年代の日本であり、この戯曲が書かれたのもその頃なのだが、当時は娯楽の中心地が浅草で、ストリップショーの全盛期でもあったので、その当時の時代風景が非常によく反映されていて、映画「浅草キッド」や舞台「世界は笑う」などとも通じる時代設定に個人的には非常に興奮させられた。
思った以上に前半パートはミュージカル仕立てで、エンターテイメント性の強い作風だった。
井上ひさし戯曲にミュージカルの要素はなかったので私は意外性を感じ、Twitterなどの感想を見ているとそういった演出部分に対して違和感を感じている方も散見されたが、井上ひさし戯曲や「虚構の劇団」に全く今まで触れてこなかった私にとっては、先入観があまりなかったせいか楽しむことが出来た。
帝国劇場で観劇するような圧倒的な圧を感じられるミュージカルと比較したら声量やインパクトは下回るものの、座高円寺という劇場のキャパシティと浅草を舞台とした脚本であれば、あの穏やかな感じが一番しっくりくるのかなと思った。

前半のミュージカル仕立てのパートの曲調も、音楽はピアノの生演奏が中心であり、井上ひさしさんの脚本だからか、凄くEテレなどの教育番組で登場しそうな穏やかなものが多かった気がした。
優しさを感じられるメロディに心地よさを感じられて良かった。

キャスト陣も「虚構の劇団」を代表する役者が多くて、誰かが尖っているという訳ではなく、役者一人ひとりがしっかりと輝けるような工夫がされていたように感じた。
久ヶ沢徹さん、小野川晶さん、小沢道成さん、渡辺芳博さん、梅津瑞樹さんなど皆良かった。

ラストは予想もつかない急展開を遂げるのでネタバレ厳禁で、ストーリーを事前に知らない方が楽しめる内容になっていると思うが、ミュージカル仕立てで1960年代の当時の日本の時代背景も知ることが出来て勉強にもなると思うので、多くの方にオススメしたい舞台作品だった。

【写真引用元】
虚構の劇団 Twitterアカウント
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↓映画『日本人のへそ』



【鑑賞動機】

名のしれた「虚構の劇団」の解散公演だったから。「虚構の劇団」は有名だが、舞台を一度も拝見したことがなかったので、今回は見逃すまいとチケットを取った。
井上ひさしさんの戯曲も、ずっと観劇してみたいと思っていたので、今回を機に観劇出来るのは非常に有り難かった。
キャスト陣も、小沢道成さん、倉田大輔さん、梅津瑞樹さんなど以前舞台で拝見してまた拝見してみたいと感じた方が沢山いたので、そちらも観劇の決めてとなった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等あるかもしれないがご容赦頂きたい。

吃音患者たちが、「アイウエ王」の話を音読しながら吃音を治療している。患者たちは、皆その音読に苦労しているようだった。
アメリカ帰りの吃音患者の治療法を研究する大学教授(久ヶ沢徹)が現れる。彼は、日本に帰国して吃音患者たちを集めて彼らに舞台演劇をさせることによって、その吃音を治療しようと試みようとしていた。吃音というのは、他のどんな病気と比較しても最も人間的な病である。なぜなら、吃音症は言葉の病であり、言葉を使いこなすのは人間以外他の動物にはないから。そして吃音は元々先天的に生じる病ではなく、過去のトラウマなどが絡んで生じる病だから。
吃音患者の中には、伊藤忠商事の商社マンとして就職したものの仕事による失敗で吃音になった男性(小沢道成)など、これから吃音症を克服するために劇を演じる役者が、なぜ吃音になったのかが語られる。そして今回は、岩手県遠野出身であり、集団就職で上京してストリッパーになった後に吃音症を発症したヘレン天津(小野川晶)を主人公に据えて、彼女の半生を物語にして上演することになり、ここから彼女が主人公となって劇中劇が始まる。
中には、自身がなぜ吃音症になったのかを紹介されずに終わってしまった患者もいて、不満が飛び交う。

ヘレン天津は、岩手県遠野の農家で生まれ育った。ヘレンの父はトラックの運転中の事故で首を怪我していた。父はヘレンが集団就職で上京することになったと聞いて、願わくばずっと一緒に実家で暮らしたかったと言いつつ、上京してどうせどこかの男とセックスすることになるのならと、父は娘のヘレンに手を出してしまう。ヘレンはその父との性行為がトラウマになる。
ヘレンは集団就職で、列車で遠野から上野へ向かう。東北本線の駅名が一つずつ読み上げられながら上野に到着する。上野に到着したヘレンは、その女子高生の制服姿から作業服の中年男性(渡辺芳博)にストーカーされる。
ヘレンは上京した後、クリーニング屋で仕事を始める。女性の良い匂いがする洗濯物を干している。そこへ先ほどの作業服のストーカーがやってくる。彼はヘレンに、浅草のストリップ劇場でストリッパーにならないかと誘う。ストーカーは、クリーニング屋の仕事は汗水流さないとお金は得られないが、ストリッパーになれば汗水をかかずに済むと誘う。ヘレンは彼の誘いを断る。
ストーカーの男は自宅に帰ると、妻よりも自分を夢中にしてくれる若い少女に夢中だと言う。そして妻に引っ叩かれる。

浅草には、東大生であり英語がペラペラな学生(小沢道成)が、人々の前でテキストを使って英語の覚え方を伝授していた。そこへヘレンが現れ、ヘレンはその東大生にその場で英語を習うことになる。
しかしその東大生は、ヘレンに英語を教えたので授業料といわんばかりのお金を要求してくる。しかしヘレンは一文無しであった。その東大生はヘレンをビンタする。影でこっそり見ていたストーカーも、お金を持っておらず助けることが出来なかった。
ヘレンはその東大生にビンタはされたものの、彼に対して恋をする。

ヘレンはバスローブにくるまれて、とある男性(倉田大輔)と初体験?をすることになる。ヘレンは大人の女性になっていき色っぽくなる。
ストリッパーたち(溝畑藍、鷺沼恵美子、辻捺々、木村友美)による踊りが披露される。ストリッパーたちは派手なランジェリーを身にまとって、露出の激しい衣装で踊る。

とあるテレビスタジオ、2人の武士の格好をしたコメディアン(三上陽永、梅津瑞樹)がチャンバラごっこをしている。三上さんと梅津さんが虚構の劇団の劇団員の先輩後輩の関係に当たるので、三上さんが後輩である梅津さんを「最近人気が出始めたようじゃないか」と言いながらいじろうとするが、三上さんは梅津さんに斬られてしまう。
そこへ放送作家(倉田大輔)とテレビスタジオで働き始めていたヘレンがやってくる。放送作家は2人のコメディアンが行うチャンバラが面白くないと怒り出す。そこで仕切り直して2人は再度チャンバラを行う。すると、ヘレンも笑い始めて放送作家もこれは面白いと褒めてくれる。

そこへ、紫色のタイツを身にまとったコメディアン(渡辺芳博)が現れ、ヘレンに君もストリップ劇場に立ってみないかと誘う。ヘレンはタイツ姿になって紫タイツの男に指示されながら踊る。体をくねらせて丸書いてチョンをする。
こうしてヘレンは、ステージに立ってパフォーマンスを披露することに喜びを感じるようになったのか、ストリップ劇場でストリッパーとして踊るようになる。

【写真引用元】
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しかし、時代の流れも変わり始め、ストリップ劇場も次第に経営が難しくなっていく時代に突入する。ストリッパーたちは楽屋で口々に不満をこぼす。観客のために踊り続けるストリッパーたちは、ただただ時代に翻弄され、観客たちにお金を下さいと媚を売らないと金が手に入らない乞食と一緒じゃないかと愚痴を言う。
その頃、学生運動も盛んで反社会勢力が声を上げてストライキを起こしやすい時代でもあったので、ストリッパーと裏方のコメディアンたちは、政府に対してストライキを起こすことになる。
ストライキの代表(三上陽永)は、ストリッパーやコメディアンたちの前で、何やら難しいことをベラベラと喋っており、付き従う者たちは一体何を言っているのかさっぱり理解出来ていなかった。
そこへ、スーツを着たオヤジ(渡辺芳博)が現れ、そのストライキの代表と何やら口論を始める。オヤジもまるで何を言っているかよく分からないことを熱弁している。
さらにそこへ、ヤクザの一行が押し寄せる。そしてそのストライキ集団に切りかかっていく。ストライキ集団の中に加わっていたヘレンは、ヤクザの代表(小沢道成)を見て、彼が以前東大生として英語を人前で披露していた恋心を抱いた相手だったと思い出し話しかける。しかし、ヤクザ代表の彼はヘレンのことを全く覚えていないようだった。
そこでヘレンとヤクザの代表は恋に落ちることになるが、吃音症研究の大学教授が入ってきて、そこでイチャイチャするでないと忠告する。そして劇中劇を仕切り直す。

ヤクザの代表の屋敷、ヘレンはそのヤクザに嫁ぐことになったようだ。ヤクザの下っ端(梅津瑞樹)は、段上に上がろうとするが、ヤクザの頭に何度も止められる。
そしてヘレンがやってくると、ヤクザの屋敷で一同は「日本のボス」を連呼する楽曲に合わせて踊り始める。その踊りでの中心人物は吃音症治療の大学教授であるようだった。しかし、踊りの終盤でその大学教授は何者かに刺されて倒れてしまう。

ここで幕間に入る。

大学教授の屋敷、大学教授宛には沢山の品物が贈られていた。召使いたち(溝畑藍、鷺沼恵美子、辻捺々、木村友美)は、全部で69品ある品物を運び出していた。
大学教授が劇中で刺され死亡した事件について、明智小五郎に扮した男(倉田大輔)によって、その犯人が誰なのかについての推理が始まる。舞台上には登場人物が集まり、犯人はこの中にいると断言する。まずは、大学教授が刺されたときに自分がどのポジションにいたのかをもう一度再現し、大学教授を刺せる距離にいたのは誰かと推理する。刺せる距離にいたのは、ヘレンやヤクザの代表役の男(小沢道成)などだった。
次に明智小五郎に扮した男は、事件の動機について調査する。大学教授を刺したのは、大学教授が死ぬことによって利益を被る人物。きっと犯人は事件が起きた後の今を楽しんでいる人物に違いないと。事件が起きた後の昨夜に何をしていたのかを皆に尋ねる。
ヘレンとヤクザの代表は昨晩何をしていたのかと尋ねる。どうやら2人は同じ部屋にいたようで、ヘレンとヤクザの代表だった男が恋仲であることを突き止める。そして、劇中劇の上演にまぎれて恋仲になるとはと2人を追及する。そこへ刺されて死んだはずの大学教授も現れて、ヘレンとヤクザの男が恋仲になっていたことを厳しく追及する。それを今回の劇中劇で暴きたかったのだと。
ヤクザの代表だった男は、自分たちが恋仲だったことをこんな劇中劇まで上演して暴くなんてどうかしているとつぶやく。大学教授が孤独であることがよっぽど嫌で、自分に恨みでもあるのかと。大学教授は、自分の愛人はピアノ伴奏者であると彼女に抱きつく。
そして、そこでヤクザの代表は手を叩いてここで上演終了という。どうやら吃音症治療の大学教授というのはヤクザの代表役をしていた男性であり、本当に吃音症を治療したい患者は大学教授役をやっていた男だった。
ここで上演は終了する。

第1幕と第2幕でここまで作風が異なるとは、初見だった私にとっては驚きだった。第1幕は舞台が1960年代の浅草のミュージカル、第2幕はサスペンスものだった。そして最後のどんでん返しも全く想定していなかったので、こう着地するのかと驚きだった。吃音症を治療したいのは、小沢道成さんの役ではなく、久ヶ沢徹さんの役だったとは。たしかに終わってから振り返ってみると、物語序盤で、久ヶ沢さんが演じる大学教授の役が、どうりで吃音症を克服させる側ではなく、まるで早口言葉のような滑舌がよくないと言えない長台詞が沢山登場するなと感じていたのだが、もうそこから劇は始まっていたのかと気付かされ、その長台詞を観客の前で話すのも吃音治療の一環だったのかと気付かされた。実に上手い伏線回収だった。
第1幕は、1960年代の浅草が背景にあるので、非常に当時の高度経済成長期の勢いのある日本を感じられて、私はこの時代を描く作品が非常に好きなのでそれだけでも楽しめた。岩手県遠野という田舎娘が、上京して都会の色に染まっていく感じが非常にエモーショナルだった。どんどん垢抜けていくヘレンに対して、ちょっとそう染まっては欲しくない!ではないけれど、若干父親のような視点で観ていて、複雑な気持ちを抱いたが、それと同時にどんどん色っぽくなってセクシーになっていく彼女の姿に心が動かされて感情が渋滞していた。
後半はサスペンス的な展開と、LGBTを思わせる描写もあって、エモーショナルなシーンとワクワクさせるシーンの繰り返しが堪らなかった。第1幕の作風の違いを考えると同時に異なる作品を2つ観た印象だった。

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【世界観・演出】(※ネタバレあり)

ピアノの生演奏によるミュージカル仕立ての第1幕を中心に、舞台装置など世界観・演出がとても豪華であった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
第1幕と第2幕で舞台装置は全く異なる。第1幕は、ヘレン天津の半生が中心に描かれるので、浅草のストリップ劇場を思わせるようなステージが舞台上に用意されていた。第2幕は、大学教授を殺した犯人を暴くシーンが中心のため、大学教授の邸宅のリビングが舞台上に用意されていた。
まず第1幕での舞台装置だが、舞台中央にはストリップ劇場のステージに相当する段が設けられており、その周囲にはそのステージを取り囲むように三方に壁のようなものが設置されていた。客席からみて舞台後方に該当する壁は、映像用のスクリーンとしても機能していた。舞台上手にはアップライトピアノが置かれ、そこでピアノ奏者の帯刀菜美さんが演奏されていた。
第2幕では、舞台後方の背後一面に大学教授の邸宅の居室の壁が設置されていて、その中央にはデハケとなる空間が用意されていた。絵画が掛けられていたり、豪華な椅子が設置されたりしており、舞台中央にはテーブルとソファーがセットされていた。まさに豪邸といった感じの室内だった。
それ以外の舞台セットとしては、第1幕ではヘレンが上京してすぐのシーンで、巨大な洗濯物が掛けられた物干し竿が数本登場した。あとは、浅草のシーンで英語が話せる東大生が「東大」「英語ペラペラ」などと書かれた黄色い台を登場させて、その上に乗っていた。また数々の浅草の劇場を思わせるような色とりどりの幟旗が登場した。役者たちがそれらの幟旗を持って、音楽に合わせて踊りを披露していた。ストライキのシーンでは、三方の壁に「スト決行中」の文字が書かれた横断幕が設置されていた。「ストリッパー一同」と書かれたものや、「コメディアン(スタッフ)一同」と書かれたものもあった。さらにヤクザの屋敷のシーンでは、私の記憶なので間違っているかもしれないが、ヤクザの屋敷を思わせるように壁が装飾されていた印象だった。

次に舞台照明について。
舞台照明に関しては最も印象に残ったのは、やはりストリップショーが展開される劇だったので、女性たちが派手なランジェリーを身にまとって踊る時の色っぽい照明演出。紫色の甘ったるい感じの照明が全体的に好きだった。
また、洗濯物をヘレンが干しているシーンでの色っぽい照明演出も好きだった。舞台上に水玉模様の照明がまるで水に映るかのように照らされて、その色っぽさが非常に今後のヘレンの行く末を左右するストリップの世界へと通じることを暗示しているような気がして、観客としてはこの色っぽい演出あたりから心が動かされた。

次に舞台音響について。
やはり今回の音響といったら、第1幕の大部分を占めるミュージカルパートである。帯刀菜美さんのピアノの生演奏により、ピアノ中心のミュージカルが展開される。曲調は非常に優しく温もりを感じられるメロディが多い印象で、童謡に近いテンポで日本人なら親しみやすいような曲調であったように感じた。井上ひさしさんが「ひょっこりひょうたん島」を生み出した方ということと無関係かもしれないけれど、どこか昭和のNHKっぽさを感じられる古風な曲調が、非常に1960年代の浅草らしさとマッチしていて私はとても好みだった。
個人的に好きだった楽曲は、序盤に登場する洗濯物から女性の良い匂いがすることを歌った楽曲。物凄く男性の本能を揺さぶる楽曲だった。あのわらべうたっぽく優しく語りかけてくる感じがエモーショナルで好きだった。わらべうたっぽさでいったら、一番最初に登場する楽曲である岩手県遠野の農家の人々を綴った歌もそうだった。あの曲も田舎の静けさと閉塞感を感じさせる静かな曲調が好きだった。
もう一つ好きだった楽曲は、「日本のボス」を連呼する楽曲。頭上からは日本の国旗が紙ふぶきのように舞っている中、ヤクザの頭を持ち上げるかのような勢いのある曲調で「日本のボス」を連呼する曲風が好きだった。こちらは踊りも好きだった。役者たちが円になって回りながら歌う感じも好きだった。

最後にその他演出について。
全体の演出を通して感じたことは、第1幕がかなりのミュージカル仕立てのエンターテイメント性の高い作風で描かれ、第2幕の後半はサスペンス要素の多い会話劇として最後にどんでん返しを迎える全く作風が異なる点である。戯曲自体はたしかに構成がそのようになっているはずなので、最後はどんでん返しなのだろうなと思うのだが、前半のミュージカルパートは、こまつ座等で上演されたときに、果たしてどういった演出だったのかが非常に気になった。今回は間違いなくかなりエンターテイメント性を重視して前半パートを描いているはずなので、私自身としては舞台観劇がさほど多くない人にとってもとっつきやすいような演出に上手く仕上げていて良かったのかなと感じた。だが、老舗劇団である「こまつ座」や、井上ひさしさん自身が当時彼らのために書き下ろした劇団テアトル・エコーで上演された形式はどうだったのかは非常に興味深いところである。ここまでミュージカル仕立てではないはずなので、それを観劇してみると自分の感想や、作品に対する印象は変わるかもしれない。そういった意味で、いかようにでもアレンジを聞かせることが出来るこの戯曲は素晴らしいと感じた。
それに付随する話にもなるのだが、今回の上演ではかなり映像も演出で多用されていた。特に物語序盤のシーンで、吃音症患者が「アイウエ王」について発声しているシーンや、吃音症がいかに人間的な病であるかの大学教授の独白のシーンでも映像が多用されていた。ここに関しては正直映像がなくても良かったかなと思ったが、観劇に慣れていない方にとっては独白を映像を頼りに理解する上で重要になるのかもしれないとも感じた。
また、岩手県遠野から上野までの東北本線の駅を一つずつ読み上げる演出も好きだった。あそこに関しては映像も効果的だったように思える。岩手から東京までの駅名を聞いてどこの地名かある程度分かる自分にとっては聞いているだけで楽しかった。また、東京に近づくにつれて段々読み上げるスピードが速くなっていく感じも好きだった。東京の人流の激しさを反映しているようなそんな演出が好きだった。
劇中では、「虚構の劇団」のオリジナリティが加えられた演出も多々あって好きだった。例えば、梅津瑞樹さんと三上陽永さんの2人の武士の格好をしたコメディアンがチャンバラをするシーンで、虚構の劇団の先輩である三上さんが、後輩だが2.5次元舞台の出演等で人気が出ている梅津さんに対して、「お前、最近人気が出てきたみたいじゃないか」のようなセリフを言うシーンが、虚構の劇団オリジナルがあって好きだった。そしてチャンバラをした結果梅津さんが勝利するというくだりも面白かった。人気においても実力においても梅津さんが勝るということなのだろうか。
またそのシーンで登場する倉田大輔さんが演じるベレー帽を被った放送作家なのだが、こちらって井上ひさしさん本人を表しているという理解で良いのだろうか。井上ひさしさん自身は放送作家をやっていたので、そういった設定も可能なのかなと感じたが、ここに関しては定かではない。けれど、井上ひさしさん自身も出身が東北の田舎であり、浅草のストリップ劇場で台本を書いたりなどしていたので、彼の人生とヘレン天津の半生は重なるので、もしかしたらベレー帽を被ったテレビ局の人間も、実在した人物がモデルになっているのだろう。
ストリップショーとして体を露出して踊るストリッパーを演じたり、今上天皇を揶揄する描写が見られたりと、なかなかテレビではO.A.できない描写も多数含まれていて、その点は非常に演劇の面白さを引き出した内容になっていたかと思う。単純にここまで露出したシーンが多いとは思わなかったので、ストリッパーを演じた女優たちの覚悟も凄く感じられるし、演劇の刺激の強さをしっかり感じられた。

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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

虚構の劇団の劇団員を中心に、実力俳優が揃ったキャスト陣の見応えは十分で皆演技に迫力があって素晴らしかった。というかあそこまでのミュージカルを演じ切れるって、演技に加えて歌声も素晴らしかったということを証明しているので素晴らしいと感じた。ストレートプレイだけでなくミュージカルも出来てしまうのだなと脱帽した。
特に素晴らしかった役者について触れていきたいと思う。

まずは、劇中劇の主人公であるヘレン天津役を演じた虚構の劇団所属の小野川晶さん。小野川さんの演技は、今回が初めての観劇となる。
まず岩手県遠野で学生をしていた女子高生姿の少女から、ストリッパーとして体を露出して踊り切る姿のギャップが半端ない。女子高生姿をしていると、本当にそのくらいの年齢なんじゃないかと疑ってしまうくらい違和感なく似合っていた。そこからの髪をロングに流してセクシーな姿でストリッパーとして踊る姿は、とても大人な女性に感じられたしそのギャップが男性の心を鷲掴みにしていると思う。そのくらいインパクトがあったし面食らうくらいのギャップ萌えがある。
どことなくトリンドル玲奈さんに似ている、ちょっとハーフっぽいお顔をされている。上京したての頃は、東大の学生を好きになったり、クリーニング屋で勤めている時もどことなく幼さを見せる演技があったが、テレビ局に勤め始めてストリッパーになり、ヤクザの妃になっていくとその女性としての迫力も増していって、その成長ぶりをしっかりと感じ取れる演技をされていて素晴らしかった。

次に、アメリカ帰りの吃音症患者の治療を研究する大学教授かと思ったら、吃音症患者だったという男性の役を演じた虚構の劇団所属の久ヶ沢徹さん。久ヶ沢さんの演技を拝見するのは初めて。
あの堂々として貫禄のある、そして落ち着きのあるオーラが好きだった。まさしく大学教授のように思えたが実はそうではなかった。終演してからよくよく考えてみると、序盤のモノローグのシーンは、かなり早口言葉を詰め込んだ発声の難しい台詞で埋め尽くされている印象だった。そしてその台詞をどことなく一生懸命語っているように感じた。ときには若干言い回しに苦戦しているようにも感じられた。私は心の中で、吃音症患者を克服させる側の人間なのに、彼が苦戦していては元も子もないんじゃないかと、ちょっとした違和感をも頭に浮かべていた。
しかし、全てが伏線だった。実は最も酷い吃音に苛まれている患者は彼自身であり、彼を治療するための劇であったことが終盤で明かされる。であれば、彼が一生懸命台詞を発しているのも分かるし、それも演出のうちかとどんでん返しに驚かされた。そこをしっかりと演じきっていた久ヶ沢さんは素晴らしかった。

東大生の学生役やヤクザの親分、そして最終的には吃音症患者の治療法を研究する大学教授役だった、虚構の劇団の小沢道成さんも今回も素晴らしかった。小沢さんの演技は何度も拝見しており、EPOCH MANの「オーレリアンの兄妹」以来約1年ぶりの演技拝見となる。
今回の小沢さんの役は、ちょっと強面で強引な男性の役が多かった気がする。小沢さんのイメージというと女形を演じられる印象があって、若干女性らしさを感じられる役が多い印象なのだが、今回は若くて勢いがあってきつい男性というイメージだった。
例えば、東大生を演じるシーンでもヘレンをビンタしたりと優しい面だからこそ、怒ると恐怖を感じさせる演技が印象に残った。ヤクザの親分を演じるときも、あの怒り口調で襲いかかってくる感じに恐怖を感じられた。男らしいボス感のある怖さというよりも、若くて尖っている怖さを感じる。
また新たに小沢さんの演技の魅力の一面を感じられて良かった。

ヘレンのストーカー役を演じていた虚構の劇団所属の渡辺芳博さんも良かった。渡辺さんの演技は、ノーミーツ(旧・劇団ノーミーツ)の「むこうのくに」で演技を拝見して以来となる。「むこうのくに」はオンライン演劇なので、実際に演技を拝見するのは初めて。
特に好きだったのは、ストリッパーたちがストライキを起こすシーンで、スーツ姿で何やら小難しいことを言いながらストライキする一向に歯向かっているシーン。あの口の曲げ方から麻生太郎を想起させられたのだが、それは自分だけだろうか。とにかく顔面のインパクトが強くて面白かった。
全体を通じて渡辺さんが演じられる役は、ちょっと悪いオジサンを演じることが多く、ヘレンを大人の世界へ誘うのも彼だったので、劇中において良い効果を生み出していて演技が好きだった。

その他でいうと、劇団「アマヤドリ」所属の倉田大輔さんも良かった。特にベレー帽を被ったテレビ局スタッフが感じがあって好きだった。それにしても、前回拝見した劇団競泳水着の「夜から夜まで」での演技といい、今回といい女性と2人きりで寄り添うシーンが多いのは何かあるのだろうか。観ているこちら側がドキドキしてしまう。しかも今回はバスローブに身を包んでのそれだったので、とても刺激的な描写で心動かされた。
虚構の劇団所属の梅津瑞樹さんも良かった。2.5次元俳優だけあって、彼に対する黄色い声援とまではいかないが、彼のファン得な描写が多くて面白かった。三上陽永さんとのシーンは本当に面白かった。あそこだけ、もう一度、というか何度も観ていたい。
アナログスイッチ所属の藤木陽一さんも個人的には演技が好きで、ヤクザ姿やハッピ姿の藤木さんは脇役だったが印象的だった。
今回が初見だったオカモトマサトさんは、ハッピを着た姿がどことなく井上ひさしさんを彷彿させられて印象に残った。1960年代の浅草がめちゃハマっていた。

【写真引用元】
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【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作「日本人のへそ」は、井上ひさしさんの初期の代表作とも呼ばれ、彼が一番最初に書いた戯曲である。井上ひさしさんが劇団「テアトル・エコー」という劇団のために1969年に書き下ろしている。彼が一番最初に書いた戯曲であるせいか、彼自身の人生を物凄く反映している作品である。
ここでは、この作品と井上ひさしさんとの関係と、1960年代という当時の時代背景を解説しながら考察していこうと思う。

先述したとおり、井上ひさしさん自身も山形県出身で東北地方の生まれである。彼も東北から上京してその後、ストリップ劇場の台本を手掛けていたので、ヘレンとも近しい境遇である。さらに、井上ひさし自身も吃音症に悩まされていたので、そういった経験から今作のような自身の経験を元にした戯曲が生まれたのだろう。
1960年代といったら東京オリンピックが開催された頃、当時の娯楽はストリップ劇場で上演されるストリッパーによるショーが中心だった。文化の中心地は浅草であり、浅草フランス座(現在の浅草東洋館)や浅草ロック座を中心にストリップ劇場は全盛期を迎えていた。こちらに関しては、Netflix映画「浅草キッド」を観ると当時の世界観などがよく分かるので、興味ある方は視聴されることをおすすめする。
ストリップショーとは、女性たちが露出多めな派手なランジェリーを着て踊り、男性の観客に人気だった。当然ストリッパーと呼ばれる女性たちがメインであるため、その前座として行われていた漫才やコントはサブ扱いだった。当時のコメディアンたちは、ストリッパーたちに比べると地位も低くてギャラも安かったのだろう。渥美清さんやビートたけしさんといったコメディアンも浅草から出ているが、ストリップショーの全盛期だった頃は、そんな立場だったようである。

そんな事情を反映するかのように、今作ではストリップ劇場で踊るストリッパーたちのショーや、コメディアンたちが登場する。派手なランジェリーを着たストリッパーたちの踊りは豪華に描かれ、梅津瑞樹さんや三上陽永さんが演じる武士の格好をしたコメディアンたちは、テレビ局のディレクターに面白くないと叱られたりと、どこか身分の低さを感じさせられる。
ストリップ劇場の楽屋のシーンでも、どこかおめかしをしている女性陣の方が立場が上なものいいが多かった様子だった。
ストリップ劇場がストライキを起こす時も、「ストリッパー一同」というのと「コメディアン(スタッフ)一同」というものが書かれていて、コメディアンはスタッフ扱いされていたのが窺えた。

しかし時代は、1960年代後半に差し掛かると、テレビの普及によって文化の中心が浅草からテレビへと流れていった。それによって、ストリップショー自体も衰退が始まった。以前より稼げなくなったストリッパーたち。だが、その当時は安保闘争に代表される学生運動も盛んだった。社会に不満のある者たちがストライキを起こしやすい熱量に満ちた時代でもあった。
ストリッパーたちは、時代によって凋落していくストリップショーの行く末に絶えられず、ストライキを起こしたのだろう。「日本人のへそ」にふれるまで、ストリッパーたちがストライキを起こしたということは知らなかったが、こんな作品が描かれるくらいだから、きっと今作の元となった実在するエピソードがきっとあったことだろう。

こう考えると、1960年代当時の時代の変貌とそれに対する熱量というものは、どこか今の時代とも通じてくる感じがする。
Netflix映画「浅草キッド」がヒットしたり、舞台「世界は笑う」が今上演されることともリンクすることなのだが、今もテレビの時代からネットの時代に移り変わる過渡期であり、それによって衰退していく人たちがいる。彼らはきっと1960年代の人の気持ちとも重なってくるだろう。

そう考えると、「虚構の劇団」が解散公演と称してなぜ今作を選んだのかも見えてくるような気がする。公演パンフレットには、劇団の解散理由は経済的な理由が大きいと書かれていた。ストリップ劇場が経営難になってストライキを起こす。ストリップ劇場が主流だった時代からテレビの時代へと移り変わる。それは、時代の変化によって演劇の中心が小劇場演劇から2.5次元舞台やミュージカルに変わって凋落していく中で、小劇場演劇を中心としてきた「虚構の劇団」の経営難とも通じてくるような気がする。
今回の作品で「虚構の劇団」が、ミュージカル仕立ての作風で演出したというのも、鴻上さんでない戯曲で上演したというのも、そういった時代の変化に合わせていったちょっと後ろ向きな姿勢とも捉えられるような気がしてくる。時代の変化には抗えないといった解散公演という名目と、その一般受けする作風というのが、何となく感じ取れる。

そういった解散公演の思いが個人的には観劇してみて感じられたのだが、これはあくまで私の推測なので全く別の見え方もあるのかもしれない。
ただ一観劇者として願うことは、「虚構の劇団」が解散しても所属する劇団員がこれからも何かしらの形で演劇を続けて欲しいし、小劇場演劇として鴻上尚史さんの作品も、どこかで上演されて後世に残って欲しいなと感じている。

【写真引用元】
虚構の劇団 Twitterアカウント
https://twitter.com/kyokou_gekidan/status/1584742185630457856/photo/1


↓Netflix映画「浅草キッド」


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