拝啓10年前の僕へ「これからの10年のために」
はじめまして。noteは初投稿になります。何を投稿したらよいか分からず、ずっと文を紡ぐことを、自分と向き合うことを避けてきました。しかし周りの前を向いている人達の影響を受け、いつまでも立ち止まっていてはいけないなと思ったので投稿させていただきます。
小学生4年の時(当時10歳)、授業中に大地震と大津波に襲われました。それから、校舎が失われた関係で仮校舎で卒業をしました。▲画像は母校の震災後のもの。リンクで当時の様子が少しわかるものを挿入しています。
しかし、とりわけ東日本大震災の被災者という自覚は無く、震災による自分への影響も当時は全然考えていなかったと思います。
ただ、なんの根拠もなく漠然と20歳までに死んでしまうんだろうなと小学生や中学生の頃から考えていました。(この話もこれから投稿していきたいなあ)
そんなことを考えていた私ですが20歳になりました。震災からも10年経ちます。
とりあえず、10歳の時の自分へ、少し人生のネタばらしをしつつ手紙を書きたいと思います。
東日本大震災から、10年。時間は止まってなんかくれないから、もうお酒が呑める歳になってしまいました。
これまで震災の被災者ではないと思ってきて、その理由としてはみんながみんなあの日、あの日以降も辛い思いをしているのに、自分が語る意味なんてないと思っていたり、そしてそもそも自分の家も家族も無事だったからでした。
勿論まだ小さかった自分にとって1人で解決できるほどの出来事ではなかったのですが、他の人の辛さを、大人達の辛さを想うと『自分は少しでも笑顔でいよう』『辛い顔をしてはダメだ』そんな風に震災による不安を押し殺していたと思います。
それでも、あの日はずっと頭にへばりついて取ることができなくて。被災者ではないと頭で見なすくせに、心が理解していない感覚に違和感をずっと感じてきました。
そして、大学に入って自分がマイノリティになって初めて被災地で生きてきたことを実感したのでした。
▲震災後横浜のマラソン大会に招待された時のもの。ワイナイナ選手と📷。彼の好きな言葉「never give up」に何度も助けられました。
しかしこの10年私をつくってきたのは別に震災への思いだけでもなく、人との出会いや部活や勉強、趣味などを通して得られた価値観です。あの時から成長していけたのも自分の経験値が高まっていったことに比例するのではないかなと思います。勿論、その出会いの多くが災害支援によるものだったことは忘れてはいけないし、感謝しています。
そういった時間は、私に生きる意味を与えてくれたような気がします。自分のことなんてどうでも良かった毎日から、少しずつ自分のことを考えられるようになりつつあるのはそれらのお陰なのです。
だから、今は人とのつながりも含めた地域資源との繋がりをつくる活動をしていたり、将来的にもそういう職に就きたいと考えています。
そのため、日常的に対話の時間をつくろうとしたり、来年度事業部のインターンをする一般社団法人ことばの事業にも、そういった「出会いによるきっかけづくり」に関わりたいという思いから活動に参加しています。
プロセスはどうであれ、最終的に人の笑顔を守ることができたらそれでいいと思っています。そのために地域資源を増やしたりそれらを人に繋げる過程にいたいものです。1人では実現できないことだし、人の幸福を追究するなんて、ゴールが見えない茨の道だなとも思います。それでも、自分が受けてきた支援や出会いに対して恩返しする手段を手に入れつつあります。ちゃんと前に進めているか不安なところもありますが小さな積み重ねがいつか沢山の笑顔の源になるように、20代も頑張ります。
今回は色々アバウトに書きすぎて、あまり何も伝えられていないかなとは思いますがとりあえずあれから10年生きたよ、ってことが言いたかったです。
ここまで読んでいただきまして本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。