相次ぐ募集停止で問われる、私立大学のレーゾンデートル ⑤
伝統の「学燈ゆずり」は、途絶えてしまうのか・・・
恵泉女学園の卒業式には「学燈ゆずり」という伝統があります。
卒業生代表が在校生代表に学燈を手渡し、一人ひとりの卒業生が学燈から
灯をうけ、「光よ」の歌を歌いながら退場するのです。
この学燈ゆずりには、創設者・河井道の志が込められています。
第1回の卒業式より今日まで続いてきた学燈ゆずり。
募集停止となった恵泉女学園大学がやがて迎える最後の卒業式では、
この伝統は、果たしてどのように執り行われるのでしょうか・・・
寂しい限りです。
“母校”は永遠に存続する、はずだったのに
“母校”。
その言葉には、単に出身校という意味合いだけでなく、誇りをもって卒業したという敬いや愛着の気持ちも含まれていると感じられます。
そして、なによりも、
母校という存在は、永遠に存在する
という、暗黙の了解があるはずです。
ところが、募集停止となれば、卒業生たちにとっての母校は、その時点で潰えてしまう・・・
恵泉女学園大学が募集停止を発表した際の3月22日付の文面には次のように記されていました。
卒業生の「母校を失う寂しさは計り知れない」、との言葉には、学園経営陣の痛恨の気持ちが、ひしひしと伝わってきます。
本来、無くしてはいけないはずの母校を、途絶えさせてしまう自責の念が。
そうです。
母校というものは絶対に無くなってはいけない、
のですし、
母校は存続し続けなくてはいけない、
ことに、われわれはハタと気づくのです。
学校の統廃合は日常茶飯事に
過疎化や少子化によって、全国各地では、多くの小学校、中学校、高等学校が、統合され、廃校になっています。
学校の統廃合は、今や日常茶飯事となっていると言ってもいいでしょう。
それでも、地方自治体が経営の主体となる公立の学校についての統廃合は、いろいろなトラブルや反対運動も起きているようですが、形の上では、地方自治体という設置者のコントロールのもとで一元的に事が進めることができるのです。
ところが、私立学校の統廃合に関してはどうでしょうか。
もともと設置者(学校法人)が異なりますので、事はそう簡単に運ばないのです。
学校法人純真学園理事長の福田庸之助氏は、この点について、卒業生の扱いが問題になる、と指摘しています。
(ちなみに恵泉女学園大学の場合、経営母体の学校法人恵泉女学園は存続しますので、卒業証明書の発行などの学籍管理や同窓会の運営は、そちらに移行されるとのことですが・・・)
「寄附」からはじまった私立学校
そもそも私立学校というのは、設置者や篤志家たちが集め寄付した私財をもとに誕生した学校群を指します。
私立学校においては、会社の定款ともいうべき規程のことを「寄附行為」と言うのですが、この語源は、実は発祥時におけるこうした行為から由来しているといわれています。(全国公益法人協会「非営利用語辞典」より)
その上、私立学校には、それぞれの創立にあたって掲げられた、理想とする教育理念、つまり、“建学の精神”が存在し、それを拠り所にして、独自の教育活動が行われているのです。
皆さんもよくご存じのとおり、学校法人によっては、キリスト教系だったり、仏教系だったり、特定の宗教や団体が後ろ盾になっているケースが多々あります。
人類が育んできた様々な伝統や文化、精神、宗教・・・
そういったものが、教育理念のバックボーンとなっているのです。
それらが、個々の私立学校の個性や特色につながり、教育界全体に多様性と豊饒さをもたらしてきたと言ってもよいでしょう。
簡単ではない私立学校の統合
では、私立学校同士を統合させる場合は、どうなるのでしょうか。
果たして可能なのでしょうか。
先ほど申し上げた背景を考えると、それぞれの学校の所在地が近い距離にあるとか、入試の難易レベルが近いとか、ということだけで、成り立ちの全く異なる私立学校同士が一緒になることはかなり難しい、ということがすぐにおわかりになると思います。
発足時において寄附された財産や、その後獲得してきた資産をどう扱うのか、そして、統合後の教育のポリシーはどうするのか、教員や職員をどうするのか、等々、乗り越えるべきハードルはとても多く、しかも高いのです。
前回触れましたが、現在、国や文科省の方で、18歳人口減少時代に備えて、経営難に陥った私立大学同士の統廃合や、在籍する学生を保護するための新ルールを作る作業に着手していますが、私立大学を統合させるのはそう簡単な話ではない、ということ敢えて申し上げておきましょう。
卒業生こそ大事なステークホルダー
もう一つわれわれが認識しなければいけないのは、学校には、一般の会社や他の法人組織にはない、大切なステークホルダーが存在しているのです。
“卒業生” たちです。
先ほどの純真学園の福田氏も、卒業生たちのことを「考えの外に置かれがち」とおっしゃっていましたが、現在通っている学生や保護者とは違い、
目の前にいないということでとかく忘れがちになるのが、この卒業生たちです。
でも、よく考えれば、そもそも学校というものの定義は、学位を授与し、
卒業生たちを世に送り出す“機関”である、ということになるでしょう。
ですので、学校にとって卒業生たちは、宝であり、もっとも大切な存在=ステークホルダーであるのは当然と言ってもいいのかもしれません。
学校は、街の商店や飲食店とは、訳が違う
この意味において、学校がなくなることは、たとえば街の商店や飲食店が閉店することとは、次元の違う話、となるのです。
学校には、現在学ぶ生徒・学生だけではなく、同じ学び舎で、代々、学び、卒業していった同窓生たちが必ず存在し、世の中・社会に広く飛び立っているのです。
当然、その集まりである同窓会も必ず存在するでしょう。
とくに、大学の場合、ほとんどの卒業生にとって、その大学の卒業証明が最終学歴となるはずです。
それがその後の人生において、自らを証明し続けるアイデンティティになることは言うまでもありません。
仮に母校が無くなることになれば、単に自らを証明してくれる機関が消失するだけでなく、自らの血となり肉となっている教えや学びが根底から否定され、裏切りに遭ったと憤る卒業生もきっといることでしょう。
そうなれば、否応なく、母校に対する信頼は著しく損なわれ、根無し草のような感覚に陥ることも考えられます。
母校を失うということは、いわば、自分を生涯見届けてくれるはずだった“教育上の母親” を亡くす、と同義なのです。
安易な淘汰論には気を付けるべき
現在、少子化の嵐が押し寄せるなか、あたかも大学淘汰が時代のトレンドのように錯覚し、無神経で過激な論調が世間を跋扈しているようです。
大学は多くなりすぎたので、どんどん潰してもよい。
企業もサバイバルゲームで戦っているのだから、
大学も競争に揉まれ淘汰されるべき。
学生の集まらない大学は無価値だから、退場させるべき。 等々
このような発言を目にするたびに、私立大学に対する風当たりがますます厳しさを増していることを感じるのです。
そもそも学校という存在を、そんなに軽々しく、
潰してもよいものなのでしょうか?
規模が大きかろうが小さかろうが、それぞれの私立大学には、教育への篤き思いをもった創設者が存在し、それぞれの建学の理念のもと、そこで学び、巣立っていったOBOGたち数多く存在するのです。
先ほどのような世の中の論調を背景に、どんどん私立学校が廃校に追い込まれる事態になれば・・・
風評が発生し、募集悪化の連鎖に拍車がかかるのは必至です。
私立大学ばかりでなく、日本の高等教育全体の信用失墜につながりかねません。
私大ガバナンス改革にも注意
現在進められている私立大学のガバナンス改革についても、注意が必要です。
私立大学は公益法人として、破格の税制上の恩典を受け、税を通じた実質的な補助金(tax expenditure)に加え、さらに多額の助成金も国から享受しています。
ですから、不適切な運営や不正を働いている大学の理事長や経営陣には、勿論のこと、厳しい指導や処分が絶対に必要でしょう。
もちろん、経営の透明性や健全なガバナンスも必須です。
しかし、仮に目を覆うばかりの乱脈経営をしている私立大学が見つかり、ほとんど退場処分に近いと判断されたとしても、そこに通う学生や卒業生たちにどれほどの責任があるのか。
その大学の校是に憧れ、校風を愛し、そこで日々学んでいる学生たち。
そして、そこから巣立ち、出身であることに誇りを抱きながら社会で活躍している卒業生たち。
そうしたステークホルダーたちを、悪事を働いた経営者たちと一緒くたにして切り捨てても良いのでしょうか。
ここにこそ、学生(卒業生)保護の観点が必要なのではないでしょうか。
ガバナンス改革を推し進めるにしても、私立大学やその学生の在り方について、慎重な議論や配慮が求められます。
日本の高等教育の存在意義そのものが問われている
これまで、今春、募集停止に追い込まれた女子大学を出発点に、私立大学の置かれた現状を様々な角度からみてまいりました。
では、改めて、
私立大学のレーゾンデートルとは、何なのか?
それは、日本の高等教育全体の存在意義そのものを問うこと、
ではないでしょうか。
高等教育研究の第一人者、天野郁夫氏は著書の中でこのように記しています。
元国立教育政策研究所長で帝京科学大学学長を務められた瀧澤博三氏も、異口同音に、「わが国はもともと「私学の国」であった」と述べ、幕末・明治維新の時代より私学の果たした役割に言及しています。
このシリーズでは、これ以上、私立大学誕生の経緯やその後の歴史について深掘りはいたしませんが、我が国の高等教育発展の過程で、私立大学が果たした役割はあまりに大きかったことは、誰しもが認めるところです。
私立大学は、国立大学とは一線を画しながらも、日本の高等教育に自由闊達な血とエネルギーを送り続け、大学界全体を彩り豊かなものにしてきました。
そして、そうした原動力は、未来に向けてますます期待されて然るべきで
しょう。
伝書鳩たちが舞い戻る日まで
恵泉女学園の創設者である河井道は、卒業式の祝辞でこう言って卒業生たちを送り出したそうです。
河井道だけではありません。
教育こそ、人類が築いてきた文化や叡知を若者に伝える最も尊い事業であると固く信じ、そこに私財を費やし情熱を注いだ幾多もの私学の創設者たち。
こうした先人たちが築いた私立学校から巣立った無数の伝書鳩たちは、
いつの日か、学び舎という巣に舞い戻る日を夢見ていることでしょう。
その日まで、私学という学燈の灯は、決して絶やしてはいけないのです。
軽はずみな私立大学の統廃合主義には立脚しない、
真摯で建設的な議論を切に願いたいと思います。
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