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教育は激励だ!

高校教員応援マガジンです。
いつもお読みくださっている皆さん、ありがとうございます。

ところで、
皆さんは誰かを「応援」していますか。

教員の皆さんは聞くまでもなく、生徒さんでしょうか。加えて、プライベートで応援している「推し」がいる方も多いと思います。

「推し」という言葉は気がつけば説明不要なものになりました。
私も研修や講演のはじめ、アイスブレイクのペアトークのネタでよく使います。例えば……

「隣の人に簡単に自己紹介をして、自分の”推し”について、熱く語ってください。なぜ、どんなところが好きなのか。どんなふうに応援しているのか。聞いた人は、質問してみてください。」

必ず盛り上がるところを見ると、やはり皆さん「推し」がいるのでしょう。
そして「推す」ことは人生の喜びの一つであり、「推し」を語ると幸せな気持ちになるんですね。

 私も、日本ハムファイターズを応援し、宇多田ヒカルのインスタに「いいね❤️」を押しています。応援する何かがあることは、楽しく生きる上で必要なことの一つではないでしょうか。



「教育とは激励である」

さて、教育については様々な定義があります。

私がよく考え、よく使う定義の一つは
「教育とは、激励である」です。

つまり「応援」です。

教育は、生徒をコントロールすることでも、枠にはめることでもない。
知識を覚え込ませたり、能力を見定めることでもない。
期待と失望を繰り返すことでもない。
教育者の仕事は、生徒を激励することです。

生徒が揺さぶられ、前向きな気持ちになり、ポジティブ思考になり、自然に一歩踏み出すほどに、激しく励ますことです。

具体的には何をしたらよいでしょうか。
皆さんは、どうやって生徒を励ましていますか。

私は校長として、応援団風のエールを送っていました。三三七拍子、一本締め。部活動の壮行会、体育大会、大学入試に向けてなど。
その始まりは中学の生徒会長時代、中体連の壮行会で応援団をやったことです。学生時代に応援団をやっていた叔父にフリを教えてもらいました。

しかし、もちろん毎日、応援団エールをやるわけにはいきません。

激励とは何か。
高校時代に私を激励してくれた人たちを思い返して、考えてみます。


一人目は、英語のM先生。

小柄でいつもニコニコしているM先生。
心に残っているのは、高校三年の時のエピソードです。
「四当五落」などと言われ、受験勉強でキリキリした時期。そんなとき、明るい人の存在は、それだけでホッコリ癒してくれました。

その日、M先生は、海外研修で欧米のどこかに行った話をしてくれました。スライドフィルム(分かりますか?)を使いながら。
詳しい内容は忘れてしまいましたが、各国の教育事情を語ってくれたと思います。「日本と違うんだなあ」とは思いましたが、受験で必死になっている私にとって、特別、興味が惹かれる内容ではありませんでした。

一方で、先生のメッセージはしっかり伝わりました。

英語は世界を広げる。
受験勉強の向こうに別な何かがある。
世界は日本だけではない。
努力して高いところに登り、視界が開けると人生はより楽しくなる。

たった一時間のことですが、勉強の努力の意味に触れました。
そのことが今も私を激励しています。


二人目は、数学のH先生。

教科担任だったことはないのですが、長期休暇中の講習で教わりました。

わかりやすい説明で、大の苦手だった数学にも
「ひょっとしたらそのうちできるようになるかもしれない」というわずかな希望を抱かせてくれました。

(実際に点が取れるようになったのは、そのずっと後ですが)

H先生も、ユーモラスで明るい方でした。
そして、決して生徒をバカにしたりしない。生徒をバカにしないというのは基本中の基本です。

生徒がやった間違いを叱るのは当たり前です。しかし、まるでその生徒の存在の全てを否定するかのような怒り方はいけません。
自分を否定する人から励ましの言葉をかけられても、鼓舞されることはありません。

体の大きいH先生は、たまに廊下で会うと大きな声で「おお、林くん元気か?」と声をかけてくれました。
ところが、勉強の調子も模試の結果も聞かれたことはありません。それでもH先生の一言で、「よし、頑張ろう」と励まされた気持ちになりました。 

そして、

三人目は、三年生の時に担任になった、数学のO先生。

ユニークな立ち居振る舞いで、ある時はラジオ番組や作家について、またある時は人生論や学習方法……様々な事柄を語ってくれました。

直球ではなく、全く押し付けがましくない態度。
真っ直ぐこちらを見ることも、あまりない。
冗談を言っては、話が急に変わる。
「俺はな ―—」と、一般論ではない自身の考えを語ってくれ、そして「お前はどう思う?」と問いかけてくれる。
生徒の話を「もし俺だったら」と自分事として考えてくれる。

そんなO先生のいくつもの言葉が私の支えになりました。

「わからない人間が折れることなんてできない。
わかっている人間が折れるしかない」


「迎え撃て!だと?違う、違う。
こちらから攻め撃つんだよ。受け身でどうする!」


「受験なんかに押しつぶされる人生なんてつまらない。
勉強の意味は自分でつくれ」


「気力、体力、運、学力。
受験で大事なのは、この順番だ」


 O先生の励ましと慰め、アドバイスのお陰で、受験では数学の成績が最もよくなりました。
私は紆余曲折を経て教員になりましたが、先生に出会ったことが教職に進んだ理由の一つであることは間違いありません。

ありがたいことに、卒業してからも、クラス会でお会いしています。一緒にお酒を飲んでいます。前回は、終盤でいきなり立ち上がって、数学の問題を出すというお茶目ぶりを発揮していました。

 

あらためて高校時代の三名の先生のことを書いてみると、激励の仕方は様々だと思いました。それぞれ個性的です。
しかし「激励」の気持ちは「ほんとう」という点が、共通しています。


 そして母。

昨年亡くなった母も、いつも私を激励してくれていました。
「勉強しなさい」「こうしなさい」と言われたことはありません。
しかし、自分がよいと思うこと、よいと思った人について、いっぱい話をしてくれました。
それが、私の思考のヒントになりました。

何より、愛のある料理と笑顔で、日々、激励してくれました。


おわりに

皆さんも、機会があれば、激励の経験について、同僚の先生と語り合ってみてください。そして、生徒さんを激励しましょう!

教育は、激励することなのです。


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