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幕末と令和と少し政治の話

日本には元号がある。
日頃の使用に関しては分かりやすい部分とそうでない部分がある。
ビジネス的には西暦がいいが、日本で生きている感、はやはり元号が持つイメージがあると分かりやすい。

いつ買ったのかも覚えていない新書があり、そういった本は通勤時に読むのに丁度よかったりする。

『大江戸曲者列伝 幕末の巻』 野口武彦著

PHP文庫にありそうなタイトルだが、新潮新書。
ということで、意外にと言っては失礼だが、かなりしっかりした内容だった。
これが発刊されたのは2006年なので平成真っ只中。
日本における新自由主義が加速した時代。

バブル崩壊以降、日本の経済成長が停滞し、中流が崩壊し社会にも暗雲が立ち込めるようになると、幕末と比較されることが多くなったと思う。
何かを変えねばと思って維新とか新選組とか出てきてるわけだが、中々問題が山積の現代。

幕末というのは目に見えるほどの国家の危急存亡の状態であったのに、江戸長期政権の弊害がもろに出てしまい、幕府は右往左往、結果的に薩長を中心とした外様によって転覆させられる。

幕府に人材がいなかったのか、というとそうではなく、そういった人材が然るべき職につける制度(システム)がなかった。長期政権による腐敗はあるが、そこに日本的な忖度が微細に入り込み、無能な人間が権力を握っていることが多かった。
ん? これは今と似ているのでは……
ということでいつからか対比されるようになったのだろう。
これまでに適材適所と言える大臣がどのくらいいただろうか。

あとがきに寄せた著者の言葉が全てを言い表している。

国会で答弁に立つ大臣を見ているとよくわかる。幕末老中にそっくりなのだ。自分では答えられないので、所轄官庁の役人に説明させる。安政年間に外国掛として通貨交換レートの談判中、返事に窮した老中が「自分は日本で大名と申す者である。幕府には勘定奉行というものがいて金銭のことは任せている。こまかいことは勘定奉行、外国奉行に聞いてくれ」と言い出し、アメリカ公使に「さてさて日本はおうらやましいお国柄でいらっしゃる。それで職務が済むとは結構なことである」と呆れ果てられたゴシップが語り伝えられている。

封建的で論功行賞が好きな日本。
それがガッチリハマれば結構なことだが、そうはうまくいくものではない。
派閥の論理も重なって筋違いの人物がこれでもかと大臣になる。
しかし大臣は関係ない。
何故ならばすべては頭のいい専門家であるお役人(官僚)がやるから。

これが個人主義の欧米文化とは全く違うところだろう。
外国だって2世議員はいるが、どれも七光りだけでポストを得られるほど甘くない。

そしてまた日本は肩書に弱い
議員になるとなぜか先生と呼ばれ、一度要職に就くと修正肩書がつく。
大臣となって何をやったかは関係なく、ただ大臣というだけでなぜか箔が付く。

そういった変な文化も笑いのタネになったりするので、平時ではいいのかもしれない。
しかし、世界は難題を抱え、環境問題も待ったなし。
平時なんて生きている間にはもうやってこないとさえ思う。
そして大河のごとく続く自民党一党支配。

英米のようなダイナミックな政権交代が日本に適しているかは疑問だ。
しかし、それをしないと腐敗は連綿と続く。
180度方向転換が起こるという危機感を官僚が抱かないと、首を挿げ替えるだけで変わらない。
官僚は優秀だが、それは専門である各セクションにおいてであり、森の中の木に過ぎない。
森を理解し、適切な政策や政府運営が出来るか問われるのが、本来は政治家のはずなのだが……

政治を語ると中途半端に終われなくなる(誤解も生じる)のでここで止めておく。

何にせよ、幕末というのはドラマの宝庫だ。
どの身分で生まれたかで選択肢は限られてくる。
それだけでドラマだ。
何のために死ぬのか、それがリアルに迫ってくる時代。
だから熱い。
その熱さを勘違いすると寒くなる。