オジサンになった僕は、車いすで何でもこなせるプロ車いすマン!それは、これまで患った病気の「おかげさん」だった。(今の僕が、考えるようになった・行動するようになったことを紹介します!)
🎯本作について
僕は学生のころに開頭手術を受けて
25年以上車いすで生活しています。
オジサンになった今は
僕が目標としてきた
・単身生活
・車を運転
・仕事
その全てが
スタートラインに立てるまでになりました。
そんな自立したプロ車いすマンになれたのは、
・これまでの間いろんな体験ができたから
・多くの人に出会い支えてくれたから
そんな今に感謝の意を込めて…
・何かに怖くなったとき
・逃げたくなったとき
・負けそうになったとき
・どうすればいいのか悩んだとき
…
こんな感じで向き合っていますよ~
考えるようにしていますよ~
そういう19のこと?を紹介したいな~と思います。
決して僕の考えを押しつけたいからではないのですが、
その1つでも誰かの目にとまってプラスになれたなら…
これまでの生き方が評価されたようで光栄です。
どうかよろしくお願いします。
その1:✅「僕に明日は来るんだろうかと不安になったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
いろんな病気を続けて体験していると、
僕に明日はあるのかな…
あったとしても元気はあるのかな…
どうせ早死にするんだろうな…
そんな感じで自分に自信がなくなっていきます。
そういうときは
以下のように考えるようにしています。
考え方を変えた今は、
多少の無理をしているのかもしれませんが
後回しにすることが少なくなりました。
だからといって無茶はしていません。
体調がイマイチ優れないときや
自分の限界をあまりにも超えている場合は
臨機応変に対応しています。
その2:✅「こうなったのも全て病気のせいなんだと思ったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
最近は、若い頃のようにいかず…
見栄えが悪かったり
時間がかかったり
理想の順番通りにできなかったり
そんなことが多くなりました。
それを以前は、全て病気や障がいのせいにしていたんです。
あのとき開頭手術を受けなければ…
放射線を浴びなければ…
車いすなんて乗っていなければ…
…
今は少し考え方が変わっています。
それは…
病気以外の原因…
僕の考え方
勉強不足(知識のなさ)
生活の仕方
精神的もろさ
中でも…
僕はすでに立派なオジサン…
僕自身の老化現象だって
視野に入れるべきですよね!
それらすべてが合わさっての今です。
病気や障がいは
その中の一つにすぎません。
僕はそれを受け入れて、
前を向いていけばいいんだと思っています!
その3: ✅「与えられたものに満足できなくなったとき・それが当然だと思ったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
学生のころに受けた初めての開頭手術後、
左半身が麻痺して声を思うように出せなくなっていて…
ベッド上で身動きがほとんどできず
暇でした
そういうこともあって
クリーム色の天井ばかり眺めていました。
そこには無数の黒っぽい
短いちぢれ麺のような模様?が散らばっています。
いつからだったか覚えていませんが、
僕はその模様をつなぎ合わせて
イラストを描いてみようと思うようになり、
天井全体をキャンパスにして芸術作品を描いていた
記憶があります。
あっ!もちろん芸術作品というのは
僕が思っていただけでしたけど…
そんな経験は、
「とてつもなく暇だったから出来たこと」
なのかもしれませんが
ただ闇雲に天井をボ~と眺めることなく、
夜空に散らばる星々を繋ぎ合わせて星座を創った
古代人のような行動が出来た自分は評価したいなと思います。
それって考えようによっては、
「与えられたものに満足せず、
新しい何かを創り出そうと動いてた」
そう捉えることも出来そうな気がしましたから…
と言えそうな気がしますから…
ま~それは大げさなのでしょうが、
これからも
そんなふうに思っています。
その4: ✅ 「やりたくもないこと・面倒なことがあるとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
僕は、毎回トイレに行ったとき、
手すりを掴んで下半身のストレッチをしています。
トイレに行った時は、
乗り移るために必ず手すりを掴みますから、
負担を感じることなく継続してストレッチができます。
これは下半身の筋力維持や関節の拘縮を
これ以上悪化させないためにしているのですが、
実際のところ本当に効果があるのかはわかりません…
(あってほしい)
このストレッチなんですが、
やってみようと思い立った時
「それじゃ~いつやればいいの」って悩んだんです。
なぜなら、僕の性格上「やるんだ!」と意気込んで
「それ用の時間」を設けるまでは良いのですが、
「それ用の時間」に何か別のことをしないといけなかったり、
してみたくなった場合、結局やることはなく、
大半は3日坊主に終わってしまっていたから…
そこで、
そう思うようにして
生活動作中であまり負担なくできる瞬間を探して、
そこに入れ込んでしまうことで、
やらないで逃げてしまうことが少なくなりました!
これは学生のころの経験が活かされているんです。
「あ~あ、こんな治療受けたくないな…」
「今からリハビリか~面倒だな…」
学生のころ受けた開頭手術後は、
治療や検査が目白押しな日々が続きました。
まだ若かったのもあって、
いろんなことがやってみたかったでしたから、
そんな現実が憂鬱だったのを覚えています。
でもですね~
治療を受けたくない・検査は面倒だ!
そんな自分の思いを貫き通せば、
結果的に自分が病気に
負けてしまうかもしれません。
それだと後々痛い目にあうのは自分…
時が流れた今は、
学生のころと違って、もう大人なんですから
自由だし、決定権は自分にあります。
本当に嫌ならそこから逃げちゃえば良いのかも?
…
そんな甘えに活を入れてくれた経験です。
この考え方で、
他のこともルーティーンに組み込んで
継続していけたらいいなと思います。
その5: ✅ 「タイムリーで見たい・体験したいのにできそうにないとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
「辛島さん、今から2本点滴があって、
終了まで4時間程度です。」
「辛島さん、明日は●時から採血が3本、
●時からは胸のX線(レントゲン)、
そして●時からはCT検査も入っています」
こんな感じで、
一時は治療や検査が目白押しな日々でした。
「あ~あ、今日は好きな漫画の発売日なのに…
一番に読みたかった…」
「あの番組、
今日は生特番か~リアルで見たかったな…」
当時、
やってみたいことが思うようにできなくて
辛かったのを覚えています。
ただ、
治療を受けたくない・検査は面倒だ!
そんな自分の思いを貫き通せば、
結果的に自分が病気に
負けてしまうかもしれません。
だから渋々受けていましたよ…
でも今考えたら良かったと思っています!
ですから当時の教訓を活かして…
タイムリーで見たい・体験したい気持ちを抑えて
自分には今何が一番大事なのか?
そこを考えて動けるようになったんです。
やってみたいことが出来ない憂鬱を感じたとき、
それよりも、
やらなければならないことを先にやってしまう。
割り切って我慢する!
そのおかげで
結果的にはメリットの方が多いような気がしています。
その6: ✅「良くないことばかりに意識が向いてしまいがちになったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
僕は聴力低下で両耳に補聴器をつけていて、
4台の補聴器を持っています。
4台というのは
左右のスペアを必要とするからです。
ある程度しっかりした補聴器は
それなりの値段がするのですが、
聴覚障害者として国に認められていませんので、
購入に補助が受けられません。
(肢体不自由者としては国に認められているため、
車いすなどの補助を受けることができます)
ということは4台の補聴器は全額自腹…
正直かなり懐事情を圧迫しています…
「できることなら、
こんなところに出費を重ねたくはない…」
ところが、
補聴器は自家用車のように代車があってないようなものです。
僕くらい聴力が低下すれば、
万が一修理や点検で預ける必要に迫られたとき、
一気に生活が回らくなってしまいます。
ですから以下のように言い聞かせているんです。
さて、この聴力低下というのは、
これまで多くの放射線を浴びてきた
遅発性の症状(放射線障害)だろうと言われています。
放射線は諸刃の剣と言いますように、
医学的には有効な治療法で
幅広い分野で使われているのですが、
人体にとっては
必ずしも良いことばかりではありません。
聴力低下のほかにも、
排尿障害や関節の拘縮など、
放射線障害を疑う症状が
僕にはいくつかあります。
(あ~あ、放射線なんて浴びなきゃよかった。
そうすれば、
こんな状態にはなっていないかもしれないんだから…)
若いころはそう思ったときもありました。
ですが、オジサンになった今は違います。
放射線(治療)のおかげで貴重な今がある。
敵視するなんてもってのほかだぞ!
放射線に感謝だ~~~
放射線は命の恩人。
良い面も悪い面も全てを受け止めた上で
今後も逃げることなく
真正面から向き合っていくこと
それは
放射線に対しての恩返しにもなるはず!
こんな考え方は、
放射線以外にも活かされていて…
その7: ✅「大きな(厄介な)ピンチに押しつぶされそうだと不安になったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
「残念ながら、
脳腫瘍(髄芽腫)が播種しました…」
「ヨダレや食べこぼし・しゃべりにくさがあるとのこと、
瞼も若干下がっていますね…
どうやら顔面神経麻痺の症状が出てきたようです」
「後頭部に皮膚癌が見つかりました…」
「お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかりました…」
「便潜血検査が陽性でした…」
「脳内嚢胞を開放しないと
今の生活が困難になるでしょう…」
…
ま~そんな感じで、
これまで大なり小なり僕にとってのピンチがありました。
特に「大きな(厄介な)ピンチ」は、
時間もかかりましたし、
体(身体面や精神面)への負担も大きかったです。
これから僕はどうなってしまうのか?
不安でたまりませんでした。
今振り返ると
2度と経験したくないことばかりなんですが、
結果的には経験できて良かったのかも!
そう思うこともあります。
その理由は、これまでの経験が支えになっているからです。
これは病気に限ったことではありません。
オジサンになった今、
仕事や生活面でピンチを迎えたときに
乗り越えてきたこれまでの経験?が
前向きな姿勢にさせてくれます!
その8: ✅「またかよ~同じことの繰り返しじゃないか!と思ったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
みなさんは、
MRI検査(撮影)を受けたことがありますか?
僕くらいの年齢(40代)なら、
受けた経験がない人の方が多そうです。
受けたとしたら
職場などの健康診断
交通事故
くらいではないでしょうか?
僕はこれまで、
わかっているだけでも50回以上受けています。
もしかしたら3桁の大台を超えているのかも?
どちらにしても尋常ではないですよね…
これまで全て、
健康診断などで
僕自身が調べてもらおうかな~と
思い立ったからではなく、
脳内に疑わしい所見があるからと
お医者さんから受けてくださいと言われた…
僕の意志ではなくて、
お医者さんの指示によるものです。
「やらされてる感?」バリバリでしょ?
それってあまり気分がいいものではないのかも…
ですが、良いこともありますよ~!
それは…
例えば…
僕が難聴なのは書いてきた通りですが、
検査時は補聴器を外さなければなりません。
そうすると
スタッフとの意思疎通がとても困難になるのですが、
一連の流れ・所要時間がわかっている僕に
不安材料は多くありません。
どの医療機関で検査を受けるにしても、
どっしりと構えて向き合える自信があります。
その9: ✅ 「病気がなかなか治らずに困っているとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
世の中には、いろんな病気がありますね…
薬を飲んで寝ていたら
ケロっと良くなっちゃう病気もあれば、
何をしても治らない厄介なのも…
そんな病気に対して、
僕はある意味白旗をあげています!
あっ、だからと言って
治らないんだと諦めているわけではないですよ。
それは、その方が前向きでいられるからです!
生まれたばかりの赤ちゃんは
「風邪」を引いたら、その「風邪」を治せば
体中から病気は消えてしまうかもしれません。
ですがオジサンになった僕はそうはいかず…
自然治癒力?や体力は衰えてしまっています。
赤ちゃんの時には治せた「風邪」も
満足に治せないかもしれませんし
治せたとしても、
すでに体中に様々な病気を抱えています。
そういうこともあって、
若いころのようにはいかない
病気そのものが完全に消えてなくなる可能性は低~い
…
老けた証拠です…
そういうこともあって、
今は以下のように考えるようにしています。
ゴールに対する考え方?というものが
大きく変わったのかもしれません。
今も完全クリア(完治)できるよう最善はつくしますが、
自分なりに精一杯向き合っての結果であれば、
それが叶わなかったとしても納得できます。
必要以上に落ち込んだり悩んだり自分を責めたりはしません。
完治した時はもちろんゴールでしょう。
ただ、それしかゴールはないんだと思っていません。
僕が後悔なく満足できる地点…
それこそが僕にとってのゴールです。
あっ、この考え方は病気だけではないんですよ~
その10: ✅「何かにすがりたい・信仰したい!でもそれって良いことなのか悩んだとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
僕は、宗教を信仰しながら病気と向き合い続ける人と、
何度か同じ時間を過ごしたことがあります。
宗教というと〜
気持ちが悪い
勧誘されそうで怖い
怪しい
変な仲間意識がありそう
お金を貢がないといけない
世間体が気になる
負け組
精神が病んでいる
暗い人が多そう
何かに取り憑かれている
そんなマイナスなイメージを抱く人が多そう…
みなさんはどうですか?
僕は、宗教を信仰すること自体は肯定派です。
人ってそんなに強い生き物じゃないと思っていますから
病気と向き合い続けるということは、
簡単ではないと僕は思っています。
何も行動せずに
「どうしよう…もうダメだ」と思って
塞ぎ込んでいるような人よりも、
宗教を信仰して頑張っていこうとする人の方が、
よっぽど輝いて見えます。
ただ…
自分が信仰する教えを他人へ強要したり
活動に無理やり参加させたり
高い関連商品?を購入させたり
半ば無理やり入会を迫ったり
「私は救われているからきっとあなたも救われる!」
というような理念?の元に、
誰かを困らせるような状態はどうなのかなと思うんです。
あとですね…
「あっ!辛島さん、
この前、肩が痛くてなかなか治らないって言ってたけど、
最近どう?」
「ええ、おかげさまで
ずいぶん良くなってきています!」
「でしょ〜〜〜〜〜!
私が毎朝代わりに●●先生にお祈りしてあげたからね!」
「●●先生…ですか?」
「そう!もう安心して大丈夫よ〜
●●先生が治してくれるから!」
「は〜…そうですか…」
彼女は遠く離れた場所に住むという
●●先生が念を込めたお守りを神棚に飾って、
毎朝お祈りをしているようです。
そのときに、
僕の肩が治るように祈ってくれていたらしいのですが…
(毎日お祈りをしていたら、
●●先生の力でどこからかご利益が舞い降りてくる)
彼女とお会いすると
そんな感じの話を毎回されます。
遠く離れた場所に住むという●●先生は
本当にそのような特殊能力の持ち主なのかも…
でもですね~
やっぱりお祈りするだけで願いが叶うとは思えません。
(それも今回のケースは僕自身がお祈りしていない)
僕は今、「ある言葉」を信じて毎日を送っています。
だからと言って、
ただそれだけで良いことがあるとは思っていません。
それを胸に秘めて、きっといつか道は開けると信じて…
いろんなことに挑戦しています!
その11: ✅「この病気って一体何なのかな?」と思ったときは、このように自分へ言い聞かせています。
経験してきた病気の中に、
医学知識の乏しい僕には
チンプンカンプンなものが多くありました。
若いころは、医者任せというのでしょうか?
ま~どうにかやってくれるんだろう
面倒くさいな~
どうせわからないんだから
そんな諦めや投げやりがありました。
オジサンになった今は違います!
それは…
正直に言うと、
調べてもわからないことばかりです。
若いころと変わっていない…
情けない…
たまに何とかわずかな情報を探し出せるのですが、
多くは間違いであったり…
それ要領が悪いのか?とても時間がかかります…
…
それでも、無意味とは思っていません。
調べて得た知識で無駄になったものは
これまで1つもないですし、
「わからないことを自分なりに精一杯調べる」
という姿勢から生まれる結果です。
それは、病気や治療に対して
前向きである証拠!
このような姿勢は、
病気以外でも活かされるようになっています。
おそらく
社会人としてのスキルアップにも繋がっているはずです。
その12: ✅ 「病気に対してヒヤリとさせられる・失敗してしまうことで落ち込んだとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
僕は治療が目前に迫ると毎回ドキドキと緊張します。
あれほどが時間や労力をかけて
自分が納得するまで精一杯調べるようになったわりには
何も活かせていないのか…なんとも情けないです。
(もっと要領よく?病気と向き合えないのかな~)
自分のことながらそう思ってしまいます。
ただ今振り返ってみた時、
余裕で乗り越えられた時よりも、
「ヒヤリとさせられた・失敗してしまった」時のほうが、
今に活かされているような気がします。
たぶん、
「成功体験よりも、失敗した経験のほうが
脳裏に刻まれやすい」のかもしれませんね!
ですから…
その13: ✅「治療の苦しみから逃げたくて自分が自分でなくなりそうになったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
学生のころに受けた放射線治療中は、
目も開けられないほど苦しくて、
ほぼ寝たきりのような状態が続きました。
治療開始前の元気がどんどんなくなっていく僕を見て
ある人の一言が叱咤激励となって僕を一念発起させます。
それは…
以下のリンク先に詳しく書いています。
参照してみてください。
そして数年後
再び笑顔を取り戻した僕に、
先ほど紹介した人とは別の人から
こんな言葉をもらいます。
苦しいときこそ笑顔でいること…
今の時代にはそぐわないのかもしれませんが
僕はこれからはそう信じていきたいなと思います!
その14: ✅ 「どうして僕はできないやつなんだと塞ぎ込んでしまったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
オジサンになった今、
見栄えが悪かったり
時間がかかったり
理想の順番通りにできなかったり
何て言って良いのか…
歯がゆい思いをすることが多くなりました。
それは障がいのせい?
それとも老化のせい?
どっちも合わさっているのでしょうか…
そんな僕なんですが、
若いころにはできなくて夢でもあった
「僕が考える自立した生活」は
何とかこなせています。
単身生活をしながら
仕事をして
車を運転する
たぶんですけどね…
そんなふうに思うようになったから
じゃないかなってと思うんです。
自分なりに精いっぱい向き合っても
クリアできないことって
やっぱりあると思います。
諦めないで継続して
何度も繰り返し挑戦していくうちに、
いつの間にか、できちゃっていること
たまにありますが、
そう多くはないです。
レア…
そこで
自分だけで乗り越えるってのは
諦めちゃいます…
自分なりに精一杯やった結果です。
誰かにサポートをお願いする…
何も恥ずかしいことなないです!
心がけていることは
できるだけ
相手がサポートしやすい方法を考えてます。
そして、
どうサポートしてほしいのかを
相手にきちんと伝えて、
サポートしてもらえたら
最後にきちんとお礼が言うこと
そこまでできたら
自分でやり遂げたようなもの
僕はそう信じているんです。
その15: ✅「僕はなんて悲惨な人生なんだと思ったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
学生のころに開頭手術を受けてから
オジサンになる今まで、
常に何かの検査や治療と
向き合わなければならない日々が続いています。
若いころは、そんな境遇?状態?を
とても億劫に思っていました。
「僕はなんて悲惨な人生なんだ…」
オジサンになった今は違います。
「僕ななんて恵まれているんだ!」
…
なんだか180度考え方が変わっちゃっていますが、
どうしてだと思いますか?
それはですね~
人間関係
成績
お金
仕事
家庭
社会
他人からの評価
そんな厄介な問題が、
世間には山積みのような気がします。
それを踏まえたうえで、
自分を見つめ直してみると…
次々襲ってくる病気(検査や治療)が
僕にとっての問題。
(な~んだ、恵まれてるじゃないか!)
そう思ったんです。
病気は運が悪いのかもしれませんが
それはある意味僕にはどうしようもないこと。
軽率な行動や悪だくみ?をしたから
起こしてしまった問題ではないですよね~?
誰かを傷つけたり憎まれたりもしない…
ですから決して悲惨ではなく、
逃げずに病気と向き合って
少しでも良い方向へ進められるよう
頑張っていばいいんだぞって思うようにしています。
その16: ✅「他人の病気や病状が気になったり、自分と比べて落ち込みそうになったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
僕は、自分に降りかかってくる病気に
向き合っていくのが精一杯です。
情けないというのか、失礼というのか?
他人に気を配る余裕はないんです。
ただ、これだけは…
そういうこともあって、
他人が患っている病気に対して、
僕がいろいろ口出しするべきではない
(できるわけがない)と思うんです。
…
結局は逃げなのかも?
ですが…
他人と自分を比べて
落ち込みそうになることはあります。
そんなときは…
性格的な問題があると思うのですが、
あまりに他人を気にして比べないで
前を向いていきたいです!
その17: ✅「日々の出来事に落ち込んでしまうとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
いきなりですが、
いくつか質問したいことがあります。
どうですか?
これら全て、
僕には満足にできないことです。
高校生の時に開頭手術を受ける前は
全て当然のようにできていたんですけどね~
やれやれです…
あっ、!
みなさんの取り柄って何ですか?
「あの人は可愛いしスタイルがいいのに…
私はブサイクで、何も取り柄なんてない!」
「あいつは成績優秀で
一流大学も余裕で合格するレベルなのに…
俺なんて何も…」
そんな感じで、
他人の良いところだけを見て
自分には何も取り柄がないと勘違いしていませんか?
いやいやいやいや~
冒頭でした質問のうち、
1つでもできることあったなら、
今の僕から見れば、あなたは尊敬に値する人!
「えっ…そんな事って
当然できることだから…」
いやいやいやいや~
これまで病気で苦しむ人を
たくさん見てこれたんですが
当然のようにできる人は
そう感じているだけなのかも?
できなくて苦しんでいる人は
世の中にたくさんいますよ~
それに、
奇跡のような確率で生まれてきて
生きているわけですから
宝くじを当てた
幸運の持ち主みたいなもの!
選ばれた人…
・健康で五体満足に生まれてきたこと
・生きていること
それは必ずしも当然ではないと思うんです。
あなたの立派な取り柄…
大切にしてくださいね~
最後になりますが
そんな今の僕はこう思っています。
そう信じていますよ~
その18: ✅「次々向かってくる病気に対して尻込みするとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
僕は、自分に降りかかってくる病気が怖いです。
自分が納得するまで精一杯調べるようになってから、
若干は怖いものではなくなりましたが…
いやいやいやいや~
まだまだ怖~~~~い!😭
ですが
テクテク歩いて行くには
何とか向き合わないといけんです!🔥
そこで考えたのが…
それは、得意のネット検索では得られない、
僕だけにしか残すことができない情報…
そして、ついつい逃げたくなったり怖くなったら…
そのメモを読み返します。
そうしたら必ず前向きになれるわけではないのですが、
前向きになれるかもしれないヒントを得ることが
たま~にあります。
「エッセイ」というマガジン内にある記事は
書き溜めてきたメモのおかげです。
これからも何かを感じたり体験したら、
ササッとメモ書きして残していきたいです。
その19: ✅「病気を治そう・向き合おうっていうけどさ~所詮意味ないことなんじゃない?と思ったとき」は、このように自分へ言い聞かせています。
以前、病気と向き会おうとする自分に対して、
こんな疑問を抱くようになった時期がありました。
(今の僕って、
ひょっとして無意味なことをしているのかな…)
その理由は、病気のことを知るためのネット検索中に、
人は時間の違いはあれ
100パーセント亡くなってしまうということを、
今さらながら痛感したからです。
ですから、
病気を乗り越えようと必死になって情報集めをしたり、
気持ちを強く持って向き合っても、
意味がないって言うのか…
結局のところ無駄なあがきになるんじゃないかと…
そんな僕の考え方を変えてくれたのは、
これまで「病気・障がいを抱える人たち」に
たくさん出会うことができたからです!
と言っても、
みなさんから助言を受けたわけではありませんよ~
僕にも、
いつか必ず命の灯火が消える日が来ます。
それは人として生まれてきたのであれば当然の事
変えることは決してできない…
いわば、「人としての使命」
大切なのはそこまでの過程
僕はどう生きたのか…
「あれをやっておけばよかった…」
そういうのをできる限り少なくしたい!
そのときに
「後悔のない最高の時間だったな~」と満足したい…
それこそが、僕の生きる意味…
僕が生きた証…
🎯最後に一言だけ…
こんな考え方にさせてくれた君へ
君のおかげで、
ヨワヨワマンの僕でもここまでこれたよ!
たぶんこれからもいろんなことがありそうだけど、
病気に限らず、どんなことにも負けないからね!
ありがとう!
ー 「僕とおかげさん」 おしまい ー
📒1項目ごとに区切った記事を集めたマガジンも準備しています。ご覧いただける場合は以下を参照ください(内容は同じです)