![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124352048/rectangle_large_type_2_c76f2af7b90b6d4862b2a6fa944f1409.png?width=1200)
僕が車いすマンになった根本的原因である脳腫瘍について
※この記事は最初から最後まで区切っていません。(全てひとまとめにした状態です)
※1話ごとに区切った記事を集めたマガジンもありますので、そちらの方が読みやすいという人は以下を参照ください。
✅本作について
僕は学生のころに
脳腫瘍(のうしゅよう)が見つかって
開頭手術を受けました。
それが根本的な原因となって、
25年以上車いすで生活しています。
オジサンになった今は
僕が目標としてきた
単身生活
車を運転
仕事
その全てが
スタートラインに立てるまでになりました。
そんな自立した
プロ車いすマンになれたのは、
これまでの間いろんな体験ができたから
多くの人に出会い支えてくれたから
そんな今に感謝の意を込めて…
当時受けた
開頭手術からの体験や思いを紹介したいなと思います。
※プロ車いすマン
(僕が勝手につけた言葉です:
生活全般を車いすに乗って行う能力がある人)
本作は脳腫瘍に関する話しですから
・実際に脳腫瘍を患って困っている人や家族
・脳腫瘍について学んでみたい人
また
・闘病記を読むのが好きな人
以上のような人にはプラスになる面があるかもしれません。
本作が誰かの目にとまってプラスになれたのなら…
これまでの生き方が評価されたようで光栄に思います。
それではどうかよろしくお願いします。
📙第1章 手術まで
五体満足だった僕が、突然あれよあれよという間に
開頭手術を受けることになったいきさつを紹介します
🎯その1 僕はカヌーマンだった!
「オイ辛島~またそんなところでサボって…
それじゃ~いつまでたっても勝てんぞ!」
そんな檄が飛ぶ中
毎日カヌーを漕いでいた僕。
あっ!
この話は学生のころだから…
もう25年以上前になるよ~
カヌーって聞くと、
大自然の渓流などでプカプカ浮いて
優雅な一時を満喫する…
スポーツと言うよりはレジャー感覚なんだろうって
イメージする人が多そうな気がするんだけど、
僕が取り組んでいたのはスピードを競う競技カヌー。
![平坦な水面でスピードを競う競技カヌー](https://assets.st-note.com/img/1737268731-F69WpNxkrfmYewuSKbZUIoVO.png)
1000m位あるようなプール
なだらかな河川
ダム
湖
そんなところで競い合う、
ボート競技と同じくらい
過酷って言われているんよ!
先ほど激が飛ぶ中って書いたけど、
それは僕が入部していたカヌー部の顧問!
先生は、僕が在校していた学校で、
保健体育の教師をされていたんだけど
カヌー部の顧問も兼任されていたんよ~
そんな先生は、
若いころカヌー競技に取り組まれていて
オリンピックを目指せる程の逸材だったみたい。
だからカヌーの指導になると
学校でお会いするときとは違って…
カヌーに対して並々ならぬ情熱がある!
それは間違いないんだけど
指導を受ける僕らからしたら…
鬼(だったかも)
![メガホン片手に自転車を漕ぐ恩師](https://assets.st-note.com/img/1737268972-J3C4bazUhKmyGnfrAjV5Mg02.png)
ただ間違ったことは言ってなくて
先生を信じて一生懸命練習したっけ!
おかげで
僕らの腕前はめきめきと上達!
そしてカヌー王国大分の一時代を築くんよ~
ただね…
冒頭に書いたように、
僕はヒョロヒョロニ痩せていて
決して速い選手じゃなかったんよね…
練習もついて行くのが精一杯やった…
でもね、3年間辞めなかった!
おかげで4人乗りの最後尾に選ばれて
全国大会で準優勝!
諦めないで本当に良かった
そう思った瞬間だったな~
![3人のおかげ](https://assets.st-note.com/img/1737269016-hdxjXNfkq2nYT16JQMWGF7sA.png)
高校受験の時、
学力で大学進学を目指していた僕。
でもギリギリ高校に合格した程度の学力だったのが、
3年間みっちりカヌーに没頭したおかげで
アホ丸出し状態になっちゃう…
2年生くらいからかな?
とてもじゃないけど
学力での進学は難しいと思うようになっちょった。
だから何としてでも全国クラスの賞を取って、
目標に切り替えたんよ!
「スポーツ推薦で進学する!」って
幸運にも
全国2位の栄光を勝ち取って、
先生のおかげもあって
希望どおり
スポーツ推薦で進学できそうになっていたんやけどね…
それがさ~
あれよあれよという間に
思いもよらない展開がやってきちゃうわけよ~
🎯その2 ツケがやってきた…
高校3年の9月だったかな?
大会が終わって一息ついたとき、
体に異変が出てきたんよ!
ま~ツケがやってきたのかな?
えっとね…
2年生の後半あたりから
後頭部をトンカチでドカンドカン殴られるような
激しい頭痛に時々見舞われるようになっていてね~
![激しい頭痛](https://assets.st-note.com/img/1737270203-PEOZMm9TAgBnYuKw8RFi1aXJ.jpg)
高校最後の大会までは何としてでもやり抜くんだ
そうしないと今後が絶望的になるぞ!
そう自分に言い聞かせて
体にムチを打っていたから我慢できていたのかな?
「あのさ~最近頭が痛いんだけど…」
「それじゃ~内科に行ってこい」
父親に相談して内科を受診したわけ!
そこで痛み止めをもらって帰宅しても一向に治らなくて…
「それじゃ~脳神経外科に行ってこい」
そこで問題ないのなら
気にしすぎなんだと言いたかったのかな?
父親に勧められ当時聞いたこともなかった
脳神経外科を受診した僕は…
気を失っちゃう…
🎯その3 ただ事ではなさそうな予感
気を失うのは
初めてのことじゃなかったんよ~
確かラーメンの出前を取ったときも…
「は~い
今から行きま~す!」
玄関チャイムが鳴って
2階から階段を下りようとした時に
突然フラ~と倒れちゃってね~
何とか這いつくばって玄関まで行って
ラーメンは受け取ったんだけど、
顔面蒼白で…
食欲が全くわかなかず
結局ラーメンは伸びてしまい…
…
それと同じように
受診した脳神経外科でも
突然フラ~と倒れちゃったみたい。
ただ、前回のように軽くはなくて一日入院。
そのときに撮ったCT検査で
膿頭蓋内に卓球ボールみたいな影が…
こりゃ一大事だってことで…
もっと詳しく検査できるところをってことで…
大学病院を紹介されてしまったんよ~
そこでお会いすることになるのが
森先生
担当医
いろんな検査を受けて
CT検査で映った卓球ボールみたいな影は~
「脳腫瘍」だと判明しちゃう…
![大学病院ではMRI検査を受けました。](https://assets.st-note.com/img/1737271216-EfzkvULmgYl5ZySjH6Gu4BoA.jpg)
ただ現時点ではその種類はわからなくて、
開頭手術で摘出してみて初めてわかるみたい。
ただ、開頭手術自体かなりのリスクがあって
たとえ成功しても植物人間って言うのかな?
生きているけど、
今の僕に戻れる可能性は必ずしも高いわけではない
…
まだ未成年でピンピン動けたし~
カヌーを漕いでいた一応はスポーツマンだったし~
そんなことを言われても
イマイチよく伝わってこなかったんだけど
(こりゃ~大変なことになりそうだな…)
そう思ったのは間違いなかったと思う。
🎯その4 逃げ場がないっす
以前書いた「突然気を失ってしまったJというのは~
たぶん「脳圧」が関係しちょんと思うんよ!
脳頭蓋っていうのは
カチンコチンなわけでしょ?
以下は間違いかもだけど…
その中は
脳髄液に浸かった脳がびっしり詰まっているわけで~
そこに
卓球ボールくらいの腫瘍が出来ちゃってるわけだから…
脳が圧迫されちゃうやん?
それなんに硬い脳頭蓋があるから外には出られないでしょ?
![頭蓋内は君がいなくてもびっしりなのに…](https://assets.st-note.com/img/1737583700-I6r9JkqTKjNaiYmobdZgvVM5.jpg)
そのせいで血管が細くなるのかな?
そんでもって気絶~
ま~医学的な仕組みはよくわかんないんだけど、
そのために僕は時々気を失っていたんじゃないかな~
🎯その5 うらやましい血管
入院して手術まで
たぶん2週間くらいあったと思うんだけど~
その間に、いろんな検査をしたんよ。
中でも
陰部の毛を剃らないといけなかった
「血管造影」という検査は
恥ずかしさと恐怖感が入り交じっていたっけ
そうそう
背中に針を刺されて脳髄液を採られたのも怖かった…
また、毎日1~2回だったかな?
グリセオールっていう点滴をされていたんよ。
また気を失わないようにするため?
オジサンになった今は
血管が体内へ逃げちゃったのかな?
全くと言っていいほど目視できないんだけど、
当時は指先から上腕まで
イヤホンケーブルみたいな丈夫な血管が浮き出ていたんよ!
あっ…
というか皮膚の上に乗っかっていたといった方が良いかも!
おかげで針刺しはほぼ失敗なし。
手術まで毎日抜き差ししていたから、
両腕の血管は針を抜いた痕がびっしり付いていたな~
![びっしり](https://assets.st-note.com/img/1737772846-Hlh9axz72VtfJL5mwO8sEBbG.jpg)
それでも常時針が刺さっているよりはマシ!
自由に動けたけんね〜
全く気にならんかったわ〜
点滴が終わったらすぐさま行動
(さて、売店にでも行ってくるかな!)
食べることしか頭になかったのかも…
🎯その6 こんなの初めて~~~
病気が発覚して入院してからは、
鬼のように怖かったカヌーの先生が
180度変わっちゃった。
…
というよりも〜
本来の優しい温かい目で
親身になって
献身的に
僕を支えてくれるようになったんよ!
毎日のように
同級生の友達や部員を連れて
お見舞いに来てくれたのもその一つ。
僕は無理をしていたわけじゃないんだけど、
来てくれた人に
病状や手術の内容を事細かく伝えていたっけ!
![みんな~聞いちょくれ](https://assets.st-note.com/img/1737773626-9clSosg7HVpUb6ROPjyztu2W.jpg)
そんな僕を見た先生は、
じっと僕を見て心配そうにこう言われるんよ。
「オイ辛島lそんなことせんでいいけん少しは休め」
…
いやね〜
僕はうれしかったんよ!
キモくて
ブサイクで
暗くて
影が薄くて
モテなくて
脚光を浴びる・注目される
そんなことなんて
一つもなかった僕なのに…
かっこつけないでも
笑わせようと努力しなくても
人が集まる場に動かないでも
自分たちの貴重な時間を削ってまで
毎日たくさんの人が
会いに来て話を聞いてくれる…
…
そんな全ての人へ
せめて僕の今を知ってもらいたい!
だから
嫌だな・疲れるんだよなって思ったことは
一度もなかったな〜
それ以上に
こんな「かわいこちゃん」
卒業まで一言も話せないんじゃないかな…
そう思っていた人とも
楽しい時間を過ごせたんだから僕って幸せでしょ?
先生には感謝しかないんよ〜
🎯その7 気の合う2人
手術前は2人部屋の病室にいたんよ~
もう一人は僕より年上で20歳くらいの男性。
彼は脳内の血管に問題があるみたいで、
毎年定期的に検査を受けているとか?
子供は別として…
病室のベッド間にあるカーテンを
常時閉めている人院患者さんって
結構多いと思うんだけど、
物静かな彼と僕はなぜか馬が合ってね~
カーテンは寝るとき以外ずっと開けっ放し!
いろんな話をしたし、
漫画や雑誌を貸し借りしたり、
お菓子をいただいたりしていたんよ!
![気が合った彼](https://assets.st-note.com/img/1737774516-i5Q0Vb9CByu3wZqA48HLmokN.jpg)
当時は食欲旺盛で
病院食だけじゃ満足できなくて
売店へ行ったり、持ってきてもらったり
お菓子やパン・おにぎりやカップラーメンを
食堂や病室で四六時中食べていたんだけど、
「辛島君は本当によく食べるね~
病気しているとは思えないな~」
そんなふうに感心されていたっけ?
また、
手術前日に院内の理髪店でスキンヘッドにしたときは
「お~意外と似合ってるよ!」と言って褒めてくれたな〜
あっ…そういえば、
スキンヘッドにしたときに頭皮が赤いニキビみたいなので
一面覆われていたのを思い出した!
あれって何なんやろ?
ま~いっか今更…
手術前日の消灯時間の時
(彼との同部屋生活もこれで終わりなのか~)
ちょっぴり残念ではあったけど、
夕食後もひたすら食べ続けていた僕
アホでしょ?
彼はそんな僕を見て苦笑いを浮かべていたっけ?
「じゃ~これが手術前の最後になります…」
そう言って大事に食べたバームクーヘン
…
カステラだったかな~?
…洋菓子だったような気がするんだけど
なんやったっけ?
🎯その8 始まりは〜いつも〜雨…
手術当日
「ポタッ・ポタッ…」
午前6時くらいから点満が始まっていた。
手術室へ行くのは9時前。
「なるべく早く行くわい」
前日にそう言っていた父親。
でもでも~実際に来たのは
ベッドからストレッチャーに乗り移って
出発準備を始めた8時40分過ぎ!
「何度も起こすんだけど、なかなか起きなくて…」
朝が苦手な父親を、一緒に来ていた妹が
早朝から何度も声かけしてくれてたみたいなのに…
「ごめんごめん、寝ちょった…」
父親を見ると今日が覚めたような表情…
…
![まさしく寝起き…](https://assets.st-note.com/img/1737775686-PLSfh5kBj69mdbTise4Iy8Ag.jpg)
結果的に
家族の会話が出来たのは10分もあったのかな?
わずかな時間やった。
前日に森先生から聞いていた
「手術に対するインフォームド・コンセント」で、
必ずしも予後が良好とは言えない…
っていうかその可能性の方が低そうだというのは
僕も父親も知ってたんよね。
だから出発前の時間が、
もしかしたら最後の会話になる可能性もあったわけ!
でもさ~
なんていうかな~
「かしこまった話?」なんて一切なし。
詳しくはもう覚えていないんだけど
他愛のない話だったと思う。
あっ!
僕の家庭環境はちょっとなんやかんやあって
母親が不在気味だったんだけど、
ちょうど当時は思春期だったことも重なってね~
父親との仲はあんまり宜しくなかったかな…
会話もないような時間があったかも?
でもね~、術後は変わったんよ!
「あの?父親」が!!!
ま~術直後は僕にとって最悪な時間になっちゃったんだけど
父親
妹
そして叔母ちゃん
他家族みんな
これから始まる僕にとっての壮絶な戦いを
一致団結して支えてくれた
ノンフィクションのドラマ
もしかしてだけど~
もしかしてだけど~
読み応え?あるかもよ~
(第1章はここでおしまい)
📘第2章 最も厳しかった時間
手術が終わって目が覚めたとき…
そこから新たな別世界が始まります。
僕が生きてきた中で最も厳しかった時間です
🎯その1 あんたが耳が不自由なだけやろがぇ~
「辛島君わかりますか~?わかっていたら、
名前と生年月日を言ってください!」
手術が終わって
ナースステーション近くの観察室に戻ってこれたのは
20時くらいだったみたい。
だから手術はおよそ10時間だったのかな?
目が覚めた時、看護師さんが2人いたんよ。
一人は僕の肩に手をかけて冒頭のようなことを言ってる。
(こんなときに何を言わせるんだよまったく…)
そう思いながら名前と生年月日を伝えたんよね!
すると看護師さん
顔を斜めに傾けて不思議そうな表情
小声で独り言?
「あれ?わかっていないのかな~」
(わかっちょんわい!
あんたが耳が不自由なだけやろがぇ~)
そう思う僕に大きめの声で…
「辛島君!わかっていたら、
名前と生年月日を言ってくださ~い!」
(…さっきからきちんと言ってるやないか~い!)
キレかかった僕だけど何とか平静を保ってもう一度、
名前と生年月日を伝えたんよ!
それなのに、またしても顔を斜めに傾けて不思議そうな表情…
…
僕はきちんと伝えているんに、なんでわかってもらえんの?
不思議でたまらなかったな~
![こんな感じで帰ってくるのを予想していたのに…](https://assets.st-note.com/img/1737785909-XPIBnNSLd2EGUVbuhj13li8Y.png)
(あっ!ひょっとして…)
その繰り返しが何度か続く中、
ふと思ったんよ~
(もしかしたら
自分の声が出ていないのかも…)
予感は的中!
僕は声を出せなくなっていた…
![なんて言っちょんの?](https://assets.st-note.com/img/1737785909-sOrKP5CRkaWcF310IwxXynzB.png)
🎯その2 目からうろこ?
その理由はよくわからんのやけど~
長い時間気管にチューブが入っていたせい
小脳付近にあった腫瘍を摘出した術式のせい
それ以外
この中にありそうな気が…
ま~そこは置いておいて~
看護師さんが理解できなかったのは
僕じゃなくて看護師さんのせいだ!
そう決めつけていた自分は
ある意味仕方がなかたんじゃないかな~
だってさ~
自分の声が出ていないなんて
簡単に思いつく人なんているの?
多くないっしょ?
僕はそれまで、
自分が声を出せない状態なんて
考えたこともなかったんよ…
…
なんて言っているの?
目からうろこ?
![どうなっちまったんだ~](https://assets.st-note.com/img/1737811195-RaxzYtACHVZ9knp2s604ByIK.png)
🎯その3 もう一つの衝撃的な事態…左がなくなった?
声が出せなくなっているという衝撃的な事態
…
実はそれだけじゃなかったんよ!
看護師さんとのやりとりの中、
なんか変な感じがしていたんだけど、
しばらくして観察室からいなくなって
じっくり自分を見つめていたところ…
「やっぱり…左がない!!!」
![左がない!!!](https://assets.st-note.com/img/1737855083-lEzxr1iUun0Hk4R9Mpf7y3QI.jpg)
感覚的に体の中心から左側全てがなくなっちゃってるんよ~
でもね
不思議なんやけど
寝た状態で必死に足元を見ると
…
左足の指が見える…
…
左足があるのに左足が動かん…
左足があるのにない?
…
(な、なんだこりゃ?)
朝は五体満足でピンピンしていたんに、
手術から戻ってみたら
声は出らんわ
左半身は動かんわ
この有様ってなんなん…
(どうくっちょんわ~)
はたして
僕に未来はあるのか…
※左半身が動かなくなった理由は、神経の問題で、医学的に
左半身麻痺といいます。
左半身麻痺については、
それ以降プロのリハビリを受けたり、
日常生活を送る中(時間の経過?)で段々と回復していきました。
ですから、オジサンになった今は見た目から
他人に気がつかれることはありません。
ただ自覚的な範囲では、
今でも若干左半身の動きはぎこちなさがあるんです
※「どうくっちょん」というのは大分弁で
「ふざけている」とか「馬鹿にしている」とかの意味で使われています
🎯その4 男泣き
観察室からか出て行った看護師さんと
入れ替わるように入ってきたのは父親だった。
「どげ~か?…」
父親がそこで見た僕…
後から聞いた話では
目がほとんど開かないくらい
顔面がパンパンにむくれていたみたい…
ボクサーの試合後みたいな顔?
それで見づらかったのか~
長時間うつむき姿勢で
手術を受けたのが原因なのかな?
一瞬ゲゲッと驚いた表情を浮かべた父親に
「ま~このくらい大丈夫やけん!」
そう言って安心してもらおうとしたんだけど
…
声が出ないでしょ?
…
父親はそんな僕をじっと見つめて
にっこりと微笑みながらこう言ったっけ
「じゃ~…今日はゆっくり休め!また来るわい」
「わかったそれじゃ~!」
そう言って左手でバイバイと手を振ろうとしたんだけど
声も出ないし左手が動かない…
そんな僕を見ながら
溜まらず大粒の涙を流す父親
…
父親のあんな姿
初めて見たわ~
まさに男泣き!
![男泣き](https://assets.st-note.com/img/1737870071-CrmRFTWhKze26DcpAiGaExsS.jpg)
「それじゃ〜そろそろ行ってくるわ〜」
今朝(手術前)、父親が病室に来てくれた時は
すでにストレッチャーに寝かされていた僕。
あのときって
大した会話をしなかったんだけど、
たとえじっくり会話が出来る時間が
あったとしても
果たしてどれだけの話が出来たのかは
疑問なんよね…
日頃から
そんなに会話もしないような間柄だったわけで…
そうそう…
そんな間柄の親子が
「おかしい」と思う人は多いかなとは思うけど
僕にとっては
いつものテンションで父親と別れたつもり
父親も
僕と似たような考え方だったんじゃないかな?
病弱だった僕がカヌーを始めて
マッチョとは言えないけど人並み程度の体格になって…
毎日部活動で外にいたから真っ黒に日焼けしていて…
…
そんな僕が変わり果てた姿で目の前にいる…
…
あのとき、父親は僕をどう見たのかな…
ま~
そんなどん底だった僕が、オジサンになるまで生きて
なんと!プロ車いすマンになっているなんて…
世の中捨てたもんじゃないね!
※術後は観察室の向こうに、家族や親戚が大勢来てくれていた
ようなんですが、先に入っていた看護師さんから現状を聞いて
父親が代表として様子を見に来たみたいです。
また父親が退室した後は
他の家族や親戚が中に入ってくることはありませんでした。
おそらく父親が静止したのかなと思っています
🎯その5 そのすることで犠牲になっちゃうこと
当時は妹も学生やったんよ~
勉強をして部活をして、
なおかつ僕のサポートをしてくれていたから…
うれしさよりも申し訳なさと
アイツの体が心配だったな~
僕が観察室に戻ってきた翌日に
父親と一緒にお見舞いに来ていたんだけど、
顔は腫れ上がって身動きも出来ず
たくさんの管につながれて
声も出せない僕がどう映ったのかな?
![大丈夫~?](https://assets.st-note.com/img/1737870894-IXkDrhR8d9W4Mwqasi2ZCGbu.jpg)
あっそうだ!
アイツから手紙をもらったことがあってね~
そこにはこんなことが書かれていたんよ。
お兄ちゃんはすごく大変そうだけど
私も応援するから頑張ってね!
でもちょっぴりうらやましいときもあるよ。
だって、お兄ちゃんのそばにはいつも誰かがいるでしょ?
お父さんや叔母ちゃんが毎日会いに行くし
看護師さんやお医者さんも近くにいる。
私は家に帰ってもいつも一人ぼっち…
寂しいよ…
…
僕の状況は
一刻を争うような緊迫感があったとは思うんよ~
だけんね
周りは僕のことを
何よりも一番に
優先してサポートしてくれていた
僕が良くなることだけに
全てを注げるよう支えてくれていた
そんな気がするんよ…
でもね、
そのすることで犠牲になっちゃうこと
必ずあって…
父親だって毎日働く中、
時間を見つけてきてくれていたわけだし
叔母ちゃんだって家庭を犠牲にしてまで、
僕をサポートしてくれたようなものだから…
※数日後、祖父母が面会に来てくれました。
声も出ない無表情の僕を見て、
祖母は終始笑顔で「うんうん、そうかい」と言いながら
さぞかし僕と会話をしているかのように
相づちを打ってくれていたのを覚えています。
祖父はそれに合わせるような形で
ニコニコしながら頷いていたっけ…
あの時、2人はどう思っていたのか気になります
🎯その6 表に出すことが出来ない苦痛
自分で出来ることは
ほぼ「0」になっちゃった僕。
食事は毎食食べさせてもらってたな~
朝食は看護師さん
昼食は叔母ちゃん
夕食は父親と妹
そんなケースが多かったけ!
食べ終わるのに
毎食かなりの時間を要してたんだけど、
みなさんずっと立ちっぱなし。
それにプリンやヨーグルト・漬け物みたいなのを
食堂にあった共用冷蔵庫に入れていたから、
観察室と食堂を行ったり来たり
そんな姿を横目で見ながら
自分は何もサポートできないふがいなさ…
![食べるのに必死…](https://assets.st-note.com/img/1737872390-fhx1cX8OSrd9WHP2KqQ3awZ4.jpg)
(それもこれも
動かん左半身と出らん声のせいじゃ~~~)
イライラが爆発しそう…
(おんどりゃ~!)
壁をドカンと叩いて
ストレス発散したくなるんだけど
…
右半身にそんな力はないし
(も~なんなのよ~!)
そう叫びたくなるんだけど
…
声が出ないわけで…
何もかも
使い物にならない…
術前は何不自由なかったのに
…
なす術がない…
※観察室にいた当時の思い出:
ゴミのポイ捨てについて
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
※観察室にいた当時の思い出:
カヌーの先生からいただいた手紙について
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
※観察室にいた当時の思い出:
叔母ちゃんの娘さんから届いた手紙について
(僕にとっては従兄弟のお姉ちゃん)
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
ー つづく
(第2章はここでおしまい)
📗第3章 見えてきた可能性
術直後の厳しい時間に耐えて一般病棟へ移った僕。
日に日に回復して行く中、
絶望しかなかったかなかった未来に
かすかな可能性を感じはじめます
🎯その1 閉じられたままのカーテン
そんな最悪な状況だった僕も
2週間くらいで
観察室から一般病室へ戻るときが来たんよ~
「幸島君が戻ってきましたよ~」
看護師さんの声からして…
手術前からいた病室みたいだ!
入院前からいた彼が
まだいるみたいなんだけど、
体を起こすことも
声を出すことも
左半身を動かすことも
今の僕にはできないから…
顔を見ることさえできない…
彼もそんな僕を見て絶句してたはず!
その証拠と言ってもいいのかな?
手術前は
開けっ放しだったベッド間のカーテンが
朝から晩まで閉じられたままになっちゃった…
トホホだ。
![薄いピンクのカーテン…](https://assets.st-note.com/img/1737878030-cIbyjNfsgMPR6XOzBwTh8C4G.jpg)
彼は病室のドア側のベッドにいたんだけど、
食事の際に食堂へ行く時とトイレ以外は
ベッドから出てこなくなってね~
たぶん
病室から出るには僕を
通り過ぎなきゃいけんでしょ?
顔を合わさんといけんわけやん?
声も出ないし動けない僕に
気を使ってくれていたんじゃないかな…
そして
僕が病室に戻って1週間後
脳内の問題に対しての定期検査が済んだのか?
彼が退院する日が来たんよ。
大きなバックを抱えて
ベッドのほうから申し訳なく出てきてね~
食堂やトイレに行く時と同じで
僕とは目を合わせず
一目散に病室のドアヘ行こうとしたんよ~
でもね、その時は途中で足が止まった!
そして僕のほうを向いてこう言われたんよ。
「今までお世話になりました。
これから大変でしょうがどうか頑張ってください」
「いやいや~そんなにかしこまらなくてもいいですって!
こちらこそ、最後は話もできず申し訳ありませんでした。
そしてお気遣いありがとうございます!」
そう言いたかったんだけど声が出ないでしょ?
更に体を起こせないから寝たままでしょ?
にっこり微笑むことも
顔面が腫れて麻痺しているからできないんよ…
無視しているわけじゃなかったんだけど
結局はそんな感じになっちゃってね…
ただ…
彼をずっと見つめていた。
それが今の僕が出来る感謝の形!
そんな僕を見た彼は、
深く一礼をして病室ドアを開け出て行かれた。
それ以来これまで一度もお会いしていないんだけど、
元気にしているんかな~
出来れば一度お礼が言いたいんやけどな~
🎯その2 ある約束
彼が退院した後は4人部屋へ移った僕。
あのときも手術前に
いろいろお世話になった人ばかりで…
ただね~
すごい人との出会いがあったのは大収穫!
彼を見ていると、
車いす生活の可能性っていうのかな?
それまで未知数だった世界に
少し足を突っ込むことができたのかも!
そんな僕に朗報っいうのか?
嬉しいことが起きてね!
それは4人部屋から
再び2人部屋へ移ったころ
「あら、あんた声が出るようになったやん?」
傍らにいた叔母ちゃんが
驚いた表情でそう言ったんに!
そうそう
なんとですね〜
詳しい理由はわからないんだけど、
いつの間にか声が出るように
なってきたんよ~
ま~実はお医者さんから
「必ず声は出るようになる!」って
言われていたんよね。
でもなかなか…
「うんともすんとも」
それがハスキーボイスって言うの?
ガラガラ声?かすれ声?みたいなのが
少しだけ出て来るようになっていて
叔母ちゃんが来てくれた時に
恐る恐る声を出してみたわけ!
いや~うれしかったな~~~
![声が出てきたぞ~!](https://assets.st-note.com/img/1738372068-JMU56AFeydpiuN93flXmPYrI.jpg)
さっきも書いたけど、
原因はわからないんよ…
でも完全に喋れなくなった
わけじゃなくて
何かが原因で一時的な現象だった
それは間違いないみたい!
それからは
日に日に元気が出てきてね~
と言っても、
まだまだ本調子にはほど遠くてね~
ベッドから自力で起き上がれるのもやっと…
長時間座った状態を保つ力なんてなかったんよ。
でも決めたんに!
僕は「ある約束」を果たすんだってね。
🎯その3 無念の電話…
「僕が良いって言うまで
面会に来ないでほしいんですが…
よろしいでしょうか?」
僕が言う「ある約束」っていうのは
カヌー先生と交わした冒頭のやつね!
ってことは~
術後ついに
面会OKで~すって先生に伝えるってわけ!
もちろん
それを僕自身が伝えるのは無理があったから…
「先生に
そろそろ来てもらえるよう言っちょって」
叔母ちゃんにそうお願いしたよ~
あっ!また話がそれちゃうんだけど
約束を交わした経緯?エトセトラ?
ここもグッとくる人がいるかも?
書いちゃおっかな~!
…
手術前日
(そうだ!
先生に電話してお願いしちょかんと…)
夕食後に先生と約束を交わすため
院内の公衆電話へテレホンカードを持って走った僕。
当時はね~
今みたいにスマホなんてなかったんよ!
ガラケーはあったけど、
高校生だった僕は持ってなかった…
たぶん学生は持たないっていうのが
主流だったんじゃな?
ということで公衆電話。
当時は院内のいたるところに
テレホンカード販売機があって
緑の公衆電話機が設置されていてね。
「あっ、先生…僕です、辛島です」
僕が先生に伝えたかったこと。
主目的の約束
これまで親身になって支えてくれたお礼
カヌーを指導していただいたお礼
手術や今後に対する意気込み
面と向かって言うというのが
本来の筋かもだけど…
でもね…
受話器の向こうにいる先生は泣いていた。
![泣かないでくださいよ~](https://assets.st-note.com/img/1738373294-KMr4lkFzQ5XqhOfoEG7bdJsa.jpg)
「あっ…えっと、
明日が手術なんで電話しました。頑張ります」
そのくらいで受話器を置いたっけ…
🎯その4 会心の電話!
手術当日の早朝
(やっぱり…
もう一度先生にかけてみよう!)
僕はテレホンカードを握りしめて
再び公衆電話へ向かったんよ~
(あれ?スッカラカンやん…)
昨日とは打って変わって
公衆電話が設置されている広い通路に
人影がない
…
ってまだ5時台やったから
病院が動いてないけん当然か~
…
僕っていつもは朝寝坊しがちなんに…
やっぱり緊張しちょったんかな?
あっ、でも暇を持て余したから
先生に電話しようと
思いついたわけじゃなかったんよ~
ま~気になっちょたんよ!
昨日は泣いていて話ができなかったけど…
手術を受ける前に
何とかお願いを聞いてもらいたい!
森先生から事前に手術のリスクを聞いていた僕
それをあまり
深刻に受け止めてたわけじゃなかったつもり
…
でもやっぱり術後の自分に不安があったから
そう思ったんだろうな~
そんな思いが早起きに繋がったのかもね!
(今日も泣いてたりして…)
恐る恐る番号をプッシュすると…
「ぷるるるるぷるるる…ガチャ!あっ、辛島か?」
「はい!」
「やっぱりな!かかってくると思ってたわ〜」
受話器の向こうの先生は泣いてなかった!
![泣いてなかった!](https://assets.st-note.com/img/1738374826-zOaHKg9dQxWChmq1G0SU6kXi.jpg)
加えて、
僕が再びかけてくると信じて待っていてくれた…
感無量だ!
僕は昨日伝えられなかった
主目的の約束
これまで親身になって支えてくれたお礼
カヌーを指導していただいたお礼
手術や今後に対する意気込み
伝えられた!
先生はそれを聞いてこう言ってくれたんに!
「わかった!待ってるからな…
辛島、頑張れよ!」
…
うれしかったな~
最強の応援団長からエールをもらったんだから!
こうなったら
たとえ厳しい状態になったとしても
自分が納得できるところまで
早く元気になる必要がある!
もう一度先生に会うためには
.無様な姿は見せられない…
…
そしてついに
約束を果たすときが来たってわけよ~
うふふふふ~
🎯その5 二転三転…
叔母ちゃんが僕の「面会OKサイン」を伝えて
すぐに来てくれた先生。
同級生4人も一緒だったな~
僕は座位を維持する力がないから
ベッドの頭側をギャッジアップして
みんなが見える姿勢に!
すると…
みんな僕の姿に少し引いてる感じ…
![引いてる感じ…](https://assets.st-note.com/img/1738375747-PMXNT5JhDGAd8BK2HSZv0gpm.jpg)
「これでも術直後に比べたら
見違えるほど良くなったんですよ〜」
叔母ちゃんが空気を察したのか?
そう助言してくれる。
結局声も十分でないもんだから
時間が経たなくてね…
「今日は長くいると
辛島が疲れるやろうからまた来ような!」
先生は同級生にそう言うと足早に病室を後に。
(な~んだ、
もっとゆっくりしていけば良いのに…)
そう思う僕に、
「先生がね、これからは術前と同じようなペースで
面会に来ても良いのかなって言ってたよ」
先生たちを見送りに病室を出ていた叔母ちゃんが
戻ってきてそう言ったんよ~
(もちろんですとも~!)
またこまめにお会いできるようになるんだな〜
そう思って安堵の表情を浮かべる僕。
それが…
事態は急展開しちゃう…
180度くらい…
…
もうたまらんわ〜
※お見舞いに来てくれた同級生の一人について
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
(第3章はここでおしまい)
📒第4章 本格的な戦い
摘出した腫瘍は悪性度の高い髄芽腫と判明
そのために追加の治療を受けることになった僕は
ここから本格的な闘病生活になっていきます
🎯その1 同じだけど違うっす!
先生が病室を出て行かれて
1時間後くらいだったかな?
担当医がやってきてこう言われたんよ。
「辛島君、
明日から点滴と新しい治療を始めるから
頑張りましょう!」
普段はにこやかなお医者さんなのに、
この時はかしこまった表情を浮かべてる…
(どうしたんかぇ~
いつもの感じやないけん調子狂うわ~)
治療?って言われてたけど…
(せっかくここまで良くなってきたのに?)
今更何事かと少し疑問を感じたんだけど、
・更に良くなる特効薬を
点滴で体内に入れていくんだろうな~
・再び歩けるような治療が始まるんだろうな~
そんなふうに
プラス思考で捉えるようにしたっけ?
実際のところは違ったんよ…
術中に摘出した腫瘍の詳しい検査結果が出て、
脳腫瘍が髄芽腫(ずいがしゅ)だったから!
(なにそれ?)
そう思った人いるかな?
…
ちょっと話がそれちゃうかもだけど、
脳頭蓋内にできる腫瘍の総称を脳腫瘍って言うんよ~
![脳頭蓋内に出来た腫瘍の総称が脳腫瘍](https://assets.st-note.com/img/1738377053-O6JPX0sAkvT51nNV4WHEQDia.jpg)
脳頭蓋内にできる腫瘍は何種類もあるんだけど、
術前はその種類を特定できないから
総称である脳腫瘍って言ってわけ!
たけど、
摘出したことで
髄芽腫っていう種類が判明したわけ!
例えになるかわからんけど…
僕のことを大半の海外の人は日本人って呼ぶはず!
でも近所の友達は日本人なのはわかっているから
「辛島」って呼ぶ!
どちらも僕なんだけど、
より詳しい表現は「辛島」でしょ?
そんな感じ〜
🎯その2 こんがらがってない?
あっ話が少しそれちゃうけど…
「腫瘍」とか「がん」とか「癌」とか…
こんがらがってよくわからんっていう人いない?
「腫瘍」っていうのはね、
正常な細胞じゃない異常に増殖して出来た塊
医学用語だよ~ん。
また後で詳しく書くけど、
「腫瘍」には「良性」と「悪性」があるよ〜
「癌」っていうのはね、
上皮細胞に出来る悪性腫瘍のことだよ~ん。
例えば~
・大腸癌
・肺癌
・胃癌
・乳癌
・皮膚癌
「がん」っていうのはね、
上皮細胞に出来る悪性腫瘍以外のことだよ~ん。
例えば~
・血液関係
・リンパ関係
「悪性腫瘍」と同じ意味合いと思って良いのかな?
ただ一部例外があって、
僕が患っちゃった脳腫瘍は「がん」と呼ばないんだって!
ということは、
何て言って良いかわからないときは、
とりあえず「腫瘍」って言えば
間違いじゃないってことかな~?
![腫瘍の考え方](https://assets.st-note.com/img/1738378411-rTQ2Sgcf6kjVxN57BDEdmwi8.jpg)
🎯その3 良性・悪性ってなんだ?
前回少し触れたけど、
「腫瘍」には「良性」と「悪性」があるんよ〜
「良性」と「悪性」で何が違うのかっていうと~
「良性」の場合
・成長が遅い
・周囲の組織を圧迫するけど
侵襲することはまずない
だから比較的安全!
「悪性」の場合
・成長が早い
・周囲の組織を圧迫して侵襲しちゃう
・同じ場所に再発したり別の場所に転移したりする
だから治療が厄介だし患者さんにとってマイナス〜
病気を持ちながら
働いたり
家事をしたり
子育てをしたり
元気に生活していく
そんな「生活のしやすさ?」は
両者で異なってくると思うんよ。
ちなみに…
「悪性」であれば
放射線治療
化学療法(抗癌剤治療)
この2つが有効な治療法なんだって!
![腫瘍には良性と悪性があるよ!](https://assets.st-note.com/img/1738380031-m9l5ATWPzpMLOKZg3fYnJhHv.jpg)
🎯その4 考え方は「玉子」だよ~ん
「良性」と「悪性」の考え方として、
「玉子」で考えてみたらわかりやすいかも!
(なにそれ?)
そう思った人いるかな?
ま~読んでみてくださいよ~
白いあったかご飯の上に
生玉子を落としたとするよ。
「それじゃ~今落とした玉子を
全部回収してくださ~い」
…
どうかな~?
ごはん全体に染み渡っていて
無理無理~って思わない?
それじゃ~生玉子じゃなくて
ゆで玉子だったら?
…
全部回収できそうな気がしない?
そんな感じ!
「ゆで玉子は良性腫瘍」で
「生玉子は悪性腫瘍」
手術や治療・生活しやすさの例え
なんとなくでもいいから、
覚えていてくれたらうれしいな~
あと、
これも以前書いたように
脳腫瘍は数種類あるから
「良性」と「悪性」の2種類じゃないよ〜
考え方としては…
・100&生玉子なら「悪性」
・80%生玉子(じゅ<じゅく玉子?)なら「悪性」
・50%半熟玉子で治療困難なら「悪性」
・50%半熟玉子で何とかなりそうなら「良性」
・80%ゆで玉子(やわやわゆで玉子?) なら「良性」
・100%ゆで玉子なら「良性」
みたいな感じで区別しているんじゃないか僕は思うよ~
![ゆで玉子って美味しいね~](https://assets.st-note.com/img/1738381062-rHxDhO5Auf2WFS47kmPgeKa1.jpg)
というわけで~長々と書いたけど
脳腫瘍髄芽腫っていうのは、
・脳頭蓋内にできる腫瘍の一つで
悪性度が高い(生玉子寄りの腫瘍)
・小児が患う悪性脳腫瘍では
トップクラスの種類
・以前は治療が困難だった
(5年生存率が低かった)
髄芽腫って一体何なのかなんとなくわかった~?
🎯その5 扇風機から生暖かい風って…真夏か!
話が長々と横道にそれちゃって
ごめんねごめんね~
…
えっと、本題に戻りますよん。
これまでのおさらい?
脳腫瘍髄芽腫っていうのは、
脳頭蓋内にできる腫瘍の一つで
悪性度が高いんだよね?
(生玉子寄りの腫瘍)
だから~
先生が言われた新しい治療って言うのは
悪性腫瘍に対して有効な
2つの治療法を始めるよってこと!
放射線治療
化学療法(抗癌剤治療)
…
ほんじゃ~まずは放射線治療から!
治療は病室じゃできないけん
毎回少し離れたところにある治療室へ
治療と言っても診察室にある寝台に
寝転がってればOK!
ただ初日だけ
放射線をどこに照射するのかを決める
「位置決め作業?」があったんだけど、
1~2時間かかったかな?油性マジックか何かで
照射する頭部と背中に印を付けられるんよ…
2日目からはさっき書いたとおり
治療室へ行くと放射線技師と看護師さんがいて、
寝台に横になったら、
初日につけた印を手分けしてチェック!
たしか「鉛性の放射線防御エプロン」を
身にまとっていたような…
終わると逃げるように?一目散に?
診察室を出て行かれる。
(オイオイ、
そんな危なっかしいやつを
僕は今から浴びるんだけど…)
そう思っていると
技師さんがマイクでこんなことを言われる。
「では辛島さん行きますよ~」
それからすぐ、
生暖かい風が扇風機のように
「サワ~サワ~」
当時は一点に当てる技術がなかったのかな?
(※正常な細胞にも照射されていると思います)
10秒くらいすると
再び診察室に技師さんと看護師さんが入ってくる。
「終わりましたよ~」
車いすに乗り移らせてもらって
出口まで押してもらうと、
「それでは
病棟からお迎えが来るまで待っていてください」
そう言われて、いつの間にかひとりぼっち…
あっ!
当時はインターネットが
今より普及していなかったから、
MRIやCTなどの
大きな画像データフィルムを
毎回看護師さんが
小脇に抱えて往復していてね~
僕は押してもらうだけで
手伝うわけじゃなかったんだけど、
抱えながら押さないといけなかった看護師さん…
むげねぇ~な~って思ってたわ~
※「むげねぇ~」は大分弁で「かわいそう」
「辛島さん、ちょっとここで休ませて~」
そんなことを言いながら
息を荒げて座り込んでいたこともあったな~
![](https://assets.st-note.com/img/1738455151-IP8YR79vDTjoBXkg2FJympO4.jpg)
🎯その6 小休憩なんて焼け石に水だった
そんな放射線治療は「複数回を1クール」として
4~5クールは受けたんじゃなかったっけ?
おかげで弱ってしまってね~
治療室に行くのも四苦八苦
担当看護師さんに迷惑をかけてしまったことも…
あとね
嘔吐
食欲不振
脱毛
この3つが治療中に出てくるんよ。
いわゆる
放射線障害
それぞれの記事はすでにあるから
興味があったら読んでみてね!
当時は日に日に弱っていくもんだから、
1クール終了後に治療が一端中断。
でもあまり開けすぎたらダメみたいで数日だけ…
そんだけの時間なんて焼け石に水だったな~
🎯その7 気持ちに気持ちが勝ってしまう?
放射線治療とほぼ同時に始まったのが化学療法!
言い換えたら抗癌剤治療。
はっきり覚えてないんだけど、
ACNUやニドランとか~
グランを体内に入れてたような気がするんやわ~
前回の記事に書いたように、
放射線治療で
嘔吐や食欲不振がメッチャ激しかったからね…
そこに来ての抗癌剤は楽じゃなかっんよ!
術前は食欲旺盛で四六時中食べてたでしょ?
食べたいな~
その気持ちは当時もあってね~
でも
どうしても
食べたくないな~って気持ちが勝ってしまうんよ…
(え~い、そんなたるんだ根性やったら
いつまで経っても治らんぞ!)
そう言い聞かせつ無理やり口に押し込んじゃうと…
ゲロゲロゲロゲロ~~~
![気持ち悪~~~](https://assets.st-note.com/img/1738456437-o4yVQaiWhXRtrZK7wIzG9bvC.jpg)
…
というわけで
一次は抗癌剤の点滴が12時間で
吐き気止めの点滴が12時間っていう
24時間営業?じゃったんでごわす!
ま~こんなふうに、
観察室にいたころよりはマシだったけど、
当時もグロッキー状態…
家族はなんとかして
食べて元気になってもらおうと、
大量のお菓子を持ってきて
ベッドテープルに準備した
箱の中に入れるんだけど、
見るのも気持ち悪くて
結局食べずに破棄するか
持って帰ってもらうか…
でもうれしかったな~そんな気持ち。
特に目も開けられずベッドに横たわる僕を
毎日決まった時間に
化粧もせずお見舞いに来てくれた叔母ちゃん!
心配そうにじっと僕を見つめていたっけ…
この放射線と抗癌剤治療は
1~2ヶ月続いたんじゃなかったかな~
できればあの時間は
もう二度と体験したくないわ…
🎯その8 本当はタイムオーバーだったけど
そんな憂鬱な時間を何とか乗り越えた僕は、
その1ヶ月後に一時外出しちょんのよ~
目的は大学のスポーツ推薦入学!
(必要な面接を受けるため)
あっ、もう忘れた人がいるかもだけど、
僕はカヌーの推薦で大学進学を目指してたんよ!
入学に必要なのは
一次審査:書類審査(履歴書?推薦書?)
二次審査:スポーツ実技と面接
一次審査は難なく合格
(カヌーの先生が準備してくれたおかげで…)
二次審査の実技は、
入院ギリギリに現地へ行って受け終えていたんよ!
あっ…
実技を受けた日のこと…
今振り返るとよく動けたものだと感心しちゃうな~
それだけ後がないと思って背水の陣だったのかな?
実は面接はすでに終わってたんだけど、
カヌーの先生が大学側にお願いしてくださって…
大学が県外だったこと
面接開始時間が早かったこと
それらを考えて病院を早朝に
出発する予定だったのに…
手術当日と同じで朝が弱い父親。
約束時間になろうとしているのに来ない。
(やばくない?これ以上遅れたら遅刻かも…)
そう思ったとき、
「ごめんごめん」
ようやく到着…
傍らには妹…
やっぱりか~
こんなときは
同じく学生だった妹が頼りになる!
本当…あいつには申し訳ない。
実はこの日のために、
治療終了後から頑張って
歩行訓練をしてきたんだけど
かなりぎこちなさがあって
とくに早足で歩行するのは無理そう…
(このペースやったら
遅刻しないで大学まで行けそうにないぞ)
そう思った僕は、父親の肩を借りて
反対側は壁伝いに全速力で車まで行ったんよ!
![](https://assets.st-note.com/img/1738457752-A85KNjkq4wSP7TyfaiZbn9LH.jpg)
「びゅ~~~~」
病院を出ると早朝の空気は冷たいし、
おまけに強風が吹いていて寒かったんだけど、
季節が秋から冬に
移り変わろうとしていたからと言うよりも
一日中温度管理された「ぬくぬく入院生活」を
長く送っていたツケもあったと思うな~
![こたつって、あったけ~](https://assets.st-note.com/img/1738457752-eJHmpzk17nN9Ii2Y5sbjWCLV.png)
肝心な面接は少し拍子抜けだったかも?
「もうカヌー漕げないんじゃないですか~?」
「そもそも入学式まで退院できるのですか?」
「やっぱりあなたは入学許可しませんからね」
そんなと苦言?を言われるんじゃないかと
ヒヤヒヤしていたんだけど…
「出来る範囲で良いから
マネージャー的にカヌーと関わってほしい」
そんな想定外のお言葉をいただいたんに!
これもカヌーの先生が
大学側に心を込めて
お願いしてくれていたからだと思う。
(第4章はここでおしまい)
📙第5章 敵が見えない?
退院して大学進学を果たすも、
次第に原因不明の症状で
思うように生活できなくなっていく僕。
残念ながら大学を中退して
再び元気を取り戻すため
入院して治療を受けることになります
🎯その1 白い線
(やったぞ~~~~!)
外出から帰院した僕は、
後日父親から無事に大学から
合格通知が届いたことを教えてもらった。
その後は治療と言えるものはなくて
歩行器を使って朝から晩まで院内を歩行訓練~
そして大学病院に入院して3~4ヶ月後、
ついに退院の日を迎えた僕。
メッチャ嬉しかったんやけどね~
ぬか喜びはできんやった…
だって目前に
大学入学式が控えていたけん!
(足を鍛えないと!)
車なんて使えないし、
県外の大学生活は
家族のサポートを受けづらくなるでしょ?
頼りになるのは自分の足…
だから、大学病院への通院は
送ってもらうんじゃなくて
バスを利用したり
家族の買い物に同行して荷物持ちをしたり
…
とにかく歩くことに重点を置いたんよ!
それが功を奏したのか?
大学生活は幸先の良いスタート!
寮の先輩方も気にかけてくれたし
仲間も楽しくて充実してた。
それに、カヌーの先生が入部中の先輩に
コンタクトをとってくれててね~
すごく親身になってくれたんよ!
本当の家族みたいやったんで~
…
でもね
段々と困ることが出てきてね~
![ふらついて電柱に激突](https://assets.st-note.com/img/1738979575-IMV581JuTOKcDZvSzaPtWNye.jpg)
大学の長期休暇期間に帰省した
6月ごろだったかな?
大学病院を受診したんよ~
(ふらふら~)
「先生、お久しぶりです…」
診察室に酔っ払いみたいな歩き方で
現れた僕を見た森先生は驚いてね!
「ど、どうしたんですか!
今すぐ車いすに座ってください!
そして詳しい検査が必要だから入院してください」
…
入院してMRI検査をしたところ
髄芽腫があった場所に
自い線のようなものが映っていたみたい。
![なんだあの白い線?](https://assets.st-note.com/img/1738979575-zmlw0xi8L4a6QGB7KYgSUOJd.jpg)
(じゃ~それって何なのよ?)
そう思ったわけなんだけど、
はっきりとしなかったのかな…
「血行障害のために自い線が映っている」
と仮定して?
それを改善するため
治療を受けることになるんよ~
ちなみにせっかく入学した大学は中退。
また長期の入院生活が始まっちゃう
トホホだ。
🎯その2 君に惚れたけん熱っぽいんや~
まず森先生から勧められた新たな治療は、
インターフェロンによる免役療法
これを静注はもちろん
留置済みのオンマヤリザーバーから
脳頭蓋内ヘダイレクトに注入!
(髄腔内投与?)
そして、術前に受けた血管造影と同じように
足の付け根から動注もしたかも?
受けた感想なんだけど
熱が出やすかったような気が?
あとは~
静注
メリット:
・安心感?が一番あった
デメリット:
・針刺しの失敗がよくあった
オンマヤリザーバー
メリット:
・注射が失敗することはなかった
・点滴ではないので数分我慢すれば終了した点
デメリット:
・怖さは3つの中で一番
・注射後、頭皮に出ているドーム部分に
痛みがあることがあつた
(そこは小さなタンコブ状になっています)
![こわ~~~~](https://assets.st-note.com/img/1738980626-2LqDiA3Pt7UnvefogHMNYFTZ.jpg)
動注
メリット:
・オンマヤリザーバーよりは怖くなかった
デメリット:
・治療は病室ではなく治療室へ行く必要があった
・怖さが静注よりあった
・治療時間が長く感じた術前よりは
抵抗力?慣れ?がでたのか少しはマシだったけど、
陰部の毛を剃る・剃ってもらうのは…
※オンマヤリザーバーについては、
放射線治療と同時期に受けた化学療法時にも
利用したかもしれません。
ただ確実な記憶がないため省略していました。
また、
ここで術前に受けた血管造影と同じように
足の付け根から動注もしたかもしれないのですが
同様に確実な記憶がないため省略しています
🎯その3 巨大なカプセル
インターフェロン療法が一段落付いたとき、
手先に「痺れ」が出ているのに気がついたんよ~
足先から膝下あたりまでは
以前からしびれていたんだけど、
上半身がそうなっちゃうと厳し~い!
(どうにかしないと…)
森先生はそんな僕を見て
大学病院ではできない治療を受けるため
一次転院することを勧めてくれた。
転院先の病院で受けたのは
高気圧酸素治療
薬の形状でのタイプで
中に粉薬が入ってるカプセルってあるでしよ?
あれの粉薬が人間に置き換えられるくらいの
巨大な筒状の機械に入って~
あとは1時間くらい横になつていたらOK
![](https://assets.st-note.com/img/1738981337-Uzb4s79wTcCxlVPYfNmkJnRO.jpg)
なんだけど…
なぜか毎回失禁
当時は今みたいに24時間オムツ対応だったのかな?
そこはもう覚えていないんだけど、
治療前に排尿したのに
なぜこんな短い時間で失禁してしまうのか…
本当に不思議やったし嫌やったな~
また、
当時はステロイドの治療もしていたのかな?
食欲が出てガンガン食べていたし~
顔がお月様みたいにまん丸だったんよ~
(ムーンフェイス)
![お菓子の●ーンライトじゃないよ](https://assets.st-note.com/img/1738981384-dQGPTVlcOyuL76m4Xri3xpkI.jpg)
🎯その4 運命的出会い!
たぶん治療には
1~2ヶ月かかったんじゃなかったっけ?
依然として手先に痺れが出ている僕…
(リハビリせんとといけん!)
…
そう思うんだけど、
ムーンフェイスだし…
今はあまり人と会いたくないんだよ~ん!
じゃ~どうすれば良いのか?
わからん…
ってことでエロ雑誌…ではなくて
悶々とした気持ちで漫画雑誌を読んでいたんよ。
そしたら以下のような広告に目が止まった!
「ワープロ始めませんか?」
なにやら本体付きの通信講座みたい
(つかんだり指先の細かい動作より
キーボードを押すような動作は出来そうかも?)
そう思ってやってみようかと思ったんだけど
かなりのお値段がする…
(こりゃ~無理やわ…)
仕方がないわと断念しかけたんだけど、
これを逃したら
良くなる兆しはないかもと思った僕。
父親に頼み込んで
受講することができたんよ!
あっ、そうだ!
ワープロって知らない人いる?
文字を打つことしか出来ない
機械のことだよ~ん!
今でいう「文章作成ソフト(アプリ)」?
本体が届いたら講座はほとんど無視。
キーを打つと言うよりは、
キーに指を置くことに重点を置いたっけ!
![キーに指を置くぞ~](https://assets.st-note.com/img/1738982402-KFHSkwfTrEPQW5agotDLphs4.png)
だから最初は画面に表示される文字数なんて
たかがしれてた。
でも楽しくてね~
だってさ~
やればやるほど指が動くんやもん!
少しずつ文字数も増えていってさ~
「ただの文字打ち」から
「今日の日記」に変わっていったんよ。
どんな治療を受けたとか…
そのときどんなふうに感じたとか…
まさに備忘録。
そんな成果?は
A4用紙10枚分くらいになると
印刷してホッチキスで止めて
製本?するようになってね~
それを父親や叔母ちゃん・看護師さんなどが
読んでくれたのは本当にうれしかったな~
まさに
今noteで書きまくるようになった
「きっかけ」だったのかな?
🎯その5 言語の先生?
病室は4人部屋で運よく窓際やったんよ。
だから、
治療が済んだらベッドに腰かけて
窓から見える景色を眺めること
これが日課になってたっけ!
ある日、隣をふと見ると
僕と同じように
ベッドに腰かけている男性が
(以下:Aさん)
ただ僕とは違って、
景色は見ずに
小さなホワイトボードみたいなものを片手に
うつむいてブツプツと何かつぶやいている…
(何か悩みでもあるのかな?)
そう思った僕は
声をかけてみたんよ~
「あの~何してるんですかあ~?」
すると、
僕の方を振り向くなり一言…
「そうですね~」
なんと!
立ち上がって
こちらにやってくるじゃないですか~~~
(なんだ?殴られるのかよ~)
そう思って目を閉じようとしかけたところ、
僕の隣に腰かけて
ホワイトボードのようなものを見せてくれる…
(えっ?なんだこれ・・・)
そこには「五十音順のひらがな表」
…
ってことは発声練習?
「発声練習をしているんですか?」
「そうですね~」
…
発声練習をしていることは
間違いなさそう。
…
(僕も暇だしな~)
そう思った僕は
「じゃ~
お手伝いになるかわかんないですが
一緒にやっても良いですか?」
「そうですね~」
ってことで
それから毎日Aさんと発声練習することに。
ところが…
発声のことなんて全くわからない僕は
何一つ教えた覚えがないんだけど、
妙に感心して
僕を見るようになってしまったみたいで…
いつからは僕を
「先生」と呼ぶようになってね~
「ほらAさん、また辛島君に教えてもらいよ~」
そんなふうに看護師さんに言われていたような…
そうだそうだ!
なんでAさんは発声練習していたのか?
それはね、心臓の大手術を受けて
言語の障害が出たからみたいなんよ~
出せる言語に限りがあって、
その幅を広げるために必死だったみたい。
僕が聞いた言語は
そうですね~
先生(せんせ・せっせっ)
あ~
いや~
え~
う~ん
そんなAさんとの発声練習も、
治療が終了して
大学病院へ戻ることになっちゃって…
転院のために予約したタクシーが来て
そこに乗り込んで出発するのを待っていると…
「ドンドン、ドンドン」
ドアをノック音。
何事かと窓を見るとそこにはAさん
「先生、先生…」
僕は窓を開けて
「わざわぎありがとうございます。
Aさんも頑張ってくださいね!」
「そうですね~」
車が動き出すと、
少し離れた場所に移動して
僕が見えなくなるまで
ずっと手を振っていてくれたな~
Aさん、ありがとう!
![そうですね~](https://assets.st-note.com/img/1738983602-FD3KcfG6HO5VWR2Ns0LX8SbZ.jpg)
🎯その6 苦手なヤツから始まった…
高気圧酸素治療を無事受け終えた僕は
再び大学病院へ転院。
次の治療は
まず術前にも受けた骨髄穿刺からやった…
(やっぱり)怖わ~~~~
ただね~
目的は違ったんじゃないかって思うんよ。
たぶんだけど、
・術前は「腫瘍細胞の有無をチェックするため」
・今回は「造血幹細胞を採取するため」
なんで造血幹細胞が必要になったのか?
![大事な細胞で~す](https://assets.st-note.com/img/1738984683-IMKH0meh5OiQXlDNZS291W6d.jpg)
それはね~
大量化学療法を受けることに
なっちゃったから!
治療によるリスクをもろに受けてしまって
他の病気で苦しむことになれば本来抜刀…
そこで、治療を始める前に
元気な造血幹細胞を採取するんよ。
治療を始めて
だんだんと造血幹細胞が弱ってきたら、
冷凍保存しておいた
元気なヤツを戻してあげようってわけ!
そうすれば
血液細胞を作る種をまいたようなもの!
これを医学的には、
「自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法」
っていうんだって。
ま~ヒヤヒヤはしたけど
何とか無事に骨髄穿刺は成功。
造血幹細胞を採取して冷凍保存できた僕は
いよいよ大量化学療法を受けることに!
どんな薬剤を使ったのか?
どんな方法で体内へ入れたのか?
そういうのは記録に残ってないからよくわかんないけど、
量が増えただけと思うから
これまで紹介でしてきた
ACNU
ニドラン
グラン
インターフェロン
これらの薬剤を
静注
動注
オンマヤリザーバー
そういうので体内へ入れたんじゃないかな~?
🎯その7 なんちゃって無菌室?
大量化学療法をする場所は一般病室やった。
(そう最初は思ってた)
だけんさ~
放射線治療みたいに毎回移動する必要がないし、
体内へ薬剤を入れるため
少しの時間拘束されるのを我慢したら
あとはフリー!
自由だ~~~
(な~んだ、この治療って楽ちんじゃん!)
そう思っていたのが今思えば恥ずかしい…
その理由を今から書きますよん!
えっとね、
治療が始まったら
なぜか毎日のように
採血をされちゃう。
それは
前回書いたように
「造血幹細胞の衰え」をチェックするため!
そいつが弱っちゃうと
段々血液細胞の数値が下がってくるんよ~
特に自血球の数値が下がってくると、
通常の生活環境にいたら感染しないような細菌に
命を奪われる危険性が出てきちゃう…
そこでこまめに血液データをチェックして
「これ以上一般病室にいたら危険!」
お医者さんがそう判断したら、
僕は一般病室から出て行かないといけなくなっちゃう…
(じゃ~どこに行くんだよ~)
そう思った人いる?
無菌状態に近い部屋
隔離されちゃうんに…
と言っても「一から作られた?無菌室」じゃないんよ。
僕も入院したことがあった2人部屋の病室を改良!
ベッドを1つにして~
枕の近くに
巨大な空気清浄機のようなものを設置
![無菌状態に近い病室](https://assets.st-note.com/img/1738985714-UCLNeSF5DkGwJQ7mWntqboMY.jpg)
これで「無菌状態に近い病室」が完成~
…
そこでの隔離生活は
あんまり良いものじゃなかったけど
今考えたら
だから病棟から移動するような
大がかりなことにはならなかったから
そこは良かったのかな~
🎯その8「させない」・「なりたくない」どっち?
「辛島君、じゃ~行こうか…」
ある日、ワープロで文字入力をしていると
看護師さんが僕の肩に手を置きながらそう言われたんよ。
![](https://assets.st-note.com/img/1738986330-0sJnMvUoN64OxphyBkb7fHIK.jpg)
「えっ、どこ行くんですか?」
行き先は前回書いたとおり…
そこは僕以外は入ることが
出来なかったんだけど、
一部の医療スタッフは
雨具のような羽織やマスクなどをして
出入りしよったんよ。
それって「PPE」っていうのかな?
いや違うか?
自分たちを守るというよりは
僕に感染させない
感染源にならない
そんな意味合いが強かったのかも!
あと食事は全て加熱される…
(無菌食?)
生野菜
刺身
チーズ
納豆
生卵
そういうのは一切ダメ!
![刺身が食いてぇ~](https://assets.st-note.com/img/1738986373-wvsVH3qz0Xb5ild2JSNMfQrm.jpg)
食事時間になったら、
病室のドア窓に
看護師さんが顔を出すんよ。
そして「PPE」?を万全にしてから
ドアを少し開けて
近くの棚に置いてすぐ締めちゃう。
僕はしばらくしたら
それを取りに行く感じだったかな?
いや、近くまで運んでくれたのかも?
あとね~
全ての食事皿には
ラップがされていたんだけど、
あんまり温かくなくって
無数の水滴が付いていたような…
気のせいかな?
ま~それは間違いかもだけど、
あすこでの食事に関しては
あんまり良い印象は残ってないんよ…
極めつけはね~
荷物をあまり持ち込むことが出来なくて…
なんとテレビがない!
治療が何日かかるか知らんけど、
暇すぎて死ぬやないか~い!
🎯その9 僕って調子が良いんだよな…
(こんな牢獄のようなとこに
いないとダメなん…)
移動した病室の環境に疲弊していたところ…
「辛島君、
これ持って入れるように
お願いしたらOKが出たよ!」
ある看護師さん(以下Aさん)が
そう言いながら病室に入ってきたんよ!
「えっ!それ僕のワープロじゃないですか~
でも、別の看護師さんにはワープロなんて
絶対に持ち込めないって言われていたんですけど…」
「そうだけどね~
辛島君にとっては何よりも大事だと思ったの!
だから、私が隅々まで消毒するから
是非お願いしますって担当医に頼んだのよ~」
「そうなんですか~
ありがとうございます!」
当時の僕は、
ワープロにぞっこんで朝から晩まで四六時中…
「まさしく聞病日記!」って
言えるくらいのものをひたすら打ってたんよ~
Aさんはそんな僕を見ていて、
ワープロを病室へ持ち込めたら
QOLを維持できるんじゃないかと思ったんだって!
おかげで孤独な日々をなんとか乗り越えられた!
そして今の僕の礎にもなってると思うんよ~
そうそう
そんなAさんはね~
僕の「お母さん」みたいだったな~
痒いところに手が届くっていうの?
いつも僕をよく観察されていて…
元気に明るく働いている彼女を
本当に頼りにしちょった!
術後、
初めてシャンプーをしてくれたのもAさんやった。
洗髪機?をガラガラと病室まで澤んできて
怖がる僕に「大文夫大丈夫~気持ちが良くなるよ~」
って言いながら洗ってくれたっけ。
![大文夫大丈夫~](https://assets.st-note.com/img/1738987473-SJzdOeMxtgPZIXN7QAlj430s.jpg)
仕事はもちろんだけど、
家庭環境などの話で愚痴をこぼした時は
親身に寄り添ってくれた…
初めて車いすマラソン大会に出て
ハーフマラソンを完走したときは、
ゴール地点に来てくれていて
笑顔でおめでとうって言ってくれた!
車を持っていなかつたときは
何度か買い物にも付き合ってくれたな~
…
さっきも書いたけど、
僕は本当に彼女を頼りにしてたんだけど、
今思うと「Aさん」としてではなく
便利屋さん?
都合のいい人?
家政婦さん?
そんな感じで彼女を利用してしまっていたのかも…
傷ついたんじゃないかな…
…
僕って調子が良いんだよな…
反省しないと!
Aさん、これまで本当にお世話になりました。
どうかお体に気をつけてお元気でいてくださいね~
![頼りになるお母さん](https://assets.st-note.com/img/1738987473-qmE7PRZyIVerz5MD6JGON4cT.png)
※その約25年後、
脳内嚢胞を開放する手術を受けるため
久しぶりに大学病院を受診すると、
病棟ではなくて
大学病院の看護部長室に勤務していました。
そのときは
毎日動いて
患者さんのサポートをするのが好きたったのに
今は事務仕事ばかりで
ストレスが溜まるんだと言われていました。
今はもう退職されて
新たなことを始めているのかな?
ゆっくりされているのかな?
元気でいてほしいです。
(第5章はここでおしまい)
📘第6章 矛先を変えたのは…
再び生活に活かせる歩行を取り戻すため
専門の病院へ。
そこで思わぬ方向転換を強いられた僕は
一体どうするのか?
🎯その1 もう一度歩けるようになるんだ!
これまで紹介した治療
インターフェロンによる免役療法
高気圧酸素治療
大量化学療法
これらを受けた甲斐あって、
いつの間にか手先の痺れは改善しちょったんよ!
でも下半身の機能低下は著しくてね…
(今の状態で社会復帰するのは難しいやろ~)
そう思った僕は
身体機能が低下した人を
リハビリテーションで改善させることが
主目的の病院へ!
そこでは、
生活に活かせるくらい歩けるよう訓練を受けたんよ。
![もう一度…](https://assets.st-note.com/img/1738996973-MVvoOAzRZ8ECyTPxK1ahFeLp.jpg)
3ヶ月後くらいやったかな?
これまでの評価と今後の方向性をどうするのか…
ご年配のお医者さんとの面談があってね~
そこで衝撃的なことを言われるんよ…
🎯その2 「椅子」で「生活」できるわけないやん…
「え~と、辛島さんですね…」
手元の書類を見ながらそう言われるんで~
「ええ、そうです」
すると…
「え~と、これまで3ヶ月間、よく頑張ってきましたね。
これからは車いすで生活できるように頑張りませんか?」
…
(はっ?)
…
(おっさん何言うてまんねん!)
なぜか大阪弁でツッコむ僕。
それだけ衝撃的なことを言われたわけよ~
だってさ~
ここに来たのは、
再び生活に活かせるくらい
歩けるようになるため!
…
それなんに
車いす生活?とか…
わけわからん。
あのおっさん
遠回しに言ってるけどさ~
「お前はもう歩けないから
車いすにでも乗ってやがれ!」
![なんだと~こら!](https://assets.st-note.com/img/1739016383-EyzFWIgAUdMlhJQHTuG8YPZS.jpg)
そう言ってるようなもんでしょ?
…
車いすに乗って何ができるんかえ~
あんなもの
骨折した人が一時的に乗る「一時しのぎ」
足腰が弱ったおじいちゃんおばあちゃんが乗る「椅子」
…
そんなもんっしょ!
それで「生活」?
…
できるわけないやん…
🎯その3 見えてくる現実
(でもな〜)
感情的になっていた自分を落ち着かせて
冷静に考えると
現実が見えてきたんよね…
この3ヶ月、
自分なりに頑張って歩いたつもりやったけど、
訓練時間の数時間に歩行器や平行棒で必死こいてた以外は
車いすに座っているか
ベッドに寝転がっているか
…
生活としての歩行じゃないやん!
…
僕はまだ若いけんな~
絶対に歩けんとは思いたくないけど、
今までの流れからいって
今すぐっていうのは無理そう…
やりたいことに挑戦したり働いたり、
社会に出て活躍するには
モタモタ?
無駄に?
時間を使うのはもったいないかもな~
車いす生活か…
僕に出来るんかいな?
![椅子で生活?](https://assets.st-note.com/img/1739017069-GrulPDpmKhX4MEfJc87a6Obo.jpg)
🎯その4 渋々だつたのが是非是非へ!
(しっかたね~な~)
本心は…
(えっ、そんなの絶対に嫌です!
これからも歩行訓練をさせてくださいよ~)
なんだけど〜
現実から考えて
最速での社会復帰は
車いす生活…
「わかりました、
よろしくお願いします」
そんな無念のスタートではあったけど
以外や以外!
訓練を受けてしばらくすると…
(お~車いす生活も
捨てたもんじゃないやん!)
これまでは
自分でやってみたいことが
ほとんど出来なかったんに、
車いすに乗っていれば出来る!
快感~~~!
(よっしゃ〜いっちょ、やっちゃろ~かな!)
交通事故で
いきなり車いすが必要になったりとか~
働き盛りで子供もまだ小さいとか~
シチュェーションによっては、
車いす生活に抵抗を感じて
なかなか受け入れられない時間が
続く人もいるんだけどね…
僕は以上のように
比較的早く受け入れらえたのかも!
だから
そこからは漕ぎまくった!
あっ、間違わんでよ!
僕が車いす生活を受け入れたのは、
歩くのをあきらめたわけじゃないんよ。
以前も書いたように
自分の将来を見据えて決めたこと!
歩けん歩けんって
落ち込んでる時間が長く続くんなら、
同じ時間で…
車いす生活ができるようになった方が
社会参加できるんじゃね?
…
(僕は、車いすマンになってやる!)
![](https://assets.st-note.com/img/1739017936-OrXFp5QDo6VeTMHER2Zi1tgC.jpg)
出来たらプロ級に…
🎯その5 このままうなぎ登りなのか?
目標設定を変えてからは
怒濤の勢いやったんよ!
・手動操縦装置対応の車を
運転できる免許を取得
・いろんな障害者スポーツに挑戦
・中でも車いすマラソンは
42,195km(フルマラソン)を完走
・障害者スポーツ指導員として
やる側はもちろん、サポートする側へ
そして3年ほど経過して…
すっかリプロ車いすマンになっちゃった
(じゃないかな…)
ただ気づいたんよ!
(あ〜僕って筋金入りの
アホアホマンなんやな!)って…
このままでは就職が難しいかも?
そう危機感を抱いた僕は、
資格取得のため障がいのある人だけが通える
専門学校へ行くんだよ~ん!
![アホアホマンやった…](https://assets.st-note.com/img/1739018907-NsQEh1vOLW3DFgYkzKXqZRco.jpg)
ー つづく ー
(第6華はここでおしまい)
📗第7章 終わりなき戦い
このまま順風満帆かと思われたのですが
思うようにいかない展開になっていきます。
そんな僕を救ってくれたのは医学の進歩でした!
🎯その1 手に汗握る瞬間
(がーん…)
残念ながら
県内には障がいのある人だけが通える
専門学校はなかったんよ。
僕は運転が大の苦手!
自走で通うなんて不可能…
それで行くこと自体迷ったんだけど、
僕はアホアホマン…
就職に活かせるような技術や資格をなんて
何一つ持ってないんよね…
(行くしかないのらよ~)
そこで最も近い
県外の学校を探したところ
幸運にもそこには寮が併設されちょん!
(お~!そんじゃ~入寮したら
通学の問題はクリアできる…)
―瞬ラッキーと思ったんだけど、
卒業して就職できたら
車が難なく運転できた方が良いに決まってる。
…
それならなおさら持ち込むべき!
ということで
将来を見据えて持ち込んだんよ~
![車なんてキライだ!](https://assets.st-note.com/img/1739065975-fFWjnXkPOhEoHLVsRqpmKtMJ.jpg)
これが大誤算っていうのか…
当然っていうのか…
いくつもの問題を引き起こす
「きっかけ」になっちゃうんよ~
🎯その2 ドキドキドライビング
学校で学んでいる間も
インターフェロンによる免役療法を
受ける必要があったんよ!
そこで問題が…
いやね〜
僕って運転が大の苦手やけん
学校から少し離れた場所にあった
病院への行き帰り
毎回何事もなくクリアできるのか
不安でドキドキやったんよ~
![泣きたいくらいやった…](https://assets.st-note.com/img/1739066649-CElwazVYI4Ry5Txb0mvDZUHd.jpg)
ま~おかげで鍛えられたけどね!
えっと、そんな通院してのインターフェロンを
3~4回くらい受け終えたころやったかな~?
執刀医である森先生の外来(定期画像診断)を
長期休暇時に合わせて受診したんだけど
ここで事態は急展開しちゃう…
※この25年以上後に
脳内嚢胞を開放するための
開頭手術を受けたとき、
当時お世話になったお医者さんが
異動で手術を受ける病院に来ていて
わざわざ挨拶に病室まで
足を運んでくれたのはすごく光栄でした
🎯その3 泳いできましたよ~
「ちょっと…学校へは戻らず、このまま入院しましょう」
その時にMRI検査を受けたんだけど、
なにやら結果が良くないみたいで…
医療モニターに映る僕自身の画像を見ると
「ウズラの玉子」みたいな白い影…
ただね、場所が以前と違うんよ!
高校生の時に見つかった髄芽瘍は
小脳付近にあった。
(後頭部寄りで高さは首に近いくらい)
![高校生のころ](https://assets.st-note.com/img/1739067534-ItBs7YMUfPHLE845OqwKWnAR.jpg)
それが今回は目の上あたりにある。
![](https://assets.st-note.com/img/1739067547-8ZeEoBUxMhlVaIJt65kqpTvj.jpg)
場所は異なるんだけど同じような形
サイズは「卓球ボール」から
「ウズラの卵」だから
今回の方が小さいけどね…
「もしかして再発ですか?」
恐る恐る質問したっけ。
「同じようなものですが、
厳密には播種と言います」
「はしゅ…ですか?」
(うげ~また開頭手術?
これまでの苦しい道のりを
また繰り返さないといけんのかぇ〜)
そう思って肩を落としていると
「ここではできませんが、
県内でガンマナイフ治療が
受けられるようになっていますから
行ってきてください」
森先生がなにやら聞き慣れない言葉
「ガンマナイフ?」
このガンマナイフっていう治療
森先生が言うには
開頭手術で採ってしまうような考え方ではなく、
治療後もそのまま残っていて
時間の経過で段々と小さくなっていくんだとか?
(何じゃそれ)
イマイチ仕組みがよくわからないんだけど
治癒には時間がかかると言うことで…
学校は無念の中退
そして挑んだガンマナイフ治療は恐ろしかったんで~
🎯その4 これじゃ~まるでロビンマスク…
何が恐ろしかったのかというとね。
鉄仮面装着
照射の関係なのかな?
顔面を覆う鉄仮面みたいなのを
付けられるんよ〜
(たぶん正式名はプレート)
まず放射線技師さんが、
「ちょっと目を隠しますよ~」って言いながら
ガーゼを目の上に置くんよ。
そこからは見えてないんだけど
憶測で…
「チクっとしますね〜」
何かなと思ってたら、
両方の眉毛上あたりと
後頭部の耳付け根あたり4カ所に局所麻酔
![4カ所に局所麻酔](https://assets.st-note.com/img/1739068564-HaZFsPQlUM9eABXpzTS74cJ1.jpg)
「コンコン!」
トンカチじゃないとは思うんだけど、
何かでそこに穴を開けるわけ…
![そこを目印に穴を開けちゃう](https://assets.st-note.com/img/1739068564-XIZvMsa8bniwHAjF61xr4etB.png)
痛くはないんだけど
耳元で聞こえる音や
振動は良いもんじゃないわ~
あ〜おっかね~~~~
その穴で鉄仮面を顔面にドッキング!
マスクマン完成…
僕は2日に別けて照射することになってたから、
鉄仮面みたいなのを付けられたまま一泊
これがきちかったわ〜〜
(苦しかった)
個人差があるみたいやけど、
僕にはその鉄仮面が重たく感じて
肩がこってね~
「今夜、私が部屋担当の看護師です、
よろしくお願いします」
そう言いながら
病室に挨拶ヘやってきた看護師さんがいたけど、
鉄仮面のせいでよく見えんかった…
照射は高校生のころに受けたときのと同じで
治療台に寝ていれば良いだけ!
ただ、照射時間は長かったんじゃ?
(数10分から数時間?)
🎯その5 不死鳥?
ガンマナイフ治療を
受け終えてからは
薬を飲むこともない
注射されるわけでもない
これまでと同じようなペースで
森先生の外来(定期画像診断)を受診
…
以前と変わることは
何一つなかったんよ。
(これって本当に良くなるん?)
その後1ヶ月くらいは
腫瘍の大きさが
全く変わっていなくてゲンナリ…
でもね〜先生が以前言われていたように
時間が経過していくにつれて
段々と縮小していったんよ!
そして数ヶ月後やったかな?
僕にはわからないくらいなっちゃった。
(消滅?だったらワオ~ンだ!)
![不死鳥のつもり…](https://assets.st-note.com/img/1739069267-XvmfPWIBa3K0tyN9nV4jsl5u.jpg)
…
えっとね、
一安心した僕は
翌年に再び
障がいのある人だけが通える専門学校へ!
在校中に就職することはできなかったけど
今度は無事に卒業することができたんに!
それから福祉ホームってのに入居して
単身赴任へ向けて訓練?しちょってね〜
その間に念願だった就職も決まったんよ!
福祉ホーム(単身生活ではあった)
車で通勤して仕事
そういうのって、
体を壊してからの夢みたいなものやったんよ!
いつか車いす生活であっても
単身生活をしながら
車を運転して仕事をすることができたらいいな〜
それは、僕が考える自立した生活
だからなんとも言えない
達成感があったと思うんよ!
…
でもね
🎯その6 顔見知りの成長ぶりに元気!
実は消滅したかなって時から5~6年後、
同じような場所に見つかっちゃうんよ!
「小豆みたいなの」
これはたぶん
「髄芽瘍の播種の播種」
そこで残念ながら
2回目のガンマナイフを受けちょん…
卓球ボール
ウズラの卵
小豆
一番最初のと比べたら
5分の1くらいかな?
前回のよりも小さかったから
鉄仮面を着けたまま
一泊する必要がなくてね~
2回目のガンマナイフを
受けることになったのは残念だけど
2日に分けて受ける必要がなかったのは
せめてもの救い!
それに嬉しいことがあってね〜
治療前に鉄傾面みたいなのを
顔面に取り付けた時、
傍らにいた看護師さんがこう言われたんよ!
「あの〜辛島さんですよね?
私あの時、会場でお話聞いていたんですよ」
「えっ?話ってことは…当時の学生さん?」
![あの時の学生さん?](https://assets.st-note.com/img/1739070531-gBmNKX6oCs5YWDMp0nVxqUwk.jpg)
学校を卒業してからしばらくの間、
福祉ホームにただいるだけで
就職が決まらない「ぷー太郎」の時間があってね~
その時に
看護師を目指す専門学校へ講演…
…
いや
そんな立派な?光栄な?なことじゃなくって
地域で暮らす車いすマンの一人として
顔を見せに行ったことがあったんよ。
今目の前にいる看護師さんが
あのとき会場にたくさんいた学生さんの一人…
立派な看護師さんになって傍らいる…
…
これから治療に行く直前だったけど、
メッチャ嬉しかったな~
(よっしゃ~
いっちょ、ガンマナイフ受けて
もう一踏ん張りしちゃおっかな~~~
いくぞ~
どりゃ~~~~!)
― 「僕と脳腫瘍」 おしまい ―
(以降病歴などが続きます)
※受け終えた後の経過は、
1回目のガンマナイフ治療後と変わりませんでした。
そして以後、播種したり再発したりはしていません
✅脳腫瘍について
■脳腫瘍(のうしゅよう)とは?
脳頭蓋内にできる腫瘍の総称で
大きく2つに別けられる
「原発性脳腫瘍」
脳の細胞や神経・脳を包む膜から
出来るもの
「転移性脳腫瘍」
肺がんや乳がんなどが
脳に転移して出来るもの
■何種類くらいあるのか?
細かく分類すると
150種類ほどになる
※ただし、
脳頭蓋内にある段階で
種類を確定することは困難で
摘出し調べる必要がある
■どんな症状が出るのか?
腫瘍が大きくなって
脳頭蓋内の圧が高まってくると
以下のような症状が出てくる
頭痛
ふらつき
吐き気
マヒ
歩行障害
痺れ
■どうやって調べるのか?
以上に書いたような症状が出たら、
迷わず脳神経外科へ。
そこで
MRI画像検査
CT画像検査
異常部位の活動性を見るPET検査
脳血管の状態を見る脳血管造影
遺伝子検査
以上のようなもので、
ある程度の情報がわかるが、
最終的な確定診断は、
病理検査の結果になる。
■どんな治療法があるのか?
以下のことなどを併用して行う
外科手術
放射線治療
化学療法(抗癌剤治療)
免疫療法
薬物治療
■悪性度ってなんだ?
「原発性脳腫瘍」は、
悪性度(治療や生活のしやすさ)で
グレード1~4に分類される
※数字が大きくなるほど悪性
※良性腫瘍はほぼグレード1で、
外科手術で完全に取り除くことが出来たら
再発はマレ
※同じ種類でも
脳頭蓋内のどこに出来ているのかなどで
悪性度が異なる場合がある
(手術・治療のしやすさ)
■それぞれのグレードに分類される種類(例)
グレード1:
・下垂体腺腫(かすいたいせんしゅ)
・神経鞘腫(しんけいしょうしゅ)
・髄膜踵(ずいまくしゅ)
グレード2:
・星細胞腫(せいさいぼうしゅ)
・突起膠腫(とっきこうしゅ)
グレード3:
・退形成性星細胞腫(たいけいせいせいせいさいばうしゅ)
・退形成性突起膠腫(たいけいせいせいせいとっきこうしゅ)
グレード4:
・膠芽腫(こうがしゅ)
・中枢神経系悪性リンパ腫(ちゅうすうしんけいけいあくせいりんばしゅ)
・髄芽腫(ずいがしゅ)
※グリオーマ:神経膠腫(しんけいこうしゅ)
代表的な脳腫瘍で知名度があるが、
悪性度は様々でグレード4で紹介した
膠芽腫(グリオブラストーマ)が再悪性型になる
✅病歴
😂1995年 (平成7年) 18歳
💦7~8月
・頭部の激しい頭痛を理由に
近医の内科を受診
(痛み止めを処方されるが改善せず)
===
💦9月中旬
「大分赤十字病院 脳神経外科」 外来受診
・CT検査で、脳頭蓋内に腫瘍があることが判明
(診察中に気を失い一泊入院後、
翌日大学病院へ紹介転院)
===
💦9月中旬
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 転入院
・手術前にいくつかの検査を受ける
===
💦10月4日
・脳腫瘍摘出手術(開頭)を受ける。
術後
・左半身麻痺、声を出すことが
一時出来なくなる
・顔面神経麻痺症状が出る
(右側)
・術後の検査で
腫瘍が髄芽腫だと判明する
(悪性度の高い種類)
・放射線治療を受ける
(頭部と脊髄に照射)
・化学療法を受ける
(抗癌剤はACNUやニドランなど)
・放障害障害の症状が出てくる
(嘔吐、食欲不振・脱毛)
![](https://assets.st-note.com/img/1739248504-m4Csa7hvVTWqknxL9wN6eMAr.png?width=1200)
😂1996年 (平成8年) 19歳
💦4月ごろから?
・放障害障害の症状が出てくる
(排尿障害)
(聴力低下)
(歩行困難)
===
💦6月ごろ?
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 外来受診
・上記の症状で入院
・MRI検査で、
手術場所周辺に白い線が見つかる
(血流障害?)
・インターフェロンによる免疫療法を受ける
・このころから、下肢(主に足先)に
感覚異常と痺れが出てくる
===
💦8月ごろ
「大分医師会立アルメイダ病院 脳神経外科」 入院
・高気圧酸素治療を受ける
・このころ、手先に痺れが出てくる
・初めて片頭痛が
左のこめかみあたりに起きる
===
💦9月ごろ
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 転入院
・大量化学療法を受ける
![](https://assets.st-note.com/img/1739248933-eM1naTIHl8i6or3fOxs9GYQA.png?width=1200)
😂2000年 (平成12年) 23歳
💦4~7月ごろ?
「小倉記念病院 脳神経外科」 通院治療
・インターフェロンによる免疫療法を受ける
===
💦8月ごろ?
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 外来受診
・MRI検査で髄芽腫の播種が見つかる
※場所は前頭葉左側
(真ん中の中心寄り?)
===
💦9月ごろ
「永富脳神経外科病院 脳神経外科」 入院
・播種した髄芽腫に対して
ガンマナイフ治療を受ける
![](https://assets.st-note.com/img/1739248917-ec9fSRzxHlADuGwdCgUQhmr1.png?width=1200)
😂2006年 (平成18年) 29歳
💦9月ごろ
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 外来受診
MRI検査で髄芽腫の播種が見つかる
※場所は前頭葉左側
(真ん中の中心寄り?)
===
💦10月30日
「永富脳神経外科病院 脳神経外科」 入院
・播種した髄芽腫に対して
ガンマナイフ治療を受ける
※場所は2000年時と
全く同じではありません
🌹🌹🌹🌹🌹
以降、
播種や再発なし
経過観察中
🌹🌹🌹🌹🌹
😊あとがき
えっと…
まずは
長文になってしまったこと
突然に本作が終了してしまったこと
日に何度と投稿してしまったこと
ちょっと謝りたい気分です。
申し訳ないです…🙇
では…
本作は
いかがでしたでしょうか?
髄芽腫との初戦である本作は
ここで区切りをつけたのですが
皮膚癌
顔面神経麻痺
放射線障害
…
そんな
「第2戦・第3戦…」とも言えそうな戦いは
まさに今!
オジサンになった僕に
リアルタイム?なんです…
それらの根本的な原因は
もしかしたら
本作の中にあるのかもしれません。
(僕はそう思っているます)
※それらは
「エッセイ」っと言うマガジンに集めています。
興味があったら読んでみてほしいです
※なかでも,「脳内嚢胞」は
2回目のガンマナイフが
関係しているのかなと思っていますし、
学生のころと同じ大学病院で
開頭手術を受けていますので、
本作の続編になるのかもしれません
さてさて、
僕は高校生のころに
開頭手術を受けてから、
当時受けた治療や
出来事・感じた思いを
書き残してきました。
僕がこれまで
紹介してきた記事の
90%以上は
それを頼りにしています。
本作については
昨年すでに完成していたんです。
そのときに、
「当時書き残した記録が
見つからないため、
わかる範囲で書きましたので
見つかり次第見直しをします」
そんなコメントを書いていました。
じゃ~
その記録が見つかったから
今回見直しを行ったのかといえば…
実を言うとそうではないんです。
「どうしても
記録が見つかりそうにないための
区切り?あきらめ?」
そんな感じです。
ただ、
ネット検索を駆使して
当時の記憶をなんとか思い出しながら
精一杯に書きましたので
前回の記事よりは
良いものになったのかな?
それでも、
記録が見つからないため
当時抱いた気持ちを
完璧に違い状態で伝えられなかったのには
悔いが残ります…
今回の件を教訓にして、
大切な記録は
セキュリティ対策を万全にした上で
いつでも
チェック出来るようにしていきたいです!
話が変わりますが、
あれからもう28年になります。
開頭手術を受けて、
その後に様々な治療を受けたこと
これを
なかったことにはできませんから…
髄芽腫との闘いは
僕が死ぬまで終われないと思います。
正直、
車いす生活は必ずしも楽ではありません。
身体的理由はもちろん、資格や技術がなく
何も仕事で役にたてず申し訳なく思っています。
車の運転も怖いです…
ただ髄芽腫でここまで長期生存できているのは
幸運以外の何者でもありません。
高校生だった僕が
オジサンになるまで生きてこれたこと…
今を生きていること…
それは当然ではなくて、
僕にはまだやらないといけない
伝えなくてはならない
残していかなければならない
そういうことが
あるのかもしれません。
それを胸に秘めて
これからと
向き合っていこうと思います。
その過程?証拠?は
今後noteに投稿する記事を
見てくれたら幸いです。
お世話になった人へ…
感謝の形にもなったらいいな!
2025年2月
![これからもよろしくね!](https://assets.st-note.com/img/1739258488-rLC4E35aheRHzuW0FJT1OZoQ.jpg)
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