僕が車いすマンになった根本的原因である脳腫瘍について
🎯本作について
学生のころに見つかった脳腫瘍は、僕がプロ車いすマン(生活全般を車いすに乗って行う能力がある人)である根本的な原因ではないかと思っています。※車いす生活に限らず、そこから波及するかのように様々な症状が出てきています…
そこで、当時受けた開頭手術からの体験や思いを編集した作品を書きたかったのですが、現段階では当時の記録が見つからず実現できない状態です。
残念ですが、今の僕が病気について調べた情報や、当時の記憶を掘り起こして書いた記事、これまでの病歴などを以下に書きたいと思います。
実際に脳腫瘍を患って困っている人や家族
脳腫瘍について学んでみたい人
闘病記を読むのが好きな人
以上のような人にはプラスになる面があるかもしれません。
それではどうかよろしくお願いします。
🎯脳腫瘍について
①まずは…なんで「脳腫瘍」って呼ぶのか?
脳がん
脳癌
そんなふうに呼ばれないでしょ?
疑問に感じませんか?
そこで、「悪性腫瘍」「良性腫瘍」「がん」「癌」という表現について
僕なりに調べてみました。
それは大きく2つに分けられて…
↑
このタイプの腫瘍は、今回これ以降説明はありません。
この悪性腫瘍こそが、一番広い意味で「悪性の病気」全てを指す言葉ですから、そこに平仮名で表記される「がん」と漢字で表記される「癌」も含まれることになります。
悪性なら同じ場所に再発するのはもちろん他の場所へ転移しやすいのですし、正常な細胞の奥にどんどん染み込んでいって治療がしづらいのに比べて、良性は再発の可能性がありますが転移することはまずないし、正常な細胞の上に留まったまま(染み込まない)なので、治療がしやすいみたいです。
あっ!それって、玉子をイメージしたらわかりやすいかもしれません。
②ゆで玉子と生玉子?
「良性腫瘍」はゆで玉子の状態なので、ご飯にかけても染み込んでいかず上に乗っかったままでしょ?
「悪性腫瘍」は生玉子の状態なので、ご飯にかけたら下にどんどん染み込んでいくでしょ?
一度ご飯の上にかけた状態で、
(やっぱり卵が嫌いだからご飯から除いて~)と言われたら…
良性腫瘍のほうが除きやすいと思いませんか?
さて…
平仮名で表記される「がん」は悪性腫瘍の一種ですが、もっと詳しく説明すると…
例えば~
白血病や悪性リンパ腫など血液の悪性腫瘍
骨肉腫のような「肉腫」と呼ばれる種類の悪性腫瘍
ただし、脳にできるものは除きます(なぜかは不明です)
漢字で表記される「癌」も悪性腫瘍の一種ですが、もっと詳しく説明すると…
ということから…
僕が患ったのは脳にできた悪性の腫瘍だから、「脳がん」…じゃなくって「脳腫瘍」!癌とは呼ばないですが、同じ悪性の病気だということがわかるのではないでしょうか?
③では脳腫瘍とは?
脳頭蓋内にできる腫瘍の総称です。なので、頭に出来たらナンデンカンデン(悪性腫瘍も良性腫瘍も)脳腫瘍!
※脳頭蓋内にできる腫瘍は、確か大きく分けて10種類くらい?で、治療のしやすさや再発の可能性などから良性・悪性に分けられ、更にそれぞれ「悪性度に違い」があります。
ただし、治療段階になれば腫瘍ができた場所(位置)や大きさ・患者さんの年齢や考え方や体力なども関係してくると思うので、良性だから安心とか、悪性だから必ず先行きが不安ということはないんじゃないかな?
🎯体験記事
①簡単な概要
17〜8歳頃に小脳の近くで見つかった脳腫瘍は、髄芽腫(ずいかしゅ)という小児にできやすい悪性度の高い種類です。手術前にはいくつか検査を受けたのですが、背中に針を刺されて脳髄液を採られたことが一番怖かったし、今(2023年)も痛いまではないですが違和感があります。その後、森先生が執刀医となり後頭部を10センチくらい開頭して全摘手術を受けています。
手術後、放射線と抗癌剤の治療を受けています。(術後は左半身が麻痺し、一時的に声を出せなくなります)
その後…
・血流障害?が出た時期は、高気圧酸素治療などを受けた記憶があります。
・一気に大量の化学療法(自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法)を行った時期は、無菌状態の部屋で治療を受けた記憶があります。
・2度の播種時には、ガンマナイフという放射線治療によって軽快しています。
・手術から20年が経過した頃からは、顔面神経麻痺や各放射線障害など髄芽腫の再発以外にも注意しなければならない面が出てきています。
②術直後の様子
手術直後のことを思いだひながら書いてみます。
そうそう…あのときは…
目が覚めた時、看護師さんが2人いて、麻酔から覚めた僕を確認した1人がこんなことを言われた。
「わかりますか~?わかっていたら、名前と生年月日を言ってください!」
それを聞いた僕は、何をそんな簡単なことを言わせるのかと思いながら答えたつもり…
(…)
それなのに、看護師さんは顔を斜めに傾けて不思議そうな表情を浮かべている。
(この人って耳が不自由なのかな…)
そう思っているとようやく看護師さんがこう言われた。
「(小声で)あれ?わかっていないのかな~…(大きめの声で)辛島さ~ん!わかっていたら、名前と生年月日を言ってくださ~い!」
(えっと…さっきからきちんと言っていますけどね…イライラするな〜)
僕はそんな気持ちを抑え再び声を出した。
(…)
どうやら、また看護師さんには伝わらないみたいだ。
僕はきちんと答えているのに、なぜわかってもらえないのか不思議でたまらなかった。仕方なくもう一度答えても…わかってもらえない…
(あ~もう…なんで伝わらないの?)
(あっ!ひょっとして…)
もしかしたら自分の声が出ていないのかも…
実は、一時的に声が出せなくなっていた僕。長い時間気管にチューブが入っていたせいなのかもだけど、はっきりとした理由はわからない。
でもさ〜看護師さんを責めた自分はある意味仕方がなかたんじゃないかと思う。
だって、自分の声が出ていないなんて簡単に思いつく人なんて多くないと思うから。僕はそれまで、声が出ない状態なんて考えたこともなかった…
あともう一つ!
「左がない!!!」
感覚的に体の中心から左側全てがなくなったと思った。でも寝た状態で必死に足元を見ると左足の指が見えていたっけ…
そんな左半身麻痺は、プロのリハビリを受けたり、生活を送る中で(時間の経過)段々と回復していった。ま~今でも若干左半身の動きはイマイチなところがあるんだけどね…
部屋から看護師さんがいなくなったあと、扉が開いて中に入ってきたのは父親だった。
本当は、扉の向こうには家族や親戚が大勢来てくれていたみたいなんだけど、父親が代表として様子を見に来たんだろう…
父親がそこで見た僕…
長時間うつむき姿勢で手術を受けた僕の顔面は、かなり浮腫んでいて目がほとんど開いていないし、僕は何とか父親が入ってきたことがわかって声を出そうとするも声は出ていない…
「それじゃ〜そろそろ行ってくるわ〜」
今朝(手術前)、父親が病室に来てくれた時はすでにストレッチャーに寝かされていた僕だけど、毎日部活動で外にいたから真っ黒に日焼けしていて、マッチョとは言えないけど人並み程度の体格で、いつものようなテンションで…
そうそう…
いつもの僕がいつもの僕で父親と会話して別れたのに…
…
今、変わり果てた僕を父親はどう見たのか…
その日は、父親以外に、他の家族や親戚が中に入ってくることはなかった。
涙を流しながら笑顔で退出した父親が静止したんだろう…
微笑みながら涙を流していたと思う。
あっそうだ。手術時間は〜午前9時には病室を出ていて戻ったのは夜遅くだから…多分10時間くらい?
そして、手術から戻ってきたのは朝いた病室ではなくて、ICUみたいに看護師さんの目が届きやすいナースステーションそばの観察室という所。
数日後、祖父母が面会に来てくれた。祖母は僕を見て、終始笑顔で声をかけてくれた。祖父はそれに合わせるような形でニコニコしながら頷いていたっけ…あの時も、僕の状況は父親と面会した当時とさほど変わっていなかったから、2人はどう思っていたのかな~
その後は毎日のように父親・妹・叔母が面会に来て昼食と夕食の介助など身の回りのことをサポートしてくれた。特に、放射線治療中ドッサリと抜け落ちた髪の毛と睫毛をガムテープで撮ってくれたり、食欲不振になり寝たきりに近い状態になったときに毎日かかさず決まった時間に来て傍らにいてくれた叔母の姿が忘れられない…
ま~
そんなどん底だった僕が、プロ車いすマンになっているなんて…世の中捨てたもんじゃないね!
③病歴(僕と脳腫瘍)
●1995年 (平成7年) 18歳
・7~8月
頭部の激しい頭痛を理由に近医の内科を受診。痛み止めを処方されるが改善せず
・9月中旬
「大分赤十字病院 脳神経外科」 外来受診
撮影したCTで、頭蓋内(脳)に腫瘍があることが判明し一時入院。そこで気を失うが何とか復活し翌日大学病院へ紹介転院
・9月中旬
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 転入院
手術前にいくつかの検査を受ける
・10月4日
脳腫瘍摘出手術(開頭)を受ける。
術後 ↓
※右側の顔面神経麻痺は術後すぐに出ていますが、2024年の時点では様々な症状に悩まされています。他の症状は、もしかしたら放射線の影響が考えられるのかもしれません。
※発語困難の症状は完治・左半身麻痺の症状も改善し歩行可能となり12月ごろ退院し大学へ進学
●1996年 (平成8年) 19歳
・4月ごろ?
このころから…
大学の寮にいる頃、起床すると敷布団が濡れていることに気がつく
(排尿障害:神経因性膀脱)
大学の健康診断で、聴力検査の異常が出て精密検査を勧められる
(聴力低下:感音難聴)
大学へ通学中、よろけて電柱にぶつかるようになる
(歩行困難:放射線障害)
・6月ごろ
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 外来受診
上記の症状で相談し入院
MRI画像で、手術場所周辺に白い線が見つかる(血流障害?)
インターフェロン(ウイルスの増殖を抑制するたんぱく質の一種)などの薬剤を、静脈・動脈・頭部に埋め込まれているオンマヤリザーバーから注射
このころから、下肢(主に足先)に感覚異常と痺れが出てくる
・8月ごろ
「大分医師会立アルメイダ病院 脳神経外科」 入院
高気圧酸素治療を受ける
このころ、手先に痺れが出てくる
初めて片頭痛が左のこめかみあたりに起きる
・9月ごろ
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 転入院 (アルメイダで高酸素治療が終了した時点)
大量化学療法が行われ、無菌状態の部屋に一時閉じ込められる…
※退院したのは翌年1月ごろ
●2000年 (平成12年) 23歳
・4~7月ごろ
「小倉記念病院 脳神経外科」 通院治療
インターフェロンの点滴を通院して受ける
・8月ごろ?
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 外来受診
定期受診時のMRI検査で、前頭葉左側(真ん中の中心寄り?)に髄芽腫の播種が見つかる
※場所はうろ覚えですが、小脳付近にあった髄芽腫の播種みたいです
・9月ごろ
「永富脳神経外科病院 脳神経外科」 入院
播種した髄芽腫に対してガンマナイフ1回目
●2006年 (平成18年) 29歳
・9月ごろ?
「大分大学医学部附属病院 脳神経外科」 外来受診
定期受診時のMRI検査で、前頭葉左側?右側?(前方の中心寄り)に髄芽腫の播種が見つかる
・10月30日
「永富脳神経外科病院 脳神経外科」 入院
前頭葉右側(前方の中心寄り?)に播種した髄芽腫に対してガンマナイフ2回目
※場所はうろ覚えですが1度目と全く同じではなく、これも小脳付近にあった髄芽腫の播種みたいです
僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。