脳内に突如として現れるようになった出来物は、いったい何なのか?長い時間を経て開頭手術に踏み切った僕がつかんだ正体
🎯本作について
脳腫瘍が判明してからしばらくは、再発(播種を含む)が最も恐れることだったのですが、突如として脳内に嚢胞が現れます。
あっ、「播種(はしゅ)」っていうのは再発みたいなもの・「嚢胞(のうほう)」っていうのは、風船みたいなものと思ってください。
さてさて…
頭の中(脳頭蓋の中)にできた嚢胞は目視できませんよね〜
(正体は一体何なのか?)
本作は、脳内に突如現れた嚢胞に対して、約15年間向き合い続けた経過記録集です。
体験記かも?
いや闘病記?
あっ備忘録?
多分誤字脱字がいっぱいでしょうし長々と書いていますので読みづらいかもしれませんが…
「頭の中(脳頭蓋の中)にできた嚢胞→脳内嚢胞」の検査方法や、治療法について書いてあることが多いので…
以上のような人にはプラスになることがあるかもしれません。
また、闘病記を読むのが好きという人にもおすすめかも!
読んでいただけるのであれば、これまでの生き方を評価されたようで光栄ですし、今後も日々の出来事を書き残していこうと思える起爆剤になるような気がしています。
それではよろしくお願いします。
📘第1章 決心まで
🎯その1 やばくない?
えっと…
あの頃は高校生だったから~
たぶん18歳くらいじゃないかなと思うんだけど、
運悪く脳腫瘍が見つかっちゃって開頭手術を受けたんよ~
それから25年以上…
もうヨタヨタになったオジサンの僕は~
ず~~~~~と
年に最低でも1回はMRI検査(定期画像診断)を受けて
経過を診てもらっているんよ~
経過を診てもらっている主治医は森先生!
当時の執刀医も森先生!
この幸運がなかったら今の僕はないんよね。
あっ開頭手術は先生のおかげで大成功だった。
(じゃ~なんでその後ずっと経過観察しているわけ?)
そう思った人いるかも?
答えは~
脳腫瘍は脳腫瘍でも…
髄芽腫だから!
なので、定期的に検査を受けて経過を診てもらうことは、
結果的に僕が長く生存できる可能性が高まってくることになるわけ!
あっ、手術直後の衝撃にドラマ?は以下の作品を読んでみてね!
さてさて
定期画像診断がいかに大事なのか!
それがわかるんじゃないかなって思う良い例が…
20代前半くらいに受けた定期画像診断。
残念ながら、髄芽腫の播種が見つかっちゃったんだけど、
まだ小さいうちに見つけることができたから~
ガンマナイフっていう放射線治療を受けて軽快!
(これを早期発見早期治療っていうのかな?)
(今があるのは定期画像診断のおかげ…
今後も定期検査は、僕にとって欠かせない仕事だ!)
そんなふうに思っている僕なんだけど~
29歳のころ受けた定期画像診断時にドキッとすることがあってね…
それは
いつものように定期画像診断を受けて撮影された画像を見ていたとき
(あれ、なんだあれ?)
以前ガンマナイフを受けた前頭葉左側あたりに、
これまでにはなかった10mm程度の豆粒?風船?みたいなもの
(以下:嚢胞)が映ってるやないか~い!
(もしかして…髄芽腫の播種の再発?)
それが正解なら一大事だ!
…
でもな~
画像に正常なら映らないものがあるのはわかるんだけど、
痛みがあるとか元気が出ないとか…
何かしらの症状が出ていたわけではなかったし~
大分国際車いすマラソン大会にも出場するほど動けていた当時の僕。
どうしても悪いほうに考えることができない。
(う~ん、ここは先生の判断にまかせよう…)
「先生…これは?」
「まだ小さいから、このまま消えることもありますよ。
なので、しばらくは経過を診ていきましょう。
今はそこまで気にしないで良いですからね」
「そうですか…」
先生がそう言われたため、ひとまずは
ホッと胸ををなでおろした僕
ま〜あの時は、
これから起こる大ピンチなんて知る由もなかったんだから、
当然って言えばそうなんだけどね…
🎯その2 活動開始…
それからは森先生の言うとおりになればと
天に祈るような気持ちだったんだけど
残念ながら…
その後も嚢胞が消えることはなかったんよ~
ただ大きさは変わることがなかったし、
これまでと変わることなく元気!
(画像の怪しい影はたいしたものじゃないのかもな~)
そんな嚢胞を軽視し始めた僕に罰が当たったのは、
8年ほどが経過した37歳のころ
ある日の定期画像診断時…
「う~ん…少し大きくなったかな…」
MRI画像を凝視しながら先生はそう言われた。
「えっ…大きくなったっていうのは、嚢胞の事ですか?」
「そうです。これまではほとんど変わらなかったのですが、
今回は一転して嚢胞が拡大傾向であるし、
周りの浮腫も目立つようになっています」
「ということは…」
「嚢胞構造が明らかに悪化していることを指しますので
少し問題になってきました」
(と言われても…自覚症状は何も出ていないのに…)
「これからは、これまでより間隔を開けないで外来受診してください」
「わかりました…」
それは素人の僕にもなんとなくわかっていたんだけどね…
まさか
ここに来て大きくなるとは…
🎯その3 新たな検査
現時点で森先生が指摘された嚢胞の正体は大きく3つ
ただし…
一つに絞るには今より多くの情報が必要とのこと!
「髄芽腫の(播種の)再発」については、
これまで書いてきたとおり…
ま~髄芽腫は甘くないってことかな?
「放射線壊死」については、
嚢胞のある前頭葉左側へガンマナイフ治療を受けているから!
その後遺症(ガンマ線による放射線障害)が出てきてたと言うわけ…
ところで
先生が言われた「新たな検査」だけど~
MRIやCT検査ってこと?
だったら僕はすでに受けたことがあるんだけどな…
そのほかの検査って何があるわけ?
だって、嚢胞は硬い脳頭蓋の内側にあるでしょ?
安易に見ること・触ることができないでしょ?
そうなると、目視での確認や生検などはできないやん?
…
正体解明は至難の業じゃないかな~
🎯その4 僕のペット
嚢胞構造の悪化から半年余りが経過したころ、
徐々に正常な脳は圧迫されて脳頭蓋側に押し出され
行き場を失いつつあったんよ…
(まずいな…ド~シヨ、ド~シヨ、●▲×▼■▽)
そんな心境でオロオロしている僕に森先生はこう言われた。
「辛島君、PET検査を受けに行ってきてください」
「PET…ですか?」
「詳しくはパンフレットを見てください」
「どこに行けば…」
「私が執刀(手術)したところです。(以下:大学病院)」
「わかりました」
先生が言われるPET検査というのは、
放射性薬剤を体内へ入れた(静脈注射)後に、
PETカメラ?CT?で撮影をすることみたい。
今回使用する放射性薬剤はメチオニン。
メチオニンは癌細胞に集まる習性?があるみたいで
嚢胞が髄芽腫の再発ならば
メチオニンがそこに集まってくるんだって!
メチオニンは当日作成した分は
当日中に使い切らないといけないらしくて、
検査は(薬剤量から)当日行える人数の完全予約制。
大学病院で行われるのは期間限定で今しかないみたい…
後日、検査を受けるため大学病院を受診。
(お~懐かしいな~)
髄芽腫摘出手術のために入院した学生のころを思い出しながら
院内を進んでいると当時の記憶がよみがえってくる。
…
いろいろあったな…
実は増改築中みたいで所々で工事をしていたんだけど、
今回は時間がなくて急いで懐かしの脳外科病棟へ。
(検査入院という形になっていたからです)
「検温に来ました」
検査時間になるまでしばらく病室で待機していると、
担当の看護師さんかな?
パソコンみたいなものを乗せたカートを押して病室にやってきた。
体温計を手渡してくれるんだけど、検査が終わればすぐに退院するわけで…
(測る必要あるのかな…)
そう思いながら体温計を受け取って脇に挟む僕。
計測中に入院は初めてかと聞かれたので…
・学生時代にここで手術を受けたこと
・当時の担当看護師さんが今の副学長?になっていること
そんなことをペラペラと話したところ
「へ~そうなんですか~
そんな昔はまだ私ここに勤務していないです~」
って言われていたっけ?
さて、肝心な検査なんだけど…
先ほど書いた
「ものすごく打ったところが熱くなる静脈注射」ってやつ
調べてみたんだけど~
たぶん「造影剤」だと思うんよね!
終了後もすぐ動けるわけじゃやなかったんよ…
大学病院から帰る前に…
副学長(当時の担当看護師さん)のいるところへ
近況報告と昔話に花を咲かせ、元気をもらったな~
さてさて…
後日、森先生宛に届いた結果報告書には、
明らかに髄芽腫の再発を確実に疑うほど
メチオニンが集まらなかったみたい。
(1.8以上が悪性という数値診断で、
それ以下だったから陰性であろうと)
でもね…
数値は覚えていないけど「0」ではなかったからな~
何かあるわけでしょ?
運良く再発じゃなかったとしても…
嚢胞の正体
本来頭の中にないものなんだから
気になるわ~
🎯その5 浦島太郎だよ~ん
メチオニンを用いたPET検査から1年余りが過ぎた。
検査結果は陰性だったけど、
その後のMRI画像に映る嚢胞は依然拡大傾向…
(何で大きくなるねん…)
なぜか大阪弁になる僕。
森先生、以前から僕が思っていたとおりのことを言われる。
今の拡大ペースで考えたら、それが髄芽腫の再発でなくても
今のうちに何か手を打てないかと…
アウト~~~~!ってことなんだろう。
「もう一度、検査を受けた大学病院へ行ってください。
今度は私の後輩である医師に診てもらいます」
先生はそう言うと紹介状が入った封筒を渡してくれた。
後日、その紹介状を持って再び大学病院へ…
以前ここへ来た時よりも順調に増改築工事が進んでいるみたい。
ただ、その代わり一時的に診察室などが移動していて頭が混乱…
(えっと…脳神経外科外来はどこに移動したんかぇ~)
(あっあれか~)
院内を右往左往してようやくたどり着いてホッとする僕。
外来窓口で受付を済ませ…あっとそうだ!
このときに新しくなっていた「システム?」にびっくりしたんよ~
それはこんな流れ…
僕が大学病院に入院・外来受診していたのは、
おそらく20年ほど前が最後。
当時はバーコードではなかったんだけど、
じゃ~どうやって受付していたのかは…
忘れちまった~
まーそこは置いておいて?
最初は勝手が違いすぎて浦島太郎状態だったけど
慣れてしまえばやっぱり便利!
このバーコードを用いたシステム?は
外来受付だけじゃなくて会計などでも活用されていた!
これって~
・患者の負担軽減
・業務の効率化
・感染防止(非接触)
とかに繋がるんじゃないかな~
🎯その6 石の上にも3年
さてさて、肝心な診察なんだけど…
診ていただいたのは籾井(もみい)先生。
わざわざ診察室から待合室まで迎えに来てくれたんに!
脳腫瘍などの治療成績が豊富なお医者さんみたいで、
何か若かりし頃の森先生を彷彿とさせられる雰囲気があったな~
先生は紹介状(画像なども)を見ながら以下のようなことを言われた。
「まだ小さいですね~今の段階では嚢胞がどんなものであれ、
積極的に治療するよりも経過を診ていった方が良いと思いますよ」
(えっそうなの?)
ちょっぴり安心した僕はいろいろ質問。
「あの~以前から見づらさがあって困っていまして…」
「症状は?」
「えっとですね~主に左目なんですが…
・目の前に黒いバーコード?カーテン?がある感じがしたり~
・目に涙が溜まったり溢れ出ることが多かったり~
・目脂が出すぎる感じがしたり~
・いつも目の前に納豆みたいなネバネバしたものがへばりついているような気が…
以上のような症状って嚢胞との関係性はありますか?」
「いえ…嚢胞がある場所的に、
見づらさ・涙や目脂などの異常は出ないと思いますよ」
「そ、そうなんですね…では嚢胞の話に戻りますが、
どうしても今の時点で治療をするとしたら?」
「そんなに今治療したいんですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが…」
「それならステロイドの反応を見ては?
内服か点滴静脈内注射(以下:点滴)の方法があります」
「森先生が言われていた開頭手術はどうでしょうか?」
「いや~今の段階での外科的治療は…
メリットよりもリスクのほうが大きくてお勧めしません」
「それでは…最近内視鏡を使った手術が
体のいろいろな場所で行われているようですので、
僕の件もできますか?
まだ嚢胞が小さいのなら、内視鏡を挿入する穴もわずで
良さそうな気がするんですが…」
「いえいえ嚢胞の大きさは関係ありません。
嚢胞がある場所的に内視鏡での手術は困難です。
額の上あたりを大きく開頭することになるでしょう」
(マジで…)
僕はそれを聞いてビビリまくってしまうんに…
だけど、ここで逃げて?はダメだと
「そ…そうですか…手術するとしたら
あと何年くらい先でしょうか…」
それを聞いてどうしたいのかよくわからない質問をする僕…
「絶対手術が必要になるわけではないですよ!
万が一あるとすれば…3年くらいですかね…」
(3年か…よし、あともう少しあるな~)
そのくらいの時間があれば事態は好転するだろうと思ったのか…
なぜか安心した僕は意気揚々と病院を後にしたのでありやした~
🎯その7 僕の新しいペット…
それから幾ばくかの月日が流れ…
気がつけば40代に突入していた僕。
もう立派なオジサンの仲間入りだ…
その間、順調に?嚢胞構造は悪化傾向…
正常な脳は膿頭蓋側に押されて
変な形になっちゃって気持ち悪い。
森先生も心配して
何度か大学病院へ紹介状を書いてくれるんだけど
籾井先生は
「やっぱり大きさなどから手術は適応外」と言われる。
ただ絶対にしないと言っているわけではなくて、
ただし、このまま大きくなれば
いずれその必要性が出てくる可能性はあるとも
そのときは以前言った開頭手術になり
受けるか受けないかはあなた次第と…
(どうすりゃいいのよ…)
そんな感じ肩を落とす僕に
森先生はこう言われたんに!
「辛島君、今度はメチオニンではない
PET検査を受けに行ってきてください」
「メチオニンではない…ですか?」
「少し長い薬品名で省略してFDGと言います」
「FDG?」
「詳しいことはバンフレットを渡すので読んでみてください。
あと、場所は以前メチオニンを用いて受けてもらった
大学病院ではないので注意してくださいね」
「わかりました」
家に戻ってから
いただいたパンフレットを見てFDGの意味がわかった僕。
(そうか~今回はフルオロデオキシグルコースという
放射性薬剤を用いるのか~)
以前、大学病院で受けたのは、
メチオニンという放射性薬剤を用いたPET検査。
これは、すでに大学病院で受けることはできなくなっているし、
大分県内で実施している医療機関はないみたい。
それでFDGってことなんだろうけど…
(メチオニンとFDGって何が違うのかな?)
そう思いながらも検査を受けてきましたよ~~~
🎯その8 見えない背中
さてさて…
検査を実際受けてみて…
放射性薬剤は異なるけど、
検査の仕組みはメチオニンと全く変わらなかったんよ~
※詳しくは「その4:僕のペット」を参照してね!
嚢胞が髄芽腫の再発(癌細胞)ならば
FDGがそこに集まってくるっていう習性?も同じ。
ますます両者に何の違いがあるのか気になる僕。
「今日は、水分をいつもよりたくさん摂ってくださいね!」
撮影終了後、
リラックスルームのようなところで安静にしていたら、
どこからか看護師さんがやってきてそう言われた。
放射性薬剤はあまり長く体に入っていない方がいいみたい。
(メチオニンの時にそんなこといわれたっけな~?
はっきり思い出せん…)
安静後は、医師の診察。
ここでようやく両者のの違いについて
話しを聞いた記憶がある
…
ただあんまり覚えてないんだけどね~~~
後日、森先生宛に送られてきた結果報告書には、
明らかに髄芽腫の再発を疑うほど
FDGが集まらなかったことから陰性と書かれていたみたい。
確か…それを読まれた先生は、
「それじゃ~(嚢胞は)放射線治療後の癖痕みたい状態なのかな…」
って言われていたような…
ということで…検査結果はまたも陰性…
それじゃ~
嚢胞の正体は…
…
一体何のよ~~~
教えなさいよ~~~
🎯その9 リスクを背負ってでも受ける意義!
ここで「おさらい」というのか…
嚢胞の正体と今後の流れ?を
僕なりに推測してみたよ~ん!
開頭手術の結果、ついに判明する正体
それはこれまでの流れから
髄芽腫の再発
放射線壊死
この2つしか頭に浮かんでこんわ~
どちらも一筋縄ではいかなさそうだけど
僕にとっての今後は大きく違うはず!
1、「髄芽腫の再発」だった場合…
2、「放射線壊死」だった場合
ま~どちらであっても開頭手術は驚異!
できるだけそうならないよう
これまで願っていたんだけどね…
今回はまだ正体がわかっていない
その時点での開頭手術…
でもね
嚢胞が大きくなって
正常な脳を圧迫しちゃって
いろんな自覚症状が出ているから~
割り切るしかないって言うのか…
仕方がないって言うのか…
でも運が良いかも!
もう少し遅れたら強烈な頭痛など
命の危険がある症状が出てきても
おかしくないからね!
🎯その10 その道のプロに委ねる
(やっぱりさ~見づらさの原因って…
嚢胞の拡大が影響していると思うんだけどな~)
籾井先生には、ず~~~と前から
その可能性は低いと言われているのに、
どうしても諦めきれない?僕…
ま~変なところに「こだわり」があるのかな?
何て言うかね~
何もせずに悪化していくのは嫌なんよね!
だから調べたり行動に移して
答え探しをやって自分なりに精一杯みたいんよ~
だから調べたり行動に移して
答え探しをやってみたみたいんよ~
(あっそうだ!
嚢胞との関係性はなかったとしたら
「目そのもの」に何か問題が起きていて
見づらさに繋がっているんじゃ…)
ということで
眼科を受診してみることにした僕。
やっぱり「目」って言ったら眼科医でしょ?
プロの意見はもっとものことでしょ~
それがね
(また謎の大阪弁)
結局、僕が思ったような診察結果を求めて
3カ所も受診することに…
後で詳しく紹介するけど~
じゃ~なんなのよ~ん?
籾井先生は嚢胞との関係性はないと
言われていたようなものだし…
…
脳頭蓋内に嚢胞以外で
何か問題が起きているとか?
…
それとも…
顔面神経麻痺が関与しているの?
いや…
放射線障害だったりして?
誰か~教えてよ~~~~~!
🎯その11 三者三様…
3カ所の眼科を受診したときの様子…
「あの~今日相談したいのは
見づらさの件なんです。
特にひどいのは左目です」
「どのような症状ですか?」
「えっと…
食事中に悲しくもないのに涙がボロボロ出たり~
瞬きをすると
目の前に納豆の糸みたいな…
ネバネバ~としたものが見えたり~
目脂がよく出て困っています
あっ!それとですね、疲れていたりすると~
目の前に黒いカーテンというのか?
バーコードみたいなものが出てくるんです」
「食事中の現象はおそらく顔面神経の影響でしょう」
「顔面神経の?」
「ワニの目現象といいます」
「ワニ…ですか」
「では、そのような症状は
いつ頃から起きていますか?」
「多分1年くらい前からだと思います。」
…
その後のことは省略…というのか~
3カ所とも似たようなものやったんよ!
以上から、
眼科的には異常がないみたいだったんだけど…
それを患者にいかに伝えるのか?
そこはみんな違っていて
三者三様だなとつくづく思ったな~
ま~
お医者さんであっても
人間なんだっていう証拠なのかな?
🎯その12 働けなくなるかも…
ついに…
…
ついに~
キタ~~~~~!
森先生や籾井先生から言われていた
嚢胞拡大による危険な症状が
ついに自分でも
よくわかるようになってしまった…
いわゆる
「自覚症状」
そのせいで、大きく支障が出てきたのが仕事…
「辛島さ~ん…起きてますか~」
「えっ!あ~大丈夫…です」
「また、居眠りしていましたよ。
きちんと睡眠をとっているのですか?」
「ええ…すいません、気を付けます…」
こんな状況
睡眠不足じゃないんよ…
眠っていると言うよりは
意識がもうろうとしている
そんな感じかな?
ま~僕の居眠りは巧妙というのか…
質が悪い…
眠っていると言うよりは突然意識を失っている…
ハッと我に返ったときは、
すでにヨダレが垂れていて…
マスクは湿っているんよね…
当時は意識があっても
(居眠り状態じゃなくても)
定期的に?コンスタントに?
垂れていてね…
キーボードの上に拭いたティッシュを広げて
いつでも拭けるようにスタンバイしてたんよ~
居眠りしていた時って
マスクに溢れるほどのヨダレ…
そのままだと気持ちが悪いから
ティッシュで拭き取るんだけど~
キーボードの上にスタンバってた
ティッシュは普段以上にヨダレまみれ
ジュクジュク~~~~
捨てれば良いのに
限界まで再利用しちゃうアホ
…
それは僕には気にならなくても
他人から見ると不快…
更に、居眠りまでいかなくても、
それも職場の雰囲気を悪くしかねない大問題でしょ?
そういうのは、
他人から気がつかれやすい症状
ほかには~
以上のような症状も
ボディーブローのように
僕を痛めつけてくる。
そして、
とうとう…
「もう…
働くのは難しいんじゃないのですか?」
やんわりとではあったけど、
職場の上司から注意を受けてしまった。
(まずいぞ…どうすればいいんだ~~~)
もう頭の中はごちゃごちゃ…
だけど何か手を打たないと、
より厳しい注意?処分?を受けるのは必至…
それはいわば…
これまで通り働き続けるのが困難
…
退職を意味していた。
🎯その13 迫るタイムリミット
(勤務中の態度を改善させる方法って何かないのかな?)
そう思って藁にもすがる思いで調べていたところ…
(PSG検査…なんだそりゃ?)
詳しくはよくわからないけど、
睡眠時無呼吸症候群の可能性を調べる検査みたい。
(ということは~この検査を受けてみて
僕が睡眠時無呼吸症候群なら
その対策をして睡眠の質を上げちゃえば…
居眠りする確率が減らせるのかも!
そうすれば、まだなんとか働けるんじゃないかな?)
そう思った僕は、検査ができる循環器科を受診して相談。
問診で睡眠時無呼吸症候群の可能性を疑われたんだけど、
まずは簡易検査を自宅でしてきてねと言われ…
後日レンタルした機械を返却して解析してもらったところ~
症状は軽度でありCPAPなどの治療対象にはならなかったんよ…
ま~寝る時の姿勢を横向きにするなど
いくつかアドバイスは受けたんだけど
症状を劇的に変える手段は見つからなかった。
そんな僕に追い打ちをかけるようなことが起きちゃう…
「ちょっと…今回は問題ありですね…」
森先生に近況を伝えて
急遽MRI検査をすることになった僕。
そんなショッキングな言葉を聞いたのは
撮影が済んで診察室に呼ばれてすぐのこと
(えっ…これって僕のMRI画像?)
慌てて(僕のMRI画像が表示されている)医療モニターを見ると、
平面にスライスした形ではあるけれど…
左側(左脳)全体の2~3割ほどに拡大した嚢胞構造が写って見える…
これまでとは明らかに大きさが違う…
あまりの変化に、本当は別人の画像なのでは?
疑ってしまうというのか…
別人のものであってほしい切なる願いというのか…
以前受けたPET検査(FDG)以降も、
嚢胞は拡大傾向ではあったけどね。
(今に比べたら)拡大ペースは緩やかだったし~
自覚症状も出ていなかった!
それが、最近は自覚症状が出て生活に支障が出てきたし~
今回の画像は急速に拡大している…
(これって…やばいんじゃ?…いや…やばいぞ!)
「あの~先生、これは大丈夫なんでしょうか…」
「今すぐに命の危険があるわけではありませんが、
壊死ではない可能性も十分視野に入れなければならないでしょう。
ただ、自覚症状が出ている今、それにこだわるよりも、
早急に何かの手を打った方が辛島君のためです。
これまで言ってきたように
いつかはなんとかしなければならず、まさに今がその時です。
もちろん今回も最終的に決めるのは私ではありません。
辛島君次第ですが…
私から大学病院に強くお願いをするので
受診してよく相談してください」
早期に何らかの治療を受ける意義はわかっているつもり
…
だけど、
小心者で優柔不断な僕(ヨワヨワマン)が
それから逃げてしまう傾向が続いて
今日まで来てしまった…
ただ、今後も逃げ続けるわけにはいかないみたいだ。
…
「わかりました。行ってきます!」
僕はこれまでの自分ではダメだと言い聞かせ
大学病院を受診する!
🎯その14 ぴこ~ん!
「森先生からのお手紙は拝見しましたよ」
大学病院を受診して籾井先生の診察を受けた僕。
「それでは…今後どうすれば良いでしょうか…」
「紹介状と一緒にiいただいたCD-ROMは
残念ながら確認することができませんでした」
「えっ?それじゃ~MRI画像がわからないですね…」
CD-ROMにははDICOMとして取り込むはずなんだけどな~
確認できないのは物理的な問題?(CDの破損など)
「CD-ROMからは確認できませんでしたが、
画像を印刷された用紙が入っていましたし、
森先生のお手紙に詳しいことが書かれていましたから大丈夫です」
「それなら少し安心しました…では…どうでしょうか…」
「画像上での嚢胞構造拡大もそうですが、
最近になって仕事中に突然意識を失うような居眠りや、
集中力や気力・持続力の低下がみられるようですね?」
「ええ…」
「それらは、これまでもお伝えしてきたように
嚢胞が大きくなって、正常な脳を圧迫し悪影響が出ている証拠です。
これまでは、嚢胞がそれほど大きくはなく
症状が明らかに出ていませんでしたし、
あなたから手術を受ける強い意思を感じられませんでしたので
経過観察としてきましたが、今回は強く手術することを勧めます。
どうされますか?」
(やっぱりそう来たか…森先生と同じ意見だ…)
そうそう…
森先生ほど前からじゃないけど、
嚢胞がだんだん大きくなってきた数年前からは、
籾井先生からも
やんわりと手術を勧められるようになっていたんよね…
…
それなのにここまで経過観察を続けてもらっていた理由は、
森先生の外来時と同じ…
小心者で優柔不断な僕(ヨワヨワマン)が
手術をなかなか決断できずにいたから!
僕が手術に踏み込めない理由…
全身麻酔下での開頭手術というリスク
これはもちろんもちろんだけど~
顔面神経麻痺の諸症状が手術をしても改善されない
ここもネックになっていたんよ~
何ていうのかな…
大きなリスクを背負って受ける手術なのに、
僕に返ってくるメリットがどれだけあるんだろうって…
手術を受けたら~
僕が今困っている顔面神経麻痺は治らなくても…
仕事中の居眠りや集中力低下が改善される可能性は高い!
それはすなわち、
今後も継続して働くことが可能になる…
そこはずっと前から分かっちょん…
…
でもさ~
…
(やっぱり、自分じゃ決めきれんわ~
父ちゃん教えてくれよ…)
そんな弱音を吐くヨワヨワマンは、
年齢だけは立派なオジサンなわけで…
時間は限られている。
目の前には籾井先生が、
僕の返事を今か今かと待ち望んでいる…
どうしたら…
「先生…やっぱり…(あっ!)」
そのときだ!
迷いに迷う中、
僕の脳裏にこれまでの記憶?軌跡?が
よみがえってきたんよ!
🎯その15 「ただの」ヨワヨワマンだった学生時代
あれは…
僕じゃないの?
高校の学生服を着ているから
まだ健常だったころかな?
たぶん昼食時の風景や!
それにしても
でっかい弁当箱やな~
今じゃ~絶対食べきれんわ…
あ~そうだったよな~
あの時は
こんな僕にも何人かの仲間がいて
一緒に弁当を食べてたっけ!
ほかにも
周りには同世代の仲間であふれていて
そんなに仲良しこよしじゃなくても
クラスメイト
部活動の仲間
先輩
後輩
同じ時間を一緒に過ごしワイワイと騒いだり、
他愛のないことで笑ったり
あっ!
勉強もしたけどね(一応)…
おや?
今度はカヌーを漕いでるぞ!
ということは部活時の風景だな!
きつかったけど充実していたよな~
そういう日常は当然っていうのかな?
あたりまえすぎて
何て言っていいのか…
ま~今振り返れば大切な時間だった!
それが…
開頭手術を受けたのを境にして180度変わった…
左半身麻痺など
身体に障がいを負うことになったのはもちろんだけど~
それよりも
圧倒的に同世代より年上の人が多い環境下
教室や部活でワイワイ・ガヤガヤ騒いでいた僕が
話が合わないというよりは…
・冗談話をする雰囲気じゃない
・冗談話をする気さくな相手なんていなかった
そう言った方が良いかも…
話すことじたいはあったよ!
でもね、それは病気に関すること
ある意味、孤独な闘いが始まったんよ…
そこも辛かったかな。
🎯その16 いつの間にか変身していた!
あれ?
今度は車いすに乗った僕が出てきたぞ…
見た感じ…
施設に入所したころやな!
あのころは「にわか車いすマン」であって…
車いすに乗っていたら
な~んにもできなかったけど
「プロ車いすマン」になりたいわけじゃなかったな~
だって
車いすなんて
歩くのがしんどいときの一時しのぎみたいなもんでしょ?
それなのに努力したって
何の意味があるわけ?
ま~そんな思いは
時間が経過していくうちに消えていったんやけどね…
車いすに乗って身の回りのことを全てこなす
最初はなんてことはないと思っていたんだけね
障がいを持つとなかなかうまく行かなくて…
何をやっても上手に早くできなかったな~
ま~生まれつき不器用だったから、
そこも関係していたのかも?
でもね…
僕は諦めなかったよな~
3年くらいかかったけど
多くの良き出会いがあって
僕は変わっていった。
そうこうしているうちに…
あれほど自分に自信がなかった僕(ヨワヨワマン)が
プロ車いすマンになっていたんよ!
あっ
僕がヨワヨワマンなのは今も変わらないよ~
でもね
ただ者じゃなくなったわけよ~ん!
にょほほほほ~~~
そんな僕はこんな夢見るようになるんよ~
それは言い換えると~
(単身生活をしながら仕事をして車を運転すること)
当時はそのすべてが不可能なレベルだったけど、
いつかできたらいいな(そうなれるよう頑張ろう)
そんなふうに前を向けるようになっていたよな~
そしてオジサンになった今、
そんな夢を全て叶えた僕がいる…
と言ってもスタートラインに立てただけで
まだまだ「道半ば」だけどね!
🎯その17 理想と現実…
おっ、今度は(一応)料理中かな?
あの容器を使ってるから…
たぶん福祉ホームで単身生活を開始したころや!
当時は今よりもレパートリーが少なくて苦戦したっけ…
だから冷凍食品とか、レトルト食品
そして100均アイテムには助けられた!
あの容器に堅いパスタと水を入れてレンジでチンしてたな~
ソースもレンジでチン!
洗い物が少なくて便利なんよね~
…
ま~料理に限ったことじゃなくって
あれほど夢でもあった目標
僕の考える自立した生活
簡単そうだったんだけど
最初はなかなかうまくいかなったんよね…
なぜだと思う?
障がいのある人にも優しい社会
バリアフーな環境
そんな言葉を巷で聞くことはあるけどね
やっぱり今の社会は
ここ!
だから苦しめられたと言っても良いかな?
料理はもちろん
洗濯だって
買い物だって
ゴミ出しだって
なにかあったときの対処も全て自分がやらないといけないし
あと、僕は車の運転が苦手だから…
それに頭がすっからかんで…
仕事は職場に貢献できているのか…
そういうの…
大変って言うのもあるんだけどね~
時間が経過してくると
慣れもあるんだろうけど
仕方がなくこなしてるって言うのかな?
そうそう
自分の思うように
物事を、より確かなものにしていく日々は
「なんてことはない」っていうのか…
「そっけない」っていうのか…
「想像とは違った」っていうのか…
わくわくドキドキすることなんて
ほぼなかったんよ!
(僕の描いていた夢ってこんなんだったの?)
そんな感じで肩を落としたっけ…
でも今はちょっと違うかな
そう思える僕がいる。
だから今って
僕なら生活できる環境!
…
僕がいるべき場所!
あれだけの時間と経験を経て
やっとつかんだ今を
簡単に
手放しちゃっても良いのかな?
「ただの」ヨワヨワマンじゃないんやろ?
手術なんてヘッチャラだろ?
…
でも…
手術と言っても、開頭手術
…
やっぱり怖い
いざ、決断を迫られると足がすくむ…
🎯その18 座右の銘に背中を押されて
「オイ辛島~またそんなところでサボって…それじゃ~いつまでたっても勝てんぞ!」
どうしたら良いのか路頭に迷う僕に檄を飛ばす声が聞こえる…
(あれは…先生?)
学生時代
カヌーを漕いでいた僕の恩師!
先生のパワフルな指導のおかげで
僕らの腕前はめきめきと上達!
カヌー王国大分の一時代を築いたんよ!
そんな先生
部室に掲げていた大きな垂れ幕に
毎年決まった言葉を
書かれていたんよね…
いつしか、僕の座右の銘となったあの言葉。
「意志あるところに道は開ける」
…
これまで様々な障がいのある人に出会い、
たくさんの人に支えてもらえた。
何度もあの言葉に助けてもらえた…
それは、誰もができるわけじゃやない貴重な経験!
…
だから…
僕は、まだ終わっちゃいない!
…
いや、終わってはいけない!
🎯その19 明るい未来のために決めたこと
「やっぱり…ということは、
今後も経過観察でということでしょうか?」
(えっ?)
ハッと我に返ると、目の前に籾井先生がいる。
(あっヤバイ、診察室にいるんだった!
早くどうするか伝えないと…)
僕は急いで
頭に浮かんできたいろんなことを整理する。
今このまま手術を受けないで帰っても
症状が改善することはもう考えられない。
単身生活
仕事
車の運転
僕の考える自立した生活の3本柱が
一気に崩れ落ちる可能性がすでに出ているわけで…
お前は
それをわかった上で帰ることができるの?
手術から逃げ続けることで失っても
平気なの?
そうじゃないやろ?
僕は…
れからも…
これまでと変わらない生活がしたい!
…
その可能性が開頭手術の先にあるのなら…
…
「それでは…今後も経過観察でということで、よろしいでしょうか?」
…
「いえ、やっぱり…手術をお願いします!」
「わかりました。それでは手術計画を立てます」
僕は決心した。
まだまだ叶えきれていない夢に向かって…
学生のころ以来20数年ぶりの開頭手術に挑む!
(第1章はここでおしまい)
📙第2章 君へ会いに行く
🎯その1 出陣準備
「では決まりましたらお電話差し上げますので…」
「わかりました…」
籾井先生の診察後、
看護師さんと入院に関する打ち合わせをしてから
帰るよう言われていた僕。
入院に必要なこと(必要物品とか規則とか)以外にも
食事に関することなど
ためになる情報も教えてくれて良かったんだけど
てっきり入院日(手術日も含む)も
教えてくれるものと思っていた僕は何か物足りない…
(肝心なことは後日かよ…)
苦虫をかみつぶしたような表情で家路についた僕は
今か今かと電話が来るのを待っていたんだけど…
それなのに~
(電話がかかってこんじゃないか~い!)
あれから数週間が過ぎ、43歳も残り1ヶ月を切っている。
(出来るだけ早く…
年内に手術が受けられたらうれしいですって
念を押してお願いしたつもりなんだけどな~
…
こりゃダメっぽいぞ…)
学生の頃入院した時は、
開頭手術までにさまざまな検査をして、
それには2週間くらいかかったはず!
だから今回も
逆算して12月初旬までに連絡がこなければ
年内手術は難しいだろうと思ったんよ!
そこで、年内は半ば諦めて…
今一度入院時に提出する書類や入院に必要な荷物を
じっくりと確認してみることに。
入院誓約書
輸血が必要になったときの使用可否書
病衣・オムツ使用申込書
退院支援計画書
こういうのは躊躇することなくサインできたんだけど…
特定生物由来製品使用承諾書
(なんだこれ?)
特定生物とか…
宇宙人が育てた…
本来なら自然界に存在しない生物…
怖わ~~~
でもね、
今はそんなことで迷う時間などない!
そう我に返った僕は、
書類を熟読した後にサインした。
(あれ?嚢胞の手術だけじゃなかったっけ…)
なぜか、手術の同意書には
2つの術式が書かれている…
頭蓋内腫瘍摘出術
頭蓋底部硬膜閉鎖術
最初の術式は嚢胞に対するものと思うんだけど、
次の術式はいったい何なのかな…
閉鎖術って?
説明書類をよく読むと…
開頭部位が副鼻腔につながる可能性があるから
通り道?を封鎖するみたい。
難しく書くと~
嗅神経の近くに嚢胞があって、
術後に臭いがわからなくなる可能性があるんだって!
ただ、それによって
術後に合併症が出る恐れがあると…
(合併症って何だ?)
そこには
髄膜炎
脳炎
髄液が鼻から漏れる
など、ほかにもいくつか病名が書かれてある。
(ま~こんなの何万人に1人とか…
そんな低確率じゃないの?)
そう思った僕は
それ以上深く考えることは止めてサイン!
ま~なんとかなるやろ~
🎯その2 手術の目的
(へ~直接やるんじゃないのかもな~)
手術の説明書類を読み進めていくと、
今回はナビゲーターを使って手術を行うって書いてある。
ということは~
ドラマで見るような…
執刀医が患者のそばに立っていて
隣の助手さんが額にしたたる汗を拭く
そんな中
「メス!」
と執刀医が言ったら
すかさず助手さんがメスを手渡すような…
そんなイメージとは違うのかも!
学生のころだから~
もう25年以上前になる当時って
どうだったのか?
ナビゲーター
使っていたのかな?
…
ま~そこんところはよくわからないけど
ナビゲーターがあると手術がやりやすいみたいだから、
脳医学の発展に一役買っているんだろうな~
(あれっ?あ~そうなんか~)
更に書類を読み進めていると、
驚愕…とまではいかないけど
拍子抜けしたって言うのかな?
僕はね~
今回の手術で嚢胞そのものを
全部採っちゃうと思っていたんよ!
それがね…
もう少しわかりやすく言うと、嚢胞の中身を吸い取っちゃうみたい。
だから外側(殻?)は術後も残るってさ。
でもでも~安心してください?
僕が自覚する症状っていうのは、
嚢胞が大きくなって
正常な脳を圧迫するから起きているのであって
今回の手術によって症状を軽減させることは可能!
注意点は…
同意書にサインをしたとき読んだ合併症の件もそうだけど~
手術によって、ある程度は周囲の脳に影響を及ぼす恐れがあって
それが視力や視野、失語、意識障害、高次脳機能障害など
出現・悪化につながる可能性があるのですとのこと…
…
なんかいろいろと怖くなってきたんだけど…
お前は籾井先生を信じるしかないんだぞ!
そう自分に言い聞かせる…
🎯その3 そういえば…真っ只中だった
(おっ、やっぱり大学病院も必死だよな~)
当時、世間を騒がせていた
「新型コロナウイルス感染症(以下:コロナ)」
医療機関や公共機関以外は
当時ほど厳重じゃなくなったと思うから
もう忘れちゃった人もいるかもだけど…
コロナ渦!
なんとしてでもコロナを
院内に蔓延させてはいけない!
そんな思いを感じる書類が数枚…
(ちょっと厳しすぎるんじゃない?)
そう思うところもあったけど、
医療機関はたくさんの患者が行きかう(入院・外来)場所
クラスターなんて起こすわけにはいかないし、
これは何も大学病院だけではなくて、
どこの医療機関も同じような対応をしているはず!
仕方がない、我慢だよ~ん。
(う~ん…こんな状況やったら
安易に家族や知人に頼るのは難しそうやな~)
そう思った僕は
洗濯をお願いしたり~
必要物品を随時運んでもらったり~
面会に来てもらったり~
そう言うのは止めようと決めた!
ま~家族が高齢であったり、
忙しかったこともあったけどね。
そうなってくると、
今まで必要としなかった有償サービスが必要になるんよ~
これは利用したことがあったけど、
今回の入院は数年かかっちゃいそうな気がするからな~
定期的に誰かが持ってきてくれたら必要ない有償サービス…
ま~割り切るしかない
許可されている4日間の家族面会日は
すべて父親のみに来てもらい、
他の家族には来ないよう連絡した。
🎯その4 こだわりのある大事な一角
手術のことや入院のこと
それはもちろん大事だけど
単身生活の僕は家のこと
そして…
仕事!
入院前もまだまだ働く日数はある。
ひょっとしたら数ヶ月。
ということは、それまでの勤務態勢を見直さないと
職場に迷惑をかけるのは必至…
えっと…
今の状態で働くこと自体が
迷惑行為なのかもだけど
ま~そこは置いておいて?
(勤務時間を短縮させてもらったら、
勤務中に寝ちゃうことが減らせるかも!)
そう思った僕は上司に相談してみることにしたんよ。
併せて、
入院後どのような形で休職するのが良いのかも。
正直に言えば、
そんなことは十分承知の上…
だから願いが通じても
無残な結果になるのは目に見えているんだけどね~
何も対策を取らないのは職場に申し訳ないし…
誠意ってやつなのかな?
相談の結果、以下のように決まったんよ~
僕が手術を受ける事を決めたのは、
これまでと変わらず
「僕が考える自立した生活」を続けていきたいから!
その一角に仕事があって、
「今勤務する職場で現勤務体制を維持すること」は
とても重要なこと!
(えっ…仕事がしたいんでしょ?
だったら何も今の職場に拘らないでもいいんじゃないの?)
そんなふうに思う人もいるんじゃないかな…
それはごもっともなんだけど、
僕は「今勤務する職場」に強い思い入れがあるんよね!
それは、「働き始めることができた経緯」って言うの?
あの時こんな僕を採用してくれた職場に恩返しをしたい!
もちろん職場の雰囲気や仕事内容が僕に合っている点もあるけどね~
だから、今の職場で継続して働くことは
絶対条件って言ってもいいんよね!
…
あとね…
僕はヨワヨワマンでありアホアホマン
・仕事で活かせるような特殊技能(資格?)を持っていないし
・年齢的なものもあるし
・障がいのある人が就職することはとても厳しい現実もあって
今の職場以外で働ける自信がほとんどない
っていうのもあったりして…
えっと…この件はこれくらいで…
さてさて
入院までは今より勤務時間が短くなった僕。
だけど胸の内にはこんな思いがあったんよ!
(今は辛抱する時だ!
術後に復帰したら必ず今の勤務体制を取り戻すから…)
そうそう…
時間短縮は将来のため!
🎯その5 ラブストーリーは突然に?
「プルルルル…(電話が鳴る音)」
たまにしかかかってこない僕のスマホから着信音が…
(あれ?誰からやろう?)
どうせ間違い電話なんやろうと思いながら
画面を見るとびっくり仰天!
大学病院からだ!
「はい…もしもし…」
「大学病院ですけど、辛島さんでしょうか?」
「ええ、そうですけど…」
「入院日が21日に決まりましたので
ご連絡させていただきました」
「えっ…今月ですか?」
「そうです、先日事前打ち合わせした時に
お渡しした書類をよく読まれて
提出書類の記入と入院の準備をして
10時30分ごろにはお越しください」
「はい…わかりました」
「プルルルル…(電話が鳴る音)」
たまにしかかかってこない僕のスマホから着信音が…
(あれ?誰からやろう?)
どうせ間違い電話なんやろうと思いながら
画面を見るとびっくり仰天!
大学病院からだ!
「はい…もしもし…」
「大学病院ですけど、辛島さんでしょうか?」
「ええ、そうですけど…」
「入院日が21日に決まりましたので
ご連絡させていただきました」
「えっ…今月ですか?」
「そうです、先日事前打ち合わせした時に
お渡しした書類をよく読まれて
提出書類の記入と入院の準備をして
10時30分ごろにはお越しください」
「はい…わかりました。
わざわざ連絡ありがとうございます。
失礼します」
…
(オイオイ、21日に入院とか言っていたけど…
28日くらいから病院は年末年始の休みに入るやろうけん
今年は残り1週間くらいしか時間がないってことになるやん…
事前検査には2週間かかるはず!
これじゃ~手術が年内に出来ないんじゃないの?)
入院日が決まったのは安心材料なんだけど、
何かすっきりしない僕…
(あっわかったぞ!
僕が出来るだけ早く入院を希望していたから、
とりあえず年内に入院させといて
手術は来年になるんだろう。
でもな~
それだったら、入院も来年でいいのに…)
そんなことを思いながら年内手術が可能なのか?
疑心暗鬼のなか、入院の準備はもちろん
手術に対する臨戦体制?を整えていった。
(気持ちの整理?)
そして、いよいよ12月21日:入院当日の朝を迎える。
🎯その6 肌身離さず
「ピンポ~~~ン!」
(あっ来た来た)
「は~い、今開けま~す」
玄関を開けるとリ
フトタクシーの運転手さん。
「ちょっと荷物が多いんですが…」
「かまいませんよ~先に車まで運んできますから!
ここで待っていてくださいね」」
しばらく家を空ける…と言うか
戻ってこれるのかも定かではない状況下
できるだけ汚れたままにして入院したくなかった。
だから今日は眠い目をこすりながら5時に起床!
洗濯と食器洗い・身の回りの整理整頓を済ませて
タクシーが来るのを待っていたんよ~
大学病院の玄関で父親と合流。
窓口で入院手続きを完了した。
「では病棟の看護師がお迎えに来ますので
しばらくお待ちください」
そう言われて外来ホールで待ちぼうけをしていると…
「辛島さんでしょうか?」
「ええ」
「本日入院ですね。お迎えに来ました。病棟まで案内します」
入院する病棟の看護師さんだ。
学生のころに入院した脳神経外科病棟へ
再び入院するとは思っていなかったけど…
(もう記憶にない懐かしい風景がよみがえってくるかも?)
そう期待する僕。
ところが
(あれ?こっちじゃなかったっけ…)
記憶に残る病棟の位置とは違う方角に
看護師さんは歩いていく…
僕は学生時代(25年以上前)
ここで開頭手術を受けたんだけど、
増改築のせいなのかな?
当時とは病棟の場所が変わっていた。
(これじゃ~すぐに慣れるのは難しそうだぞ…)
そんなことを思いながら病棟に着くと、
「辛島さんの病室はこちらです」
中に入ると大部屋って言うのかな?
4つのベッドが設置されていて運よく窓際のベッド。
広さや備品?も必要最低限で申し分ない。
「それでは手首にこれをつけますので…」
看護師さんはそう言うと
白くて柔らかいプラスチックみたいな素材の
リストバンド?を着けてくれた。
「これってなんですか?」
「医療行為に必要です。
入院中はずっと着けていてくださいね」
「洗顔やお風呂は?」
「そのままでも大丈夫ですよ」
「へ~…」
後で詳しく聞いたところ
医療スタッフはリストバンドに
印字されているバーコードが大事みたい。
点滴であり、採血であり…
どんな医療行為に対しても
まずはスマホみたいな端末で
バーコードを読み取る。
その後に医療行為。
また検査に行くときも必要。
受付に備えられている装置(スキャナー?)に
バーコードをかざすと~
「ピロロロロ~ン」って音がして
僕の患者情報を得るんだって!
また、
医療行為を行う看護師さんも
検査をする技師さんも
バーコードを読み取るときには
必ず僕に名前と生年月日を聞いてくるんよ~
これって
医療ミスを未然に防ぐ有効な方法なのかな?
🎯その7 切なる思い
(手術前の検査ってこれくらいだったっけ?)
学生のころは2週間くらいかかったはず!
そんな記憶があった僕にはなんとも疑心暗鬼な状況…
・心電図
・胸部XP
・MRI
・採血
・心電図(心拍数)
・身長
・体重
(これも医学の進歩?…
いや、それもあるかもだけど
手術内容が違うからかな?)
入院した日に
・籾井先生(執刀医/主治医)
・担当医
・担当看護師
そんな人から挨拶や各説明を受けていたんだけど、
学生のころの僕を覚えていて
わざわざ顔を見に来てくれた先生がいたのは
すご~くうれしかったな~
あっそうだ!
担当看護師には事前に書いた手紙を渡したんよ!
って
ラブレターじゃないよ~
日常生活や症状の情報や要望
僕の思い…
受け取ってもらえたのかな~?
🎯その8 何が一番大切なのか?
手術日は24日に決定してしまった…
(年内手術は無理と思っていたけど、
事前検査が2週間も必要なかったのか…)
12月中旬ごろ
年内入院を希望していていたのに
なかなか大学病院から電話がかかってこないから
年内入院はないんだろうと思っていた僕。
それが下旬と言っても良い
21日に入院が決まったと言われ…
ま~そうであっても
事前検査から考えて年内手術は絶望的!
元気なのに病院で年越しだな~
そう覚悟していたのにね~
「では、これより手術の説明を始めます」
前日の23日
医療モニターに映し出された
僕のMRI画像を見ながら
父親も一緒に籾井先生の手術説明を聞いたんよ!
僕はこれまで
簡単に手術の説明を外来で受けていたし
入院前の説明書類にも目を通していたから
大体のことはわかっていたんだけど
今日は父親にある程度理解してもらう必要があった。
結節は採るけど嚢胞の外側は残る…
これは承知の上
嚢胞全てを採るとなれば
かなり大がかりの手術になるって聞いたし
僕が自覚する症状は
この手術で改善すると思う。
僕は素人だから、
嚢胞構造全てが悪者だと思っちゃうんだけど、
嚢胞前方に白く映る部分(結節)が問題みたい
そこが嚢胞に栓をして
中身(液体?)を出さなくしているから、
嚢胞が大きく膨らんでしまうんだって!
手術で結節を取り除くことによって
正常な脳への圧迫を抑えると
嚢胞自体の膨らみも周囲の腫れも軽減していき
結果的に僕に自覚症状がでなくなってくる
集中力の低下や眠気が起こることを
改善させることができる!
(そういえば、
ずっと前から森先生も先端の結節を危惧されていた。
やっぱり脳神経外科医は僕みたいな素人とは違うな~)
そう思いながら
医療モニターに映るMRI画像を見つめていた。
そのときに
聴力低下や見づらさなど、
嚢胞拡大が原因ではないか?
これまでずっと相談してきたんだけど
もう一度聞いてみたところ
やっぱり
そう言われてしまった…
ま~このことは
引導を渡されたみたいで残念ではあったけど、
今回の手術の主目的は「そこ」じゃない!
これまでと変わらない生活がしたい!
仕事で言えば
これまで通り働いていけるようになること
居眠りしたり集中が続くように…
まずは全てをそこへ注ぐべきで、
落ち込んでいる場合じゃないと言い聞かせる。
🎯その9 再び目覚めますように!
その後、エレベーターに乗って麻酔科へ。
何やら
全身麻酔で手術を受けるときは
必ず事前に麻酔科医の説明を聞く必要があるみたい。
男性の麻酔科医から言われたのは…
いまいちピンとこなかったけど
開頭して手術している最中は
眠っているような状態で
痛みはないわけでしょ?
そして術後は脳頭蓋を再び閉じちゃって
目が覚めたときは
気が狂うほど痛みがあるわけじゃないし
…
そもそも
開頭したのに
生きているって言うこと自体
不思議!
まさに
さてさて
手術の詳細と全身麻酔の説明を聞いた後、
父親と別れ病室へ戻った僕。
明日のスケジュールを再確認した。
今日の夕食後は引水のみ。
(指定のドリンクあり)
それも明け方の6時まで…
ま~仕方がないか…
そして手術室へ行くのは8時10分か~
さて、どうなるかな~
🎯その10 ただいま~!
(あ~あ…
世間はクリスマスイブだから賑やかなのかな?
…ま~僕はどうせ手術ですけど…)
12月24日
いよいよ迎えてしまった
手術当日の朝
ベッドに横になったまま
天井を見つめて自虐的になる僕…
目が覚めたのは5時過ぎ。
もう少し眠ろうと思ったけど、
手術のせいなのかな…
眠気は全くなくて難しいみたい…
ま~こんな日は眠りなさいという方が
酷な話しかも?
病室はまだ真っ暗で
入口付近の非常灯が微かな灯…
「これ、朝の薬です」
しばらくして(6時ごろ)
看護師さんが朝食後の内服薬を持って
病室にやってきた。
「えっ?朝食は絶食ですけど…」
「ええ、でも薬はOKですよ」
(ビタミン剤や整腸剤なのにな~
今日って飲む必要あるの?)
そう思いながらも
指定のドリンクで内服。
「後は手術室に行く前に
着替えていてくださいね!」
看護師さんが言われたのは
昨日もらっていた手術衣。
病衣と違う点は
「はだけやすい」というのかな?
針を刺したり
メスでちょん切ったり
円滑に手術できるような作り!
上着とズボンが分かれていないくて
長いコーっていえばわかる~?
変態おじさんが
若い女性の前で
じゃ~~~んってするときの服!
…
えっと
手術室へ行ったのは
8時前に父親が着てすぐだったな~
・担当医
・看護師
・父親
以上を合わせた4名で!
あっ、僕はマイ車いすを自走していったよ!
…
手術室の前室ドアが開いて、
父親や看護師さんに別れを告げてから
担当医と共に手術室に入って
…
それ以降の記憶は…
まったくなくて…
ごめんなさい…
手術は3~5時間くらいだったのかな?
(以上の時間は正確じゃないよ~!
病室に帰ってきた時間が15時だったから
病室を出て7時間経過している事になるでしょ?
術後しばらくは手術室にいると思うから
それを加味した予測時間)
驚いたのは意識がはっきりした時。
あの時は「なかった」のに、今回は「あった」!
あ~「あった・なかった」というのは左半身の事。
学生時の手術後は、
左半身麻痺になって左手や左足の感覚がなくなったから!
だから今回も、
てっきり体の半分がなくなるのかなと思っていたんよ…
そんな苦い過去のある僕は、
今回の術後の状態が半ば信じられないほど!
学生のころに受けた手術直後の状態とは全く違う…
比べ物にならないほど元気!
声も出るし手や足の動きも術前と変わりなさそう。
ほとんど術前の機能を維持していたんじゃないか?
そう錯覚するほどだったな~
🎯その11 同じ思い
学生のころに受けた開頭手術との違い!
それは傍らにいた父親も同じ思いだったと思うんよ!
何度も喋りかけてくるもんだから…
「補聴器外してるし~
マスクとかいろいろついていて
更に聞こえんからわからんわ~っ」て言うと、
今度は
鞄からメモ用紙を取り出して筆談しようとする…
「眼鏡外してるし~
ゴーグルみたいなのがついてて
わからんわ~」って言うと、
「それじゃ~また明日来るわい」って
…
「えっ…コロナ渦の面会は4回しかダメって言ったやん…」
(入院日・手術説明日・手術日・退院日)
「お~そうやったな」
ま~それだけうれしかったんだろうけどね!
🎯その12 出てないし~動いてないじゃ~ん…
僕や父親が半ば仰天した今回の術後
じゃ~前回ってどんな感じだったのか?
詳しくは「僕と脳腫瘍」を読んでほしいんだけどね
なかなか
リンク先を開いてまで知りたい人は少ないと思うから…
簡潔にまとめて紹介してみるよ~ん!
そうそう…あのときは…
…
どうやら、また看護師さんには伝わらないみたい。
僕はきちんと答えているのに、
なぜわかってもらえないの?
それが不思議でたまらなかったんよ!
だってさ~
自分の声が出ていないなんて
簡単に思いつく人なんている?
僕はそれまで、
声が出ない状態なんて考えたこともなかった…
それがね
上記したようなやりとりが続く中
もしかしたら自分の声が出ていないのかも?
そう思うに至ったわけ!
あともう一つ!
「左がない!!!」
感覚的に体の中心から左側全てがなくなっちゃったんよ~
でもね
寝た状態で必死に足元を見ると左足の指が見える…
…
左足があるのに
左足がない?
これって神経の問題なんだけど
医学的には
左半身麻痺!
🎯その13 ドラマが始まるよ~
さてさて
そんな絶望的な状況下
病室に入ってきたのは父親だった。
本当は、扉の向こうに家族や親戚が
大勢来てくれていたみたいなんだけど、
先に病室から出た看護師さんから現状を聞いて
父親が代表として様子を見に来たみたい…
「どげ~か?…」
父親がそこで見た僕…
ボクサーの試合後みたいな顔?
長時間うつむき姿勢で手術を受けたのが原因なのか…
目がほとんど開かないくらい顔面はむくんでいてね~
「大丈夫やけん!」
声を出そうとするも声は出ないでしょ?
…
「じゃ~…今日はゆっくり休め!また来るわい」
「わかったそれじゃ~!」
そう言って
左手でバイバイと
手を振ろうとしたんだけど
左手が動かないでしょ?
微笑みながら病室を笑顔で出る父親の眼には
大粒の涙
…
「それじゃ〜そろそろ行ってくるわ〜」
今朝(手術前)、父親が病室に来てくれた時は
すでにストレッチャーに寝かされていた僕。
毎日部活動で外にいたから真っ黒に日焼けしていて、
マッチョとは言えないけど人並み程度の体格で…
普段は会話もないような状況だったけど、
冗談を交えながらそう言ったっけ…
そうそう…
いつもの僕がいつものテンションで
父親と別れたのに…
…
あのとき、
変わり果てた僕を父親はどう見たのか…
さて
父親が退室した後は
他の家族や親戚が中に入ってくることはなかったんよ~
涙を流しながら
笑顔で退出した父親が静止したのかな?
ま~
そんなどん底だった僕が、
プロ車いすマンになっているなんて…
世の中捨てたもんじゃないね!
🎯その14 相棒に愛想をつかれて…
え~と
昔話はこのくらいでや~めた!
ま~こんな感じで
術直後の様子は明らかに今回の方が軽かったんよ!
そこはわかってくれたかな~?
ただね…
程度は違えど、
術前との違いに悩まれたのは変わらんかった。
というこで?
ここからは、
ちょっとばかり当時の様子を書いちゃおうかな!
まずは~
術直後
最も苦しかった時間…
…
当日の就寝時間くらいやったかな~
うまく表現できないんだけど
ジワジワジワジワ
体がものすごくきつくなってきたんよね…
今思えば、
病室で父親と会話を交わした時は
痛み止めが効いて痛んじゃないかな?
併せて…
例の対策なんだろう…
仙骨部を中心にブヨブヨマット?が敷かれているみたいで
寝心地がとっても悪い!(寝ていて気持ちが悪い)
それに、
両足首から先には機械が取り付けられていて
定期的に膨らんだり縮んだりしている…
圧力ポンプみたいだから~
浮腫防止のため?
更に、膀胱には管が入っているみたい…
「オティンティン居心地悪いのら~」
って感じ?
ま~なんとも表現しにくい気持ち悪さ…
横目で確認できる位置に
機械付きの点滴スタンドが…
そこには、
複数の点滴用薬剤パックがぶら下がってる。
そこから伸びている細長いチューブをたどれば
左前腕の手首に近い静脈かな?
そこにブスリと入った針と繋がってる…
ドバドバ摘下中ってわけ!
あら…口全体を追うマスクが被せられてるぞ!
酸素かな?
(※すぐにマスクは外されて、
鼻にチューブを入れられました)
とどめは
「相棒不在の精神的ダメージ」?
いやね…
いつもそばにいるはずのマイ車いすがいないんよ~
ベッド脇にあるのは
先ほど書いた
機械付きの点滴スタンド…
そんな状況は、
窮屈だし気持ちが悪いんだけど、
身動きしようと思えるまでの
気力もない…
体力もない…
(こりゃ~どうしようもないな…)
焦ったのは焦ったんだけど
何をどうして良いのかさえわからない…
(どうすればどうすれば…)
そんな思いと裏腹に
時間は刻々と流れていき…
たぶん寝てしまったのかな?
手術当日の記憶
それ以降のことは記憶に残ってないな~
🎯その15 じゅるじゅるじゅる~~~
(コホン!エヘン!…あれ?おかしいな~)
翌日くらいからだったかな?
気管になぜか?たくさん痰が溜まるのに
いつものように軽く咳払いしたくらいじゃ
上手に出せなくなっていたんよ~
これは肺活量が低下していたからなのかな?
そこで声を出す勢いも使って
「オエ~オエ~」と大声を出しながら
ガーグルベースへ出そうとするんだけど、
それでもしぶとく出てこない…
見かねた看護師さんが、
カテーテル(ストロー?)のようなものを持ってきて
「じゅるじゅるじゅる~~~」
それを口から気管へ入れて
掃除機みたいに吸い取ってくれたことが何度もあったんよ。
ちょうどそのころは運が良くて
病室には僕しか入院していなかったんだけど
ナースステーションに近かったから
四六時中大声で叫ぶ僕は
業務の妨げになっていたんじゃないかな?
今さらながら猛省…
看護師さんら医療スタッフのみなさん、
あのころはごめんなさい…
🎯その16 ありがたや~電動ベッド
(ぐわぁ~痛ってぇ~~~~)
首の後ろ側や両肩が激しく痛んだのもこのころ
…
っていうか
硬直?
カチコチ
これは学生のころに受けた開頭手術後もあった。
おそらく手術中の体位に関係があると思うんだけど…
はっきりとは分からんのよ~
こうなっちゃうと息を吸ったり吐いたりで
首や肩がわずかに動くだけで辛い…
そんな状況だと、
ベッドをフラットの状態で寝ることなんてできんわけ!
起き上がれんけんね~
そこで大活躍したのが
リクライニング用のベッドに付属しているリモコン!
これを操作して頭側を上げ下げすることで
起き上がったり寝ることができたんよ~
これはね~
痰が気管に溜まりにくいという利点もあったみたい
あとベッド上で食事をするときも大活躍~
オーバーテーブルに食事を置いてもらい
リモコン操作でちょうど良い角度に調節!
これで~
・誰かに食べさせてもらうことなく
・自分の力で座る必要もなく
食事をすることができたんよ!
ただ、時間が経過すればするほど
ズリズリと体が沈んでしまうから、
お尻にケガをするリスクはあったけどね…
それに当時はまだ首が頭を支えられず
赤ちゃんみたいな状態?
いくら角度調整しても
顔を正面まで上げることが出来ない僕は、
食べこぼしがひどかったな~
🎯その17 姉さん、事件です!・・・?
「え~と辛島さんは~
明日MRI検査が入っています」
夕方、看護師さんが病室にやってきたとき
そう言われた僕。
(ってことは、術後初めてMRI検査か~)
今回の入院では
初めてのMRI検査でもあったんだけど
術後にどんな変化があるのか?
そこが一番気になるところ…
検査結果はまたの機会ということで?
今回当時の思い出話を紹介しようかな…
「辛島さん、検査室から呼ばれたので行きましょう」
検査当日のお昼ごろ
看護助手さんに車いすを押され検査室へ。
順番が来るまで待合室で待機していると
誰かが近づいてくる。
「●▽×■?!★※●▲?」
(えっなんち~?)
何か質問されているような気がするんだけど
そもそも聞こえが悪いのに
未だに補聴器をつけることができないし
眼鏡もつけることができないもんだから
見えないっす!
加えて
当時の僕は顔を正面に向けるのが困難
わけわからんのよ…
それを察したのか?
腰をかがめて僕を覗き込むような姿勢に
でもね、やっぱり無理…
(待てよ…いつも検査前に問診票を書いていたから、
今回もそれなのかも)
そう思った僕はこう言ってみたんよ。
「検査前の問診票ですか?」
するとボールペンみたいなのと
硬い下敷き(問診票が付いている)を
手に触れさせてくれる。
(よし、予感的中!)
ということは誰かというのは
検査室の関係者だ!
でもね…
これまでの経験から
「それ」を導き出したまでは良いんだけど、
用紙に何が書かれてあるのか?
正直言ってほとんど見えなくて…
ま~そこに書かれている内容は大体わかるけど、
記載順や内容は病院ごとに異なるはず…
やっぱりわからん…
僕が、じ~と用紙を見つめたまま、
いつまでたっても書こうとしないから
スタッフが僕の耳元で大きな声を出して
問診票に書かれている文字を復唱してくれる。
結局記入はスタッフに任せて
かなりの時間をかけて問診票が完成!
でもでも~
姉さん?
新たな問題が発生しましたよ~
🎯その18 応用なのら~
僕が言う新たな問題
それは検査の順番になって
診察室に入ってからだったんよ!
えっとね…
撮影台に横たわることができないんよ…
だって撮影台はベッド上と同じでフラット!
後ろ側の首や両肩がカチコチナな僕には
まさしく試練…
だけど、
「できません」と言って帰るわけにはいかない!
術後の変化を知りたいからね!
(どうすれば…)
…
(あっそうだ!)
病室のベッドで寝起きするときを思い出したんよ。
(そうだ!ダイレクトでは無理でも
リクライニング用のリモコンを使えば
寝起きできるじゃないか!
それを応用すれば…)
そう思った僕は、
「すいません。
首の後ろと肩を後ろから支えてもらえませんか?」
そんなふうにスタッフへお願いして
ジワリジワリ
ゆっくり頭を下げていったんよね。
フラットの状態でも、
動きがなかったら痛みはないわけで…
「あっ…大丈夫そうです!
撮影をお願いします!」
「わかりました。急いで撮影しますから…
あっこれは何かあったら押してください。
ブザーが鳴りますから」
正直聞こえなかったんだけど
点滴の針が刺さっていない方の手に
スポンジボールみたいな
柔らかいコールボタンを握らせてくれたスタッフ
(やれやれ、なんとかここまでこれたな…)
撮影室から出て行くスタッフの後ろ姿を見ながら
そっと目を閉じる僕なのでありやした~
あっ!
撮影はいつもと同じだったよ~
僕は造影剤を入れるから1時間弱かかったのかな…
撮影後も首と腰を支えてもらいながら
ゆっくり起き上がったんだけど、
やっぱり
いつも以上に身も心もヘトヘトな状態やったわ…
お迎えに来てくれた看護助手さんに
急いで病棟まで車いすを押してもらうよう
お願いしたな~
🎯その19 助長させた環境
これまで書いてきたように、
術後数日はかなり苦しい状況だったんよ。
わかってくれた~?
そんな術直後の状態なんだけど
あのころってさ~
顔は腫れ上がっているし~
包帯で頭はぐるぐる巻き
(耳にも一部被さった状態)
ということで
眼鏡と補聴器を着けられなかった
文明の利器に頼ることが出来なかった
これが更に苦しさを助長させていたような気が…
だって
普段は、視力や聴力を補うために
そんな文明の力に負んぶに抱っこ状態の僕。
それで何とか社会生活が成り立っているのに…
術直後って
真っ裸で南極の上を歩いているような感じやったのかも!
…
ま~仕方がなかったんだけどね…
🎯その20 焦るな焦るな!
そんな僕に追い打ちをかける問題…
何かわかる?
それはね~
手術前の父親を交えて受けた説明で
籾井先生が言われたこと
間違っていてほしかったんだけど
「見づらさ」
「聞き取りづらさ(聴力低下)」
全く改善はしていなかったんよね…
…
って言うか、若干悪化?
だもんだから~
そんな焦りを感じていたっけ?
もうオジサンなんだから
うぇ~ん僕にはできないんだもん!
そんな甘えは許されないでしょ?
自分の力?アイデア?で
クリアしていかないといけない…
ただ、思うように体が動かないジレンマ…
そんな僕を見たある看護師さんが
こんなことを言われたのを忘れられないな~
「今の時期にしてはよく動いているほうですよ!
でもね…術後間もないんだから
無理はしないでくださいね。
今は動くよりも
転倒などして怪我をしないことの方が
大切だと思いますから」
(そうだよな…
焦りすぎで自分が見えていないのかもしれない…
そんなにいきなり良くなるわけがないやん…)
看護師さんのおかげ!
早く良くなろうと焦りすぎないで
もう少しゆったりとした気持ちで行こうやない?
そうそう…
あの時…あの人からも言われたやん…
「今は底だけど、少しずつ登っていこう!」って…
「焦らず…自分らしくあればいいんだよ!」って…
※入院中は「目」や「耳」の状態が(自覚的には)
術前までのレベルまで改善していないため
どうすればいいのか焦りましたが、
おかげで「気付き」というのか?
収穫みたいなのはあったと思います。
🎯その21 足が戻ってきた!
(なんか気持ち悪いな~)
気がつけば
地獄のような術直後を何とか耐え抜いていた僕。
そのおかげと言っていいのかな?
これまでは気になっても、
打開する気力や体力がなくて
どうしようもなかった
「自分の置かれた状況」
こいつにストレスが溜まってくる…
(あ~もう!!!
これじゃ~身動きできんやんか~
何とかならんかえ~)
そんなことを思いながら天井を見つめていると、
看護師さんが病室に入ってきた。
「辛島さん、今からオシッコの管を抜きますね!」
何事かと彼女を見ると
ゴム手袋をはめて防水エプロンのようなものをかけている…
「シャ~~~~~」
ベッド周辺のカーテンを閉めた後、
ペニスから膀胱に入っている管を
手際よくスルスルする~と抜いた。
(あらららららら~~~)
管が抜けていく間、痛くはないんだけど
「むずむずする」というのか…
「何かが突き抜ける感じがする」というのか…
その後、青っぽい液体の入ったボトルを取り出して
シュシュッとスプレーしながら陰部を洗浄。
そして
・お尻に敷かれているブヨブヨマット
・足首の除圧力ポンプ?
・鼻の穴に入っているチューブ(たぶん酸素)
これらも取り除いてくれた!
そんな業務中に別の看護師さんがやってきて
ベッド脇にある機械付きのスタンドと
キャスター付きの点滴スタンドを差し替え
(ドバドバ滴下中のパックも移動)
(お~~~、身軽になったぞ!)
そう喜ぶ僕にさらなるご褒美~
(ガラガラガラガラ~)
「これ、置いておきますね!」
見ると一旦病室から姿を消していたマイ車いす…
ウルウルウル…泣けてくる。
(おお~久しぶり…我が相棒!)
これまで
機械付きの点滴スタンドが占領していたベッド脇
キャスター付きの点滴スタンドが
そこから移動したから
いつもそばにマイ車いすがあることになる。
ということは~
車いすに乗れる可能性が高まったということ!
プロ車いすマンにとってこれほど嬉しいことはない。
さて
ここから巻き返しだぞ~
🎯その22 厳しい~~~~~~
(よしっ!早速乗車してみよう)
待ち望んでいてマイ車いす…
早く乗車して動き回りたい!
…
あっ…
(よく考えたらまだ片腕に針が刺さった…)
ほとんどのものが体から外れたけど、
まだまだ点滴は続行中!
普段は何気なく乗車するステップでさえ
両腕が使えるか否かでは雲仙の差…
ま~乗り移る前の段階で、
片腕で靴を履くのも簡単じゃない…
乗車できたとして
(自称)プロ車いすマンなんだから
片腕で自走できないことはないけど、
今はまだ体力や感覚が鈍っているだろうから
下手をすると転倒しちゃうかも…
そこで、
看護師さんのサポートを受けることにしたんよ~
「今から車いすに乗り移りたいんですけど、
支えてもらえんですかね~?」
「良いですよ~」
(しめしめ…
後は乗車後どうやって漕ぐかやな~)
そんな僕に痛烈な現実が!
ベッドから車いすへ乗り移る姿勢になると
首や肩が強烈に痛~~~~い!
そして重力のせいなのか?
これまで以上に顔が真正面まで上がらない…
何とか乗車することはできたんだけど
動かす気力はもう残っていない。
(これは…動かすのは無理や…)
そう思った僕は
「あの~
せっかくサポートしてもらったのに悪いんですけど…」
「どうされました?」
「やっぱりベッドに戻りますんで
もう一度支えてもらえませんか?」
…
というわけで
術後初めてのマイ車いすの自走訓練?は、
残念な結果となってしまいましたとさ!
めでたしめでたし
🎯その23 邪魔なんですけど~~~~~~
自走訓練?
マイ車いすが戻ってきた初日は断念したんだけど~
日を追うごとに元気を取り戻していった僕は
その後、リベンジを繰り返していったんよ!
その時の妨げとなったのがあるんだけど
わかる?
正解は
点滴が片腕を占領していたのは
仕方がないんだけどね~
自走するには、
スタンドと一緒に移動しないといけないわけ!
それだと前方のスタンドが
視界の邪魔になっちゃう…
更に、スタンドって以外と押すのに力がいるんよ~
左前腕の手首に近い静脈に針が入っていたから
そこから細長いチューブが伸びているわけだし…
そいつをちょん切らないように
チラチラと確認しながら
右腕だけで押すというのは
いつも以上に力が入らない…
そこを何とかクリアしても
スタンドとの同時移動には
コツと時間が必要で…
右手でハンドリムを回して少し前進
左前腕から伸びているチューブをチラ見
右手で点滴スタンドを少し前に進める
この流れを延々と繰り替えすんよ~
あっ、そうだ!
スタンドは、
床との接地面3ヶ所に
キャスターが付いているんだけど、
さっき書いたように
片手で思い通りに動かすのは至難の業…
これじゃ~数mの移動にかなりの時間が必要になる…
(こんなんじゃ~まともにハンドリムを回せないな~)
ハンドリムの押し方って
障がいの程度で異なるんだけど
ケイソンのよう直し方になっていたっけ!
そんな、いつもと違う状況下は戸惑う中、
追い打ちをかけたのが
著しく低下している体力
頭では時間をかけてでも
少しづつ前進したいのに
体が「うんともすんとも」
言わなくなってくる
(こうなったら我慢比べだ!)
右手でハンドリムを回して少し前進
じっと前を見つめながら静止(数分から数十分)
パワーが溜まったら左前腕から伸びているチューブをチラ見
じっと前を見つめながら静止(数分から数十分)
パワーが溜まったら右手で点滴スタンドを少し前に進める
この流れを延々と繰り替えしたんよね!
ま~そんな感じで?
失敗しても
時間がかかっても
見栄えが悪くても
挑戦?を止めるようなことはなかった僕
そのおかげなのかな?
・点滴は終了
・自走は何とかできるように
・左瞼がようやく上がってきた
(文字を読み取りやすくなっていた)
よし!ここまでくれば、
後はうなぎ登りに回復だ~
🎯その24 プロ根性
「今日はお風呂に入りませんか?」
術後初めての入浴チャンスが到来した!
「えっ…お風呂に入っていいんですか~!!!
あっ…でも今日はやめておきます…」
せっかく誘ってくれる看護師さんには
申し訳なかったけど、
入りたい気持ちは
すご~くあるんだけど、
まだ自分で体を洗う自信がなくて…
すると(わかっていますよ~)と言いたげに…
「寝たままでいいから…入りませんか?」
「えっ…寝たまま?」
どういうことなのか…
最初は意味がわからなかったんだけど、
どうやら機械浴室で入れてくれるらしい。
(ってことは~
介助浴っていうことなのかな?)
そう思った僕は
「それだったら…お願いしようかな…」
「じゃ~準備をしてきますので、
辛島さんもできる範囲で
入浴の準備をお願いします」
「わかりました、
でもバスタオルは持ってきてなかったかも?」
「それじゃ~病棟にあるのを使いましょう!」
「お願いします」
何とか入浴準備を済ませ病室で待機していると、
看護師さんが再びやってきて、
機械浴室まで車いすを押してくれた。
でも
浴室の入り口にある
ストレッチャーヘ車いすから移る自信(力)がない…
(やっぱりこんな状態じゃ入れんわな…)
と思っていたところ、
耳を疑うようなお言葉が…
「ほら!私の背中にもたれかかって
(抱きついてきて)!」
(えっ…それって、
普通ならセクハラ?犯罪?でしょ…)
あ~そういうことなら行きますよ~
そんなわけにはいかないでしょ?
(一応僕にも理性というものがある!)
ただ、体が思うように動かないのは事実。
それに、看護師さんは看護のプロ…
それは、
これまで僕が考える自立した生活に
挑戦する中でつかんできたこと!
間違いじゃないはず…
…
それなのにサポートをお願いしない姿勢では、
かえって彼女に対して失礼になる
…
「わかりました…それじゃ~行きますね…」
考えを改めた僕は、ほぼ全体重を
か細い彼女へ委ねたんでごわす…
🎯その25 いい湯だな~
さてさて
ストレッチャーで浴室に入ると、
浴槽にお湯が溜まっているのかな?
湯気がもくもくと出ている。
まずは浴槽にストレッチャーを横付け
看護師さんは機械浴室でスタンバっていた
もう一人(たぶん看護助手さん)
と協力してスライド式に僕を湯船へ
(ほぇ~~~暖かいな~)
首から下だけが湯船に浸かっている状態
(浅い湯船)ではあったけど
暖かいお湯が全身に行き渡って
気持ちい~超気持ちい~!
看護師さんら2人はそんな僕を見て
ニコニコ笑顔!
「熱くないですか~?」
そう言いながら
柔らかい布のようなもので
軽く撫でるように体を洗ってくれた。
途中何度かお湯の入れ替えをして
体が温まってきたかを確認されると、
「今回は初めてなので、
首から下だけの入浴支持が
籾井先生から出ています」
(それで浅い湯船なのかな?)
「ええ、十分です!」
「では、今回はシャンプーしないで上がりましょう!」
そう言われ湯船からストレッチャーへ!
(今、シャンプーとか言ってたけど…
首から上はしばらく水もかけられんでしょうに…)
そんなことを思う僕に
軽くバスタオルで体を拭いてくれた後、
ストレッチャーに寝たまま病室へ。
病衣に着替えていたら…
「せっかく入浴したんだから、
帽子も取り替えましょう!」
マイ車いすと新しく作ってくれた帽子を
持ってきてくれた。
この帽子
学生のころに受けた開頭手術後も被っていたんよ!
目的は
当時は術後に放射線治療をしたもんで
頭皮と眉毛など体毛の多くは
毛根も無くなっちゃってね~
それで…
でも今回はまだしていないけど被ってた。
それは
開頭した場所(手術創)が前方だから
グロテスクな光景が見えちゃうやん?
開頭した場所(手術創)がどうなってるのか?
気にはなるけどさ~
そんな勇気なんてなかったんよ…
🎯その26 もしかして教える立場なの?
「辛島さん、明日からリハビリが始まります」
入院前からお願いしていた
早期のリハビリ訓練がついに始まった!
僕がPTから車いす操作、
OTから生活動作を学んだのは
もう20年以上前
時が経ってプロ車いすマンになれた
そう思っているんだけど
どこか自己流でこなしている部分が
多いような気がしていてね…
それに今は顔面神経麻痺症状が出てきているから…
この機会に
リハビリテーション室は、
入院している病棟と同じ階にあったんだけど、
まだ自分だけで病棟から出ちゃダメ
(お医者さんからの指示:行動制限があった)
だから看護助手さんなどが同行する必要が…
でもさ~
そもそも自走して行ける
確実な自信があるわけじゃなかったわけだし
納得しちょった!
さて肝心なリハビリなんだけど~
実際のところ、諸事情のため?
退院までに数えるほどしか
リハビリを受けることができなかったんに…
それでも収穫?気づき?はあった!
えっと
PTやOTからは、
マットから車いすへの乗り移りなど
自己流とは思えないほど上手く
教科書通りと褒められてしまった。
(えっと…思ってたのとちゃうねん!)
…
また謎の大阪弁…
STからは、
発声練習や口周辺のマッサージを
細かくアドバイスしてくれた。
でもね
これって森先生からも教わっていたこと
…
同じようなものだったかも?
僕って車いす操作テクニックは
もう
達人級なのかな?
スクールでも開講しようかしら…
🎯その27 まだわからんぞ!
「これ…差し上げます!」
ある日朝食後
車いす上でボ~としていたら、
病室に担当医が入ってきそう言われたんよ~
「ありがとうございます…
って…何ですか…これ?」
まだ十分視野が確保できていなかったから、
目の前には真っ黒い紙が…
「先日MRI検査を受けたでしょ?
その結果が出たので
画像を印刷して持ってきたんですよ~」
「そうなんですか~
あっ…
でもよく見えなくてわからないです…
結果は良い兆候なのでしょうか…」
「もちろんです!嚢胞の中身が抜けたため、
脳の腫れが引きかけていて、
正常な脳が本来の場所へ移動しはじめています」
「へ~」
そう言われて見返してみると
何となく黒い紙が
術前よりも正常な位置へ
場所移動しているような気が…
「それじゃ~ですよ…
嚢胞の正体って一体何だったですか?」
「確定診断はまだできていませんので
確実なことは現段階でお伝えできませんが…」
「できませんが…(ゴクリ)」
生唾を飲みながら必死に聞き入る僕。
「髄芽腫(癌細胞)など悪性のものではなさそうです。
なので、放射線や化学療法など
今後の治療は必要ない可能性が高いです」
「本当ですか~~~~~~!
良かった~~~~~~~」
放射線治療や化学療法を受けることになれば
・入院期間は長引く
・QOLは確実に落ちる
そうなると
ひょっとしたら
僕が考える自立した生活ができなくなる
再び元通りの生活が送ることが
できなくなってしまう
現段階では中間報告のような状況だけど
その必要がなさそうというのは、
僕にとって朗報~
「じゃ~1ヶ月くらいで退院できますかね?」
「それは主治医(執刀医)が判断することですが、
長期入院の必要はないと思います」
「わかりました。
まだ気を抜かないようにしておきます。
教えていただき、ありがとうございました」
そうそう…
まだ安心しちゃいけない。
担当医は問題ないとは言うけどさ~
組織を調べる専門家?はどう診るのか…
はたして…
🎯その28 社会の主役は僕じゃない…
術後1週間くらいになってくると、
回復への上昇気流に乗ったかのように
元気が満ち溢れてきた!
まだまだ見栄えが良くなかったり、
いつも以上に時間を要すことはあるけど
ある程度は頭に思い描くことを
形にすることができる!
それは、
ようやく頭と体が一致したというのかな?
「僕の日常」が回り始めた
そんな気がするんよ~
そんな時
「辛島さん、
今日は一般浴室の順番をとっているのですが…
きつかったらこの前みたいに機械浴でも構いません。
どうされますか?」
病室にやってきた看護師さんがそう言われる。
(そうやな~
この前とは違うからな!
自信満々ってわけじゃないけど…)
「それじゃ~一般浴室で…
あと、できるだけ自分で洗ったりしたいんですけど…」
「わかりました、(一般浴室へ)行ってみましょう!」
ところが…
準備をしてから一緒に一般浴室へ行くと所々にバリアが…
準備をしてから一緒に一般浴室へ行くと所々にバリアが…
(これじゃ~全てを自力では無理っぽいな…)
仕方なく、看護師さんに介助してもらうことに…
社会は健常な人のために作られた世界だなって
車いすマンになってつくづくそう感じたんだけど
入浴に限らず
入院中にいろんなバリアがあって大変だったな~
(それはまた詳しく書こうかな~)
🎯その29 握って握って~
「では車いすからこれに乗り移ってください」
見ると座面が堅そうなのシャワーチェア…
「あ~褥瘡ができやすいんで
もう少し柔らかいのってないですか?」
「いえ、これしか…」
ということは
入浴するなら座るしかないってか!
慎重に座ってみると体が左右にブレブレ~
これじゃ~
体にシャワーをかけることなんて無理!
「ちょっと…洗えそうにないです」
「わかりました。
では前方の手すりを握っていてくださいね!
私がシャワーをかけますから」
10分くらいだったかな?
必死に手すりを握る僕
すると
「前は自分で洗ってください」
オイオイ
そんなこと言ってもさ~
手すりから手を離したら
ブレブレ~になることくらい
わかっちょんでしょう~~~
そう心の中で叫びながら
ちょんちょんちょんと
陰部をなでて~
すぐ手すり…
体を洗った気なんてしましぇ~ん!
その後
一通り体を洗ってもらったから
そろそろ終了かなと思っていたころ~
「あっ帽子取っていなかったですね~」
看護師さんはそう言われながら
被っている帽子を取っちゃったんよ~~~
(な、なにしよん?
まだ首から上は洗えないんだから
被ったままでいいんに…)
そんなことを思いながら
手前の手すりを握っていると、
シャワーが背中からだんだん上のほうに…
(オイオイ、それ以上はダメでしょ…
あらっ!
あららら~~~~)
シャワーは首から上に…
お湯がジャバジャバかかってる…
「シャンプー持ってきていますか?」
(えっ…シャンプーって…
頭洗っていいの?
それにシャワーの勢いも強すぎじゃない?)
そう思いながらも
「いえ…石鹸しか…」
「それじゃ~
良く流すだけにしておきますね!」
そんなことを言いながらゴシゴシ…
(なんだこの状況…)
学生の頃受けた手術後は
こんなに早く頭を洗えなかった
ま~
病気や術式が違うのを加味しても
医学や治療方法の進歩なのかな~
ということで?
術後初めてとなった
一般浴室での入浴は~
・少し残念なところ
・かなり驚いたところ
こういうのがあって
心からうれしかったわけじゃないけどのね…
入浴が終わるまで体力が持ったのは確か!
機械浴での全介助よりは
収穫があったんだから~
70点!
🎯その30 変わるのは健常な人だけなのかな?
では、
以前書いた入院中のバリアって言うのを
紹介しようかな!
それは
洗濯
入浴後に出た汚れものを、
これまで溜め込んでいたものと併せて
看護助手さんにお願いしたんだけどね…
僕は普段マグネシウムで洗っているから
洗剤がない!
そこで
「あの~洗剤って
貸し出していないんですか?」
「していませんが…
院内コンビニへ行けばありますよ!」
と言っても病棟から出ちゃいけない僕。
院内コンビニへ行けないやないか~い!
「それじゃ~って
買ってきてくえませんか?」
「いいですよ~」
そこで小銭を渡して
コンパクトサイズの洗剤を購入してもらうことに
その後、お釣りにプラスする形で
小銭を渡し病棟内の洗濯・乾燥機で洗濯をお願い…
(病棟内にあるんだから自分でやれよ!)
そう思った人もいるかもだけど…
・体が思うように動かないところ
・一般浴室と同じで洗濯・乾燥機にもバリアがあったところ
こういうのがあって…
こういうバリアは、
病棟に限ったことじゃなくって
病院の所々に見られたんよ…
ここではこれ以上書かないけど
たとえ回復して自分で動ける状態になっても、
車いすマンの僕には(自分だけの力で)
それらをクリアにすることは難しかったかも…
これは病院に限ったことではないんよね…
社会全体でまだまだバリアフリー化が進んでいない証拠?
でもさ~
僕ら障がいのある人間にも問題はありそうだけど…
🎯その31 僕の弱点
あっそうそう…
そんな洗濯や買い物以外にも
看護助手さんにはお世話になったんよ~
検査室へ車いすを押してくれたり
食事の配膳、下膳
シーツ交換
などなど
そんな彼女らは
「痒いところに手が届く存在」というのかな?
入院中に助けられたことが多くて
間違いなくQOLは上がっていたな~
たとえばね…
「それ落としましょうか?」
僕が常に太ももの上に掛けていた
バスタオル
昼食に出てきた彼をこぼしちゃっててね
黄色のシミ
それを夕食後に下膳していた
助手さんの目にとまって…
「でもカレーですからね~」
僕がそう言うと
「落ちますよ!」
そう言いながら
洗剤か何かを持ってきて
病室内の洗面台で
じゃぶじゃぶ手洗い
すると~
(落ちてる~~~)
そんな助手さん
今思えば
少し悪いことをしちゃったな~?
ってことがあるんよ!
それは、
ある日の朝食時
「朝食が来ましたよ~ここで食べますか?」
「ええ」
「それじゃ~置いておきますね!
あっそれじゃ~…」
配膳にやってきた助手さんが
何やら怪しい行動
(ちょちょちょっと…)
僕がお願いしたわけでもないのに、
パンの袋を開けたり
ジャムの袋を切ったりしている…
びっくりした僕は
思わず口に出てしまう…
「も~~~せんでいいっちゃ…」
すると、その時はそれ以上することはなく
「ごめんなさいね…」と言いながら
病室を出ていかれたんだけど、
後日
MRI検査室に車いすを押してもらっていた時に、
こんなことを言われたんよ。
「あなたって甘えることが好きじゃないでしょ?
をこれまで何でも自分でやってきたから、
他人がやると嫌なんでしょ?」
(なっ…僕の弱点みたいなのを指摘するとは…)
「いえ…そういうわけじゃ…」
「入院しているんだから、
いつもとは勝手が違うことが多いでしょ?
他人の力に頼るのも大事な時がありますよ。
困ったらいつでも声をかけてくださいね!」
「ええ…もちろん…」
ま~こんな感じで…
・プロ車いすマンになる過程で考え方が変化したこと
それに加えて
早く良くなりたいと、どうしても頭の中に焦りがある僕に
気付かされたな~
🎯その32 舌が肥えているのかな?
気がついたら大学病院は仕事納め。
と言っても
入院患者を見捨てるわけじゃなくて
最低限の人員で年末年始は稼働。
完全には眠らないみたい。
(へ~それなら…)
そんな状況を知ってふと思ったんよ!
(術直後に比べたら、
ある程度は体力も考え方も
しっかりしてきた!
この調子なら一時帰宅ができるんじゃ?)
「あの~僕って一時帰宅できる人ですかね…?」
たぶん無理なのは承知の上で
看護師さんに聞いてみる。
「わかりました」
しばらくして病室に戻ってきて納得の一言…
「辛島さんは
まだ病棟からも出たらダメですよね?」
「あっ!そうでした…」
「主治医(執刀医)に聞いてきたんですが…
やっぱり年越しは病院でとのことです」
「そうですよね…わかりました」
まだ病棟からも出られないのに
一時帰宅なんて、
そもそも無茶な話やった…
そう思ってうなだれる僕に
看護師さんは話を続ける。
「ただ、年始にCT撮影をして問題なければ、
行動制限の緩和を検討するみたいですよ!」
「本当ですか!」
(院内フリーになれば
コンビニへも行けるぞ!)
それを夢見て
年越しを病院でするのを受け入れた!
あっそうだ!
ここで話が少しそれちゃうかもだけど
病院食って食べたことある?
食べたことある人は
美味しい?
まずい?
僕は美味しいと思うんよね!
単身生活だと
食べるものなんてたかがしれているし
時間をかけて料理するなんて滅多になくて
それが入院すると
頭に浮かぶだけでも
これだけのプラス面があると思うんよ~
たぶんね~
まずいって言う人は
普段の食事が…
そんな感じかも?
言い換えると~
物足りないから
そう感じているだけじゃないかな~?
🎯その33 どう転ぶかは結果次第!
(あらら~~~
あけちゃってますよ~ん…)
眠い目をこすりながら起床すると、
すでに2022年
…
新しい年を病院で迎えてしまった…
昨日は大晦日だったから
テレビでも見ようかな?
夕食の時点では思ってたんだけど
まだまだ見づらさは高度!
それよりも
目をじっと閉じていた方が楽なもんで
消灯前に寝てしまっていたんよ。
世間は元旦でお休みムードでも
病院は完全には止まらない
「辛島さん、
先日お伝えしていたCT検査
お昼頃に入りましたので、
呼ばれたら行きましょう」
病室に入ってきた
看護師さんがそう言われる。
「わかりました」
この結果次第で
行動制限が緩和される可能性がある!
今のままだと
病棟から外に出ることはできないから
院内コンビニや散歩にも行けない…
(どうか良い結果でありますように~)
そう思いながら病室で待機していると
「検査に呼ばれたので行きましょう!」
昼食時間になりそうだったころ
病室に看護助手さんがやってきてそう言われた。
僕は待っていました!と言わんばかり
意気揚々とマイ車いすに乗ってCT撮影室へ
(と言っても自走はしていない)
年末年始の外来診療は救急以外お休み
だから外来棟はあまり照明がついてなくて
薄暗~~~い。
お化けが出そうな雰囲気だったけど
ま~それもたまにはいいもの?
撮影室に着くと検査技師さんが一人だけ
(お~~~
元旦担当になっちゃったのかなあ…
なんかかわいそうだ…)
そう思う僕に、普段通りに対応してくれる技師さん。
「終わりましたよ!
お迎えが来るまで待っていてくださいね」
(え~もう終わったの?)
CT検査は、あっという間に撮影が終わっちゃう
MRI検査とは雲仙の差!
ま~撮影の仕組みが違うから
仕方がないんだけどね…
🎯その34 いつもは見失いがちな発見
CT検査室でボ~としていると、
お迎えの看護助手さんが小走りでやってきた。
車いすを押されて病室に着くと、
看護師さんが入ってきてこう言われる。
「辛島さん、
籾井先生からの伝言なんですが、
結果(CT検査)は問題なかったみたいですよ」
(早い!…)
お迎えの待ち時間と
病棟までの移動時間中に
画像診断が完了していたってことか~
「それで、どうなりましたか?」
恐る恐る聞いてみる僕。
「今から院内フリーで良いそうです!」
(やった~!)
院内行動制限なしということは~
今後誰かに車いすを押してもらうことなく、
院内なら自走でどこでも行ってOK!
どこでも行ける
それはもちろんうれしいけど
プロ車いすマンの僕にとって
自走できるということって
いつもよりスピードは出せなかったけど
自分の意思で車いすを動かしている!
そんな達成感があるんよ~
…
ま~それについてはこのくらいで
早速、車いすを漕いで院内コンビニへ。
病棟と違って、
そこまでの通路は幅が広いし、
外来患者もいないから
行き交う人数が限られてる
だから
漕ぎやすい!
(さすが年末年始だな~)
・いつもなら表示されている
電光掲示板は真っ暗
・医療機器なども
カバーが掛けられて電源OFF状態
そんなシーンと静まり返った空間は、
普段味わうことができない貴重な経験。
それに
通常時の1~2割程度だったかな?
ぼちぼち車いすを進めると
普段は見落としがちな発見に
気付くこともあったっけ?
そして、
いよいよたどり着いた院内コンビニ
大したものは買わなかったけど、
店内をぶらぶらしてリフレッシュできたから
大満足~
最高のお年玉になった!
🎯その35 どうか心の健康を~
あっ…
CT検査の時に
気になったことなんだけど、
病院って
年末年始だからといって
完全に動きを止めること
できないよね~
外来診療がお休みだったとしても、
僕みたいに一時帰宅ができない
多くの入院患者がいるから…
ある程度の人員確保や
医療機器を起動させておく
絶対条件!
…
って…
そこはすでにわかってたんよ~
そうじゃなくって
メンタルって言うのかな?
僕ら患者が
早く良くなることだけに集中できる環境
それは
過酷な労働条件下で働く
医療スタッフがいるから!
医療スタッフも僕と同じ人間
精神的な面が気になったわけ!
たとえば
僕ら患者にとって
一番身近なのは看護師さん
朝から晩まで24時間一年中、
必ず誰かが勤務をしているでしょ?
だから、「3交代制」や「2交代制」で、
(特別な理由を除いて)職員全員で
ローテーションしていると思うんよ~
僕は日中に勤務した経験しかないから、
深夜勤務がどれくらい負担になるのか?
本来なら
人が休息する時間帯に働くわけだから~
それだけでも大変なことだと思うんよね…
どうか、心や体を休める機会を設けて
疲れやストレスを溜めないようにしてほしいな~
🎯その36 うれしいけど…複雑
「7日に退院です!」
突然病室に入ってきた籾井先生が
そんなことを言われる。
(な、何事?)
まだお正月気分の2日…
正直言って先生の言われていることが
イマイチよくわからない。
「えっと…先生、休日ではないんですか…って…
…退院?…え~~~僕がですか?~~~」
「ええ」
「い、いくらなんでも早すぎじゃ?」
「そうでもないですよ」
「そ、それじゃ~
組織を調べていた件は?
悪性ではなかったってことですか?」
「いえ、最終結果はまだ出ていません」
「えっ…それでも退院…ですか?」
「ええ、術中に(簡易的に)調べた結果、
髄芽種のような悪性のものではないことは
ある程度わかっています。
そして昨日撮影したCT画像を確認して
総合的に私が判断しました」
「そうですか…」
「今回は、
以前のように追加の治療は必要ないです。
ですから、
後は辛島さんが入院前のように
車いすで動けるようになればいいので…
5日あれば大丈夫でしょう?」
「ま~あと5日あれば…」
「確定診断の結果は、
退院後2~3週間を予定している
外来診察時にお伝えします」
「は~…わかりました…」
…
確定診断が出ていない状態での退院
少し不安や抵抗があるけど、
できるだけ早く退院したい気持ちはあって…
「あっ…リハビリは?」
「必要なら、
退院後に外来でリハビリを受けにきては?」
「そうですか…
退院までどうするか考えてみます…」
正直なところ、それは流石に…
家から距離のある大学病院に通うのは
いろいろな意味できつい。
それに、
これまで受けてきたリハビリ内容からして
実生活を送れるようになること
それだけに絞って考えるなら、
退院して日々を送る中で
体を慣らしていった方が早いだろう
そう思ったんよ!
🎯その37 オバケが出た~~~
そんな僕のもとに
今度は担当医がやってきた。
片手にぶら下げているのは…
空のビニール袋?
(なんだあれ?)
「今から手術創のところを
綺麗にしますね」
(綺麗にって抜糸のこと?
それなら確か…退院後、
外来受診時にするとか言われていたような…)
そう思いながらも、
先生の股関節が見えるくらいの姿勢になった…
って言うか
首が上がらないからそもそもそういう姿勢なんだけど…
「では帽子を外しますね!」
先生がそう言われ帽子を外すと、
頭部の状況は見えないんだけど、
周辺が少しヒンヤリする。
そして目の前には
大量の白い粉!
粉雪のように
上からチラチラと降ってくる…
「先生、
大きめのフケみたいなのが
落ちてくるんですけど…」
「それはフケではなくて
辛島さんの手術創周辺から出ている皮脂の塊です」
「皮脂…ですか…」
「人間の自然治癒力のすごさの象徴ですよ!
これからますます新陳代謝を繰り返して、
古い皮脂は剥がれていきます。
それは良くなっている証なんだと思ってください!」
(へ~フケじゃなくて
良くなっている証拠なら
気にする必要もないかな~)
そう思っていると、
「カチャッ…カチャッ」
今度は片手に持っているビニール袋へ
いくつものアルミ色の物体が入っていく
(金具?)
大きさは
たぶん
長さが1~2cm
幅が2~3mmくらい
「先生、それは…」
「あっ…まだ見ていなかったのですね!
良い機会なので確認してみてください」
「ではこれでお願いできますか?」
「構いませんよ~」
担当医にタブレットを手渡し
撮影してもらった画像を見たところ…
(ぐわぁぁぁ~~~なんだこれは~)
額よりもう少し頭頂部側に、
右端から左端まで数十個の金具?
まるでムカデみたいに
ずらりと列をなして並んでいたんよ…
そんな手術層から確実に言えることは、
オデコの上あたりを右から左まで
半楕円形になるような感じで開頭しているということ
更に、術後初めて自分の顔を見ることにもなり…
(ぐえぁぁぁ~~~気持ち悪い…)
ボクサーが殴り合った試合後みたい
左側の目は腫れ上がった眉につぶされて
ほぼ開いていないし~
風船みたいに
プク~と顔全体膨らんでる~
(これって、治るんやろうか…)
こんな顔面で退院したら
危ない人?
近寄りづらい人?
そんな感じで
恐れられるんじゃないか?
そう思っていたら、いつの間にか…
先生が片手に持っているビニール袋は金属?で満タン…
「終わりましたよ」
「ではもう一度」
「わかりました」
担当医にタブレットを手渡し
撮影してもらった画像を見たところ…
金具?がすべてなくなってはいたけど、
今度はそこがポツポツと陥没している…
(オイオイ、
あそこに何かが詰まったり
浸み込んだらどうするんよ)
そう思った僕は
急いで帽子を被ったのでありやした…
🎯その38 変装
残りわずかの入院生活となってしまった今、
退院後のことで
クリアにしとかんといけんことがあったんよ!
それは大きく以下の3つ
こういうのって、子供じゃないんだから
誰かがやってくれるわけではなくて、
僕自身で動く必要があるでしょ?
今後が不安で考えるよう余裕なんてないから~~
まだ本調子じゃないから~
面倒だから~
やりたいことがあるから~
ま~いよいよになったら誰かがやってくれるんだからさ~
そんな甘い世界じゃないから…
「ザワザワガヤガヤ…」
すでに大学病院は仕事始めというのか?
外来診察と入院患者の全治療が再開されていたんよ。
だから
年始の静まりかえったあの雰囲気はもうなくて…
そんな中…
「辛島さん、
退院後の生活については、
籾井先生によく相談されてください。
そうすればわかると思います」
病室にやってきた看護師さんがそう言われる。
(あっそうだった!
入院時に渡した手紙に
退院後チェックしたいことを伝えていたっけ!)
「それじゃ~疾病手当や診断書は…」
「それは籾井先生に聞いても
わからないと思いますので、
外来の専門窓口に行って相談してください」
外来にあると言うことは、
人がウジャウジャいるし、
温度が病棟より低い…
まだ顔が腫れているし
コロナ渦ってのも…
(でも…行かないと!)
「わかりました。
今から準備して行ってみます」
コロナや寒さ対策
腫れた顔面を隠すため
僕は変装することにしたんよ!
まずは~
今被っている
看護師さんお手製の帽子の上に、
入院時被ってきた
私物のハンチング帽?を
深めに被った。
それから
病棟では付ける必要がなかったマスクを装着。
それと、防寒対策をとして
病衣の上から
入院時に着てきた上着を羽織った。
(これで全てうまくいくやろう…)
その後は病棟を出て
外来の専門窓口へ
でもね…
予想通り見づらさが高度で、
いつものような時間で、
書類を完成させることができなかったんよ!
診断書は書いてもらえるよう申請できたけど、
疾病手当の方は…
ただ、疾病手当というのは
後からでも申請できるとか?
それを聞いた僕は
退院してから職場の人と相談して
申請しようかなって思ったわ~
🎯その39 「悟り」を開いたの?
病棟に戻った僕はこれからのことで
頭を抱えていたんよ~
(やれやれ…こんなんじゃ~
先が思いやられるな…
こんな状態じゃ~間違いなく
日常生活に支障が出るぞ…)
7日に退院が決まったのは素直にうれしいよ。
だって
入院前は…
もう再び元の場所に戻ることはできないかも
そう思っていたから!
僕にとっては
「かなりの覚悟を決めて挑んだ今回の入院」
それがたったの18日間っていうのは
拍子抜けって感じもあるけどね!
日に日に不安は大きくなっていくけど
僕にとって
入院という環境はあまりにも快適すぎる…
そうそう…
入院していることは、すなわち「ぬくぬく生活」!
本来、僕はヨワヨワマンだから、
そんな生活を送れば送るほど、
甘えが出てきて向上心も無くなっていく…
僕は、何のために
手術を受けようと決心したのか?
その答えがわかれば、
不安でも
苦しくても
ここに居続ける理由はなくなる…
退院したら、病院と違って
雪もちらつく真冬の世界へ戻るわけだけど、
そこが今までやってきた
やってくることができた
僕の生きる場所!
予定より早いとか遅いとか
そんなことよりも大事なところ
だから…
「あの場所」へ…
「あの場所に僕がいる」…
それは当然のこと!
🎯その40 選ぶ楽しさ
(あっ、そうだ…一度行っておこう!)
元旦に院内コンビニへ散策に行った時、
隣に「患者図書館」ってのがあったんよ!
そこは
学生の頃に入院していた当時にはなかったはず…
どんなところなのか?
覗いてみたかったんだけど、
「新年は4日から開館します」
と書かれた貼り紙が…
「おじゃましま~す」
入り口のドアを開けると
館内には初老のおじさんが1人
「あの~すいません。本を借りられるんですか?」
「入院中ですか?」
「ええ…」
「どうぞ」
入院もしくは外来通院中ならば利用可能みたい。
外来患者はよくわからなかったけど、
入院患者なら手首に付けているリストバンド
あっバーコード
それを検査時と同じように
専用の機械で読み取ってもらえばOK!
(どれにしようかな~
いろいろあって迷っちゃうぞ
おっ…これにしよう!)
僕は、医療コーナーにあった
「嚥下に関する本」を借りてみた。
その中には
こんなことが書かれてたんよ~
舌の体操に関しては、
舌を前に大きく「べ~~」と突き出して
そのまま戻さず左右に動かすと良いみたい。
こういうのって、3日坊主じゃなくて
毎日継続して行くことが大事なんだろうね!
また、「顔や舌、喉のマッサージ」など
これまで何度かSTのリハビリを受けて
教わったようなことも書かれていたな~
もう少しゆっくり読みたかったんだけど、
退院前に返却する予定だったから
時間が限られていたのは少々心残り…
🎯その41 制限下での気づき
今振り返ると~
見づらいなりにも
入院中は紙媒体の活字をよく読んだんよ~
普段の僕は、
調べ物
ニュースや天気(情報の入手手段)
買い物
そんな大半のことはネット
(インターネット)
新聞
雑誌
文庫本
そんな紙媒体の情報源は
ほぼノータッチ
テレビだって
タイムリーで見ることよりも、
録画済みや見逃し配信しているネットで
支払いも
硬貨や紙幣より
カードで済ませることの方が断然多い…
なので
健康であれば
「テレビなんていらない!」
「新聞など時代遅れだ!」
「本は場所を取るから電子書籍!」
「いまだに硬貨(紙幣も)で支払いをしている人の気が知れない」
そんな巷でよく耳にする?お言葉に
共感を受けることも…
でもさ~
それって
自身がある程度健康で
そういう環境下に常時いること
ここが絶対条件になるような気がするんよね!
だって
入院していたら~
情報の入手手段は限られていて…
床頭台に設置されているテレビ
食堂などにあった(誰かが読んで寄付した?)雑誌
(そこまで行けるなら)売店などで売っている新聞や本・雑誌
そのくらいなんよ…
特に新聞
普段は
もう無くなってもいいんじゃないかな?
そう思うくらいなんだけど、
入院していたら逆にマストアイテム!
それに硬貨も必須!
洗濯機と乾燥機は
コインがないと動かない
それはもちろん
僕は行動制限があったから、
洗濯したい時や買い物を代行してもらうのに
カードを渡すわけにはいきましぇ~ん
以上、今回の入院で強く感じたきづきでありやす!
🎯その42 終わりと始まり
7日、ついに退院の日がやってきた!
籾井先生から言われたことは~
荷物の準備は、
ここ数日の有り余る時間を使って
少しずつやったから負担にはならなかった。
運ぶ自信はあまりなかったけど、
病棟まで父親が来ることになっているからね!
病院玄関に手配済みの
リフトタクシーまで運んでくれるだろう~
そして家に着いたら、
介護の資格もある運転手さんが
僕を押してくれたり
玄関まで運んでくれるはず!
(おっ…やっぱり高い!)
その後、支払窓口へ。
入院費(手術費用含む)は
決して安くはなかったけど、
長い間働き続けてこられた証
っていうのかな?
それを自分で全額工面んよ~
嬉しかった~
その後は再び病棟に戻って
父親が来るのを待つことに
…
ということで…
(今回の入院を振り返ってみようかな…)
ってことに。
まず、
20日もかからずに退院できたのは、
学生のころよりも脳神経外科医学が発展して
手術などの医療技術が
大きく躍進していたから!
ってのはもちろんだけど、
お医者さん
看護師さん
看護助手さん
検査技師さん
栄養士さん
薬剤師さん
理学療法士
作業療法士
言語療法士
などなど
医療に携わる全ての人が
チームとして連携
一丸となって僕を支えてくれたから!
あっ…
医療に携わる人の中に
入るのかはわからないけど、
警備の人
病室などの掃除してくれた人
売店の販売員
図書室にいたオジサン
入院患者のみなさん
そんな
病院にいて僕との関りがあった
全ての人
感謝ですよ~
あと、
コロナ禍だったのも大きかった!
だって
毎日家族や知人がお見舞いに来れたとしたら、
術直後の苦しかったとき
ヨワヨワマンの僕は絶対に甘えているはずだから…
自分が動かなければ何も達成できない
そう自分を奮い立たせるきっかけになってくれた
ありがとう
コロナ渦
併せて、
院内コンビニ
患者図書館
コーヒーショップ
おしゃれな理髪店
どんな魅力ある院内施設?は
実社会に近い空間を味わえる…
患者である僕にとって
ひとときの安らぎ
そして
早く社会に復帰したいと思える場所
だから…
大学病院に入院できて本当によかった!
感謝の思いを忘れず
これからを頑張っていくぞ~!
…
そんな思いに耽っていると、病室に父親がやってきた。
「どげ~か?もう帰る準備はできちょんか?」
「うん、そろそろ玄関にリフトタクシーが来るから
荷物運んでくれん?」
スーパーにある買い物用カートより
一回り大きな運搬用カートで
玄関まで荷物を運んでもらうと、
既にリフトタクシーの運転手さんが
ドアの向こうで待機している。
※コロナ渦のため
院内には入らせてくれなかったんだって!
「大変だったね。お疲れさま!」
(えっ!誰?)
リフトタクシーに
スロープから乗り込んでいる最中に
後ろから声が聞こえたんよ~
振り返ると父親の友人。
僕の幼いころも知っている
優しいオジサンだ。
外は冬本番の厳しい寒さだったけど、
おかげで心の中はポカポカ!
意気揚々に大学病院を出発した。
僕は
本当に
退院したんだぞ~
(第2章はここでおしまい)
📗第3章 明日の景色
🎯その1 ニッチモサッチモ…
「お客さ~ん、そろそろ着きますよ~」
「えっ!もうですか?」
窓ガラス越しに外を眺めると、
僕が住んでいる地域の見慣れた風景
(モクモクモク~)
温泉の湯けむりが所々で!
(お~久しぶりや!)
運転手さんは
これまで僕が寝ていると思ったから
大きめの声で教えてくれたのかな?
残念でした~
?
いや…
寝てたわけじゃないんよ~
あれだけ病院でゆっくりさせてもらって
もう眠気なんてないわけで…
今後のことで
いろいろ考え事~
それで結果的に
大学病院を出発してから
ずっと無言だったし
周囲を見る余裕もなかった…
(ま~疑われるのも無理がないか~)
そんなことを思っていると、
再び運転手さんの声…
「着きましたよ~
ここに停めて良いですか?」
「ええ、大丈夫です、
お願いします」
(ついに帰ってきたか~)
住み慣れた我が家が目の前にある。
入院するときには、
もうここに戻ってくることはできないのかも?
本気でそう思っていたから感慨もひとしお!
「ちょっとここで待っててください」
運転手さんはそう言って
まず玄関まで荷物を運んでくれて~
「お待たせしました。
では行きますよ!」
僕が乗る車いすを
玄関まで押してくれた。
「いろいろありがとうございました」
そう言った後、
鍵を開けてドアをスライドしたところ…
(えっ…なにこれ?くっさ~…)
部屋中が鼻をつく悪臭…
2週間放置していたから?
ま~
仕方がないか…
(堪えられないわけじゃないけど
窓を開けてしばらく換気しよう…)
そう思って
荷物を移動させようとしたところ…
(あれ?こんなに荷物が重たかったっけ?)
腕や腰が痛くてたまらない…
だからね
目的の位置まで移動させたいのに、
体が悲鳴を上げてできないんよ…
ズリズリと引きずって
何とか移動できたけど
先が思いやられる
そう感じずにはいられなかったわ~
入院している間で、
筋肉がすっかり落ちてしまい
動きの感覚?も鈍ってしまっていた僕。
これって、
入院生活を送った人の、よくある退院後のエピソード
(いわゆる、プチ廃用症候群?)
じゃないかな~?
まさしく
当時の僕もそんな状態だったんよ…
🎯その2 時間的猶予
入院前には難なくこなせていたこと
定時に起床
着替えて
ポットにお湯を沸かして
ご飯を炊いて
おかずを作って
弁当(職場で食べる昼食)を準備して
車を運転して通勤や買い物へ行って
食器を洗って
洗濯機を回して
終ったらそれを干して
乾いたら取り込んで
掃除をして
ゴミを分別してから出しに行って
お風呂を沸かして
入浴して
エアコンなどで温度調節して
…
そういうのがね
全くといっていいほど
できなくなっているんよ~
手術を受けようと決心したのは、
僕が考える自立した生活を継続するため
その1角である仕事は、
早期に現職場へ復帰して
これまで通りの体制で働くため
でもさ~そのためには
まず単身生活が難なくこなせないと
話にならないのに…
入院中は、
僕がやらなくても良い面が大半だった。
時間になったら食事は配膳されてきて、
お風呂は介助してくれたし
洗濯は看護助手さんがやってくれた。
注意しなくても一日中適温だったし、
ベッドシーツが汚れても
すぐに交換してくれた。
ゴミは分別しないでも、
ゴミ箱に入れていたら嫌な顔一つせず
定期的に回収してくれた。
掃除は行き届いていて、
床はいつもピカピカ。
そういうことに費やす労力や時間を
回復に充てられたからこそ
今があるわけだけど…
…
今の情けない現実を見れば
入院中がどれほどパラダイスだったのか?
身にしみて実感してしまうんよね!
人って、
普段は平然とやってのけていることが、
何かの理由で体を壊してしまうと、
たちまちできないことが増えちゃうよね~?
ある意味「もろい生き物」なのかな…
体を壊す前の状態に戻すこと
どれだけ大変で時間を必要とするのか…
(これからしばらく大変だな…
あっ…そうだった!よかった~)
そんな中、
ほっと胸をなで下ろしたことが…
それは、
「職場復帰までに
2週間くらい時間的猶予があるということ!」
入院前に、職場と決めていたんよ~
(それまでに万全な体調に戻さないとな!)
残り2週間、
やらないと行けないことは山積みだ…
🎯その3 割り切っていきますよ~
そんな貴重な2週間
体調を整えるだけに
費やしたわけじゃないよ~ん!
職場復帰するまでに
見づらさ
更なる聴力低下
この2つもクリアにしないといけん!
(急いで何か対策を練らないと…)
やったぞ!
手術によって居眠りなどが改善されていた~!
…
としても
どちらも何らかの対応をしないと
働き続けることは難しい…
(どうすればいい?)
迷った僕は、医療と同じ!
プロの意見を聞いてみることに
見づらさに関しては、
手術前に受診したことのあるC眼科へ。
「うん!
変わらず異常はないです」
(そうきたか…)
これで、
嚢胞拡大や手術行為
眼科的視点
どちらも原因ではないことになる…
(どうしたら良いんだ~
わぉ~~~ん???)
遠吠えしたところで
どうにかなるわけでもなく…
…
(ま~そんなもんなんよ!)
ここで僕は開き直った!
原因がわからないということを、
クヨクヨ悩んでも仕方がない…
僕が自覚している見づらさというのは、
プロから診たら治療するような状態ではない
そういうことだよね?
僕はそう自分に言い聞かせて、
今を受け入れることにしたんよ!
ま~正直に言ったら
嚢胞拡大や手術行為が、
少~~~~しだけ関係あるような…
だから、歯がゆい思いはあるんだけどさ~
僕自身立派なオジサンなわけだし、
もともと遠視で老眼で乱視の状態
これは年齢的な衰えが原因なんだよ~ん
(そうそう…自然の摂理みたいなもんなんよ!
よっしゃ~
そこを補えるように新しくメガネを作ろう!)
そう思った僕は、
眼科でもらった「メガネ処方箋」を持って、
メガネ屋さんで新しいメガネを注文したんよ~
🎯その4 物持ちが良いのも時にはマイナス?
(そして…こっちは両刀使い作戦だ~)
僕は20代後半からずっと、
左耳に補聴器をつけてきたんよ~
それで社会生活が送れていたのは
難聴でも程度が軽かったから!
デシベルで言えば
30~40dBだったっけ?
それが左右共に悪化したのも
更なる聴力低下を招いちゃった
原因になるはず
これに対しては、
メガネと同じ!
耳鼻科を行った
聴力検査のデータを持って
補聴器販売店へ向かったよ~
「あの~今回は右用のを作りたいんですけど…」
「それでは、右も同じタイプから選びますか?」
「ええ、
そのタイプが一番使い勝手が良かったので…
ただ一番安いのを…」
「わかりました。
やはり慣れている形が良いと思います。
ただ、
あまりに安いと品質的な問題が…」
「だいたいわかります。
集音器みたいなのは嫌です」
「わかりました。
では、今ご使用中の左と
メーカーを合わせた方がよろしいですか?」
「それはどちらでもいいのですが…
同じ方が便利なのかな?」
僕が感愛用している左耳用の補聴器は、
耳穴に入れるタイプなんよ。
作成時にシリコンか何かで型を取るから
着けている間、少々のことでは抜けないよ~
それに鼓膜のほうへ入り込むこともないんに。
それにほかのタイプに比べたら
着けていることを他人に気づかれにくいかも!
あと小型で軽量だから、
持ち運びに困らないんで~
あっ!
デメリットは省略…
これで
右にも左にも耳穴に補聴器がズボッ!
これを
両耳着用って言うんだけど
そうすることで、
少しでも問題をクリアにしよう~
そう考えたわけ!
でもさ~
僕って感音難聴みたいなんよ~
だから補聴器の優れた調整機能でも
理解するのに四苦八苦…
ま~
これでメガネも補聴器も、
新しいものを注文して
職場復帰に備えた僕。
僕がとった2つの策は、
今後の生活に功を奏すのか…
果たして…
🎯その5 メンテはプロに!
ちょっと
話が横道にそれちゃうんだけど…
前回、
補聴器について詳しく書いたから~
今回は、
それが必要になってきてから
気をつけるようになった2つのこと
書いちゃうよ~ん!
まずは①
僕の耳中(外耳道)はとても狭いんよ~
更に少し入り組んだ形みたいで…
自分で耳垢掃除をするとキケン
ダメ・絶対!
というわけで
定期的に耳鼻科を受診して
耳垢を採ってもらっているんよ~
ただ
その時に決まって
耳鼻科医とこんな会話になるんに…
「先生、今日もありがとうございます。
今回は(耳垢は)溜まっていましたか?」
「そうですね…
いつもより溜まっていたと思います」
「暑いと耳垢も溜まりやすいのかな?
今後は1週間に1度くらいの間隔で
来ますから…」
「そうですか…
もちろん
受診されたら掃除をさせてもらいますが…
耳垢はそんなに早く
溜まるものではありませんよ!
それに…
そもそも聞こえに影響するほど
耳垢というのは溜まらないものですよ」
全員そうだ!
というわけではないみたいだけど、
自然に外へ排出されて
聞こえに影響しないケースがほとんどだって
「ええ…
それはわかっているんですけど…
また来ますので…」
「わかりました…」
心のどこかで
「掃除しないと聞こえなくなる」
そう思い込んでいる僕。
プロにきれいにしてもらうと
聞こえやすくなった気になるんだけどな~
🎯その6 思いの現れ
そして②
補聴器は精密機械!
耳穴にすっぽり入るくらい小さいのに
お値段がかなりする理由は、
内蔵されている小型機械が高性能だから!
でもね
しっかりメンテナンスをしないと、
些細なことで故障!
最悪はご臨終になっちゃう…
このメンテナンス
簡易的?なことは
毎日やっているよ!
補聴器の弱点は
「汗や皮脂・雨などの水分・湿気など」
そして、
「耳垢が詰まるとただの耳栓になってしまうこと」
そうならないように…
あっ、チップというのは、
聴器が耳の穴と接するところにあるよ~
そこには、
調整した音を鼓膜に送る小さな穴があるんだけど、
耳垢が入り込んで
中の小型機械まで到達しちゃうと
重大な影響を及ぼしちゃう
だからチップをつけることで
侵入を防ぐわけ!
でもでも~
チップそのものを定期的に変えないと
ただの耳栓状態…
ま~
そんな自己メンテナンスなんだけど
しっかりしているつもりでも
限界があるっていうのかな?
中にある小型機械に、
わずかな湿気や汚れが
混入しちゃうみたいなんよね…
そうなると
段々と聞こえの程度が落ちてくるのに
僕には手に負えない!
(もう自分では対処できない~)
そう思った時は、潔く補聴器販売店へ!
そこでなにをしてくれるのか?
えっと…
こんな感じで
耳や補聴器をメンテナンスしてるんだけど、
そんなことをしても
大して聞こえは変わっていないのかな?
そう思うときもあるんよ~
でもね
そうであったとしても
気分的であっても
少しでも日々を快適に過ごしたい…
そんな思いの現れなんだと思うな~
🎯その7 お返事
時が過ぎるのも早いもので…
気がつけば退院して
1週間が経過していた。
退院直後は、
日々のルーティンをこなすだけでヘトヘト
先行きどうなるのか…
不安でたまらなかったのに
ここ最近は驚異的な回復!
元気モリモリなんだよ~ん!
この調子でいけば
目前に迫ってきた職場復帰も
なんだか行けそうな気がする~~~~
…
ただ気になることはいくつもあるんよ…
仕事中に出る症状が
手術で改善されているのか?
もちろんそれも大事!
それ以上に
手術で開放した嚢胞の正体は
一体何だったのか?
正体が何なのかによって、
今後は大きく変わってしまう。
放射線壊死?
髄芽腫の再発?
それ以外の何か?
今が元気モリモリなのは、
術後に追加の治療を受けていないんだから
ある意味当然のことだとも言える。
放射線治療や化学療法など…
学生のころも、
それが始まるまでは日に日に回復していたんよ…
籾井先生は、
「今後追加の治療は必要ないでしょう」
退院するときに言われたよ。
でも先生の私見?
組織を詳しく診る専門家?の意見を
加味していないと思うんよね…
実際のところ
どうなん?
そんな渦中、
退院して初めて森先生の外来を受診。
「先生、お久しぶりです」
「手術が上手く行って良かったですね」
「ありがとうございます。
ただ、仕事中に出る症状が改善されたかは
まだ分かりませんし、
嚢胞の正体が一体何だったのかも
まだ正式には聞いていませんから、
不安のほうがまだ勝っています」
「仕事中に出る症状は、
嚢胞が大きくなっていたからです。
開放したことによって、
正常な脳は
本来の位置に戻っていくのですから
心配する必要はありません」
「は~そうですか…」
「籾井先生からの報告書(お返事)にも
同じようなことが書かれていましたよ!」
「えっ報告書って…手紙みたいなものですか?」
「ええ」
「それでは、
そこに嚢胞の正体が書かれてあるとか…」
「そうです」
「えっそうなんですか?
で…
なんて書かれていたのでしょうか…」
「え~と…そうですね~異常は特になかったと…」
「え~~~本当ですか!よかった~…って、
それでは退院時と同じです。
あっ
本当はあまり良くないとか?
先生は優しいから、
僕の気持ちを察して
そう言われているとか?」
「読んでみますか?」
「えっ!良いんですか?」
「どうぞ!」
疑心暗鬼な僕に、
先生はその報告書を見せてくれたんよ~!
🎯その8 結果発表~~~!
以下、籾井先生の報告書(一部)
(な~んだ、
medulloblastomaじゃなくて、
gliosisだったのか~
…
って、
英語?どこの言語なの?
…
わからん)
「えっと…先生、意味が分かりません…」
「嚢胞は、
髄芽腫の再発ではなくて放射線壊死だった
と考えてください」
「それじゃ~今後の治療は…」
「壊死というものは、採ってしまえば
追加で治療することは
まずありません。
今後は定期的にMRIを撮って
再び拡大することがないか
経過観察していくことになります」
「そうなんですか~よかった~」
帰宅後、
専門用語を思い出しながら、
検索して僕なりにまとめてみたところ…
放射線治療など何らかの理由で、
そこの血管が破れて出血。
これが元になって血の塊が
どんどん大きくなってしまった…
嚢胞の正体は、
術前に森先生が予測されていた
出血した血管の瘢痕ってこと?
ということは、
2000年に受けたガンマナイフが、
髄芽腫の播種以外に
周囲の正常な細胞にも照射されてしまった。
それが発端となって
時間の経過とともに
血管が焼けただれて膨らんでいった
正解?
…
う~ん、完全にわかったわけでもないけど…
「嚢胞が悪性腫瘍ではなかった」ことはわかったぞ~
これは、職場復帰に向けて一番うれしい朗報だ!
🎯その9 凱旋
「お久しぶりです。
ただいま戻ってまいりました~
これからもよろしくお願いします!」
1月24日、
ついに僕は現職場に復帰することができた!
当初は、
入院・開頭手術→自宅療養全て込みで
数ヶ月~数年、もしくは復帰すらできない
そう思って覚悟して挑んだわけたから
トータルで1ヶ月という短さはまさしく快挙!
ただ、最初はそれが信じられず、
素直に受け入れきれていないのか…
慣れ親しんだデスクにパソコンや
部署の配置や同僚の姿を見ると、
まるで現実ではないような気がして…
(これは…まぼろし?)
…
「ペチンペチン」
軽く自分の頬をたたいてみる
(痛い!ってことは…
そうじゃないみたいだ!)
…
(わ~いわ~いマジだぞ~!
僕は戻ってくることができたんだ~
どうだ~参ったか~ワハハハ!)
ところが…
そんな「快挙の余韻」に浸っていたのも束の間、
段々と現実が見えてくるように…
(ぬぬぬ…これは…まだまだ仕事ができんぞ…)
頭に描くのは「入院前の僕」
でも今の僕は彼じゃない…
体力的には一応合格点かもだけど、
・仕事に対する感覚の鈍り
・見づらさや更に低下した聴力
ま~別人なわけ!
(こんな状態じゃ~
入院前と同じように働くのは無理だ…)
手術を受けた目的は達成できているのか?
それを知るには
その前にするべきことがあるみたいだぞ~
🎯その10 スッカラカンになった…
(う~ん…
まだ完全復帰には時間が必要だな…)
そう考えた僕は、
まだ残っていた
年次休暇時間(有給)を使って、
可能な限り
時間を短縮して勤務させてもらうことに!
「あの~まだ本調子ではないので
短縮勤務ですか?」
「できますよ。
残り全ての有休を使うのでしたら…
来月15日までになります。
よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
これで15年ほど勤務し続けて
溜めていた年次休暇時間をすべて消化…
あっ、それじゃ~
15日以降はどうしたら?」
「そうですね~
入院中・療養機関のように
同じ病休と欠勤扱いにするとか…
勤務体制を再契約するなど方法とか…
いくつか方法がありますので
また相談してください」
「わかりました」
入院中に持ち帰っていた
疾病手当に関しては…
思っていたとおり
申請に期限はないみたい。
ボチボチ相談しながら
書類を完成していこう!
ま~
職場復帰も書類作成も
ほかのどんなことだって
いまさら焦っても仕方がない…
(できるだけ早く
前みたいに働けるよう
体を慣らしていけばいいんだぞ!)
そう自分に言い聞かせ、
しばらくは
我慢の日々を過ごしていったのら~
🎯その11 ニョキニョキ事件
そんな僕に追い打ちをかけるような
「ある事件」が…
発端は職場の同僚が放った一言
「あの~…勤務時間短縮も良いのですが、
やっぱりもう少し完全に仕事をしないで
静養された方がいいのでは?」
「えっ?ダメそうですか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど…
まだ顔が腫れているようですし…」
やっぱりそう来たか…
初出勤時も顔面はまだまだ腫れ上がっていて
キモかった僕。
フランケンシュタインかのように
オデコの周辺(眉毛から手術創あたりまで)が
ボコっと突き出ていたんよ!
※腫れが引いてもキモいけどね…
えっと~
ビジュアル問題っていうのかな?
いつかはそう言われるかも?
そう思っちょったんよ~
「こ、これくらい
どうってことないですよ~
平気ですって!ハハハハハ~」
「それならいいんですけど…
それじゃ~
オデコがテカテカしすぎていませんか?
何かのサインでは?」
「えっ…そ…そうですかね~
僕はそう思いませんよ~」
…
これも
いつかはそう言われるかもって
戦々恐々だった…
「辛島さんご自身が
そう言われるのなら
私の気にしすぎなのかな?」
「ですが…」
「ですが?」
「ええ、
頭から何かが生えてきていませんか?
それって痛くはないんですか?」
…
「キタ~~~~!」
僕が
いつかはそう言われるかもって
最も恐れていたところ
手術創から4か所
濃い赤紫色の瘡蓋が
モコモコッと出てきていて、
明らかに
髪の毛じゃないやないか~い!
なんやねんそれ?
そう突っ込みたくなる
細い1~2mmくらいの何かが
ニョキニョキと生えてきていたんよ
それって根元?があるはずだから~
今の状態を例えるなら…
土に埋まっている大根を、
抜かずに葉っぱだけ
見えてるような感じかな?
そういう状態は、
見慣れている僕ならまだしも、
初めて見る他人にしてみれば、
ホラー映画の出演者が
現れたようなもんでしょ?
どうにか隠して、
恐怖のどん底に
陥れないようにしたかった。
でもさ~
生憎ほとんど髪の毛が
周囲に生えてなくて…
髪の毛で覆い隠すことは不可能…
そこで、
・華美でない帽子を被ったり
・華美でないヘアバンドを着けて
隠して出勤しようかと
思ったんだけど
以前の苦い経験を思い出して姉妹…
潔くそのまま出勤。
そのために起こってしまった
彼女にとって恐怖の出来事…
僕にとっては後悔な出来事…
後日、急いで森先生に相談。
手術との関係性があるだろうとのこと
ちょうど退院後初となる
籾井先生の外来診察日が近づいていたため、
そのときによく相談してくるように言われたんよ~
このニョキニョキ…
一体何だ?
🎯その12 ひかえおろ~~~
(あらら…帰りは真っ暗かもな~)
いつの間にか45歳になっていたオジサン
退院後初めて大学病院へ
目的は
退院後初となる
籾井先生の外来診察日
定期経過観察
これは
血液検査
MRI検査
2つが主なチェックポイント!
向かった。
本当は朝1番に受診したかったんだけど、
MRI検査ってのは
僕が時間指定できるわけじゃないんよ~
大学病院には
2~3機のMRI装置があるんだけど、
それを
入院患者と外来患者が取り合うようなもの!
僕が受ける定期検査のように
撮影日を事前に予測できれば
籾井先生がとりあえず枠を確保する
(予約申請)
でも急患がいるから
それが100パーセント
まかり通るとは言えなくて…
「できるだけ早く
検査が受けられるようにお願いできますか?」
先生には毎回そう言うんだけど、
こんな感じで
時間は希望通りにはならないことが大半
遅くなると何がいけないのか?
暗くなるでしょ?
僕は運転が苦手なんよ~
特に大学病院までは距離があるから…
ま~その話はこの辺で…
15時くらいだったかな?
大学病院に着いた僕は、
MRI検査室へ。
(そう言えば、
術後は首がカチコチで
撮影台に横になるのが
大変だったな~)
そんなことを思いながら
待合室で待機していると、
名前が呼ばれ撮影台へ。
(お~前みたいに苦しくないぞ~!)
平面の撮影台へ横になること、
そして起き上がることが
何不自由なくできる…
幸せ~~~~~~
いつものようい
途中に造影剤を入れられたため、
一時間ほどかかって撮影は終了。
急いで外来へ向かい、
「撮影が終わったから診察をお願いします」
受付にいた看護師さんに伝えたところ…
「えっ?そんな話は聞いていませんけど…」
素っ気ない態度に
一瞬イラッとしたんだけど
冷静の一言…
「えっと…籾井先生から
この時間に来るよう言われているのですが…」
「そうなんですか?
こんな時間に?
外来患者の診察はしていないのですがね…」
そう言って、
半ば追い返そうとする看護師さん。
(それじゃ~
これが目に入らぬか~~~!)
紋所のように再来予約票を見せる僕。
「あらっ…本当!」
看護師さんはそれを見ると
奥の部屋に入っていった。
籾井先生を探しに行ったのかな?
「お待たせしました、中へどうぞ!」
籾井先生が奥から出てきて声をかけてくれる。
先ほどの看護師さんは
隣でニコニコ…
さ~いよいよだ!
🎯その13 お墨付きGET!
「失礼します」
早速、診察室へ入ると
医療モニターに映し出された
僕のMRI画像を診ながら
先生はこのようなことを言われたんよ!
「本日のMRI画像は特に問題ありません」
「やった!」
「ここまでの状態になれば、
今後の定期経過観察は、
これまでどおり森先生の方でお願いします」
「えっ…それじゃ~…ここは?」
「今回で終診です。
また何かありましたら
森先生と相談して受診してください」
「そ、そうですか…
それでは手術していただき
ありがとうございました」
…
(ちょっと待てぇ~~~~い!)
終診なら、
今後籾井先生にお会いすることは
簡単にはいかなくなっちゃう
…
質問するなら今しかない
「あの先生、
いくつか質問したいことがあります」
僕は準備したメモを取り出した。
🎯その14 なんとなく後味が悪い感じだったかも?
「まずはここです」
僕はそう言いながら、
手術創4カ所にできた瘡蓋と、
そこからニョキニョキ生えてきた何かを指さした。
「手術の関係でそうなりやすいんです。
通常なら2~3週間で目立たなくなるのですが
辛島さんが気にして触っているんじゃないですか?
今後は
シャンプー時に周辺をゴシゴシしすぎないなど、
極力触らないようにする事が大事です。
そしてダラシン(感染予防の軟膏)を定期的に塗って、
瘡蓋が自然に剥がれてしまうのを待ってください」
(肝心な瘡蓋やニョキニョキの正体は?…)
一時はそう思ったんだけど
みんなこんなものなのかな?
僕の触りすぎなのかな?
そう思ったんであえて聞かんかったわ~
「わかりました。
それじゃ~ですね。
もしもですけど…
今後また嚢胞が大きくなったらどうすれば…
ま~そんなことないですよね~?」
「それはわかりません。
今後大きくなる可能性は絶対ないとは言えないため、
定期的にMRI検査を受けて
経過観察していくことが大切です」
(えっと…
そこは…絶対ありません!じゃないのか…)
…
ま~ほかにもいくつか質問したんだけど、
わかったようなわからなかったような…
なんとなく後味が悪い感じだったかも?
でもさ~
心配するいろいろなことを考えすぎずに、
これから歩んでいこうて思ったんよ~
(今後また手術になりませんように!)
そう祈りながら病院を後にしたな~
※そのほか籾井先生にした質問は以下の通り
(先生の回答も)
🎯その15 僕が出来る唯一の仕事
3月に入ったある日、
森先生の外来を受診した。
今後の定期経過観察をお願いするのが
籾井先生から変更になって初めてだったから
大学病院受診時の報告したんよ!
「4カ所の瘡蓋はいずれなくなるみたいです」
「それは良かったですね、
今の状態でも受診時より
良くなっているはずです。
このままダラシンを塗っていたら
完治するでしょう!」
「本当ですか!よかった…」
今回はMRI検査をしなかったんだけど、
手術数日後に撮影した昨年12月の時点と、
籾井先生の外来受診時に撮影した
今年2月時点のMRI画像を見せてもらった。
どちらも一度見たことがあったけど、
改めて2つを同時に見ると、
あれだけ大きかった嚢胞構造が
段階的に縮小していっていることがわかるんよ~
ただ、完全に消えてちゃってるわけじゃない…
籾井先生からは
問題ないとは言われているんだけど~
僕は素人だし
筋金入りのヨワヨワマンだから…
やっぱり
何か問題があるんじゃないか?と思っちゃってね!
「これは…
悪いとは思えないんですが…
良い傾向なんでしょうか?」
「もちろんです。
今後も時間の経過とともに、
嚢胞構造が更に縮小していくでしょう」
ということは、
現時点では順調なペースで縮小中であって、
今後もそれが続くということ?
(ただ消滅するわけではない)
…
ま~ここまでは「良い感じ」なんだろうけど、
今後も気を抜くつもりは更々ないけどね!
嚢胞構造が再び拡大する可能性は
「0」じゃないでしょ?
頭蓋内を目視するのは無理なんだから、
今後も定期的に森先生の診察と
MRI画像診断を受ける。
そうすることが
早期発見につながる
僕が出来る唯一の方法…
ま〜仕事のようなものかな?
🎯その16 矛先変更か?
「先生、経過は順調みたいですが…
術後も顔面神経麻痺症状は
相変わらず出ています。
中には悪化傾向なのもあります。
それはある程度わかっていたのですがが…
少し残念です」
「わかりました。その件は今後も相談に乗ります」
「では…
籾井先生にも質問したことですが、
たぶん術後からだと思うんですけど~
手術部位周辺が、
・たまに(ひきつる)っていうのか?
・痛むというのか?
・さ〜と血の気が引く感じっていうのか?
・足がつったときのように(あらららら…)
ってなるような状態っていうのか?
・かき氷を急いで食べた時のような状態というのか?
落ち着くまで動きが取れないことがあるのですが…」
「問題ないでしょう。大丈夫!
今回は髄芽腫の再発ではなかったのですから…
自信をもって、
いろんなことにチャレンジしてください!」
「わかりました。それでは
今後もどうかよろしくお願いします」
「お大事に!」
これまで僕は、
嚢胞の正体を突き止めるために
全力で向き合ってきたつもり。
今後も
定期的に経過を診ていただく
日々忘れずに向き合う姿勢
それは変わらないよ~
でもね
優先順位をつけるとしたら
1番ではなくなってくるのかも…
顔面神経麻痺
放射線障害
お尻のケガ(褥瘡)
皮膚癌
過敏性腸症候群
40肩
脳腫瘍髄芽腫
今の僕には
ほかにもいくつか気になる症状があるわけで…
それでも
これまでどおりの生活…
僕が考える自立した生活に挑戦していくには、
嚢胞ではない別のことに
矛先を向ける必要があるのかもしれないな~
🎯その17 あなたって素直じゃないのね!!!
4月に入った。
新年度を迎え、
職場には新卒や異動で
新たな戦力となる人材が!
僕も、術直後に比べたら別人…
顔面の腫れが引いている
手術創より前に髪の毛が生えている
テカテカしていたオデコ周辺が、かなり改善している
職場復帰した当初は
フランケンシュタインみたいだったけど、
そんなのはどこへやら…
腫れが引いた今は~
手術創の位置が
移動したかのように見えるんよ!
えっと…
真正面から見たときに
上のほうへ移動したみたい!
それはね~
腫れの問題もだけど
それより前に
髪の毛があまり生えていなかった…
ここも要因かなって思うんに!
だけんさ~
今の僕を見たら
「あの人フランケンシュタインみた~い…
キモ~い!近寄らないで~」
そう思う人は少ないはず。
(復帰当時の僕を見て、大丈夫なのか指摘してきた同僚からも、「何か表情が以前と違って良くなりましたね~」と言われるようになった!)
そうなんだけど…
どこか、素直に喜べない僕がいるんよね~
🎯その18 突然…
籾井先生と森先生、
どちらにも相談したこと!
手術部位周辺の違和感
ここまでの段階では
嚢胞との関係性はない…
ま~お二人から
お墨付きをもらっているような状態
それじゃ~一体何なんだろう?
手術という行為によって、
体に傷ができたわけだから~
いわゆる「古傷が痛む」状態?
それか~
持病である強烈片頭痛?
ひょっとして…
脳神経以外の問題
…
わからん
そんなことを思い悩んでいるとき
良いタイミングで?
「強烈片頭痛」が、突然やってきたんよ!
🎯その19 ズキンズキンじゃない!
あっ…少し話がそれちゃうけど
医学用語には
強烈片頭痛っていうのはないよ!
僕が勝手にそう呼んでるだけ!
(日常生活の大きな弊害になる片頭痛)
僕は「片頭痛持ち」になって20年以上
日常生活にあまり支障をきたさないのは
ポチポチ頻繁に起きているかもだけど、
日常が全く回らなくなるくらいの
「強烈片頭痛」は年に数回あるかないか…
コレ
いつ起こるのか?
予測するのはとっても難しいんよ…
だから、年に数回しかないことに対して、
「次はいつ来るのか?」と
戦々恐々で過ごさないといけないことになっちゃう。
ま~もう長い付き合いだからね!
これまでの経験を記録に残すことで、
ある程度のパターンをつかんではいるんだけど…
「焼け石に水」っていうのかな…
何もわからずに怯えるよりはマシ」
でもね~
ま~こんなもんかもな~って
諦めって言うのか
治そうって気にならないって言うか…
えっと…
もう死んじゃうんじゃないの~って
痛みにのたうち回っていても、
時間が経てばいつの間にか
ケロッと良くなっちゃうんよ~
「片頭痛は死なない頭痛」とは
よく言ったもの!
…
横道にそれた文字が多くなっちゃったわ…
ごめんねごめんね~
今回の強烈片頭痛も、
左のコメカミあたりにある太い血管が、
脈打つようにズキンズキンと痛んだ。
コレ
今、僕が心配する手術部位周辺の違和感とは
異なるぞ!
心配する違和感は、
・たまに(ひきつる)っていうのか?
・痛むというのか?
・さ〜と血の気が引く感じっていうのか?
・足がつったときのように(あらららら…)
ってなるような状態っていうのか?
・かき氷を急いで食べた時のような状態というのか?
…
ズキンズキンじゃない!
ということで~
強烈片頭痛の可能性は除外しようっと
…
じゃ~何なの?
🎯その20 ぶら~んはダメよん
強烈片頭痛の時に
気がついたもう一つのこと!
僕はね~、
普段から
両方の「まぶた」が若干下がっているんだけど、
片頭痛時は、ますます下がっちゃうんよね…
強烈…になると一層下がってきて、
目の前に黒いバーコード?カーテン?
たぶん「まつ毛」だと思う。
確かじゃないんだけど、
まぶたが下がれば
当然それも一緒に下がってくるでしょ?
これがあると
見づらさMAX!!!
以前3か所の眼科を受診した時、
視力検査時や細隙灯での顕微鏡検査時に
指で上げてくれたり
テープで上げた状態を維持したら
少し見やすくなった!
そういうことから、
僕が見づらいと感じる現象は、
顔面神経麻痺のために
「まぶた」が下がっていることが
いくらか関係しているのかも?
お目々パッチリ…
日頃から目を大きく見開くことが
大事なのかもしれないな~
🎯その21 な、なんだこりゃ~~~?
「あれ?
なんか糸のようなものが出てきていますよ…
ここらへんです」
4月下旬ごろだったかな?
理髪店に行ったときに、
理容師さんがそんなことを言われたんよ。
「糸?…」
前方にある大きな鏡で、
理容師さんが指さす位置を確認すると~
手術創のデコボコ部分みたい。
(右目の上あたり)
でもイマイチはっきりわからない…
「えっ?白髪じゃないんですか?」
「いや~髪の毛ではないです。
もっとしっかりしていますし、
色合いが白髪ではないです。
カットしようと思えばできそうですが、
一応何かあるかもしれないので
お伝えした次第です。」
「ありがとうございます、
あっそうだ!
それじゃ~このタブレットで
写真を撮ってくれませんか?」
「もちろん、構いませんよ~」
理容師さんは、器用に髪の毛をかき分けて、
「それ」が映るように写真を撮ってくれた。
「ありがとうございます、帰って見てみます」
そう言って家路についた僕は、
撮ってもらった写真を見て驚愕する…
(な、なんじゃこりゃ~~~?)
🎯その22 出てきても…わからん
得体の知れない何か…
(あっそういえば…)
振り返れば
あの辺は少し前から違和感があった!
シャンプーをしているとき
指に引っかかるような感じ
ただね~
痛くも痒くもなかったし、
血液などの液体や粘液みたいなのが
中からジワジワ出てくるものがなかったから…
ずっとスルーしちょった…
(あっ…)
以前あった瘡蓋から出てきていた
細い1~2mmくらいの糸みたいなの
似ている?
あのときも感じたけど…
糸みたいなフニャフニャしたものじゃなくて
自立しているんよ~
…
釣り糸みたいなもの?
怖くてしっかり触れることはできないけど、
髪の毛より張りがある素材なのかな?
途中で降り曲がっていて、
指を軽く曲げたような形になってる。
(これは…ヤバいやろ…)
慌てて森先生の外来を受診。
「これは…今すぐ採ってしまいましょう」
先生はそう言われると、
看護師さんにいろいろと指示されている。
どうやら緊急で摘出が始まるみたいだ。
「まずはこれを被せますね~」
しばらくすると
看護師さんがそう言いながら
何かを被せようとする。
「えっ?ちょっと待ってください。
ここで?
このまま(車いすに座ったまま)ですか?」
「ええ、先生が車いすに座った状態で
採っちゃうからって…」
頭上にブルーシートみたいなの?
あれを被せられたもんだから
以降は、全く見えなかったんだけど
推測で実況中継…
まずは~
ハサミで周辺の髪の毛を
切れるところまで切った後、
メスで剃毛されちゃう…
ま~
アソコのじゃないんだから
恥ずかしくはないけどね~
ツルツルになったところで
消毒液をジャバジャバと
まんべんなく塗る
それからは森先生が
ピンセットのようなもので
頭から出てきている物体を慎重に摘出…
「終わりました。
意外と簡単に採れましたよ」
「えっ、もうですか?」
たぶん5~10分。
その後
ブルーシートみたいなのを外してもらい、
その怪しい物体を見せてもらった。
「えっと…これは…なんですか…」
🎯その23 同棲生活、は~じめました~
出てきても
得体の知れないものは
得体の知れないものだったのよ~ん…
長さは2~3cmくらいかな?
見た感じはワイヤー(金属)のよう
「先生、これは何ですか?」
「ナイロン製の融合糸です」
「あ~融合糸だったのですね!
それで手術創周辺から出てきた…
そうですよね?」
「ええ」
(ってことは~
職場復帰したと今回、
頭皮より上に出てきていたのは
その一部だったってことか…)
そんなことを思いながら
なぜか感心させられている僕に
先生が一言
「その縫合糸が、
手術創の内側に端から端までいくつもあるんですよ」
「えっそうなんですか?
だったら、10本とかでは済まないでしょうね…」
「そうかもしれません。
今度籾井先生に質問されたらどうでしょう?」
融合糸が頭に埋まっていること
最初は何本埋まっているのか?
考えるだけでゾッとしたんだけど、
冷静になって考えてみると、
開頭したんだから当然のことなのかも?
だって、
手術創がしっかり繋がるまで縫い合わせるのは
体中どこもそうでしょ?
今回の手術では
頭部の端から端までを切開したんだから
そこに融合糸があるのは別に変じゃないよね~
あとは~
「それじゃ~先生、
いつ融合糸を取り出す手術を
受ける必要がありますか?」
「いえ、しませんよ」
「えっ…摘出しないといけませんよね?
あっ…わかりました!
溶けてなくなるんでしょ?」
「いえ、なくなりません。
今後一生そのままです」
当然のようにそう言われる先生。
「えっ…摘出もしないし、
溶けてなくなるものでもないんですか…」
(マジか…こんなものが無数に、
一生頭の中にあるのかよ~…)
縫合糸を見つめながら途方に暮れる僕。
「ナイロン糸が出ていた場所は、
手持ちのダラシンを塗っていれば塞がります。
次回の外来受診時に状態を診ますので、
それまでは忘れず塗るようにしてください」
「わ、わかりました。
あっ…それじゃ~
抜けてしまったこの融合糸は?
埋め込み手術ですか?」
「いえ…
(術後)もうずいぶん時間が経過しているので、
1本くらいなくても平気ですよ!
記念に持って帰りますか?」
「は…はい…」
僕は看護師さんがガーゼに包んでくれた
融合糸を受け取ると、
苦虫を噛み潰したかのような…
なんともスッキリとしない表情で
診察室を後にしましたとさ…
めでたしめでたし…でいいのかな?
…
🎯その24 ある意味テキトーに
「そういえば…
手術から丸5か月になります」
5月下旬、
定期経過観察時に森先生へそう言った僕。
「もうそんなに経過したのですね。
これを見てください」
医療モニターに映してくれたのは、
今回
昨年11月の手術前
12月の手術直後
2月の時点
合計4枚の画像。
素人の僕が見る限りでは…
悪くはない?
…
果たして先生は何て言われるのか…?
「先生、どうですか?」
「術前に比べたら雲仙の差です。
今回は嚢胞構造は更に縮小し、
周辺の浮腫はわからないほどです。
今のところ順調に回復していると思いますよ」
「そうですか、よかったです!
一時はどうなることかと思いましたから
素直に嬉しいです」
ただ、喜んでばかりではないよ!
嚢胞が再び拡大する可能性は「0」じゃないからね!
今後も定期経過観察を必ず受けて
目を光らせていく必要はあるんよ~
あとは
手術部位周辺の違和感
コレ
原因がわからない
ただの気にしすぎなのかもだけど
今後の課題…
「あとは何かありますか?」
「えっと…無いです。
それではまた次回もよろしくお願いします」
いろいろ相談したことはあったけど、
嚢胞を含めて
まだまだ直線になりそうな今
だから
急がば回れ…
今回は「やんわり」と留める?ことにしたんよ!
ま~いろんなことに
急いで何としてでも治してみせる!
そう意地を張るよりも、
柔軟に
ある意味テキトーに
共に生きていくような姿勢
大切にしていきたいな~
ー つづく ー
(第3章はここでおしまい)