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田中千禾夫『マリアの首』を読んで。【感想文】

大学一回生の頃だった。
まだ福島から大阪に来て、2年も経過していなかった頃だったから、
「呪縛」が強かった時期。
そんな時期の自分の言葉を今の自分が読むと不思議な感覚になります。



 田中千禾夫作『マリアの首』を読み始めて、自分は二度その本を閉じることになった。その理由は二つあり、一つは単純に不慣れな長崎弁(九州弁)に酷い違和感を感じて、話の内容をうまく読み取れなくて読むのを挫折したからだ。
 もうひとつは、登場人物が“ケロイド”つまり“被爆者”であり、そのことをはっきり認識し、自分の腕の傷痕を思い出したからだ。一度閉じた本はなかなか開くことができなかった。あの日被災したときを思い出し、鈍痛に襲われたからだ。
 被災と被爆。まったくもって別のことだ。自分でも理解している。規模がどうこう、死傷者がどうこう、(ただ悲しく辛い、そういった点では似ているかもしれないが)同じような目線で考えること自体間違っている。それでも自分はある一節にだとりついてから、この考えをなかなか捨て去ることができなかった。


鹿『そこで私がまたもとに戻ったら、
私が店先にたたずめば、
葱が腐ると言った八百屋の亭主も、
私がそのなかに入れば、
湯が汚れるといった銭湯のおかみも、
私がベンチに腰をおろせば、
含み笑いをしながら逃げ出す公園のアベックも、
にこにこと私を迎えてくれるだろう。

しかし、
広島で散った二十万の塊は、長崎で亡びた七万の肉は、
決して再び返ってはこない。』(本文より抜粋)


 この台詞を読んだ瞬間だった。自分が福島からこの大阪という土地に来たばかりの悪夢を思い出したのは。
 放射能だの、被災だの、好き勝手にささやかれ、政府も動いてはくれない、チャリティー?笑わせるな。所詮自分達の自己満足、被災地の現状も知らないで可哀相と上辺だけで呟き、そんなことしても、あの日失った彼等は帰って来ないのに…。そう、すさんだ考えしか持てなかったあの頃を思い出してしまったのだ。腕の痛みとともに。
 何度も言うが、被爆と被災はまったくちがう。だがしかし自分はどうしてもその一節が頭から離れずに、作中の壊れたマリアの首も、破壊された自分の思い出の場所(学校や家、友人の家、近所の公園、馴染みの図書館など)としてしか捉えられなくなっていたのだ。
 そして、読み進めて行けば行くほど、被爆者の悲痛な考えや思いが、あの日被災した自分達とどこかリンクしはじめ、読み終わる頃には、肝心の内容どうこうよりも、ただ、原爆の恐ろしさと、長崎、広島の方々の悲痛な叫び、そして破壊された大切なマリア像の抱える闇と光(絶望と希望を併せ持つような強い何か…)を感じ、腕の痛みが増していくのをどこか他人事のように感じたのだった。


 この物語には多くの登場人物の思いが交錯しているように感じられた。どうしてマリアの首…というよりマリアの像そのものにそこまで執着するのか。それは彼女らにとってはマリア像は忘れてはいけない、否、忘れられない絶望である戦争、という悲しい過去を、そして、伝えていかなくてはならない、これから果たすべき希望を信じ、実現しなければいけない平和の象徴なんだと思う。だからこそ、被爆者である彼女らは闘ったんだと、そう強く思った。
 そして何度読み返しても(この点に関しては自分の読解力、感受性の乏しさのせいだが…)結局彼等はどこに向かっていくのかががあまり理解できなかった。希望は廃れてしまったのか、あの祈りは希望に続いたのか。
 どうしても自分の経験が感情の先走りとなり、思うように読めなかったのが残念だ。なので何度も何度も読んでいこうと思った。彼らの希望はどこに通じているのか、長崎、広島で起こった悲しい、けれども忘れてはいけない現実をどう残していけばいいのか、(とても個人的なことだが、どうしたら福島の過去、現状、そして未来のことを多くの人に伝えられるか…などを含めて、)そういったことを深く考えさせられた作品だった。


 ただただ、衝撃、の一言だった。

 自分も負けずに闘っていこうと、そう思える作品だった。











素敵なサムネイル画像、お借りしました。
https://www.pixiv.net/artworks/90088410

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