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岸田國士『紙風船』を読んで。【感想文】

学生時代、触れる機会が多かった岸田國士作品。
もう一度ちゃんと読みたいなぁと思った。
恐らくこの頃と全く違う感想が出てくると思う。


 岸田國士作『紙風船』を読んだ。感想を考える(というより、何かを感じる、何かを得る、と言った方が正しいかもしれないが…)よりもその前に作品自体が終わってしまったことに驚いた。夫婦が登場人物だから、二人が仲がよいのか、悪いのか、そういったことに注目した。これは夫婦の絆の話か、逆に今にも別れる二人の話なのか。それとも全然違う人物、第三者について考える話なのか…そんな風に予測を立てていたが、まったくもってこれはあてにならなかった。
 最初少し仲の悪い夫婦のように感じた。喧嘩でもはじまるのかと思ったら、はじまったのは鎌倉への想像旅行(勝手に命名)だった。なんだこりゃ。でもどこか楽しそうな雰囲気がある。しかし(間)や(沈黙)、時には(長い沈黙)がちょくちょく入り、二人の気まずさも表れている気がした。(その(間)や(沈黙)が気まずさだけを表しているようには思えないが…。例えば喜び、恥ずかしさ、迷いなども含まれているのではないだろうか…?)
 そして最後には涙を流す妻。んん?やはり結局妻は辛い思いをしたのか…?そう思いながら読み進めると、少しずつ(あくまで自分の解釈だが)その理由がわかったような気がしてきた。
 妻の言葉「あなたは、あんまり、あたしを甘やかし過ぎるのよ。」や「よそのうちを御覧なさんよ。」、「女はつけ上がるものよ。」という台詞から、やはり妻は夫に不満があるのではないかと思った。
 そしてこれらの彼女の言葉の返答である「さうでもあるまい。」、「むづかしいもんだな。」、「見てるよ。」、「出来るよ。」(後半はほとんど相槌が単調すぎていい加減さを感じてしまう。)という台詞からもわかるように、そんな妻の不満に夫は気づいてないんだと思った。
 そういった少しのすれ違いが大きくなり、お互いの気持ちがふわふわ浮いたままの微妙な距離になってしまったのではないかなぁと思った。

 そして題名にもなっている“紙風船”が最後に登場する。二人の会話を遮るように表れた紙風船は二人の仲を離さないようにして出てきたような気がする。そのまま言い合いを続けていたら仲たがいをしそうだった夫婦の間を取り持ったように、自分には思われるのだ。
 紙風船を子どもの元に返そうとする妻と、その姿を追いかける夫。紙風船のおかげ(と言い切るには自分の解釈はまだ稚拙すぎるが)で夫婦はまたふわふわ浮いた距離のまま、離れずにはすんだのではないのかなかぁと思った。紙風船も優しくふわふわしたイメージがあるし、夫婦の仲を繋いでるのではないか。

 想像旅行、鎌倉への旅行ごっこは、夫婦の絆を確かめ合う行為だったのかなと思った。夫の暴走が少し嫌悪感を抱くが、こういった夫を持った妻の悩みが、この紙風船の中には詰まっていて、潰れないように、そして壊れないように、静かにつき続けられているんだと、そう思った。












素敵なサムネイル画像、お借りしました。
https://www.pixiv.net/artworks/90088410

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