サピエンスの21世紀は「進化心理学/Evolutionary psychology」が支配する時代になる──心(Mind)のわけ(Reason)を解き明かす進化心理学とは何か?:これからの時代を切り拓く50の思考道具
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サピエンスにとっての21世紀は「進化心理学/Evolutionary psychology」の時代になる──目次:
# サピエンスにとっての21世紀は「進化心理学/Evolutionary psychology」の時代になる
────「進化心理学/Evolutionary psychology」は、1990年代にその創始が宣言され、アメリカやヨーロッパを中心に近年世界的に注目を集めている、まだ比較的新しい、サピエンスの「心(Mind)」を研究する学際的な学問分野だ。
この分野は、欧米では、これからのサピエンスの世界を切り拓く新たな時代の最重要学問のひとつと位置付けられている。
だが、日本ではいまだに認知度が低いし、大学でもまともに学べるところがいまだにほとんど無いのが現状だ。
勘違いしてはいけないのは、「○○心理学」というネーミングの"謎学問"は世間の巷やきちんとした学界にまで、もはや数え切れないほど跋扈しているが(例:「アドラー心理学」)、
進化心理学/EPはそれら俗流心理学とはまったくもって一線を画すものであり、なんなら従来の心理学理論すべてを塵に帰してしまうようなポテンシャルを秘めている学問分野だ、ということだ。
────こういうドデカイことを言うと、「またいつものやり方か」と思われるかもしれない(新商品を売り出したいときはみんなこういうデカイことを言うのだ)。
しかしながら、今回ばかりは違う。(またいつものやり方か?)
進化心理学(EP)とは、
「人間がヒト科動物の一種であり、ダーウィン進化によってつくられた生命有機体である」
ということをまぎれもない事実だとして了解している人ならばだれもが、
その内容の如何はともかく、その独特なアプローチの正当さを(いつかは)受け入れざるを得なくなる────そんな"究極のサイコロジー(心理学)"なのだ。
(胡散臭え・・)
「進化心理学(EP)」は、その名の通り、チャールズ=ダーウィンが1859年に発表して以降、生物学者たちの手によって発展がなされてきた「進化論(Theory of Evolution)」をすべてのセオリーの土台 (=第一原理) とする学問だ。
なぜ、心理学なのに進化論なんてもんが関係あるんだ?
────そう感じる人は、まだまだ、従来の学問の見方にとらわれすぎている。
従来の学問の見方って?
端的にいうと、
「人間(ホモ・サピエンス)は動物ではない」
という、いまや非科学的なものとなった思考フレームだ。
────待て待て。分かってる。「人間は動物である」という文言を否定する人など今やほとんどいないだろう。
もしいるとしたら、生物学者によるヒトゲノムの解析結果(チンパンジーと98%同じ)に真っ向から挑戦を仕掛けているのとおんなじだ。
────しかし、いくら口では「人間は動物の一種だ」という文言の正しさを認めていようとも、"常識的なヒトたち"は、生物学や動物行動学を使って「ヒト」や「ヒト社会」を研究したり説明したりするような行為を、往々にして「そんなのまちがっている」と激しく非難するものだ ※
────心理学が、進化論と切っても切り離せない関係にあるのは、
「サピエンスという動物が、〈進化〉という生物学的設計プロセスによる"産物"だから」
に他ならない。
進化心理学(EP)は、徹底して、「サピエンスは動物である」という生物学的な前提に立ち、自然科学的な枠組みから人間というものをとらえる。
(「とらえる」、と言ったがこれは「こういう見方もあるよね」といったレベルの話ではない。現在ほとんどの学問で「人間は動物としての側面を持つ」との理解がなされているが、進化心理学者は「“人間は動物的な側面を持つ”どころか、本質的に、動物の一種そのものである」と主張する)
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# そもそも、心理学/Psychologyの始祖は「進化心理学者」だった
現代の進化生物学(あるいは社会生物学・動物行動学・行動生態学など)、そして脳科学(神経科学と呼ぶのが正しい)の発展から、生物の「行動」は────不確定性やランダム性を存分に孕みながらも──おおよそ「進化的に“デザイン”されている」、ということが判明している。
“なに? 俺たちの〈行動〉が誰かにデザインされているだって?”
────驚くのも無理はない。俺たちサピエンスは「行為者性/Agency(エージェンシー)」という感覚を脳に進化的に備えつけられているからだ。(*T.Metzinger 2009)
サピエンスがもつ、ある種の認知バイアスとして進化的に脳に備わっている「行為者性/エージェンシーの感覚」を"幻想"として棄却する事は、進化心理学を理解するための重要な知的基盤となっている。
進化生物学者や進化心理学者が、サピエンスの心理や行動を(いたって真っ当な方法として)「生物学」から説明しようとすると、すぐにこんな反論が来る。
“でも、人間は「理性」で自分の感情や行動をコントロールしてるよね? 「動物」と同じように語るのはおかしいでしょ。”
────「ハァー」と溜め息が聞こえてきそうだ。繰り返し言うが、サピエンスは霊長類(サル)の一種であり、チンパンジーやボノボのいとこであり、「動物」なのだ。
「理性」だって? それは一体どこからやってきたんだ?
人間を作った神さまが雷鳴を轟かせて放った一撃だろうか?────いいや。その「理性」なるものも進化の産物だ。
「動物の行動が"デザイン"されている」理由は、一般的には「本能/instinct」というワードから説明されることだろう。
進化心理学者のような、「人間(サピエンス)は動物の一種である」という生物学的な前提に立つ人びとは当然ながら、人間がほかの動物と同じく進化の産物である以上、「人間にも本能は備わっているだろう」と考える。
じつはこれは、心理学(Psychology)の始祖・ウィリアム=ジェームズが1800年代後半に考えていたのと同じ発想だ。
────ウィリアム=ジェームズは、ダーウィンの進化論(『種の起源』は1859年出版)が議論されていた真っ最中の時代、1800年代後半〜1900年代初頭を生きた人物だ。
ウィリアム=ジェームズは、当時のインテリたちがみな「人間は動物とは異なり、本能をほとんど失った存在だ」と考えていたのに対し、ひとり異論を唱えて、
「人間はむしろ、動物たちよりもはるかに複雑で、はるかに多くのタイプの本能が備わっている存在だ」
ということ(生得論)を主張した。
しかし、ヒトという動物自身は、他の動物たちと同じように、自分の行動が本能に司られているということを自覚しないだけなのだ。
>参考: 本能的盲目(Instinct Blindness)
マット=リドレーは、異端児・ウィリアム=ジェームズを以下のように紹介している。
(マット・リドレー著、中村桂子/斉藤隆央訳『やわらかな遺伝子』2004年、紀伊国屋書店)
ウィリアム=ジェームズが1890年に出版した『心理学原理/The Principles of Psychology』は、心理学の歴史における記念碑的著作だ。
ジェームズは、自然科学的な(=つまり生物学的な)視点から、Psychology(=精神分析学、心理学)を説いたのだ。
────心理学研究はその後大きな回り道をしたが、20世紀の最後になってようやく、ウィリアム=ジェームズの考えが正しかったことが証明された。
幼児が言葉を覚えられること、日常的にだれかと会話をしたくなること、物事のわけをついつい説明したくなること、モラルを持つこと、文化を生み出すこと、議論すること、そして「自己意識」をもつこと…。
これらはすべて、人間(サピエンス)に生物学的に備わっている「本能」由来のものだったのだ。
・・・皮肉にも、それらの発見はいずれも、スタンダードな心理学研究からによるものではなかったが。
────しかし、動物と人間を区別するものとしての「人間性」という概念が崩壊してしまうと(=それらがほかの動物たちと同じように、人間という種に特徴的に備わった本能である、ということになると)、たとえばわれわれが漠然とした定義で認識している「理性/Reason」なんていう概念は一体どうなるのだろう?
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# 経済学者 VS. 行動経済学者 (──そのファイトをヤジって観戦する進化心理学者)
経済学は、「人間は、動物とは異なり、『理性/Reason』によって経済合理的に意思決定を行う存在だ」という、既に散々批判されきっている前提(「合理的な経済人/ホモエコノミクス」概念)の上に諸処の理論(セオリー)を組み立ててきた。
アダムスミスに始まる経済学理論は、ようするに、ダーウィン以前の「人間が動物ではなかった時代」に構築され、今に至るまで、生物学的な視点が理論的土台に組み込まれていない────。
近年、この従来の経済学の見方を批判して、「行動経済学/Behavioral economics」が勃興してはいるものの、この新しいタイプの経済学者たちはようするに、「ヒトは合理的ではない」ということを(揚げ足取りのように────いや揚げ足をとるのは大事なんだけど)、状況ごとにパターン化して、リスト化している人たちのことを指す。
行動経済学者たちがこれまでに発見してきた「認知バイアス/cognitive biases」は90種類以上にも及ぶ。
彼らはこの認知バイアス・リストをぜんぶ踏まえた上で、"新しく経済学の数式や理論を作り直せ"、と要求しているのだが、勿論そんなことは一筋縄ではいかない。
行動経済学者たちの研究が解明してきた事実とは、 「人間は愚か者で、不合理で、アタマが悪い」 ということだ。
────だから、この「意思決定のエラー」を経済学理論は踏まえる必要があるし、社会的な政策としては、"ナッジ/nudge" のアイデアを取り入れて人びとを「正しい方向」に導く必要がある、と彼らは言う。
>参考:行動経済学で人の心を操る現代の魔法「ナッジ」とは何か|ノーベル経済学賞セイラー教授の「発明」
────じつは、こういった行動経済学者たちの「心のエラー(欠陥)を修正せよ!」の態度に対して、「それはどうなの?」とニヤニヤ野次っているのが進化心理学者たちだ。
結局のところ、行動経済学のセオリーとは、従来の経済学の「ホモ=エコノミクス(合理的な人間)」の仮定を批判しているだけで、実際の人間はもっと愚かで不合理なんだ!と説くものに過ぎない。
ここで、ひとつの疑問が浮かぶだろう。
はたして、"不合理性(irrationality)"についての学問は「サイエンス」と言えるのか?
────勿論、言える。上記は詭弁だ。
しかし、進化心理学者たちは、「もっといい理論的フレームワーク」を経済学者たちに提供したがっている。経済学/economicsという学問は────後で見るように、これは別に経済学だけがどうというわけではないのだが────不必要な重たい制約につねに発想を縛られてきた。
それはどんな制約か?:Re 「人間は動物ではない」という思考の制約だ。
そうなの?────いいや、そんな事はない。
たとえば進化心理学者のゲルト・ギーゲレンツァーらは、行動経済学者の「人間は認知バイアスまみれの愚かな意思決定をする存在だ」という見方を批判して、認知バイアスの多くはむしろ、われわれサピエンスの人生をサポートするために適応的なものとして進化的に備わった、という見方を主張している。
────どういうことか。例として確証バイアス(confirmation bias)をあげよう。進化心理学の観点から認知科学を研究しているメルシエとスペルベルによれば、確証バイアスとは、自らの主張を補強し、他人を説得する際に武器になるような自分にとって有利で都合の良い情報だけが(議論の場では)欲しいと思う個体が進化的に影響力を拡大し、遺伝子生存競争を勝ち抜いたために、われわれの脳に備わった機能だという。彼らは膨大なエビデンスからそれを論証しているのである(Mercier & Sperber 2017)。
・The Reason We Reason
────非合理性からふたたび合理性へ。
ともに『影響力の武器』で有名なロバート=チャルディーニの弟子でもある進化心理学者のダグラス=ケンリックとヴラダス=グリスケヴィシウスの二人は、
サピエンス(=人間)たちのあらゆる意思決定は、彼らが〈深い合理性/Deep Rationality〉と呼ぶものに導かれている、と唱えている。
* D.Kenrick, V.Griskevicius, J.Sundie, N.Li, Y.Li, & S.Neuberg(2009):Deep Rationality: The Evolutionary Economics of Decision Making
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# 〈深い合理性/Deep Rationality〉とは何か?
彼らがいう〈深い合理性/Deep Rationality〉とは何か?
────生物が進化的に身につけた、その種の「進化戦略」に適うような(たとえばサピエンスであれば部族社会の "社会選択" や "規範" や、その他文化的環境のファクターなどを見込んだ上での)「生物学的な意思決定アルゴリズム」のことだ。
人間の意思決定は「生物学的なアルゴリズム」によるものだ、という考え方は、最近では世界的ベストセラーとなったユヴァル=ノア=ハラリ著『ホモデウス/ Homo Deus: A Brief History of Tomorrow』などでも紹介されていたので、特段、驚くようなものではないかもしれない。
むしろ、サピエンスを生物存在として捉えるのは至極真っ当なことなのだから、逆になぜこれまで学者たちはそうしなかったのか?と訝しむべきだろう。
* Y. Harari 2015
────ただ、このハラリの言う「アルゴリズム」とはあくまで、将来的に機械によって生命体が行うすべての内的活動がモニタリングされることで、そのビッグデータからヒトの脳の意思決定アルゴリズムが法則的に導き出されるだろう、という主張だった。
それはまったく帰納的(データ→法則性)かつ科学的なやり方で、データ至上主義の極致とも言えるものなのだが、しかし一方で、「ダーウィン進化論」というツールがその性質を通常のサイエンスと大きく異にするのは、広く普遍的な演繹性なのだ。
「演繹/Deduction」だって?
────この単語を聞けば、真っ当なサイエンティストはみな顔をしかめるはずだ。
ロックやヒュームを代表とするイギリス経験主義(Empiricism)vs デカルトやスピノザやライプニッツに代表される大陸合理論(Rationalism)の対立、などという思想史の話を持ち出すまでもなく、現代のサイエンティストとは通常、経験主義的な帰納的思考を第一に心掛けるものなのだ。
────しかし、進化論/Theory of Evolutionの本質に通じている人々は、なぜ「進化論」というセオリー(ドグマ)から具体的なさまざまな物事を"演繹"して思考するということが、科学的な正当さを認められうるものなのかを知っている。
「進化論」というざっくりしたセオリーから、なぜ、演繹的な推論が(サイエンスとして)可能になるのかを考えてみよう。
────それは、「進化=自然選択」というプロセスそれ自体が、ローンチされた「膨大な数の試行データ」から、帰納的に「法則性」を導きだしていく、という手法を採っているからだ。
進化論哲学者のダニエル=デネットは「進化論」の内容を簡潔に述べる。
(ダニエル・C・デネット著、山口泰司/大崎博/斎藤孝/石川幹人/久保田俊彦訳『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』2000年、青土社)
(「もっとも優れた設計」などというと、ポリコレな人々は「その表現を改めよ」と言うのだが、そのような “各方面に配慮した表現の修正” は本質的な理解を妨げてしまうのでここでは行わない。「優生学」との差異は良識があれば誰でも理解できる)
言うまでもなく、進化論がいうところの「優れた」とは、結果論(afterthought)だ。
────しかし、生命体(=生きもの)が何億年という膨大な時間にわたって命を繋いでこれたのは、「生と死」という結果論から生存者(=生きているもの)だけを残してすべての歴史を紡いできたからなのだ。
進化は、“自然選択” というアルゴリズムによって駆動する。そのアルゴリズムはランダム性を“利用”して、統計的に「とりあえずの正解」を導きだし、機能的な生物をせっせと自動でデザインしていく。
注意。 このアルゴリズムは決して「ランダム」とか、「偶然」とかとイコールなものではない。
────(あとで説明するが)自然選択のアルゴリズムはランダム性や偶然性を"利用"しているだけだ。
生命界のサイコロには「当たりの出やすさ」が存在し、無数の試行回数と削ぎ落としを経る中で、“仕組まれたサイコロ” だけがテーブルの上に残っていく。
(カジノで勝ち続けてるヤツは、腕が良いか、仕組んでいるかのどっちかだ。いずれにせよそれはただのラッキーではない)
勿論、俺たちサピエンスも進化の産物だ。しかし俺たち自身は、まさか自分が「仕組まれたサイコロ」だなんてことには気づいてない。;だが、そうなのだ。
────それを嬉々として暴露しちゃうのが進化心理学者たちである。(きみの心は仕組まれている!!気づいていないでしょう?)
『進化は万能である/THE EVOLUTION OF EVERYTHING:How New Ideas Emerge』というタイトルの著作において、進化生物学や遺伝子学に造詣が深いマット=リドレーは、進化心理学を創始した二人の言葉を借りて、「進化論」というアイデアの強力さを説明する。
(マット・リドレー著、大田直子/鍛原多恵子/柴田裕之/吉田三知世訳『進化は万能である:人類・テクノロジー・宇宙の未来』2016年、早川書房)
────つまり、生命体を生みだした「進化」というプロセスそれ自体が、生命体の行動や意思決定を説明する"理由"になりうるということだ。
どういうことか?────デタラメではない進化の産物である生命体は、必然的に、あたかも「目的」と呼べる方向性・固く塗り固められた傾向性・盲目的な戦略性を有するということである。
かつて『Selfish Gene/利己的な遺伝子』という衝撃作を出版して、世界中を震撼させた進化生物学者のリチャード=ドーキンスはこう述べている;
> 以下、参考:「利己的な遺伝子」と「生存機械」 : われわれは何者か?───生物とは遺伝子の容れ物となるための「バイオマシン」だ ~ 生存機械と不滅のコイル
進化心理学者の"ミッション"とは、この進化生物学の基本アイデアを、俺たちサピエンスの世界にまで拡張することである。
「サピエンスは〈深い合理性/Deep Rationality〉に導かれている」、と唱える進化心理学者のケンリックとグリスケヴィシウスの二人は、このアイデアをユーモラスな書き口で著書『The Rational Animal: How Evolution Made Us Smarter Than We Think/邦題:きみの脳はなぜ「愚かな 選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論』に綴っている:
(ダグラス・T・ケンリック、ヴラダス・グリスケヴィシウス著、熊谷淳子訳『きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論』2015年、講談社)
ケンリックとグリスケヴィシウスのふたりによれば、進化心理学者の考え方は、一見当然すぎてバカバカしいような────しかし従来の科学がきっちりと見落としてきた────、以下の主要な「ふたつの発見」に基づいている。
発見 ❶:ヒトの意思決定は進化上の目標に適っている。
────ドーキンスが述べるように、そして多くの進化生物学者が認めているように、進化の産物である生命体は、必然的に、あたかも"目的"とも呼べる「進化上の目標」を有している。
しかし、この進化上の目標を追求する思考や行動は、デネットが言うところの「理解力なき有能性/CwC」なので、通常は生命体自身によって"意識"されることはない。
────ケンリック&グリスケヴィシウスは、この当人すら意図していない「進化上の目標」を、たとえ本人がそんなことを直接そのまま口にしない(or 意識しない)にせよ、研究者たちはしっかりと生物学的に理解を踏まえておくことが必要だと主張する。
なぜなら、神経科学者ガザニガがいうように、ヒトという生物が〈意識〉のレベルでアタマに思い浮かべる思考や、口から発したりする言葉は、大抵ヒトの脳に備わっている「インタープリター/interpreter」機能によって、自動かつ無意識のうちに紡がれ、創作されたものだからだ。
ヒトの左脳を中心に存在する「インタープリター」とは、端的に言えば「直感的な説明・でっちあげ・捏造・後付け・辻褄あわせ・“理由”や“わけ”のテキトーこじつけ装置」といったところのものだ。
ガザニガは、こんなもの(=インタープリター)が語る「理由(Reason, Because〜)」なんかを信用して、その無意識に自動ででっち上げられた言葉に科学者達がマジメに耳を傾けるなんてあり得ない、と著書のなかで喝破している(Gazzaniga 2011)。
・Left-brain interpreter(Wikipedia)
────ユヴァル・ノア・ハラリは、人間の脳に備わっている説明構築機能:インタープリターについて、以下のような喩えを述べている。
(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』2018年、河出書房新社)
>関連記事|インタープリター:左脳の後づけ解釈装置の"お喋り"をまともに取り合う価値はあるか
────ケンリック&グリスケヴィシウスは、
ヒトのうわべの思考や言葉に惑わされず、"進化上の目標"から、意思決定理論というものを考え直すべきだ
と述べる。
たとえば、女の子がカフェに行きたがるのは、彼女達が語るように「お喋りがしたい」からではなく、神経伝達物質のエンドルフィンを放出させ、ほかの霊長類のメスたちと同じように"毛繕い効果"を得ることで女同士の結束を強固にし、ママ友どうしで協力して行うきたるべき「共同育児」に備えているからかもしれないのだ。
────「おしゃべり」がしたいだけならスカイプやLINEでもいいでしょ?;いいや、そういうことにはならない。「おしゃべり」は彼女という霊長類の一個体にとって、本質的な生物学上の目的ではないからだ。
そして、なんで「カフェでおしゃべり」の代わりにLINEやスカイプじゃダメなの?と聞いても、彼女はとっさの無意識で「言い訳」をでっち上げる(ほっこりするから、など)だけで、「それじゃあエンドルフィンが出ないから将来のママ友同士の絆を深めることができないでしょ?」なんてご親切に答えてくれるわけなどない。
・オックスフォード大の進化心理学者ロビン=ダンバーは、各種のデータの解析から、ヒトのコミュニケーションの主な機能とは、グルーミング(毛づくろい)とゴシップ(噂話)にあると主張した(Dunbar 1996)。
・ダンバーによる、人類の飲酒習慣の起源と機能についての話。サピエンスは他の類人猿同様、熟しすぎた果物のアルコールを分解し糖に変換する酵素を進化させているが、アルコールによって脳に分泌されるエンドルフィンはサル同士の毛づくろいでも分泌される霊長類社会の絆形成の通貨だ。
>Why humans love alcohol
*「"いまイケてる男"の情報を把握しておくこと」
さて繰り返そう。;
Re:“「それじゃあエンドルフィンが出ないから将来のママ友同士の絆を深めることができないでしょ?」なんてご親切に答えてくれるわけなどない。”
────つまり、「カフェに行く」ってのは、その具体的な行動それ自体に何か意味があるわけではなく、それが指すところの抽象的な意味合い、生物学的文脈でのニーズをとらえて行為の意義が解釈される必要があるわけだ。
このように、ケンリック&グリスケヴィシウスは、サピエンスのあらゆる行動に関して、隠れた「進化上の目標」を見抜いておくことが重要だという。
つまり、「カフェに行きたい」と言うサピエンスの発言の裏には、どんな生物学的動機が潜んでいるのか?ということだ。
(ダグラス・T・ケンリック、ヴラダス・グリスケヴィシウス著、熊谷淳子訳『きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論』2015年、講談社)
※ "ヒトは深い目的の達成につながる選択をするよう進化した。" ;たとえば「地位/ステータス」の獲得は人間が追い求める生物学的目標のひとつだ。でも、人間社会の地位構造は他の動物たちとはちょっと変わっている。「ドミナンス/支配的地位」と「プレスティージ/名声的地位」に分かれているのだ。(以下、筆者の寄稿記事)
>ドミナンスとプレスティージ:ヒトが権力と名声を求める根本的理由
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発見 ❷:ヒトの意思決定はいくつかのまったく異なる進化上の目標を達成するよう設計されている。
───────これは進化心理学の最大の発見のひとつ、
「心(Mind)のモジュール理論」
の内容を指したものだ。
進化心理学者たちは、ヒトのMind(心・精神・意識)は「統一された何かひとつの実体」ではなく、
いわば「複数-無数のMind(心・精神・意識)の集合体」となっている、という事実を多くの研究から示してきた。
そしてこの「心(Mind)のモジュール理論」は多くの認知科学者・神経科学者たちからも支持されているセオリーだ。
この「脳はモジュールである」という理論を体感するには、錯視画像を見るのが手っ取り早い。
────以下のミュラーリヤー錯視を見て欲しい。
この真ん中の棒は上下同じ長さだが、それを知った後でもそうは見えないはずだ。なぜなら、視覚からの認知を司るモジュールと、知る・わかるという脳のモジュールが並列に存在するからだ。
────そう、常識的な直感に反して、心は単数形ではない。心を形成するシステムは、無数のモジュールから成る "複数形" なのである。
だから、 「個人の中に、つねになにか一つの決まった人格(Mind)がある」と想定するのは間違いだ。
ヒトは個別の状況ごとに、“どのようなタイプのMindを発動するか"をヒューリスティック的に選択し、決定する。なぜならそれ(=Mindタイプの切り替え機能)が進化的に合理的だったからだ。
仮面がたくさんあるイメージと言ってもいいだろう。
この進化心理学の心のモジュール理論に関して、もっとも分かりやすく、かつ正確に説明している一般書は、進化心理学者ロバート=クルツバンの『だれもが偽善者になる本当の理由/Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind』だ。
─────このような仕組み(=それぞれのパターンごとに発動するヒューリスティック群を予め抱えておき、実際の状況ごとに繰り出していく)になっているのは、べつに「Mind」にかぎった話ではない。
基本的に、生物個体は、直面するさまざまな状況カテゴリに属する個々のインスタンス(=”トークン”)に対処できるように、身体の全身の仕組みを適応させている。
つまり「進化=自然選択」による設計の特徴として見られるものに、捕食者(=状況A)、獲物(=状況B)、異性との遭遇(=状況C)など、様々な状況カテゴリにそれぞれ振り分けられる複数-無数の個別インスタンス(=トークン)にそれぞれ対応したヒューリスティックメカニズムを生命体に備えさせる、という"癖"があるのだ。
だから「Mind(意識人格)」の設計構造もそれと同じである、というのは、さして可笑しな話ではない。
─────ふだんは暴れまわっているヤンキーが、おばあちゃんに会うときはニコニコ優しくなる、というのは、たいてい、彼がその時「演技をしているから」ではない。
脳のニューロンアンサンブルで形成される"Mind (意識人格)"の構成が、状況ごとに「別のタイプ」へと、ヒューリスティック的に切り替わっているだけなのだ。
そして、そのときそのときに頭に浮かんでいる「Mind」のタイプによって、ヒトの意思決定の結果は(当然のことながら)変化する。"進化上の目標"が切り替わっているからだ。
・たとえば、進化心理学は機能的な意味での「配偶者獲得モジュール」を精神性の変化として想定する。スケートボーダーのサピエンス男性は若い女性が見ていると反射的にテストステロン値が上昇し、脳のvPCの働きが抑制され、ハイリスクな技を繰り出しはじめる。
Ronay & von Hippel (2010) The presence of an attractive woman elevates testosterone and physical risk taking in young men.
https://psycnet.apa.org/record/2011-19474-009
・あるいは「病原体嫌悪モジュール」が活性化されたサピエンスは、とたんにいじめっ子だとか、人種差別主義者だとか、体制順応主義者に変貌してしまうのである。(以下、筆者の寄稿記事)
>「キモい」がいじめっ子と差別主義者の口グセになった「根深い原因」
>コロナ不安で「権威に従い、他人を叩きたがる人」が増えた深い理由
────これらのことを、ケンリック&グリスケヴィシウスは以下のように説明する。
(ダグラス・T・ケンリック、ヴラダス・グリスケヴィシウス著、熊谷淳子訳『きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論』2015年、講談社)
───────以上が、進化心理学者たちが、経済学者たちに提供したがっている「もっといい理論的フレームワーク」の概要だ。
このような生物学を基盤とした「新しい枠組み」は従来の経済学・経営学やマーケティング、ファイナンスなどの思考の枠組みを、抜本的に改革してしまうものになるだろう(アメリカではもうそうなっている)。
たとえば、進化心理学者のジェフリー=ミラーは、『Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior/邦題:消費資本主義!』という話題作において、
進化心理学/EvoPsyのアプローチが、いかにして従来の経済学やビジネス論についてのセオリーを"破壊"し、"再構築"するか、ということを説いている。
# 痒いところに手が届かないランプの魔人
(ジェフリー=ミラー著、片岡宏仁訳『消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学』2017年、勁草書房)
繰り返そう;
「市場はみんなが語った願いをランプの魔神よろしく叶えるべく営為努力する────けれど、これも魔神のように、市場が従うのはみんなの願いの"本意"なんかではなくて、"その言葉の一言一句"だ。そのせいで、なにかといらだつこともある。」
そう、これはまさに進化心理学者たちの典型的な主張だ。
つまり、サピエンスたちが “ランプの魔人” に語るのは、おのおのの脳の〈意識〉のレベルにおいて、インタープリターを用いて話される言葉に過ぎない、と。
そんな「表層的な理解」や「言葉という文字面」に変換された内容ではなくて、本質的な「サピエンスたちの願いの本意」をマーケターたちが知るにはどうすればいいのだろう?
────くりかえすが、進化心理学たちは、その答えは進化論と生物学のなかにある、と言う。
ジェフリー=ミラーは、サピエンスの性選択理論と配偶行動に関する世界第一人者だ。彼はユーモラスな切り口によって、サピエンスたちが行う何気ないもろもろの社会行動を生物学的に分析している。
ミラーは生物学的なフレームワークから、従来のマーケティング理論の"根幹"を叩き直そうとしているのだ。
(ジェフリー=ミラー著、片岡宏仁訳『消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学』2017年、勁草書房)
ミラーが「マーケティング」を生物学的に捉える上で特に強調するのは、ヒトという種の社会だけでなく生物界に広くみられる、
Fitness indicators/適応度標示
という概念だ。* G.Miller (2000)
たとえば、サピエンスのおもに男性は、酒の強さを勝負することがある。これはコストリーシグナリング(Costly signaling)と呼ばれる行為だ。アモツザハヴィのハンディキャップセオリーとヴェブレンの衒示的消費を進化心理学のフレームから生物学的原理で統合・理論化したものである。あえて健康を害するような行為を行うことが、自らの"強さ"を誇示するフィットネス=インディケーターとして機能するのだ。
この話で、俺が一番好きな例はエクストリームスポーツである。"命知らずのバカども" が挑む想像を絶するアクションは、われわれの目を大いに楽しませるエンターテイメントとなっている。
*「みずから意識しているわけではない」:さっきも紹介したが、これは進化的デザインが生物にもたらす特徴的な設計の1つである、CwC(理解力なき有能性/Competence without Comprehension)とよばれるものだ。
────G.Miller (2010) 『Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior』
* * *
# サピエンスの社会のダイナミクスを「生物学モデル」で説明しよう
──以上、ケンリックやミラーが語るような、進化心理学者が提示する「もっといい理論的フレームワーク」とはようするに、
従来の経済学理論が物理学モデルを用いていたのに対して────あるいはその他の社会科学が “標準社会科学モデル(Standard Social Science Model、SSSM)”とよばれるものを用いていたのに対して────、
新しく「生物学モデル」を構築しようと主張するものだ。
・(TIPs) ✔️標準社会科学モデル(SSSM)…進化心理学の創始者トゥービー&コスミデスの二人が批判したもの。
(長谷川寿一 & 長谷川真理子 2000『進化と人間行動』より引用)
────進化心理学者が提唱する「生物学モデル」と、経済学が採用している「物理学モデル」あるいはその他の社会科学が採用している「標準社会科学モデル」との、一番の違いとはなんだろう?
たとえていうとそれは、社会というフィールドに存在する無数の「個」が、ピンボールの玉のように周囲の環境にただ弾かれてあちこち動くわけではなく、バクテリアや昆虫の群れのように、自らの駆動力をもってあちこち「蠢く(うごめく)」存在であるということだ。
生物個体は「行動性向」をプログラム的に「チューニング」されている自ら代謝する有機体であって、無機物ではない。
────たとえば「チャールズ=ダーウィン」という生物個体ひとつ取っても、彼はさまざまな葛藤を抱え、悩み、戦略的に思考し、人生のオールを力強く漕いでいた。
彼はおよそ、物理学モデルの上を「ピンボール」のように走る存在ではないし、また後天的な社会的環境や文化によって「心のプログラム」のすべてを独自に後から書き込まれた存在でもない。
進化心理学者のロバートライトは述べている。:
(ロバート・ライト著、竹内久美子訳、『モラルアニマル〈上〉』1995年、講談社)
また、著名な経済学者で、進化心理学者としても有名なロバート=フランクは、著書『THE DARWIN ECONOMY/ダーウィン・エコノミー』のなかでこう述べている。:
* R.Frank(2011)
* * *
# 進化心理学者の“パラダイム転換” に抵抗する人びと
────いずれにせよ、進化心理学者の
「生物学モデルをヒト社会のダイナミクスを説明するものとして採用せよ」
という主張は、「ヒトは生物の一種である」という科学的事実を認める立場からは、至極まっとうなものであるのは確かだろう。
しかし、進化心理学者(社会生物学者と名乗っていた時代もある)たちによる"パラダイム転換"の提唱は、これまでに数え切れないほど多くの抵抗を受けてきた。
たとえば────:
・社会ダーウィニズムや優生学と一纏めにされてきた誤解
・本能論やヒト生物学に対する不当な批判(“それは眉唾だ!”)
・20年にわたり続いた社会生物学論争
・道徳やイデオロギーとしての"正しさ"とサイエンス的事実としての"正しさ"の混同
・社会科学系の学者がみな強く信じていた「ブランク・スレート(空白の石版)」/「タブラ・ラサ(心は白紙)」といったドグマ(=人間の心は生まれた時には白紙であり、社会や文化や、自身の後天的経験や学習によって、思いのままに書き込めるシステムになっている)との対立
・そこから生じた「生まれか育ちか」論争(nature-nurture argument)
・社会科学の世界で巻き起こった文化 vs 進化の論争
・脳科学の活動依存的シナプス形成プロセス(Dendritic Growth)の発見による、スペリーの「脳の固定配線(ハードワイアード)理論」に対する不当な批判
・生物学者自身のミクロ分野(遺伝子学・分子生物学)への偏重&(究極要因を疎かにした)至近要因研究への偏重
・「進化論には偶然のデタラメ以外何もない」というランダム論者による攻撃
・中立進化論者との争い
・心理学界の「S-R理論」もしくは「強化-感情モデル」(条件づけ──生物のほぼすべての行動ロジックを後天的経験の賜物とする)への愚蒙なまでの執着
・スキナーなどの行動主義者による「Mindのブラックボックス化」(=目に見えない心の有りようなど考えても意味がない)という知的愚行
・サピエンスの先天的な心(=脳)の「性向」というものを「行動の原因」として研究する事を意識的に避け、すべて「社会」とか「環境」といったものに無理やり要因を見出してきた社会心理学者たちとの対決
・「政治的に正しい」ムーブメントとしてのフェミニズムやポリティカルコレクトネスとの齟齬・・・etc
(うーわ。)
・・・いまだかつて、これほど数多くの逆風にさらされてきたサイエンス分野など存在しただろうか?
(とんでもない逆風だ)
世界で最も著名な霊長類学者の一人であり進化心理学者でもあるフランス・ドゥ=ヴァールは、「サイエンス」とつねに結びつこうとする「政治的イデオロギー」というものの厄介さについて述べている;
>ドゥ=ヴァールの有名な「霊長類の不公平嫌悪」の実験については以下を(TED)
(フランス・ドゥヴァール著、柴田裕之訳『道徳性の起源: ボノボが教えてくれること』2014年、紀伊国屋書店)
進化心理学/EP、また社会生物学/SocioBioは、とにかく「古い教科書」のもとに知的ドグマを徹底的に叩き込まれた人間/サピエンス(とくにインテリたち)が地球上から引退しない限りは、批判と誤解にさらされ続けることになるだろう。
────もう、これはそういう宿命なのだ。生物学モデルはヒト社会のダイナミクスを説明する。そういう宿命なのである。部族社会時代の社会淘汰によってわれわれの心はデザインされている。
“教条”に背いた者は「反社会的」とのレッテルが貼られてしまっても致し方ない。「地動説はモラルに反する」という批判をしていたかつての時代から、サピエンスたちの遺伝的な本性はなにも変わっていないのである。
やがて時間がすべてを解決するだろう。
まあしかし、
そうはいっても、
なんやかんやあって
(なんやかんやの内容が知りたい人は各種の書籍を読んで欲しいのだが)、
近年になってようやく、その正当性が認められ初めてきたからこそ、"進化心理学/EvoPsy"はいま、欧米を中心に広く学界に"旋風"を巻き起こしているのだ。
* * *
# 「進化論」 とは、あらゆるものを溶かしてしまう 「万能酸/Universal acid」 だ
デネットは「進化論」というものを “ サピエンスの世界に存在するありとあらゆるものを溶かし尽くす「万能酸/universal acid」” にたとえたことで有名だ。
サピエンスが、その肥大した脳を用いて哲学的/科学的/社会的に考えているあらゆる物事やテーマは────、あるいは日々の暮らしを生きる中で色々と味わっているさまざまな感傷(センチメント)は────、じつは「進化論」という根っこの部分で繋がっている。
" ヒトの脳みそは「進化の産物の臓器」だ "
という進化心理学の見方は────神経科学者セバスチャン=スンがいうように「〈わたし〉=脳である」とするならば────、この世の中に存在する、あらゆる物事の根幹に深く関わるテーマになる。
この世界の構成員は人間ではなく脳である、と考えてみよう。つまり、現在のサピエンスの世界はおよそ70億個の脳から成っている、という見方をとってみよう。
一つ一つの脳は「プレイヤー」としてそれぞれにこの世界を蠢いている。
────しかし、それらの「プレイヤー」は何も無いところから主体性(independence)をもって突然出現したのではなく、進化的に"デザイン(設計)"を施されたもの(=自立型プログラム)としてこの世に生を受けているのだ。
そしてその、「あらかじめ行動性向や思考性向のデザインを施された自立型プログラム」が相互に作用しあってこれまでつくりあげてきたものが、「文明」であり「文化」であり「社会」であり「制度」であり、その他さまざまな現代のサピエンス世界を構成する各種のしくみなのだ。
マット=リドレーは「The Evolution of Everything(直訳:すべてのものの進化)」というタイトルの著書を刊行したが、
俺たち人間(=脳)にとってのこの世界とは、実際はもっと強い表現で、“Evolution is Everything(進化こそすべて)”と言ってもいいものだろう。
「進化論/Theory of evolution」という強力なアイデア(概念)は、リドレーのいうように、
とあらゆる分野に導入されて然るべき、
俺たちサピエンスにとっての、この世でもっとも強力な思考道具
なのだ。
* * *
# オレたち世俗的なアニマル、それでもドン底から星を見上げる
────ケンリックは、著書『Sex, Murder, and the Meaning of Life/邦題:野蛮な進化心理学』において、まだまだ誤解されがちな進化心理学者としての"苦悩"をユーモラスに語っている。
(ダグラス・ケンリック著、山形浩生/森元正史訳、『野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎』2014年、白揚社)
──────ケンリックは、当事者目線から、「進化心理学という分野を表すかんぺきなスローガン」 として、以下のオスカー=ワイルドのアフォリズムをあげている。
“ We are all in the gutter but some of us are looking at the stars.(オレたちはみんなドブの中にいる。でもそこから星を眺めている奴らだっているんだ)”
────Oscar Wilde
* * * * * *
───────さて、以上でオリエンテーションは終了だ。
これからここで、またこの国ではあまり知られていない「進化心理学(Evolutionary psychology)」のアイデアについて、つらつらと書いていこうと思う。
このnote稿連載には"これからの時代を切り拓く50の思考道具"と、本屋の売れ筋に並んでいそうな、いかにもな副タイトルがつけてあるのだが、もちろんそういうのが好きな界隈へのアプローチを(ワンチャン)狙ったものだ。
それらの「思考道具」をざっと身につけることができれば、キミも晴れて進化心理学徒への道を踏みだすことができるというわけだ(オレは何者だよ)。
「進化論」との出逢いは、間違いなくあなたの人生を変える。
─────えっ、進化論だって?
「生物はデタラメの偶然からたまたまそうなりました」という、あのダーウィン爺さんのなんにも科学的ではない結果論丸出しのめちゃくちゃセオリーが???
(上記のオリエンテーションでも述べたように)そう思う人は日本の進化論教育の犠牲者だ。あとでリチャード=ドーキンス博士に存分に叱って貰うことにしよう。
「進化論の威力」にいまだ気づいていない人に向け、ここでは────オリエンテーションでもすでに登場したが────俺が敬愛する著名な進化論哲学者、ダニエル=デネットの言葉を引用しておく。
(Dennett 2014『Intuition Pumps and Other Tools for Thinking/邦題: 思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-)
*参考:「意味が物質からどのようにして生じてきたか」については、"ウムヴェルト"という概念によって説明される。 ▼
(ビクター・S・ジョンストン著、長谷川真理子訳『Why We Feel:The Science of Human Emotions/邦題:人はなぜ感じるのか?』2001年、日経BP社)
*
───さあ、あなたは「進化論」という、すべての常識を破壊しつくす現実を直視できるだろうか?
この世のすべてを創っている「進化」────。その恐ろしい本質にしかと目を合わせることができなければ、進化心理学/Evolutionary Psychologyへの道はまるで拓けない。
これから紹介する50の「思考道具」は、「進化論」という人類史上最大のアイデアの “威力” を、きみが我が物とする手助けになるだろう。
モーフィアス: 「これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう」
(Morpheus: This is your last chance. After this, there is no turning back. You take the blue pill - the story ends, you wake up in your bed and believe whatever you want to believe. You take the red pill - you stay in Wonderland and I show you how deep the rabbit-hole goes.)
────ところで、この「思考道具」という概念/アイデアそれ自体も、いわば思考道具の一つだ。
ボー・ダールボムはかつてこう言った。
────そして俺はいうまでもなく、この「思考道具」というアイデアをデネットから借りた。
デネットが先ほどの著作のなかで紹介している77の思考道具リストと、今回俺が(誰なんだよ)進化心理学の“布教”のためにリストした思考道具50はラインナップが異なるが、そのまま引いてきたものもある。
思考道具─────。
こういった「模倣されたアイデア」のことを、リチャード=ドーキンスは「ミーム/meme」と名付けた。
コピー、コピー、コピー。
かつて地球上には「コピー」の手段が遺伝子を用いるしか無かったのに、俺たちサピエンスは一体どれだけの"遺伝子に頼らないコピー"の手段を発明したことか。
サル真似は人類の叡智だ。他人の動作の模倣、他人の思考のインストール。ちょっと本を読むだけで、アイデアは"ここ"に生殖する。
あのアイザック=ニュートンはこんな言葉を残している。
“私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。(If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants.)”
ちなみにこの「巨人の肩の上」という表現は、シャルトルのベルナール(というヒト個体)が語ったとされる言葉だ。
そのミームが、ニュートンというヒト個体のなかに「コピー」されていたのだ。
サピエンスの世界では「ゲノム」とともに「ミーム」が複製されつづける。
元からすればできの悪いコピー(模倣)が、淘汰をむしろ生き残ることもあるし、そうじゃない事もある。ミームはラチェット(累積)効果によって文明を進化させる。広く大衆が「イケてる」と直感的に感じるもののみならず、わかりやすいもの、目に留まりやすい変なもの、界隈によっては難しいものも広がる。
文明社会は「模倣では意味がない」とスローガンを掲げるが、ホモサピエンスは存在のほぼ全てが模倣でできている。
イケてる知識やアイデアはどんどん模倣すべきだ(車輪は既に発明されている)。模倣は本人の血肉となる。そして由来が異なる模倣アイデアが、とある脳内でセックスし、クリエイトになる。
だからこそサピエンス社会には、引用や出典を示せば──少なくとも文書に関して──ミームを“複製”しても構わない、というルールがもうけられているわけだ。
“何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない(Those who do not want to imitate anything, produce nothing.)” ──サルヴァドール=ダリ
俺は、これから紹介するミーム群:「進化心理学的シンキングへとつながる思考道具50」のラインナップが、だれかにふたたび受け継がれる(コピーされる)ことを期待するし、それがまた、なんらかの新しいクリエイトを生みだすことを望んでいる。
ちなみに俺が「思考道具」というミームを引いてきた、デネット著『Intuition Pumps and Other Tools for Thinking』の出版社による紹介文はこんな感じ:
─────なんとも楽しい紹介文だ。
そして、俺が今回選んだ「思考道具50」のラインナップはこんな感じだ:
1. 進化というアルゴリズム 2. 盲目の時計職人 3. 利己的な遺伝子 4. 適応課題 5. 目的論の自然化/GOD 6. 自然意志 7. 理解力なき有能性(CwC) 8. ゾンビ=システム 9. ダーウィンの奇妙な推論の逆転(SIR) 10. ドント・ニード・トゥ・ノウ存在 11. 脳は国家、意識は新聞 12. インタープリター 13. 至近要因と究極要因
14. 心のリバース=エンジニアリング 15. 幾多の本能 16. 深い合理性 17. オリジナルトリガーとカレントトリガー 18. 幽霊とダンスする人々 19. 知覚のチーズケーキ 20. 環世界(ウムヴェルト)21. アフォーダンス 22. EEA (進化的適応環境) 23. 社会脳仮説 24. 社会ゲーム 25. 社会選択(Evolution of social control)26. モラル=サークル 27. フォーク=サイコロジー 28. インテンショナル=スタンス(ToM:心の理論) 29. 脳の固定配線&活動依存理論 30. 心の演算理論 31. 心のアプリケーション(i-Mind) 32. 心/Mindのモジュール性 33. 心の報道官システム 34. セルフディセプション(自己欺瞞) 35. ナラティブの中心=自己 36. エージェンシーの感覚 37. ヒューム的理性 38. ネオテニー 39. 準備された学習 40. 標準社会科学モデル(SSSM) 41. 自然科学的誤謬 42. リアリズムの幻想 43. ホメオスタシスとS/R価値 44. 生活史理論 45. 再構築されたマズローのピラミッド 46. 進化はノン-ランダムプロセス 47. 生存バイアス 48. 複雑系 49. 再帰性 50. 創発
(目がチカチカするな・・)
これらの思考道具はきっと、進化心理学/EvoPsyという、いまだ未知なる学問の世界へキミを水先案内する役目を見事に果たしてくれることだろう。
アタマのツールボックスに是非ともひとつひとつ収めていってほしい。
俺が思うに、これからの時代、"ソイツはかなり役に立つ" 。
──────続く。
・noteマガジン『HUMATRIX』
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