代替されない授業とは?

こんばんは。結局、3密を避けるために菜の花を見に行ったやうたです。幸せな1日でしたね〜。さて、今日は『学び合い』について書こうと思います。

以前、オンライン授業は革命という記事やイノベーションのジレンマ読後感の記事を書きました。その中で、既存の一斉講義型板書授業では、必ずオンライン授業に代替されるだろうということを書きました。じゃあ、どんな授業なら代替されないのか?

一言で言うと、オンラインにできないのは「リアルなつながり」を作ることです。

ネットは見たいものは見やすいが、意識していないものは隠される。「リアルなつながり」では、見えなかったもの、逆に見たくなかったものも見える。その中で、ネットのように「ブロック」をして、すぐに切り捨てるのではなく、どのように適切な関係性を作っていくのか、がオンライン授業にはできないことだと僕は思っています。

『学び合い』は、代替されない授業の考え方の一つです。

『学び合い』は、子どもたちに「1人も見捨てないこと」を語ります。その集団の中で、「折り合いをつけること」を求めます。そして、子ども達全員の「幸せ」を願います。

極端なことをいうと、授業の内容、課題の難易度はなんでもいいんです。現在、僕たち教員が必死に教材研究をしていますが、そこではなくて、子どもと真剣に向き合っているかが問われるのです。

例えば、今年度の3年生現代文の授業は次のようなサイクルを回します。

①②準拠ワークの問題を解く
③小テスト
④文章構造図を書く
⑤小論文を書く
⑥評価し合う

新しい教材になるたび、この流れを1年間繰り返す予定です。方法論的には、反復練習です。きっと子どもたちは飽きがくるでしょう。でも、発展させていくものがあります。それは「関係性」「繋がる力」です。教科の内容は積み重ねていく。人との関係は深めていく。国語の力も、人としての力も育てることができます。

何もみんな『学び合い』をした方がいいとは言いません。でも、代替されない授業を考えないと、職を失いかねません。

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