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田中康夫「神戸震災日記」を読了。

阪神淡路大震災の翌年だっただろうか。甲南大学の大講堂に、田中康夫さんの講演を聴きにいったことがある。

「神戸震災日記」田中康夫(新潮文庫)

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■阪神淡路大震災にて、こっそりボランティア


田中康夫
さんは、阪神淡路大震災の際、マスコミに隠れて、密かに、50ccバイクに跨り、ボランティア活動を1年間継続した。

長田だっただろうか、奇跡的に焼けなかった教会を拠点にして学校の体育館をゲンチャリで回った。

個人の力では、どうにもならないことがあり、神戸市長兵庫県知事のもとへ直談判にいくが、つれない対応しかされなかった。

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■神戸市長も兵庫県知事も融通の効かない一枚岩


当時は、神戸市長も兵庫県知事も、自民党と民主系が一枚岩になって支持しており、選挙で落ちる心配がなかった。悪しき行政形態である。

(現時点では、兵庫県知事は自民党国会議員&維新が推した、隠れ維新・斎藤元彦が兵庫県知事になり悲惨なことになっている)

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■以下、ウィキペディアより引用

1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生。(田中康夫は)友人も多く、さらに小説『オン・ハッピネス』(1994年、新潮社)の舞台でもある神戸市の被災に衝撃を受け、ボランティア活動に従事した。

1998年「神戸市民投票を実現する会」の代表に就任。阪神・淡路大震災後のボランティア活動を通じて、神戸市の公共事業関連の問題を知り、神戸空港建設反対運動を行うが、反対運動かなわず神戸空港は完成してしまう。

ウィキペディア「田中康夫」から引用

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■その後、田中康夫氏は、政治家への道を選ぶ

口の悪い村上龍はテレビ番組「Ryu's Bar 気ままにいい夜」で、

「田中康夫は小説の才能がないから知事なんかに立候補したんだよ。あいつ、まともな小説かけないから」

と語っていた。

ふーむ。複雑。



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