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本人以上に、本人になる苦しさ

他人が恥をかいていたり、怒られたりしている様子を見て、自分も恥ずかしくなったり辛い思いをしたりする

共感性羞恥とは『実用日本語表現辞典』


泣いて泣いて、本当に胸が苦しいと思うことがあった。
きっかけは息子の習い事体験だ。


子どもたちの成長に涙することは多い。
特に息子が幼稚園に通うようになってからは、
・幼稚園の入園式
・初めて乗る幼稚園バスに送り出す時
・保育参観(授業参観のようなもの)で、友だちの輪の中で過ごしている息子を見た時
・一生懸命走って踊っている運動会
・口を大きく開けて歌っている発表会
など、成長を感じ(させてくれ)る機会が多くあり、その度に涙が溢れそうになるのをぐっとこらえている。

これは母親になるまではあまりわからなかった感情で、よくテレビなどで
「行事を一生懸命頑張る子ども」と「それを見て泣く親」
という構図は目にしていたが、そんな泣けるもんなの?と思っていた。

それから、もう一つ。
可愛すぎて泣けてくる、という感情もある。

どうしようもなく、とてつもなく、可愛くて尊くて泣けてくる。
これは成長云々関係なく起こる感情だ。
例えば、私のためになにか一生懸命やってくれたり、気持ちを伝えようと必死になってくれたりした時など。
母の日の制作をもらった日には、目が腫れるほど泣いた。

こちらこそ、ありがとう。


これらは、母親になったからこそ抱く感情だろうし、おそらくどの母親も経験したことのある感情だと思う。

それとは別に、私が私の人生において悩まされてきた感情がある。
この感情にまつわる最も幼い頃の記憶は幼稚園頃なので、子どもだろうが大人だろうが母親だろうが、属性に左右されず感じる感情なのだと思う。

それが、冒頭に書いた、「共感性羞恥」(共感性羞恥心、とも)だ。


前述した、この感情にまつわる最も幼い頃の記憶。
それは、テレビドラマのワンシーンだった。

妻を早くに亡くし、男手一つで子どもを育てているシングルファザーの話。

子どもは幼稚園に通っていてお弁当を持って行っている。
周りのみんなが持っている凝ったお弁当と、父親が作った不器用で質素なお弁当を比べて子どもは落ち込む。
それを知った父親は、徹夜で慣れないキャラ弁を作ることに。
ガタガタの何のキャラクターかもわからないお弁当が出来上がり、友だちたちはそのお弁当を見て笑うが、子どもは父親が一生懸命作ってくれたことを嬉しく思う。

子どもの幼稚園に雑巾を寄付することになった。
タオルを縫い合わせて雑巾を作るよう園から指示があるのだが、裁縫が苦手な父親はうまく作ることができない。
針で手を刺しながらもなんとか出来上がった雑巾2枚の縫い目は、ガタガタで不恰好なものだった。

ありがちなエピソードではあるが、当時、とんでもなく苦しくなって大泣きしたことを覚えている。
おそらく、
「周囲の人が当たり前にできることを上手にできない人が、一生懸命努力してなんとかやる。だが、やはり周囲の人の出来には及ばない。」
という構図が私は苦手なようだ。

その人の心と自分の心が完全にひとつになったかのように、苦労や努力、報われない悔しさや恥ずかしさといった感情が心を埋め尽くして、泣くことでどうにか放出しないと心臓がバクバクして苦しい。

その対象は、ドラマの役柄のような実在しない人でも友だちのような実在する人でも関係ない。

ただ、対象が「家族」となると、この苦しさや辛さは何百倍にもなる。

「共感性羞恥」と書いたが、この感情の名前がそれで合っているのかはわからない。
私が現代で言うところの、「HSP」の傾向があるからであって、共感性羞恥とは別なのかもしれない。

HSP(Highly Sensitive Person)とは、「高感受性な人」を指します。
これは、生まれつき感受性が強く、周囲の刺激に対して深く反応する人々のことを言います。
HSPは、音や光、匂い、感情的な反応など、あらゆる刺激に敏感で、しばしば他人が気づかないような細かい事柄に強く影響されます。

HSPの特徴としては、以下の点が挙げられます:
• 周囲の人々や環境に非常に敏感
• 深く考え込んだり、感情が豊かである
• 他人の気持ちを強く感じ取ることができる
• 短期間のうちに疲れやすい
• 自分の感情や他人の感情をよく理解する

HSPは、必ずしも病気ではなく、個性や特性の一部として捉えられています。周囲の環境や人々との関わり方に注意を払い、自分自身を大切にすることが重要だと言われています。

お久しぶり。
私の優秀(?)なアシスタント、ChatGPTくんによる説明


とにかく、他人の
「悲しい、辛い、恥ずかしい、悔しい」
といった感情にのまれやすく、もしかしたら、本人以上に苦しく辛くなってしまう。
当の本人はそれほどダメージを受けていないのに、負の感情を読み取ろう汲み取ろうとして、受け取りすぎてしまうのだろうか。


そして今日、息子の習い事体験をきっかけに、私の心は強く締め付けられた。

最近、サッカーにハマっている息子。
家の中でも外でもサッカー(というよりはPK?)をやっていて、いつも私はキーパー役を頼まれる。
そんな息子の希望で、サッカー教室の体験をしてきた。

年少から年長までを対象にしている時間帯だったが、年少はほとんどおらず、息子が1番身体が小さい。
普段の練習にポッと息子が紛れ込むような体験スタイルだった。

周りの子どもたちは毎週練習をしているので上手いし、練習の流れややり方もわかっていてスムーズに動くことができる。
息子は初めてきた場所、集団の中で、なにも説明されることなく(初めてなんだからイチから説明してくれよ、と思った私だが…)、一生懸命キョロキョロと見よう見まねでついていく。
それでも勝手がわからないことだらけで、失敗したりうまくいかなかったりしていた。
そもそも大人数で試合形式でサッカーをしたこともないし…。



まずい。
このシチュエーションは非常にまずい。



案の定、心がキュッとなってきたので、息子が頑張って走っている様子を動画におさめることに集中して自分の心を守る。
なんとか外で泣くことは回避できた。

夜、やっと子どもたちを寝かしつけて、今日の動画を見返す。

周りの様子を伺いながら、順応しようと頑張る息子。
なにをするのかも説明されず、それでも遅れながらもなんとかついて行っている。
ああっ、上手にできなくて転んだ…。
ゲーム形式の練習では、ディフェンスもオフェンスもよくわかってなさそうだが一生懸命ボールに触ろうとしている。
んっ。シュートが決まらなくて年上っぽい子に押された。怒られたのかな。
シュンとしている。
でも、サッカーが楽しいのか、ずっと笑っているな。


ここで私の心は限界が来た。
苦しくて苦しくて息ができない。
胸が苦しくて、とにかく涙を流して流して、心に隙間を確保して。

それでも、動画の続きを見ることは今日はできなかった。

明日、サッカー楽しかったねと抱きしめよう。
ニコニコで一生懸命走っていたねと褒めよう。



そう決めて、布団に潜り込み、小さな手を握りながら、眠る。

何事にも一生懸命なあなたが大好きです。

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