【パイン編】グミチョコ読んでた青春を今すぐ肯定してくれ
『グミ・チョコレート・パイン』という本はご存知だろうか。
この本は大槻ケンヂによる
青春!自意識爆発小説である。
これは長編3部作である。
グミ・チョコレート・パインに分かれているため、順に追っていこうと思う。
グミ編、チョコ編を前の記事で書いているので、そこから見てもらえればと思う。
最後に、パイン編について。
【あらすじ】
冴えない日々を送る高校生、大橋賢三。山口美甘子に思いを寄せるも、彼女は学校を中退し、着実に女優への道を歩き始めていた。そんな美甘子に追いつこうと友人のカワボン、タクオとバンドを結成したが、美甘子は女優として鬼才を発揮しながら共演の俳優とのスキャンダルや秘められた恋を楽しんでいた…煩悩ばかりで健気な賢三と自由奔放な美甘子の青春は交錯するのか?青春大河巨編、ついに完結。
***
賢三、美甘子、クラスの連中、
各々の十七歳の夏が始まる。
賢三は教室の中でひとり、自己嫌悪マントの中から抜け出せなくなっていた。
どいつもこいつも死んでしまえ、とさえ思っていた。
『死ね!死ね!どいつもこいつも死んでしまえ!なぜならお前らは凡庸だからだ。通俗だからだ。まるで北極の海にボチャボチャ飛び込んで集団死するアザラシのようなものだ。意志がない、主張がない、恥を知らない、ただなんとなく黒所の日々に流され生きているだけだ。学ぼうともしない。俺はちがう、俺はちがう。俺はせめて無知な存在にならぬために、お前らの何倍もの映画を観、ロックを聞き、本を読んでいるんだ。俺には人と違った何かがあるんだ。俺はバンドを作った。俺は俺は俺は俺を俺を表現するためについにバンドを作ったんだ。そうだバンドだバンドバンドバンドを俺は俺は俺俺俺俺俺俺……えっ⁉︎』
(大槻,2006,p.16-17)
周りの奴を見下してる。
でも、一番見下してるのは自分のこと。
自分が周りの奴を嫌いなとき、
それは自分が自分のことを一番嫌いなとき。
相手と同じ土俵に降りてしまっているとき。
自分もたまに思ってしまう。
一回みんな死んでくんねぇかなと。
ただ自分が何もできない苛立ちを他人に投影しているだけ。
「俺はちがう」と思っている場面の前の、通俗な奴らへの思いはもはや自分への特大ブーメラン。
そして、バンドを作ったところで何も為していないことに賢三はたぶん自分でも気付いている。
知識ばっかり溜め込んでデカくなったと思い込んでる。
まるで年だけ食って中身のない頭ばっかり堅いステレオタイプの人間みたいだ。
そうはなりたくないな。
だったら、自分には何もない!って胸張って言える人間でありたい。
『自分には何もない』って気付けた奴から進んでいけるのだろうか。
***
この後賢三は見えない誰かに笑われ、意識を失う。
気付いた時には保健室にいた。
カワボンが付き添ってくれいて、歌詞を書いていて一睡もできていなかったことを話した。
カワボンはまだバンドの中で役割を見つけられていない賢三を心配していた。
それでも賢三を信じ、歌詞に期待していると言って保健室を出て行く。
賢三は思った。
『徹夜して書こうとしても、一行も、一言も歌詞なんて書けないんだ』
追いかけて、カワボンの背中に叫びたい衝動を賢三はどうにかおさえつけた。
山口美甘子だけではなく、カワボンもタクオも山之上も、他の黒所のバカ共さえもが、チョコレートの連発で歩を進め自分との距離をドンドンと開いていく。いつか埋めることのできないほどはるかに遠ざかっていくのか?いや、もうすでに、追いつくことなど不可能なのではないのか?
俺は、おいてけぼりを喰らった。
何の?
人生そのものの。
(大槻,2006,p.22-23)
私は正直言って、この部分を読んだとき泣きそうになった。
弱いよなぁ。
溜め込んだ知識はあるけど、結局それを外に出せない。
どうすればいいかもわからない。
賢三は同い年の美甘子、カワボン、タクオ、山之上、そして、黒所の奴らに追いつけないと悟る。
これは私が同い年を嫌いな理由にも当てはまるのかもしれないが、同じ年に生まれたのに教養がない奴とか、話が通じない奴とかは、「同じ年数生きてきたのに、今まで何をしてたんだ?」と呆れるし、逆に同い年で何でもできる奴とか、認められてる奴を見ると、「自分は今まで何をしてきたんだろう」と自己嫌悪に襲われる。
だから、同い年とはできるだけ関わらず、年上、年下と仲良くしていたい。
自分はもはやジャンケンにすら勝てていないんじゃないかとさえ思えてくる。
内に秘めたグーだけを出し続けて、
みんなパーで気楽に進んでいく。
あーあ、また負けた。
1/3に必勝法なんてない。
ただの確率論。
ただの運。
勝ちたいなら、チョコだけ出し続ければいいのにね。
なかなかあの2本に素直になれない。
みんなチョコばっかで進んでくなよ。
置いていかないでくれよ。
なんて思いながらも、
「生涯年収は負けたくないな」
とまだ思ってる。
早く『何もない』を認めたい。
***
賢三が美甘子でオナニーをしてしまったのち、美甘子がアイドルの羽村とセックスをしていたという報道が流れる。
それを知った賢三は自分が美甘子でオナニーをしてしまったからだと、被害妄想に陥る。
そして、教室の窓から飛び降りる。
死んだかと思われたが、なんとか生き返る。
しかし、賢三は家から一歩も出られなくなる。
考えるのは、美甘子のことだけ。
親や教師が精神科に連れて行こうと部屋に入ると、そこに賢三はいなかった。
賢三は部屋から逃げて、中野名画座に行き、溶解人間を観て、決意する。
『あ、そうだ。死のう、俺』
なんでこんなに単純な解決策に気が付かなかったのであろうかと賢三は不思議に思えた。
生きているからつらいのだ。
生きているから、どうすべきかなどと迷うのだ。人と違った何かを見つけなければなどと思うのだ。書けない歌詞を書こうなどとあがくのだ。オナニーなどをしてしまうのだ。〔中略〕
「死ねばいーじゃん」
自らの意志によって生に終止符を打ったなら、めんどう臭い一切合切から逃れることができるではないか。〔中略〕
「そうだ、死のう俺」
声に出してつぶやいてみると、禁美甘子オナニーを解禁した時のような、えも言われぬ解放感に賢三は包まれた。
五月の涼風が心に吹くようであった。なんとすがすがしい死の誘いなのであろうか。きっと自殺者の多くが死を決意した時にこの清涼を味わったのであろう。
(大槻,2006,p.112)
これを悟りと言ったら聞こえは良いが、
ほぼ鬱である。
死は救済か。
その清涼は本当に、涼しく清々しいのか。
諦めにも似ているのではないのか。
また輪廻転生して人間に生まれちゃったら、
もうやるせないな。
一度心の中で死のうと思い、二度三度声に出して死のうと決意している。
三度目の正直とはよく言ったもので、二度目までで考えを整理し、三度目には道が開けたかのように感じている。
その道が閉ざされているとも知らずに。
死んだらおしまいだって分かってても、一瞬のこの苦しみから解放されたいと願う。
考える苦しみから抜け出したいと願う。
パスカルは「人間は考える葦である」と言った。
葦である分には弱いが、思考があるからこそ偉大なのだ。
それを辞めたら人間を辞めるのと同じではないか。
この考えることすらも愛おしいと思えるようになれれば良いのだろう。
自分は意外と考えることが好きだし、というか考えずにはいられないから好きと言うしかないのかもしれないけど。
自分の顔を見たり、自分の声を聞いたりするのはまだ大嫌いだけど、自分のInstagramのストーリーとかnoteとかは見返せるようになったし、楽しめるようになった。
自分の思考に関わることなら、まだマシになった。
きっと自分の考えたことが好きなんだと思う。
***
賢三が死のうと決意した時、またあのじいさんと出会う。
じいさんは賢三を無理やり修行に連れて行く。
お互いにグローブをはめ、殴り合う。
じいさんはこう言う。
「認めろ。彼女が手の届かないところにいることを腹に収めろ。執着を捨てろ。しかしだからといってくさるな、めげるな、自分が今どん底にいることを認め、ではその最低の位置からできる最低限のことをお前はとにかく始めるがよい。何年かかるかわからない。一生無理かもわからない。彼女は気付きもしないかもしれない。それでも、俺は何一つしなかったと人生の終末に思うよりはナンボかましじゃ。少年よ、捨てろ。今は嫉妬も恨みも、何よりお前のちっぽけなプライドすらも執着をやめて捨ててしまえ。考えるな。まず動け!考えるな、まず行動じゃ。考えるな、体験しろ!お前はお前の人生を今この時から……〔中略〕
(大槻,2006,p.152)
じいさん難しいこと言わんでくれよ。
腹に収められるかなぁ。
腹一個で足りるかなぁ。
誰かから何個か借りてこようかな。
その最低限ことってなんだ。
また考えないといけない。
それでも何かしないと。
死ぬ間際になって、何も思い出すことなかったら、もう早めに死んじゃえば良かったって、それはそれで後悔するんだろう。
バイトのばばあがみんな煙草吸ってるんだけど、その人たちが口々に
「そんな長く生きたい訳じゃないし。」
「早く死ぬ為に吸ってる。」
って言ってて潔かった。
でも、だからこんなとこで一生バイトしてるのか。
その日暮らしなのか。
自分は絶対にそうなりたくないし、あんなこと一生続けるのは底辺だとすら思っている。
いくらその人たちがそれで幸せなんだとしても、そんなこと知ったこっちゃない。
でも、ちょっとだけ吸い始めたくなった。
考える前に動くのは得意なほうだ。
見切り発車は大得意。
でも、だいたい後悔してばっかりで嫌になる。
「やらなければ良かった。」
「言わなければ良かった。」
やっちゃったこと、言っちゃったことってなんで引っ込められないの。
「ちょっと都合が悪くなったので、それ返してもらっていいですか?
何も見てないし、聞いてないことにしてください。
ついでに、私のことも忘れてください。」
他人の記憶を操る能力とかあればいいのに。
進化したら身につけられるとかない?
自分も人生を始められるだろうか。
え、私の人生まだ始まってないの?
***
またじいさんがこんなことを言う。
「苦しみの根源に執着があるとして、では人間の四大苦とはなんであろうか?」
「……童貞、金がない、もてない……童貞」
「バカ!人間の四大苦だよ!それはな、生老病死じゃ。生きることそのもの、老いること、病むこと、そして死ぬこと、この四つ」
「……童貞は入らないのか。人生って深いな」
「童貞はしょぼいだけじゃ。で……なぜ生老病死は人にとって苦なのか?」
「それも執着か?」
「ピッタシカンカンじゃ!もっと幸福に生きようと執着するから苦しい。いつまでもヤングでいることに執着するから苦しい。病に伏せりたくない、永遠に生きていたいと執着するから苦しい。まだまだあるぞ、愛すべき人と別れなければならぬ苦しみも、憎むべき野郎に出会ってしまう苦しみも、逆に言えば、そうありたくないと執着する心が、手に入らぬ存在や状態に両手を伸ばしてもがいているから起こることなんじゃ。
この世の総ての事象に実体など本当はなにも無い。みな流れゆく時の中で姿を変え続けさまよっているだけだ。物質も、感覚も、想いも、意志も、我想うゆえに我ありと感じる自分自身さえも、結局は常ならざる不確かな存在に過ぎないのだ。賢三よ。この世はつまり空……空っぽなんじゃ。空なるものに執着しても、得られるわけがないだろう」
「じゃあ生きているそのことそのものに意味がないのか?執着を捨てたら人間はあまりに無気力だっ」
「捨てるのは執着だけじゃ。目的や意欲や挑戦する心まで捨てろとは言っておらんぞ」
(大槻,2006,p.214-215)
生きることも死ぬことも苦しみだってわかるけど、だったら自分人間向いてないわ。
次行きたい。次。
いまを辞めて、輪廻から抜け出せるような自分に合った自分になるまで何度も生まれ変わりたい。
これも執着なんだろ?
苦を生み出すのは執着。
では、私は今なにに執着しているのか。
おそらくたくさんの物事に執着していると思うが、一番は自分自身な気がする。
自分には何かがあるはず、これくらいならできるはずと自分に期待し、固執して、失望する。
自分からしたら、ただの迷惑でしかないんだけど。
そして、世の中は空であり、執着を捨て、目的、意欲、挑戦する心は持てと。
そうだよなぁ。
全部が全部実際存在するものじゃないもんなぁ。
ところで、私は数学が好きなんだけど、特に『0』を生み出した人は凄いと思う。
だって、普通存在している物に対して1,2,3…って数える為の数じゃん。
なのに、無い物を『0』って言おう!ってなる?って思うの。
たぶん考えたの哲学者なんじゃないかなって。
数学者にも哲学者は多いんだけど、
たぶんその人ロマンチスト。
調べてみたら、『0』の歴史はあまり古くないみたい。昔から『0』を作って使ってたみたいなんだけど、初めて厳密に『0』の概念と扱い方を定義したのは、インドのヒンズー教徒で天文学者と数学者のブラーマグプタって人なんだって。
天文学者だった。
けど、絶対ロマンチスト。
話は戻って、つまり、空っていうのは『0』なんだと思う。
全部『0』始まりなのに、それに気付かず、1,2,3…と始める。『0』に気付かないから、どんどんズレていく。最初は何も無いって気付いた奴から、『0』が分かった奴からやっと1,2,3…を始めていける。
のかなー。
目的、意欲、挑戦はまだわからないな。
***
じいさんから仮免試験として、美甘子に振られたアイドルの羽村に会いに行かされ、羽村と話す。
羽村も賢三も立場は違えど、共鳴するところがあることがわかった。
だが、羽村は美甘子のファンに恨まれ、襲われそうになる。
そのとき、賢三と一緒に逃げ、美甘子と羽村が共演する作品となった映画を撮った大林森監督に会いに行く。
するとそこには美甘子がいた。
お互い美甘子と蹴りをつける為にベランダで話をする。
美甘子と羽村が話している間、賢三は大林森監督と話をする。
「〔中略〕がんばれば主役をやらせてくれると思い込んでやっとの思いでロケ地へ来てみたら、やっぱりエキストラで、しかも映ってなかった、みたいな展開です」
「あ〜、よくあるな」
「よくありますか」
「そんなことの連続だ、人生も映画も」
(大槻,2006,p.295)
泣きたくなるな。
やるせないな。
頑張ることが必ずしもいい展開に繋がる訳じゃない。
でも、頑張らないと何もならない。
努力=上昇なんかじゃなくて、
努力=維持なのかもしれないな。
がんばることって思い込み?なんじゃないか?
『映画みたいな人生』はたまに聞くけど、
『人生みたいな映画』はあまり聞かないのは何故なんだろう。
***
美甘子に完敗した賢三は、とぼとぼ歩き、ヘルスに辿り着く。
そこで『やまぐちみかこ』という名の女と出会い、彼女は自分を拾ってくれた店長の言葉を賢三に教える。
「『生きてれば、死なない。死ぬまで生きればいいだけ。くだらねぇことばかり起きるけど、くだらねーのが人生当たり前。だから、本当は何も起こってないのと結局は同じ』……なんだってぇ」
「それ、空ってことだ!」
「え?」
「続けて」
「でもそれでボヤいてたら人生マジくだらなくなるから、死のうなんて考えてる暇あったら何かやれって」
「人生は空。しかし挑戦すべき大いなる空」
(大槻,2006,p.309-310)
くだらないことが当たり前なんだったら、全部くだらないと思ったら、ずっと何もない『0』のまんまで、『0』であることすらも気付かないんだろう。
けど、もし幸でも不幸でも何かしら起これば、『1』になっていくってことなのかな。
だったら、自分いまのとこ、4くらいかな。
小学生の時から3年前くらいまで、自分にとって最悪なことが起きたら、パワーストーンを買ってつけることにしてた。
お小遣い叩いてね。
だから、私の不幸の数はそれで把握してたし、それを見るたびに、もう二度とあんなことは起こさないようにしようと思えた。
たまに満月の日に盛り塩の上に乗せてパワー溜めたりしてた。
それまで3個くらいつけてたんだけど、急に全部壊れたり、落としたりしてつけられなくなったの。
これはなんかの暗示かなと思ってそれ以来つけなくなった。
幸はわかんないけど、不幸は明らかに分かるのやめてほしい。
こうやって言ってる暇あるなら、なんかしろってね。
たぶんまだ『0』を知らない4だから、ぐっちゃぐちゃの4なんだよなぁ。
挑戦すべき…
挑戦すべき…
挑戦すべき…
何を…?
それ考えてる間に死にそうだな
笑える
***
最後の最後、賢三がどうなるかは
是非自分の目で確かめてもらいたい。
私も私の人生を自分の目で確かめてみたい。
***
気になった方は是非に。↓
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【引用文献】
大槻ケンヂ(2006)「グミ・チョコレート・パイン パイン編」(角川文庫)角川書店
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