書きたいのに書けない、そんな自分と歩むnoteライフ
わたしの場合、「書きたいのに書けない!」という場面には2パターンある。
ひとつ目は、書きたいことが記事としてまとまらなかったとき。
タイトルや書くテーマは決まっているけど、文章として完成しないとか。なんとか書ききってみたけど、「この言葉は強すぎるかな⋯」「これってわたしっぽくないな⋯」と思って公開ボタンを押せなかったりとか。
現在わたしのnoteには、下書きが142記事ある。これらを完成まで持っていってすべてを公開するまでには、何年かかるだろうか。
それでもやっぱり、自分が納得できなければ絶対に公開したくない。大げさかもしれないけれど、ひとつひとつが大切な作品だって思っているから。
ライターのお仕事とちがって、noteには校閲してくれるクライアントもいなければ、納期だってない。だからこそ、自分で何度だって読み返すし、好きなタイミングで公開できる。
書きたいことをうまく言葉にできない自分にくやしくなることもあるけど、そんな書けない自分と向き合う時間はなかなか良いものかもしれないと思っている。
ふたつ目のパターンは、物理的に書く時間がとれないこと。わたしにとっては、これが本当にもどかしい。
「書く」っていうのは作業なわけで、パソコンやスマホで文字を打つ時間が必要になる。わたしの場合、軽めのエッセイなら30分、長くしっかり書く有料記事なら5〜10時間はかかる。
「時間がないっていうのは言いわけで、時間はつくるものである!」
仕事でも人間関係でも、何度も聞いたフレーズ。言っていることはよくわかるし、本当にそうだとも思う。自分の強い意志がないと、新しいことに使う時間を捻出できるわけがない。
だけど人生の中ではさ、時間がなくて疲れてなにもできなくてそんな自分に絶望して⋯っていう瞬間があるじゃないですか。わたしはある。どうしたって足りないんだもん、時間。いらないものを削れるなら、とっくに削ってる。
これの解決策って、なにかをやめるとか、整理するとか、あきらめるしかないよね。でもこれらを決断するのってすっごく疲れるし、そうカンタンに手放せないことだってある。
正直まだ、この「物理的に書く時間がとれないこと」に対しての対処法が見つかっていない。
だけどこういった追いこまれている瞬間こそ、「あ〜はやく文章を書きたいな」ってnoteにすがりたくなったり、「次の記事はこれを書こうかな」ってアイデアが出てきたりする。
書くことをあきらめたくないから。書きたいのに書けない自分と根気よく向き合って、どうにか明日につなげたい。
またね。