[詩] 暮れの下
僕は本が好きだった
また,売れないロックバンドが好きで,12粒で130円のガムが好きで,スポーツはそれなりに好きで,孤独が好きで,それ以外の事は少し嫌いな,どこにでもいる少年だった
4月の通学路。桜が咲いていた。
夏には深緑色の葉が覆う,あの無骨な焦げ茶色の幹の,どこにあんな優しい色彩が眠っているのだろう。
口の中を充満する薄荷の匂いに顔をしかめながら,そんなことを思った
ミントガムはイイけど薄荷はダメ。
下らない疑問は,別の下らない結論に取って変わる
土曜の夜に家で映画を観た
既に何度か観たことのある映画だ
時を超えることが出来る少女の物語だった
画面の中の夏の風景に心を奪われていた
2週間かけて一冊の本を読んだ
退学させられて,街を彷徨う憐れなホールデンが少し羨ましい。
感性が歓喜の声をあげていた
かつて,この本の愛読者が一人の偉人を殺した
彼も,こんな気持ちだったのだろうか。
僕も手始めに,学校なんて辞めてみようか。
あるだけの金をポケットに入れて,知らない街まで出かけて,そのまま帰らないでいよう。
どうしようもなくなって,後悔が両の目から溢れたら,高い所から飛び立とう。
きっと,やり直せるから。
映画や本に心や思考が奪われるのは,現実や自分が,どうしようもなく不明瞭だからだ。
学校での生活は,多くが怠惰の色で覆われていた
しかし,全てがそうだったわけではない
中には熱狂や,拘泥や,倒錯が息を潜めていたし,爽やかな色で彩られている部分があるのは事実だった。
けど,終わってみると呆気なく,味気なく
直ぐに忘れてしまいそうな感情が目の奥の方を漂っていた
別れ際に貰ったメッセージカードのような『役に立たない大事なものたち』を押し付けられた僕は,それらをどう処理すればいいのか分からず戸惑っていた
わけもなく哀しくなりたい時がある。
お金なんか無くても。友達なんて居なくても。思い出なんて。メッセージカードなんて。
そんな物がなくても,草原に寝ころびながら,「孤独だ」と嘆く時間と感性があればいいと思う。
そこに僕の肩を抱く手は無いが,僕の身体を包む大気はある。
自分は特別であるという空想は
何も特別なものではない。
孤独が好きだと謳っても
僕は本当の意味での孤独を知らない。
詩を書いても
自分のことなど何も分かっちゃいない。
高校生活が一区切りついた時に書いた詩のような印象を持たれる方もいるかもしれませんが、実際はゴリゴリの在学中に書いたやつです。
友達と遊んだり、部活動で汗を流したり、迫り来るテストに怯えたり。
そんな当たり前の日常を楽しく思う一方で,そうした『繋がり』を完全に断ち切ってしまいたい、という矛盾した思いを抱えていました。
結局、『楽しげな空想』の域を出なかったのですが。
因みに、文中に出てくる作品は,『時をかける少女』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』です。
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