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【オトナになることのうた】曽我部恵一●「おとなになんかならないで」、その思いについて
老舗のすごみを感じた昨今です。
まずは、オロナインH軟膏。
冬は踵(かかと)の皮膚のカサカサに困る青木ですが。たまたまオロナインをずいぶんひさびさに購入していたので、塗ってみたところ、すぐに治りました。
子供の頃、オロナインは何でも治るな~と思っていたものですが、今なお健在。ありがたかったし、参りました。
もうひとつは、とらやの羊羹。
カミさんがもらいもので持って帰ってきて、ひさびさに食べたところ、その味わい、さらにイメージ以上にスッキリした食べごたえと、質の高さに感服。
とらやの、お詫びの品としての存在感も納得というもの。ズシリ。べつに今回は何かあって謝られたわけじゃないですが。
さて、先週は、ちよだ猫まつりという催しに行きました。
今年で10回目の開催らしく、うちの家族はそのうち4回目か5回目の参加。
会期中にはライヴがあり、山田稔明(GOMES THE HITMAN)、近藤研二、むぎ(猫)ちゃんの3人がパフォーマンス。このイベントではおなじみの顔ぶれで。
GOMES THE HITMANは、メジャーデビューしてはいたけど、当時あまり記憶になくて(すまない)。むしろこのイベントで山田さんの歌をよく聴いてます。唄ってる途中で泣くのもよく見ます。猫の思い出とかでね。
近藤さんは、僕はハイポジの頃にインタビューしています。それも30年前か。栗コーダ-カルテットの活動なども存じています。
むぎ(猫)ちゃんもメジャーデビューしてたんだよね。ただ、活動休止しちゃうんですね。この日も地元の沖縄からの来訪。お疲れさまでした。
僕の実家は犬好きで、こちら(つまり分家)は猫好きです。カミさんのほうの実家は、昔は犬を、ここ20年以上は猫を飼っています。まあ、どっちも好きですね。うちの実家では他にももっと飼ってたけど。チャボとかハムスターとか。鯉も九官鳥も(この担当は今は亡き祖父)。
それから僕は、今みなさまが食べたがっているビエネッタと、それに岩泉ヨーグルトを探索しております。ビエネッタはどこにも売ってない。岩泉はちょうどいいサイズのがない。
ドジャース戦のチケットも探索中。うーん、カミさんの東京サンシャインボーイズのは神風が吹いたのだがなあ。というか、運がそっちに流れた説も。
先日は、つば九郎の担当者さんが亡くなられたのは悲しかったですね。
ザ・ジャムのベーシストだったリック・バックラーが亡くなったのも。
では今回は、曽我部恵一の歌について。
最初の子が生まれた時に書いた歌
曽我部恵一の音楽には、僕はかなり昔から接している。彼がサニーデイ・サービスとしてミディからデビューした直後の1995年、立教大学の学園祭に観に行って以来だ。
その後、インタビューやライヴなどの取材で、サニーデイの3人にはよく会うようになった。とくに『サニーデイ・サービス』(1998年)の頃は、複数の雑誌メディアから依頼された関係で、ひと月のうちに4回もインタビューした覚えがある。
これは、近い時期のミッシェル・ガン・エレファントと並んで、自分の同一アーティストへの短期間での取材の最多記録である。
その後、サニーデイは解散して、曽我部はソロに。のちには曽我部恵一バンドでの活動があったり、サニーデイの再結成があったりしながら、彼は活動を続けている。
このところは曽我部にインタビューする機会はめっきり減ったが、3年前に、彼が他のアーティストに書き下ろした楽曲についての取材でひさしぶりに会い、話をした。場所は下北沢だった。90年代から感じていた曽我部らしい純粋さは、今も生きたままだと感じた。曽我部くん、その節はありがとう。
さて、そんな曽我部の作品をこの【オトナになることのうた】で取り上げることは、実は前々から考えていた。このアーティストには、そのものズバリ、「おとなになんかならないで」という歌があるからである。
そんな折、前回書いた先日の「麻田浩80祭」(2月8日)のステージに、アコースティックギターの弾き語りで登場した曽我部は、セットリスト中にこの曲を入れていて、唄ってくれたのだ。
僕は後ろのほうで歌を聴きながら、ジーンとした。「おとなになんかならないで」を生で聴いたのは、たぶん10年以上ぶりだったと思う。素晴らしかった。
「おとなになんかならないで」はとても印象深い曲だ。先ほどの時間の流れにおいては、曽我部がソロになった最初の頃の歌。個人名義のアルバム『曽我部恵一』に収録されている。そのリリースは、2002年9月。
また、同じアルバムに収録されているが、曽我部はその前に「ギター」というシングルを発表している。小西康陽のレディメイドから出た曲。
そして「ギター」でも、彼は自分の子供を歌詞に登場させている。
さて、曽我部は『曽我部恵一BEST 2001-2013』のブックレットで、この曲について以下のように記している。
こどもが起きないように、自分の部屋でそっと歌った歌。
先日のイベントで彼はこの歌を、長女が生まれた時に作った曲だと話していた。当時、赤ちゃんだったその子を抱くと、やわらかくて、あたたかかった。その時に感じた思いを唄ったものだ、と。唄う前に、そんなMCをしたように覚えている。
思えば、この「おとなになんかならないで」で唄われた子は、現在ではとうに二十歳を超えている。それは、もちろん素晴らしいことだ。
ただ、その事実と、この歌の魅力は、別のところにある。
この頃、僕個人は、しばらく後に家庭を持ち、子供を授かった。その時に、「おとなになんかならないで」で唄う気持ちが、ちょっとだけわかったような気がした。
生まれてきたわが子も、とてもやわらかかった。そして抱っこすると、あたたかかった。
最初の何ヵ月かはベビーベッドで寝させていたが、やがては同じ大きな布団で、並んで寝ることもあった。その時に、先に寝入っているわが子は、布団の中でとてもあたたかい温度を保っていた。湯たんぽがわりになるな、と思ったほどに。
ともかく、ほんとに特別な存在だと感じたものだ。
<ぼくのbaby>と思ってしまう瞬間
さて、曲である。
生まれたばかりの子に対して、大人にならないで、と唄う感情。これは何に起因しているのだろう。
これについては曽我部本人に聞かないとわからないが……想像するに、それはその子が、その存在が、あまりにも汚れなく、純粋で、イノセントでピュア、あるいはナイーヴそのものであって。それに対して、尊さ、あるいはかけがえのなさのようなものを感じたからではないかと思う。
冷静に考えれば、わが子に対して、大人にならないでという気持ちは、矛盾をはらんでいる(捉え方によっては傲慢とも解釈されかねないほどだろう)。そもそも子供を育てること、ともに生きていくことは、その子を大人にしていくための長い過程、プロセスにあるからだ。ただ、この歌でにじみ出ている感情は、そうした常識や社会通念からは離れたところにある。
そしておそらく、曽我部自身、今も子供たちを育てている親であって、「おとなになんかならないで」を書いた頃からは、その状況は大きく変わっているはずである。間には、離婚も経験しているわけだし。
ただ、その子が生まれた時、その生活の中で新しい喜びや驚きに接しているであろう段階で、大人になってほしくない、という感情が、彼に生まれたということ。
それは僕も痛いくらいわかる。この純粋さ、この汚れのなさが、ずっと続いてほしいと、瞬間的に思ってしまうのは。
言い換えれば、大人になっていくこと、人が育っていくことは、汚れたり、純粋さを失っていくプロセスということになるのだろうか。ほんとにそうかもしれない。もちろん育っていくこと、成長していくことを、まったく否定はしないけども。
この歌では<ぼくのBaby>というフレーズがくり返される。そして<秘密のままで輝いて>という言葉もある。
実際には、いずれこの子は<ぼくの>ではなくなっていくし(その子の存在は、その子自身のものだ)、さらには<baby>でもなくなる。そして<秘密>でもなくなっていく。
ただ、まだ小さいうちのこの時、<ぼくの>と言ってしまうぐらい自分ものだと思ってしまうその瞬間は、親にとって、かけがえのない時間だったはずだ。
僕個人は、子供を育てるのは、いかに自分の手のひらの上から羽ばたかせるか、ということである気がしている。もちろん、それがすべてがそうではないし、違うという考えもあると思うが。
いずれにしても<ぼくのbaby>とつい言ってしまうほど、子供が小さな小さな時期というものはあると思うのだ。
ちなみに今回、この歌について少しだけ検索をしていたら、こういうファンの方のブログに行き当たった。
この人と自分は、「おとなになんかならないで」への捉え方が違う。こういう人がいるのも、もちろんいいと思う。そしてこのブログには、ちょっとだけグッと来た。
見方を変えると、「おとなになんかならないで」は、ほんとに生まれてすぐの頃の、一瞬の感情を切り取った歌であると感じる。
僕が曽我部と初めて出会った頃はまだ若かったが、今ではお互いに50代だ。
でもここに来て、この歌について、曽我部の歌について、あらためて考えることができたのは良かった。今はそんな気がしている。
子供たちには、どんどん大人になっていってほしい。自分にとって大切な何かだけは、失わないように、忘れないようにして。
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5年前に大阪みやげで買って以来、
点天の餃子が大好きなわが家でして、
新宿伊勢丹で1490円で買ってきました。
東京の大田区にも工場があるんですね。
今夜はカリッとうまく焼けました。
付属のタレもピリッとしてて、好き
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