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“逢引きこそは晴れの日”【ボヴァリー夫人】岩波文庫チャレンジ98&99/100冊目

世界名作文学に必ずその名を見るギュスターブ・フローベール「ボヴァリー夫人」。さぞかし気高い夫人の高貴な話だろう、と思っていたがとんでもない!

嫁姑問題、不倫し放題、金使い放題、子供ほったらかし。
夢想妄想暴走止まらない、スーパー自分勝手な主人公。

ドロドロの昼ドラを見ているのかと思った。

なぜそんなにも評価が高い!?
確かに描写は緻密で言い回しに工夫もあった。だが文学史に残るほどだろうか。率直に言って不思議。

モーム「世界の十大小説」にだって載っている!(重版まだ?・・何回目)


平凡な家庭生活に飽きた妻は

「昼ドラ感」のためにも、作中のセリフを交えながらご紹介。主人公はボヴァリー夫人(妻)、夫はシャルル。

①不倫三昧

平凡な夫との平々凡々な生活。夫は町医者、何不自由ない毎日のはずが。

家庭の平凡さは、彼女を華麗な幻想にかり立て、夫婦愛は邪恋の欲望へと追い立てた

夢見がちで少々神経過敏なボヴァリー夫人(エマ、岩並訳ではエンマ)は、ある日招待された煌びやかなサロンを目にしてから、田舎暮らしと刺激のない毎日に嫌気がさす。

夫も一目惚れしたその美しい容姿が男を魅了する。隠れて逢引きを繰り返す夫人だったが「失われた時を求めて」で散々目にした“憧れのままの方が熱が出る“タイプ。

好きなのは逢引き相手ではなく恋する自分なのでは、と思ってしまった。こういう欲望に際限はない。

自分は幸福ではない。ついぞ幸福だった試しがない。人生のこの物足りなさは一体どこから来るのだろう。

欲望に際限のないボヴァリー夫人は名言を残す。

逢引きこそは晴れの日

だが情欲はいつまでも続かない。

エンマは不義の中にも結婚生活のあらゆる平凡さを発見した。あまり大きな幸福を望むことによって、かえって幸福の泉を枯らしていった。

②夫は嫌い

刺激をくれない夫は嫌い。

・歳をとるにつれて挙動がだんだん鈍くなってきた
・デザートの時に空瓶の栓を切るのが嫌
・物を食べてから歯を舌で舐め回すのが嫌
・スープを飲みながら1口ごとに喉をぐるぐる鳴らすのが嫌
・それでなくても小さな目が頬骨の肉の膨れのために、こめかみの方へ釣り上がって見えるのも嫌

さらにエスカレート
・夫の一切がいらだたしかった
・夫の顔、夫の身なり、夫が口に出して言わないこと、夫の全身、つまり夫の存在がいらだたしかった
・夫というものは、永遠に姿を消し、到底存在し得ない姿なき者
・自分の子供すら不細工に見える

それでも夫は妻が可愛いし、妻の愛を一向疑わない。

ある時夫の父親が亡くなった。悲しみを癒すために、優しく妻にキス。夫人は身震いしながら顔を拭き、心の内で思う「どうすれば厄介払いできるだろう」。

(さすがにかわいそう)

③嫁姑問題

息子が嫁に取られたと思っている姑。それだけでも嫁が憎いのに、図太いはずのボヴァリー夫人の神経は、両極端に弱いところもある。神経が弱って塞ぎがちになった所へ、姑が息子(夫シャルル)に放った言葉。

お前の嫁にはどうすればいいかご存知かい?嫌でも働くんだね!手仕事をするんだね!世間にはざらにあるその日のおまんまを稼がねばならない身分なら、あんな塞ぎの虫はおこりゃしない。あれは、いろいろ妙なことを考えるのと、ノラクラ暮らしてるせいなんだよ!

これは案外的を得ていると思う。暇な部署ほど揉め事が起こる、のに似ている。

④金を使い果たし、そして

自分に。不倫相手とのデートに。逃避行に。金に糸目なく使い放題使いまくる。夫に内緒で借金開始。到底返済できない借金は膨らむ一方。人のいい顔をした金貸しにも騙される始末・・。

ピアノの稽古と偽って(もちろんレッスン代がかかる)、不倫相手と逢引きするわ、夫の父親の遺産相続手続きという体で、不倫相手とデートをするわ。

(この女の神経はいかばかりか)

だが最後まで人の良い夫は妻を疑わない

(お前もお前だよ〜っ!)

毒妻ボヴァリー夫人。膨らみ続けた借金のせいで、一切の財産が抵当に入れられる。恥をかくのは我慢ならんと、これまでの不倫相手に金を貸して欲しいと頼み込む。必死すぎて自分の体さえ惜しまない。

が、金はないとあっさり断られる
追い込まれた夫人、自ら毒を飲んでその生涯を閉じる・・

悲しみに暮れる夫シャルル。
家の財産が一つ一つなくなっていく中でも、愛しい妻の家具だけは手放したくない。だがついに!そんな家具の中に、不倫相手との手紙を見つける。

絶望の夫。子供を残して妻の後を追う・・END

文学史に残る理由

ひどい女だ、なんてひどい話なんだ!とこう思う。

だがしかし、これこそはリアリズム、自然主義、写実文学というものなんだそうだ。現実生活に美しさはカケラもないと。

自然主義と言って思い出すのは田山花袋の「蒲団」。

「昼ドラ」にありそうなほど、現代でも通じるドロドロ。登場人物は全て等身大。リアリズムを扱った最初の文学という事で歴史に名を残している。表紙にも「写実主義文学を確立した名作」とある。

調べてみると、

モーパッサン、ゴンクール、ゾラといった自然主義派は、全てこの著者フローベールの後に続く、自然主義への大きなきっかけを作った作家。文学的な評価は、自分のような一般読者には少々わかりづらい。この点、田山花袋と同じ。

本作は「良俗を害し宗教を汚す」として起訴されたが、裁判で無罪に。スキャンダル的成功をおさめたとも言われている。裁判で著者が「ボヴァリー夫人は私だ」と言った事も有名。

リアリズムを扱った最初の作品というだけでなく、風景描写などで人物の内面を描き出す工夫がされている事も評価のポイントらしい。プロ曰く。

良作が溢れる今、文学史の素養がないと実感しづらい偉大さである事は否めないけれど、一つ記憶に残るシーンがある。

低俗な要素を指して「昼ドラ」とは言ったものの、上巻最後で、集会の演説と不倫現場が交互に展開されるシーンは面白かった。確かにドラマを見ているようだった。

「私はこうしてあなたのお供をするなどとは思っていませんでした」(不倫)
『70フラン』(集会)
「幾度私は帰ろうと思ったかしれません。それに私はあなたの後に従ったのです。そしておそばに残ったのです」(不倫)
『肥料』(集会)

一部を抜粋

最後に、
どうしても今読んでいる三木清「人生論ノート」の一節が頭によぎる。ちょうどこんな言葉に触れたばかりなのだ。

生活を楽しむ事を知らねばならぬ

人生論ノート(娯楽について)より

昔のように、「幸福」について考えることをしなくなった近代人は「娯楽」について考える。楽しみは生活そのものになく、「娯楽」の内にあると考える。娯楽が生活になり、生活が娯楽にならなければならない、と。(おっしゃる通り)


岩波文庫100冊チャレンジ、あと1冊〜!!🌟
ラストは1番尊敬する1番大好きな作家の本、と決めています😆

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