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ミドサー男子が、悩みながらも米国駐在帯同を決めることができたワケ

国内MBA取得後、戦略コンサルに転職。マネジャーを経験した後、米国にて駐在夫になることを決意し、2024年夏に実現した腰痛マンです!

https://note.com/yotsuman/n/n3fa29ab56677

今回は、私が妻の米国駐在に帯同しようと”決意した・できた理由”を振り返ってみようと思います。
時間軸を広げて、私の心境の移り変わりを図に表すと、5つの段階を経由してきていると思います。

ここ5年間のタイムライン

今回は、特に④~⑤の間にあたる、渡米決断の背景~渡米後に感じていることを、お伝えします。
また、私は不安症&決めれば楽観的という性格もあり、決断前に色々とキャリアの仕込みもしていたので、そちらも共有します。

今回は、こんな方々の参考・エールになればいいなと思っています。
・今後の人生設計/家族の在り方を悩まれている方(ポストMBA/コンサルの方も)
・遠距離恋愛/結婚中で今後の家族像を検討されている方
・海外での生活/キャリアを検討されている方
・30代男子のリアルな心情を感じたい方



国際遠距離生活の悩み

当初は、しばらくは遠距離でいいかな。と思っていました。

というのも、妻のビザは3年間の期限付き。3年なら、お互い仕事に打ち込む時間と割り切り、別々で暮らすのもありだと思っていたのです。

ところが、ディープな課題に突き当たり、その思いは急変します。

時差反転の生活&物理的にも遠く離れており、なかなか会えず、寂しい。
・・・いや、寂しさは我慢すればいいのですが(激務だったので友人とも時間が合いにくく、遠恋カップルYouTuberとかを漁ってました笑)、

大きな問題は、ミドサー夫婦の二人にとって重要な、『子どもどうする問題』を相談しにくい環境が続いてしまうこと。
もちろん電話はするけれど、そんなに話すこともないので頻度は低く(2週に1回ほど)、頻度が低いと明るい話題で満たしたくなり、ヘビーな話は切り出しにくく・・・。気後れしていました。

妻が帰国するのは最短3年後。お互い30代後半。運よく授かっても生まれるのは40歳近傍。という状態でこのトピックから目を背けていたのは、二人の選択肢を狭めることになりかねなかったな、と反省しています。

わかっているなら、動けばいいじゃん。と言われるかもですが・・・

”私のキャリアどうする問題”も、やっぱりありました。
別居期間中に、私は戦略ファームでマネジャーに昇格し、仕事の幅も広がり、正直ノっていました。
マネジメントの壁に苦しみつつも、きっと乗り越えられるはず!その先の昇進も現実的に見据えたい!と強く思っていたので、なかなかキャリアを転換する勇気が湧かなかったのも事実です。

仕事に熱中する中で、だんだんと人生の歩み方に対する思考に蓋が被さっていったように感じます。すぐ渡米というのも考えられず、日々は過ぎていきました。

決断のとき

きっかけは、妻の一時帰国でした。
2023年12月~2024年1月頭にかけ長めの帰国で、家族計画を話す機会が巡ってきました。年末に、私の実家の長野で一緒にスーパー銭湯に向かう、たった5~10分の車中での出来事。

『子どものことをどうするか、前向きに考えたい』

話の流れは忘れましたが、妻からのこの発言にすごく驚きました。どうやら、研究者の労働環境が日本に比べ良いこと、子育てしながら活躍する研究者の先輩との出会いなどにより、現実的な選択肢として向き合うことができるようになった様子。

驚いたのと同時に、家族の話ができたことに、とても嬉しかったのも覚えています。蓋していた感情がググっと顔を出してきて、サウナで整っている内に、『渡米しよう』と思っていました。なんとも楽天的ですが、なんとかなるだろ。と思ったのです。

妻には、『難しいことは色々あるけど、時間だけは取り戻せない。早ければ早いほどよいのなら、二人が今できる最適な判断をしよう。何より、二人一緒に居れたほうが楽しいよね。』と、ツヤツヤ顔でお伝えしました。

・・・と言いつつ、そのあと、散々悩みました。笑
実際、キャリア止まって大丈夫?仕事もなくてアメリカの生活費払える?てか渡米した後に気が変わったりしない?・・・とか。

ただ、妻帰国後の1月21日。
電話で改めて相談をしている際、前向きな気持ちはありつつも、体調不良や仕事のプレッシャーで圧し潰されそうな妻の姿を見たときに、『何故一緒に居てあげられないのか?できるはずなのにビビッて動けない自分の、夫としての存在意義とは?』という疑念が巻き起こり、気付けば、

「われら二人の人生を、他の人は生きることができない。二人にとって最善と思える人生のために、チャレンジングでも、渡米する。」

と宣言しました。お互い、涙交じりだったように思いますが(妻は泣いてて胸が締め付けられた)、ここで本格的に腹が決まりました。
ロジカルに課題を潰して決断、ではなく、完全に感情起点です。感情にゆだねられた理由は末尾で記載します。

宣言以降は、似た境遇の人に話を聞いたり、海外転職エージェントも活用して、主に仕事面の可能性を検討していきました。
とてもありがたいことに、職場の上司・アドミに恵まれ、渡米後も業務委託等で仕事を続けていくお話も頂き、自信をもって準備を進めていけました。(本当に感謝・・・)

渡米後感じたこと

何よりもまず、一緒に生活することの幸せ・尊さを実感しています。
平日は妻は仕事なので、週末の公園ウォーキングや食料買い出しが二人の時間になりますが、なんとも充実感があります。

当初は時差ボケで動けず、コミュニティも仕事もなく何も生産しない日が続くので、自分の存在意義を疑問視したりもしましたが、
少しずつ日本人コミュニティもできはじめ、スポーツコミュニティ(現地のバドミントンサークル等)にも通い、世界がドンドン広がっていく感じがしています。

なお、今は就労許可申請中ですが、取得後にはこちらで仕事もできればと考えており、仕込みも始めています。
・コンサルの仕事
・より事業実現代行に近いこと(米国/アジア進出支援等)
・事業推進に伴走するビジネスコーチングの役割
・・・等々、広く担っていければと思っており、そのためのネットワーキングを進めたり、コーチングはスクールに通っています。意外と米国は狭く、動き回って人と出会っていくと、どんどん将来の仕事につながりそうなお話も出てくるのが楽しいです!

もちろん、すぐに満足いく収入にはならないですし、本当に大丈夫かと不安もありますが、焦らず楽しみながら、自分だからこそ貢献できることを、今に集中して探していこうと思っています。

仕込んでおいてよかったこと3選

渡米を決める前から、不安症の強みが活き、仕込みをしていました。
これらはすべて、自分の意思決定や米国での活動を支えてくれる、とても貴重な経験・行動になっていると感じます。

①前のめりのビジネススキル構築

妻が博士課程進学を検討する段階から、将来の海外勤務可能性(国内も獣医関係の研究は地方に多い)は聞いていました。
もしそうなら、私たちの大きなリスクは、私自身が会社の看板を背負ってしか仕事がなく、勤務地をコントロールできず、別居せざるをえないことだと感じていました。
(※妻のことは強く尊敬しており、彼女の活躍は社会に大きな意義がある!と信じているので、全面的に彼女の意思を尊重したいと思っています。)

そのため、『3年以内に、好きな時に・好きな場所で・好きな人と・好きな仕事ができる力を身に着ける』 をモットーに、自己成長に時間とお金を投下してきました。例えば・・・

  • 『個別業界・スキルは、テクノロジー進化と共に陳腐化する(専門性ないし)。まず必要なのは、汎用的なビジネススキル・経営に関わるリーダーシップの底上げだ。』と感じ、仕事と両立できる国内MBAに進学

  • MBA取得後は、『領域問わず、事業創出できる人材はどこでも求められるはず。社会課題を、利益をもって解決する新事業構築力を身に着けるべきだ。』と感じ、戦略コンサルファームに転職

それぞれの場所で最大限努力し成果にコミットすれば、属性問わず信頼できる仲間・サポーターができるはず!と思い、自分の体が動く限り猛烈にワークしていきました。

結果、渡米検討時にも「きっと何とかできる!」という自信を身につけられたので、自己投資は(体調面は脇におくと)やっておいてよかったと心底感じています。

②コーチング活用による心の整理

とはいえ、キャリア面では暗中模索の日々が続いていました。例えば、
・どうやったらマネジャーとしての付加価値が出せるか?
・このままコンサルを続けるのか?いつまで?
・キャリアの柱となる専門性はどこでどう身に着けるべきか?

その時に偶然出会ったのが、コーチングでした。前職の先輩の友人がコーチング資格取得に向けてクライアントを探している。というのがきっかけで、今だ!と思い申し出ました。

セッションでは、『自分の5-10年後のキャリアの道筋・柱を明確にする』ことをゴールとして、高く自らと向き合う時間(これが想像以上に苦しいのですが・・・)をサポートして頂きしました。
隔週1時間強x3か月間。セッション中は、みっちり自分と向き合い、その思考のための問いかけ・傾聴をしてくださります。

過程すっ飛ばしますが、粘り強く伴走頂いた結果、
『方向性を固め過ぎず、その時、自分の関心の向く領域に全力投下するのが私らしいキャリアの歩み方だ。』
ということに気づき、悩んでる時間が無駄じゃん!動いちゃえ!と思えたことで、その後、一番心がワクワクする渡米を決意する一助となりました。

※なお、一部のセッションはアンガーマネジメントに費やしましたが、こちらは残念ながら改善しませんでした涙

③ファインプレーとなった受精卵凍結 

お互い、子ども絶対欲しい!というタイプでもなかったのですが、可能性を残す目的で、妻の渡米1か月前に駆け込み、受精卵凍結を実施しました。

これは本当に助かっています。科学の進化に大感謝。
渡米後の今、まだ先行きはわかりませんが、選択肢を広げることに大きく寄与してくれています。

『時間を買う』という表現が正しいかはわかりませんが、『今この時にしかできないことの実現にお金を投下する』というのが、心の安定につながり、
翻って目の前のことに全力投球する助けになるな
と感じています。

終わりに

当初想定とは異なり、重くなってしまいました。笑
もし、このnoteが、同じような境遇の方々への参考・エールになれば嬉しいです!

将来に不安定感も尽きませんが、とにもかくにも、二人の人生を生きている実感はとても喜ばしいこと!だと心底感じています。一度しかない人生を一緒に過ごすと決めてくれた妻にリスペクトを示しながら、これからも色々とチャレンジを楽しんでいきます。

次回は、渡米1か月時点の生活の様子や、心の変化を書こうと思います。結構ぐるぐると色々悩んだので、吐き出してみます。笑

その先は、『何故、将来への仕込みができたのか?』を振り返り、例えばビジネススクールに通った際の背景や感情、そこで得たものを、記録していこうかなと思っています。

それでは!

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