【百年ニュース】1921(大正10)5月23日(月) ライプツィヒ戦争犯罪裁判が始まる。パリ講和会議ではドイツのヴィルヘルム2世の裁判を想定も,亡命先オランダの引渡拒否で実現せず。また他の戦犯容疑者もドイツ政府が引渡拒否,結局国際裁判ではなく国内裁判で裁かれることに。連合国指名の戦犯45名が対象。
ライプツィヒで第一次世界大戦の戦争犯罪裁判が始まりました。パリ講和会議ではドイツのヴィルヘルム2世の裁判を想定していましたが、亡命先オランダの引渡を拒否したため実現しませんでした。また他の戦犯容疑者もドイツ政府が引渡拒否し、結局国際裁判ではなく、ドイツ国内裁判として、このライプツィヒで裁かれることになりました。連合国が指名した捕虜虐待容疑者など45名が対象でしたが、訴追されたのは12名にとどまりました。
裁判の結果、注目された第58歩兵旅団長のカール・ステンガー中将には無罪の判決でました。全てのライプツィヒ戦争犯罪裁判は7月16日に結審し、その判決は総じて軽かいものにとどまりました。
1945(昭和20)年に、阿南惟幾陸相がポツダム宣言受諾に際し「戦争犯罪人の処罰は日本人が行う」との条件をつけましたが、その念頭にはこのライプツィヒ戦争犯罪裁判がありました。
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