「日本史 不適切にもほどがある話」 堀江宏樹 著 王様文庫
安直に流行りに乗ったのかなと思われるようなタイトルだったのですが、意外に?真面目に書かれている本です。
特にお金の面での記述が面白い。
武田信玄は、精強な騎馬軍団を持っていたのですが、その軍団を維持できたのは厳しい税制があったからではないかとのことです。「武田家が人民に課した「棟別銭」の税額は全国平均より約2倍も高かった(p.126)」とのことです。棟別銭とは、今で言う固定資産税のようなものだそうです。その取り立ても相当厳しかったようです。
一方、織田信長は、「百姓前(=農民)からは年貢以外は過分な税の徴収をしてはならない(p.136)」とし、「経済的に弱い立場に立たされがちな大多数の農民を守り、その支持を得る」方針で、支配層・富裕層からはたくさんお金を徴収していました。
「信長は寺社仏閣に対してかなり冷淡で、奈良の法隆寺からは1000貫文(約2億円)、滋賀の石山本願寺からは5000貫文(約10億円)などと大寺院から巨額を搾り取っていた。(p.139)」とありましたから、今で言う宗教法人からも情け容赦なくお金をとっていたと言えます。
もし総選挙があったら、僕は信長に投票したいです。
近代の著名人たちについても、特に無駄遣いをした人たちについて書かれています。
伊藤博文が芸妓の小吉に与えていた毎月の小遣いは、現在の価値で月200万円ほどだったそうです。
渋沢栄一の年収は4億円。
土方歳三は新撰組副長時代、月収400万円。
こりゃぁ、無茶だと思ったのは、朝ドラにもなった植物学者牧野富太郎は、「お金もないのに高級旅館に泊まりつづけ(p.215)」、実家の造り酒屋「岸屋」は、「牧野からの凄まじい振込要請に耐えきれず、財政破綻してしまった(p.216)」のだそうです。
大変な国家的な散財だったのが、天武天皇 持統天皇による藤原京遷都です。
風水に凝った天武天皇の意思で、天皇や皇族は藤原京の北側に住んだのですが、「都の道路の両脇には下水代わりの水路が引かれていたが、これらの水路も南から北に向かって流れるようになっていた(p.18)」ため、「庶民や下級役人たちの日々のゴミや排泄物を含んだ大量の汚水が、藤原京における皇城や、政治の中枢である大極殿・朝堂院にも流れ込んできた(p.18)」ということになってしまったようです。やっちまいましたね。
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