勝手に決定!日本第三の都市、博多はすべてがちょうどいい!博多ぶらぶら第3回目
街づくりの名人たちの住まうゴミ一つ落ちていない美しい街、福岡は現在も物凄い勢いで発展し続けています。
そんな福岡も日本中の主要都市がかつてそのようであったように、戦中戦後の戦禍による苦難を乗り越えてきています。
1945(昭和20)年6月19日の福岡大空襲による甚大な被害は当時の人々の心の炎を消し去ったであろうことは筆舌に尽くしがたい出来事であったでありましょう。
そんな打ちひしがれる人々の前にある奇跡が現出します。
街の中心部の大部分が焼失倒壊する中、現在の天神地区の中心部であったはずの位置に建っていた岩田屋百貨店が焼け残り、その姿が街の人々に再び立ち上がるための勇気の炎を燃え上がらせたのです。
そうして活力を取り戻した天神地区に感化された博多部そして中洲部、当時は福岡の中心部であったため最も空襲の被害が大きく復興は絶望的でしたが、天神地区の復興に負けまいと奮起したといいます。
やがて急速に復興した天神部と博多部は、徐々に握手するように重なり合い、時には競い合って現在の街を形作ってゆきました。
さて、話は現代。
私の博多ぶらぶら散歩も今回で3回目となります。
共に自転車にでも乗って街を観光しているような気分を味わっていただければ嬉しく思います。
それではまいりましょう、ようこそ福岡へ。
福岡には何がありますか、そう聞かれると答えるのはむつかしい。
観光といわれると???となってしまうからである。
街の規模などから考えると結構意外なことなのでしょうか。とりあえず聞かれたときは「太宰府天満宮」と答えるというのが市民の暗黙である。
個人的に福岡の街の魅力について思っているのは、住めば都という言葉を凌駕する住みやすさを有していることが一番のストロングポイントだと思っています。
市の人口160万人という数字的なものを感じられないほど、街中は常にゆったりしており、人多すぎ問題に遭遇すること少なく、道広く山と海近くすべてが丁度よいのです。
遥か太古からの地理的な条件による天然の流通の要所であることから近隣のあらゆるものが自動的に福岡に巡ってきます。
特に佐賀と熊本、傍には大分や長崎や鹿児島といった、九州中から食べきれないほどのおいしい食べ物が送り込まれてくるのです。
各街のそれぞれが何かしらの特産地であり、最終的には地元の福岡の素晴らしいものたちとスーパーの店頭で響きあいひしめき合い、日々訪れる私たちを悩ませるのです。これほどの幸せが他にあるでしょうか。
なんといっても福岡の魅力第一位は、住む人々の人間性の素晴らしさです。
ある風の強い晴れた日でした、乳母車を押して歩いていた母親の帽子が風で飛んでしまったシーンに私はめぐり合う機会を得ました。
その際に周りのほぼ全員である30人くらいが一斉に飛ばされた帽子のために動いた時の驚きと感動が伝わるでしょうか。あまつさえ道路上の車まで停車しており、完全に映画のワンシーンがその瞬間この現実に現れたのです。
お互いにそのことに気づきハニカム表情が想像できるでしょうか、つまりはそういう人たちの住む街であるということです。
街の中心部では車は不要です、そのくらい充実の交通機関、車?歩いたほうが早いよね??
バスの保有台数世界一の西鉄バスが団子状態で連なってバス停に押し寄せてくるのは地元の人々でさえも、電車じゃないのだから・・という鉄板のお笑いの種です。
天神ビックバン
福岡はアジアの拠点都市としての役割・機能を高めるために都市の中心部を再開発している最中であり、街ゆく人の多くがお気づきのことと思いますが、至る所で物凄い規模の工事が行われております。
主だった開発工事だけで概ね2026年頃まで延べ10年以上かかる大掛かりな計画となっています。
タイトル画像
タイトル画像に使用させて頂いているのは、Keeenue(キーニュ)さんの作品「FIND THE DOOR」の一部です。
おわりに
今回は主に福岡の街の中心部をご案内いたしました。
いかがでしたでしょうか。
共にゆっくり街を巡ったようなお気持ちになっていただけたなら幸いです。
そして私の気ままな街散歩記事も次回で最後となります。
惹かれたら最後までお付き合い願えれば嬉しく思います。
その他の博多ぶらぶらは以下となります、惹かれたら是非ご覧ください。
著者プロフィール
私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。