感情という常駐アプリに手こずらないで
このように私たち人間を展開すると概ね先につづったとおりの言葉にすることができる。でも実際には数行で書けるほどに単純でないのは誰もが人生の中で経験済みのとおりである。
であるならば私たちはそれらの経験による体験を欲していることになりはしないだろうか。
もしよければ日頃より手懐けるのに苦労する、自分の中の感情や感覚について共に考えていただければ嬉しいです。
感覚は空気が読めない
感覚には感情がないので常に空気が読めません。
私たちは時に感覚からもたらされる感情に振り回されがちです。
例えば次のようなことが日常的に起こります。
待ちに待った家族旅行、楽しみにしていた筈の行きの飛行機の中でこう思います。
「この飛行機が落ちたらどうしよう?」
いえ、あのっ、今その感覚、いる?
少なくとも今じゃないですよね?
YouTubeを見ていて突然動画の内容と無関係のコマーシャルが爆音で流れる。
「いまじゃないよね!?」
スマホの無料ゲームをプレイしていて、急に画面いっぱいに表示される別のゲームの広告。
「・・・アッ、ハイ、ナルホド」
このようにわかりやすく極端であれば、感情のコントロールに苦労は必要としません。でも日々自分の中からやってくる感覚はとめどなく、自分のタイミングとは無関係にやってくるのです。
そして厄介なのはそれらがなぜ出てきたのか解明することはむつかしく、そのことを考えている間にはもう次の感覚が次々押し寄せて列をなしているので大変です。
感情とはスマホにはじめからインストールされている感覚と連動した自動的に起動する常駐のアプリケーションのようなものなのです。
だからもう自分の感覚とセットになっている感情に振り回されるのにもほどほどにしてすべてを委ねるとよいのです。
すべてを委ねる理由
とはいえ、そうやすやすと白旗を上げるのも何か違うとそう思うと思います。ではこのようにするのはいかがですか?
たとえどのような感覚が自分の中から出てきたとしても、
「ハイ」
そう言っておしまいです。
・・そんなのムリでは??
そうなんですよ、ムリなんです。
何故なら、私たちは欲張りさんなんです。
つまりは自分の中から止めどなく押し寄せるあらゆる感覚のすべてを余すところなく楽しみたいと思っているのです。
いいえ、私は嫌な感情はイヤです!
それは誤りです、何故ならそれは何もわかっていない顕在意識(思考)がもとになった意思だからです。
潜在意識(集合意識)があらゆる感情や感覚を欲しがっているからこそ、自分の中からそれらがやってくる仕組みです。
ではどうすれば??
すべてを諦めるしか??
答えは委ねる、ということです。
諦めるのと委ねるのとの違いはおわかりかと思います。
感情と感覚と思考が別々なのもわかっていると思います。
つまり自分の中から様々なものがやってくるのは防げないんです。
それは私たちが生きている証であるからです。
生きている以上逃れられないのだから委ねて、あるがままを受け入れればよいだけなのです。もはや自分が体験している世界が自分の心の投影であることを疑う人も少ないと思います。
こうした仕組みである以上、色々考えても無意味なのです。
はじめから正解はないからです。
ですからただ生きればいいだけなんです。
生きるとは、ただあるがままに行動することなのです。
私たちはこれまでもう十分にあれやこれや思考してきました、だからもういいんじゃないですか?
あとはもう委ねて心穏やかに暮らしませんか?
もし少しでもそう思うのでしたら、いまこそハートから生きてみてください。でも勿論、委ねるばかりが人生ではありません、最後まで抗って足掻くのだって立派な人生だと思います。
どのような選択をするにしても、最後まで自分らしく在ることが大切だと思います。
さてまた週末がやってきました。
きっと素晴らしい週末になるのでしょうね。
タイトルイラスト
†あらやん†さんよりお借りしています。
ありがとうございます。
著者プロフィール
私、ナスノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。