季節外れの鬼は外、福は内
自分の中に眠っている衝動が鬼で、それが自分の外に出てありのままを表現するから鬼は外。そうして、鬼の後にできた空白に入ってくるのが福。だから、何度でも繰り返し自分を表現するため、都度好きなことをするのだ。
その際、一切の遠慮は不必要。そのために自分は生まれ生きているから。
汝ふしだらにつき
自分とは、ある意味で魂から届く波動を翻訳する存在。
心の代弁者、誰からバカにされても、真理(心理)を伝え続ける。
好きなものの渦中に生き、好きなことを表現する。
嫌なものを見ない触れないというよりも、自分を表現するということこそが己の道であると信じるからだ。
恥ずかしげもなく、ありのままの自分で生きる。
奇をてらったものか、はたまた右へ倣えの似たようなものか。この世に溢れる自分と無関係な表現。だから自分で創りだし表現する。
挑み挑戦したことを誇る、実績とはそういうものだ。
体験からなる経験によって、勘は磨かれる。直感と直観と直勘。
特に失敗による体験は顕著。
すべては自分になるために起こっているのだ。
自分の在り方やじぶんらしさとは。
自分の中の羅針盤の常に真北を進め!
人道と天道の違い
何か事を成さんとするとき、周りの縁によって事がもたらされる。
事がなされた結果、自力ではなく、他力であることから、何か特別な現象を目の当たりにしたとしても、なんだか胸のあたりがモヤットとする。
心の奥底では、そうした不思議なご縁を日々感じていながらも、どこか悔しいような惜しいような感覚が芽生える。
ゆえに、己の力で成し遂げた登頂や、金メダルなどの偉業に納得できるのだ。体を鍛えたり、技が上達したりすることが嬉しいことなのだ。
わがままだと思われようが、自己中心的な思いだとしても、その先にある自分だけの道を切り開きたいと切に願うのだ。
己の意思で神か皇帝か、どちらかを選ぶように。
仮にバベルの塔の物語のようであったとしても、自分から生まれる衝動は誰にも止められないのだ。
そして最後に、自分だけの道が、天の道に繋がっていたと気づくのだ。