無償の愛に生きる
人生は楽しむもの、ただどう楽しむかは人それぞれ。
どんな瞬間に『生きている』って実感できるかどうかも人それぞれ。
自分の生を実感できるのは、自分らしく何か事を成している瞬間。
けれど、何かを表現したとして、ごくわずかな人にしか認知されていないとなんだかさみしくなる。好きな人を応援している最中、ふいに虚しくなる。
しょせん自分なんかその他大勢の中の一人であり、自分の小さな声なんて届かない、意味なんてないって思えるから。それでもなお、自分が何かをしたくなるのは、きっと特別な自分を感じたいから。
自分が特別であると思いたいというよりも、そもそも自分は唯一の存在であると思い出したい。思い出し、腑に落ちた状態で、ただシンプルに人生を楽しみたいのだ。
決して自分を特別な存在であると誇りたいわけでも、周りに喧伝したいわけでもなく、自分が納得し、自分のペースで生きていきたいと願うのだ。
たとえ誰からも理解させず、孤独感に苛まれようとも。
いいひと? いいこと?
無理に仕事や勉強に意味を与えようとしなくていい。
ただ単純に、愛する者のためだと割り切ればいい。
仮に愛する存在からの見返りが何もなくとも、そんなことは無関係。
それが無償の愛であり、自分が生きる原動力。
人生に複雑な意味を見出す必要はない。
いい人になるよりもまず、いいことがしたい。
いいこととは、世間で言われているような善行のみならず、自分の身近な人に『感謝』されること。
どんなに些細なことでも構わないので、小さな感謝を積み重ねていく。
人知れず為になる行いをし、徳を積むことを陰徳という。
今の世は多くの人が己の功績を喧伝しがちですが、陰ながらみなの役に立っている人はいくらでもいるもの。
仮に今、だれからも褒められていなくても、感謝されていなくても、気にしなくていい。
お天道様は見ているから。
誰に恥じることなく、自分の日ごろの行いに自信をもてますように。