欲につけ込むビジネス
最近頻繁に世間を賑わす『闇バイト問題』、この情報渦巻く時代に一体どうして詐欺行為が頻発するのか。もとより世間は綺麗ごとばかりではないし、昔から人を騙す輩は沢山いた。
詐欺に引っかかる一番の要因は、「自分は大丈夫だろう」という油断からくるもの。ただ昨今の『闇バイト』については、より現代の闇を内包している。それというのも、詐欺行為に加担してしまった者たちや被害者はみな貧困から情報に触れる機会が乏しかった情報弱者であるということ。
そもそも情報を得るためには、高額なデバイスや通信料などが必須であり、貧困家庭などに生きる若者の一部は、それらを手にするため意図せず闇バイトにたどり着いてしまう。
はじめはやさしく言葉巧みに「簡単に稼げるし効率もいいおいしいバイト」とそそのかされる。その結果、いわれるままに従っているうちに犯罪に手を染め後戻りできなくなる。
そうしてまた、後戻りできなくなった闇バイトの被害者によって、次の犠牲者が生み出される鼠講。この卑劣な仕組みを「この情報社会に知らなかったでは済まされない」「事前に調べなかった自己責任」というのはあまりにも世知辛くはないだろうか。
いつだって弱い者たちを騙す輩が悪いのは紛れもないこと。だがしかし、騙す側、騙される側という関係性はこれからも複雑に絡み合って続く。
すべては焦る己の心が引き寄せた現実に他ならない。
詐欺という代表的なビジネスモデル
昔は詐欺といえばごく簡単な仕組みで騙されるほうが悪いというようなものに過ぎなかった。
たとえば典型的な手口でいえば、雑誌内の広告や広告チラシの商品を注文してからというもの、それから怪しいチラシがポスティングされたり勧誘の電話がかかってくるようになった。
これを聞くと多くの人が、「自ら騙されにいっているんだから、そんなの当然じゃん」と思います、しかしそのことに気づけない人は昔から一定数いて、詐欺師たちはそのことを知ってわざと簡単な詐欺の手口を使っていました。こうした簡単な詐欺に騙される人は、騙されたことに気づかないことも多く、仮に怪しいと思っても周りに相談しない人が多いからです。
蛇足ついでに補足いたしますと、何かしらの詐欺行為を働く場合、まず多くの人の目に触れるよう何の変哲もない普通の商品に広告費を払い宣伝し、あたかもお得そうに販売します。
はなから販売者はその商品で儲けようなどとは考えておらず、大きな赤字にならなければいいと思っています。何故なら彼らが欲しいのは、お得な商品を探している人たちの個人情報だからです。
そうした商品を注文した時点で、氏名、住所、電話番号などの個人情報が相手に渡ります。相手はその情報を保存し自分たちが持っている情報と照らし合わせリスト化し、そのリストをさらに別の仲間へ売り渡します。
一度こうした相手に情報が渡ると、個人情報のたらいまわしが起こり、この世から削除することは不可能になります。そうしてリスト化された情報をもとに、勧誘の電話がかかってきたり、最近はもうありませんが、訪問販売などが来たりしていました。
すべての広告の商品がそうであるとはいいませんが、おおむねネットの広告商品やチラシの商品などはそういうものであることが多かったのです。
人が何か事をなそうとするとき、必ずそこには利害が発生し、その根底には必ず欲があります。
お金儲けの手段、と物を少しでも得に手にしたいという欲望。
ゆえに、一部の詐欺師は自分の詐欺行為をただのビジネスと認識しており罪悪感などもっていません。むしろ優越をもって自分が思いついたビジネスモデルを誇っていたりするのです。仮にそれが詐欺行為であったとしても。
それはまるで、生きるためにはお金が必要だと信じている者たちによる狂った守銭奴の世界。
豊かさという幻想ビジネス
お金儲けなんて簡単だ、一旦与えて失う恐怖を植え付ければいいから。
たとえば0円携帯を契約させ、便利さになれさせ手放せなくする。
あるいは見栄を利用するビジネスモデル。
みんなが持っているのに自分だけが持っていないとなんだかさみしい、だからスマホをもつ。
同年代はみんな年収はこのくらいで家を建てたり、分譲マンションを買う。立派な会社と役職、車は高級車。
人間の欲望によって物質的な社会が形成される。
不必要に競争し、格差が広がる。
嘘でもなんでもあり、とにかく目立ち上にいければいい。
負け犬、負け組も自己責任、要領悪いやつは置いていけ。
全部あとからわかる、目に見える豊かさはただの幻想、己の心が望んだむなしいだけの産物。
時代のうねりの中で、自分を見失い漂う人々。
恐れや不安を糧にするビジネス
人間はときに不必要な準備をする、とりわけ自分の中にある予感めいたものではなく、それらは将来への不安や恐れから来るもの。
現代の大量生産、大量消費の仕組みを営むに至る根底に在るモノの正体。
人間はもともと地球の恵みをいただく形で繁栄してきた。
それがいつしか多くを所有するようになり、地球にこれまでなかったような物まで作り出し、例えば作りすぎた作物を加工し保存できるようにして、でも結局消費は追い付かず、無理やり食べたり廃棄したり。
「何か起こったときにはどうするつもり?」と、言い訳を用意しせっせと無用な貯えをし続ける。
そんな過保護なまでの将来への準備によって、作る必要のない物が大量に生み出され、環境汚染、過重労働へと繋がり、貧富の差を産む。いままさに人間社会のアンバランスが地球のシステムにまで及びはじめている。
己が先んじて美味しい思いをしたいという、我先の心、己のみ良ければいいという我良しの心によって、自分たちが住む星を蝕む。
もうそろそろ人類ひとりひとりが足るを知り、地球の恵みに感謝して営むことを思い出す時ではないだろうか。
もう十分、欲に溺れるという遊びは堪能できたのだから。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。