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資本主義を嫌悪しない生き方、在り方
お金は汚い、競争はヤダ。
権力者やお金持ち、キモイ。
だからこそ、自分が美しく資本主義の中で花咲くことに意義がある。
自分だけのやり方で、自分らしい在り方で。
ビジネスは一人でだってはじめられる、アイデアさえあれば。
資本金だってそんなに必要ない、競争さえしなければ。
一番になろうとしなければ、誰かに勝とうとしなければ、きっと何か思いつくはず。
誰かの足を引っ張ったり、詐欺まがいのビジネスモデルに手を染めなくても、日々の糧を得られるはずだ。
決して楽で贅沢な暮らしはできないけれど、愛する人々を守れるはずだ。
働くため奴隷のように生きるのではなく、自分を生きることが生きがいとなりますように。
周りに気を取られていたのでは、いつまでたっても自分らしくなんて生きられない。
一刻も早く、歪んだ資本主義に従属するのをやめ、外の世界へ飛び出そう。
与えられた枠組みの中で生きるのではなく、新たに自ら作り出した価値観のもと生きるのだ。
とはいえ、人はそんなに急に変われない、人から評価されたいという自分の欲求(幻想)と対峙し、まずそれを破壊せねばならない。
破壊するのは何も身近な目に見える何かなどではない、ただ自分の凝り固まった考え方。日々自分が信じている常識という名の思い込みのことなのだ。
自分の境遇、今置かれている環境、周りの人々、政治、経済状況、それらに必要以上に気を取られている限り、本来の自分の在り方にはたどり着けない。
だがむしろ、それらの自分以外の無関係な事柄をすべて手放せたとき、ようやく自分の生き方のヒントが垣間見えるのだ。
誰の掌の上で踊る?
自分が何か事をなしたいと思ったとき、他者の望む自分になろうとするのと、他者の願望を利用して詐欺まがいの行為をするのとの違いはいったい何なのだろう。
それはつまり、自分が心からそうしたいと思うかどうかの違いというだけの単純なものなのだろうか。
だとすれば、同じ踊るなら自分の掌で踊れ。
まずは自分が満たされなければ、他者はもちろん地域や社会に貢献することなど叶わない。
かなり安直かもしれないが、この先畜産農耕、エネルギー、運輸、ITCやAI、医療、教育、などあらゆる産業のテクノロジーがどんどん進化発展するにともない価値観が移り変わってゆくことになる。
今現在だと、それらのテクノロジーの恩恵を受けられるかどうかが、貧富の差に直接的に寄与しているように見受けられる、だがしかし、この先数十年後、今と比べ物にならないほどにあらゆる技術が進化した場合、最終的にはあまねくひとびとの暮らしの水準は一定水準以上の差となって落ち着くのではないだろうか(何の根拠もない、無責任で横暴な予見だが)。
より多くの人々の生活水準の向上により、現在のような豊かさのアンバランスからなる対立構造が崩壊。
人々の精神衛生は向上し、教育や子育て地域のモラルや治安の向上。
殺生することなく摂取でき、わずかに食することで生きられる食べ物の登場により、価値観がひっくり返る。必定な犠牲をすら超越しつつある。弱いものから搾取せず、優劣もなくなる。
環境を汚染破壊することのない畜産農耕、建設、運輸、生産の登場。
劇的なコスト削減、エネルギー問題の緩和。
理想的な循環構造の形成により、健全で安全な営みの構築。
あられもないユートピア論、机上の空論、子供っぽい空想だと笑うだろうか?
まずは自分がこうした理想を脳裏に巡らせてこそ現実のものとなるのではないだろうか。そしてまずは、自分がそうした社会に向け日々の暮らしを丁寧に生きることがすべてのはじまりのように思うのだ。
自分が満足すれば家族を、知人を地域社会を、そして世界をというように、自分の認識できる世界が広がっていく、世界とはそういうものなのだ。
まずはじめは、自己満足からでいい。
自分の欲求を自分勝手に思い恥じなくていい。
まずはそれを実際にやってみること。
結局すべてはそれからなのである。
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