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Column #32 痛み

首が痛い。背中が痛い。まだアラフィフの入り口だが、最近はどうもダメだ。この夏、海へ、山へ、川へ、平均して週に1度、場合によっては2泊3日ほどかけて出かけているのだけど、7歳の息子と同じか近い運動量をこなすと、翌々日くらいまで体がしんどい。

それとは別に、2ヶ月ほど前にぎっくり腰(背中寄り)をやってしまったようで、それ以来なかなか回復しない。普段から肩や肩甲骨をぐるぐる回したりもしているのだが。ソファにくつろいでいるのに、漬物石を載せられた漬物の気分。ありゃぁないな。

毎日、いろんな銭湯を利用し続けている様子をSNSに投稿している友人がいるが、真似したいといつも思う。そういった施設、例えば温泉旅行や健康ランドも含め、心身ともになぜあんなに癒されるのか。

ふと思ったのだが、単純に、浸かっているときにスマホを見ていないということが、まず良い。自分の家だと、適当にモノを置く台があって、湯船からたまにスマホを取り出して見てしまう。なんだったらSNSの更新もしている。風呂に疲れに行っているようなものだ。そう思ってここ最近は、そういうものは一切持ち込まないようにした。

さらに書くと、少しぬるめに設定してまず5分ほど肩まで浸かり、その後10分の半身浴をする(ついでに窓の外の鳥や虫の声を聴く)。それだけで血流が効率よく回復し自律神経も整うので、身体がだいぶ軽くなる。個人用サウナが流行り出しているから、それがあればもっといいのだろうけど、いかんせん狭すぎるな。

痛みを引きずったままのライブやレコーディングもたまにあるが、演奏が始まってしまえばたいてい忘れるものだ。でも度を越すと、やっぱり演奏中もしんどい。

負け惜しみかもしれないが、痛みのなかの演奏もいいものだ。心の中でその痛みが、一種の背もたれのように感じ、これ以上動くともっと痛いぞ、という姿勢を保つことで、絶妙なグルーヴが生まれる...…こともある。

今は痛みを取り除く専門の治療もある。知っている人も多いと思うが、ペインクリニックがそれにあたり、大きな病院でも専用の科がある。一時期、そこによく通って、さまざまな種類の神経ブロックの注射を打ってもらっていた。

以前書いたこともあるが、今から約2年半前に、長くこじらせていた左側の坐骨神経痛を排除するための、腰の手術(後方椎体間固定術・上の写真)を行った。それまでの約5年間、前述のペインクリニックだったり、整形外科、整骨院、整体、鍼、カイロプラクティック、コアトレーニング、そのほか自分で調べたり人に教えてもらったりで、いくつも通っていた。

しかしいずれにしても自分の場合は、長期的に見ると良い結果にはつながらず、ただお金だけが恐ろしいほどのスピードで減っていった(そういった機関が決して悪いと言っているわけではなく、自分のこの症状とは相性が悪かったのか、努力が足りなかったのか)。本もたくさん買ったし、脳の誤動作について勉強し、それを疑ったこともあった。

手術に踏み切ったきっかけは、やっぱりそういったお金があまりにもかかりすぎること。何よりもリスナーの方々に申し訳ないと思っていた。ライブに来てもらったりCDを買ってもらっても、そこでいただいたお金をすべて痛みの回避のために当ててしまっている自分がいたのだ。

ちなみに手術&入院代は、自治体の高額療養費制度や生命保険の補償を使った結果、ほぼ0円(むしろ少しプラス)だった。ただしその後の経過観察の費用は、毎年少しだけ支払い続けている。他にはたまに地元の整骨院に通う程度で、今は多くのお金は掛けていない。

「椎間板ヘルニア」ですかとよく聞かれるが、そうではなく、「第五腰椎分離すべり症」が正式な病名で、骨と骨がずれて、本来くっ付いているはずの部分が外れてしまっていた。それが「坐骨神経」という、腰から足先まで伸びている、人間の体のなかでも一番長い神経に、その腰椎のところで当たってしまっていた。同じ状態でも痛みを感じず過ごせる人も多くいる。悲しいかな、自分は全くもってそうではなかった。

実は分離症は、中学校の部活で発症する人が多いらしく(まだ体幹が弱いのに激しく運動するので)、自分もその頃一度腰を悪くしたから、その時点ですでに分離はしていたのかもしれない。それと昔から姿勢自体も悪いので、次第にズレが増していたのでは。

2015年と2017年の2回、自分で車を運転し続けながらハードな行程でツアーをしたことも、原因のひとつかもしれない。鍵盤やPA機材も毎回ほぼひとりで運んでいたし。でもあんなに全国を飛び回ることはもう無いかもしれないし、楽しかったので全く後悔はしていない。

それと2014年に子育てが始まってから、よく左腕で抱っこをしていて、ちょうどその時期から左足が痺れ始めのをよく覚えている。同時に軽い感覚麻痺も起こり、それが次第に痛みに変わっていったので、それもきっかけのひとつだったのではと思っている。

手術から2年半経つが、正直、痛みが完全に取れたわけではないし、日によってまちまちだが、4分の1〜半分くらいは残っている。でも今は、以前のような辛い痛みを気にせず、そして時間や距離も気にせずどこまでも歩けるようになったので、それが自分にとって大きい。軽い山登りくらいならできるし、ジョギングもできる。(ジェットコースターなどは無理)

手術をするまでの4〜5年くらいは、連続歩行は10〜15分が限界、ということが多かった。初期の痛みは左の臀部(お尻)だったのだが、徐々に左足の先まで広がり、とくにスネやふくらはぎ付近の神経がかなり痛むので、歩いていてもどこかに一旦座って休まないと、その先へ進めない。いわゆる間欠跛行(かんけつはこう)というやつだ。

2018年のニューヨークが、せっかく来ているのにという気持ちもあって、一番辛かったかもしれない。ジャズフェスのライブサーキットに参加したはいいものの、他の会場までの移動がしんどく、それでも見たいので時折足を引きずって歩いていた。でもそれはまだいい方で、一番辛かったのが美術館。今も若干そうだが、ゆっくり歩くというのが一番辛い。せっかくのメトロポリタン美術館が、痛みの記憶しかない。

普段の生活では、電車で立っているのが特に辛かったので、前で座っている人が次の駅で降りることを絶えず念じていたし、ひどいときは杖を持ち歩き、優先席に座らせてもらうこともあった。歩くときには杖はそんなに必要なかったので、譲ってもらいたいがために持っているという罪悪感があったが、今思えばしょうがなかったよな...…。あのとき譲ってくれた心優しいみなさんに感謝したい。

今もそうだが、Webを調べたり友人に聞いても手術を否定する声が多いので(後者に関してはこちらの身を案じてくれての言葉だったので、今でもそのすべてに感謝している)、そこに関してはたびたび逡巡したが、最後は「この痛みから逃げたい」という気持ちが勝った。

ただし自分と同じように困っている人全員に、手術という道を推奨するという立場にもなれない。こじらせなければ整体でも治せるようだし、こればかりは素人には分からない部分がたくさんあるので。

手術をした人もしていない人も、大切なのは腰回りを中心に全身の筋肉を日頃から鍛えて、体幹をしっかりさせておくことらしい(老後も見据えて)。自分の場合はルーティンのトレーニングが出来ていなくて、まばらで偏った運動ばかりなので、今だにあちこち余計なところが痛くなるのだろう。この辺りをもう少し考えていきたい。

痛みにはいろんな種類があって、女性しか分からない痛み、内臓の不調や血液の淀みから来る痛み、心の痛み、心の痛みからくる体の痛みだってたくさんある。その逆も。痛みを抱えている人にひとつだけ言いたいのは、けして自分を責めないでほしい。きっかけはひとつではないのだから。

痛みは合図だとはよく聞く。いちいち応対するのも面倒だが、重要なことを突然言ってきたりするのも、痛みという存在の特徴(=性格?)。高齢者の方が腰に手を当てて歩いているのを見るたびに、いずれはまた戻ってくる同居人なのだろうと考える。その彼(彼女?)に告げたい。この次はどうかお手柔らかに。