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どん底を経験したからこそわかる事がある


吉野についての記事はこちらから。


「テレビ出演おめでとうございます!」

「テレビ見ました!!」

「1時間ぐらいやってくれ!」(友人談)


みなさんからのありがたすぎるお声がかなり届いております…いやぁ嬉しい、ありがとうございます。

そんなテレビ出演の様子は以下からご覧になれます。よければぜひ!ど緊張しておりますが!!

(公式HP)

(テレビで放送された動画単体)


その際にも少しお話しさせていただいたのですが、わたくし吉野はクローン病という難病を中学生の時に患いまして


ちょうど受験の時期だったのですが治療やら検査やらなんやらで正直もう勉強どころではなく、志望校を諦めて別の高校に入学しました。

基本は明るくやっていましたがやはり今までできていたことができなくなったりするのを目の当たりにした時


病気にならず健康な体だったらなぁ


と一瞬頭によぎりました。
体調が悪い状態がずっと続くと心もだんだん病んでいきますね。


また病気が落ち着き高校卒業後も一筋縄では行かず、祖母と死別したことでうつ病のような状態になってしまいました。


その時の自分としては後悔しかなく、「自分は祖母にあれだけお世話になったのに何も返すことができなかった」という無力感でひたすら自分を責め続けてしまいました。


うつ病になり体が動かなくなり何もできなくなり…そんな生活を繰り返していましたが、そんな時ふと思ったのです。


「両親も同じように辛いはずなのに二人は頑張って働いてる、生活している、それなのに自分はなにもできていないじゃないか」


そこからはもう自分を責めるスピードが飛行機ぐらい早く、心と体を休めるために寝ているのに頭の中では自分で自分を責めまくるという元も子もないことをしていました。


「親が頑張って働いたお金で何もしてない私がご飯を食べるなんて申し訳ない」


「いっそのこと生きることを諦めた方がいいのではないかと思うけど、自分で手を下す度胸もない」


文字通り何もできずにただ自分を責めて泣き続ける毎日でした。




そんな時コーチングを使って今までの自分の考え方を大きく変えることでうつ症状からある程度回復することができました。


私の場合は死別による悲しさでの抑うつ症状も大きく、「早く元気にならないと」みたいな気持ちがあったのですが


「早く元気にならなくてもいい、無理に悲しさを乗り越えようとしなくていい」


と思った時に少し心が楽になったのを覚えています。



そもそもわたくし生まれた時からずっと「なにもできない子」「ダメな子」のレッテルを貼られていまして


自分のことがとにかく大嫌いで、基本思考が下向きでだったんですね。自分の敵は自分だと本気でそう思っていました。


そんな状態からコーチングを使ってひたすら

①自分が今何に悩んでるのか
②自分の何が嫌いなのか
③そもそも自分はどういう人間なのか
④現実の自分を理想の自分に近づけていくには何をしたらいいのか


そんなことを自分で自分に聞いて

「自分の一番の敵は自分だ」状態から「自分の一番の味方は自分だ」と思え状態まで自分が好きになりました。


大きな進歩すぎる…当時の私に言ってもおそらく信じないでしょう。


わからないものって怖いしなんか嫌じゃないですか。


でもたとえば自分の好きな人や推しは好きだからよく知りたくなるし、深くまで知って魅力とかをわかってるからどんどん好きが増すじゃないですか。


それと同じなんです。
私が自分を嫌いだったのはそもそも自分がなんなのかがわからなかったから。


勝手に嫌い認定して知ろうともしなかったので、素性がわからずどんどん敵だと認識していったんです。


ある程度知っていれば嫌なところが見えた時とか躓いた時に対策が練れるのですよ。


でも当時の私は自分を何も知らなかったので、自分の嫌なところが見えた時に「だから嫌いなんだよ自分のこと」と牙を向いていました。


じゃあどうしたら好きになれるの?


そこを考えようとしなかったんですね。
そもそもそういう考えすらありませんでした。


悩みと向き合う、自分と向き合う

というと大袈裟だなと感じてしまうかもしれませんが本当に大切なことなのです。


…うーんわからん、つまりコーチングってなに?って方はぜひ以下から詳しく知れますのでぜひ🌱



幼少期からなにもできないと言われていたり、難病になったり、うつ病になったり、自分が大嫌いだったり


色んな要因があったことで私の人生の半分は精神的にどん底でした。


終わりのないような底なし沼にいて、もうこのまま沼に埋もれて消えてしまえばいいとする思っていました。


ですが今はそうは思いません。
沼から出るのは自分が思ってるよりも難しいことではないのかもしれないし


沼の外は自分が思ってるよりもそこまで酷くはないのかもしれない、そう思っています。


でも沼の外で生活をしていくのに武器特効薬もなにも持っていません。頼りになる人も物もありません。


あるのは自分だけ。
自分というこれから先人生が終わる最後まで付き合っていくであろう唯一の人間がいるだけです。


そんな自分という人間を自分ぐらいは大切にしたい、家族とはいかなくても仲間・友達ぐらいには思っていたい、そんな感じです☺︎



いまはそんなふうに思えていますが、沼が出れなくて絶望しかなくて自分という味方もいない、そんな状態の時を経験しているからこそその渦中にいる人の気持ちは大いにわかります。


実際に自分が経験しているからこそ、同じような経験をしたり同じような考えを持っている子たちの話はそれらを経験していない人たちよりは理解しているつもりです。


どん底を経験してきたからこそ、同じ気持ちの子たちに寄り添い、一緒に考えていくことができたらと思いています。


綺麗事かもしれないですが、本当に本気でそう思っているのです。


『学校嫌い、勉強嫌い、子ども嫌いだった難病患者の私が学習塾の先生になった』#10



私にコーチングを教えてくださった坪田先生に私のことをブログに書いていただきました。


私の文章よりも何倍もわかりやすい…よければぜひご覧ください!


今までの話をマガジンで無料でまとめて見ることができます。よければぜひご覧ください☺︎



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