気持ちの整理は人それぞれ?
自分が当たり前だと思っていたこと。
実は当たり前ではない説。
あるあるですよね。
しかし、この実は当たり前でない。がどこまでなのかは
分かっていないし。
気づかない限りは当たり前のまま。
分かってるんですけど。当たり前の事書いてますけど
そこのあなたー!
これについて、ふと気づいたことがあったから
残しておきたい。
私は、自分の気持ちを整理する、したい時に
よくやっていることが、書き出すことだ。
ノートでも手帳でも何だったいい。
とにかく書くのだ。
ブラックな自分も、ファニーで可愛い自分も。
妄想&空想200%の話。でも何だっていいのだ。
若い時からよくやっていたし。
今もよくやっている。
で、この書くということが気持ちの整理になっているのは
自分の実績なんだ。
書いて、内容を客観的に見て、その気持ちも
咀嚼して、ふむふむとなる。
そして気分も頭も整理がなされてスッキリする。
ここに気づいたんだ!
人によっては、この書くということが
歌うことであったり、走ることであったり、ネトフリを見たり
料理をするであったりするのではないかと。
そうだよね、きっとそうなんだよ。
その人にとっての一番身近で簡単で
その行為はスムーズにできるはずの事なんだと思う。
それが私にとっては書くことだっただけの話。
歌うことで。
この曲を選ぶ自分は、こんな気分なのか、
こんな歌い方するのは、あぁ気持ちが不安定だなとか。
走ることなら、風にあたりながら
いろんな事を思い出して、気持ちの整理になったりするもんだよね。
ネトフリなんてのは
自分の気持ちがもろに表れる。
泣きたいとか、笑いたいとか。
きっと求めてるものがあるから。
人それぞれが、自分の気持ちの消化方法を持っていて
毎日生きてるのですね。
悩んでたりする人に書いて自分を客観視すればいいのに。と
人に対して思ったりするのは。
あくまでも、書くということをできる前提であることだった。
書くという行為ではなくて口から言葉を出すことのほうが
自然にできる人もいるんだよね。
自分にとっては目からうろこの話。