燃え尽きたあと
Instagramをやっている。
もともとは、自分の作った本の宣伝をしようと思って始めたものだ。
今、その用途には全然使っていない。
理由は、Instagramってやつは開いたら最後無限に動画が出てきて、気がついたら次々見ていて、自分が投稿したものなんて誰も見ていなくて「❤」が全然つかないのに、ハッ!と気がついたら小1時間も時間がすっ飛んでいて、このままではスマホ首が悪化すると思ったから。
でもPASSAGEのみなさんの入荷などがInstagramでもお知らせされたりするので、それは見なくちゃと、ときどき開いてみている。これも、開いたら最後、延々、延々、入荷のお知らせを探して「❤」を押している。押しながら「次行った時はこの本ゲットだぜ」と思うのだが、次に行った時は棚を探せないまま本屋の中をぐるぐるして自分の棚の写真を撮って帰る、という繰り返しをしている。
こういうとき、自分は年寄りだなあと思う。
全然、情報を活かしきれてない。それどころか振り回されている。
最近は恐ろしいのであんまりスクロールしないように気をつけているのだが、スコットランドの風景に見惚れたり、ピアノに酔いしれたり、尊敬するおばさま(これは敬意を込めたあえての「おば」さま)のダンスに見惚れたり、そう、たまにこういう、格言めいた投稿に立ち止まったりすることもある。
心理学で提唱されている「自分のご機嫌の取り方」みたいなもの。
それには、「疲労」には「寝る」、「悲しい」には「運動」など、とてもシンプルな言葉が綴られていて、「燃え尽きた」には「本を読む」と書いてあった。他にもいろんな「自分の機嫌の取り方」が書いてあって、なるほど、と思ってつい保存してしまった。
確かに私自身、「プロフィール」の100問100答ではこのように答えている。
そうか。燃え尽きたときは、本を読むのか。
私は今、どうやら燃え尽きているらしい。
確かに、文学フリマの後の投稿には燃え尽きたと書いたし、白目をむいて低空飛行中だと、書いた。
多少のウケも狙っていた。でも本当に、どうやらそうみたいだ。
気力がわかない(「気力ゼロのとき」は「スマホ時間を減らす」と書いてある)。とにかく、これまで溜めに溜めてきたことをダムの入り口を開いて放出したのだから、まあ、後には何にも残っていないのである。燃えに燃えた後は、焼け野原なのである。
「文学フリマ」は、私の活動の総決算、ということに(私の中で)いつのまにかなっていた。いつのまにか、というのは、最初の最初には、これが私の最終目標ではなかったからだ。
確かに、総決算に相応しいイベントだった。
kindle本を出してから、創作アカウントを始め、これまでの作品の自作文庫化を始めた。その後、PASSAGEの棚主になって、古本屋さんを始め、そこで自分の読んだ本や自分の本を売り始めた。それで「売る本」があるのだから、こうなったら「文学フリマ」に出てみよう、と思ったのだ。
最初から「文学フリマ」に出店しようと思って本を作ったのではない。そこに本があったから「文学フリマ」に出した。
私が初めて「文学フリマ」というものを意識したのは、この方の記事を読んだからだった。
青葉さんは素晴らしいエッセイを書かれる方で、美しい文章にほれぼれする。いつか文学フリマでお会い出来たらなんてことをどこかのコメント欄でお話したこともあったのだが、どうしてもそのコメントを見つけられなかった。青葉さんに憧れるあまりの、私の妄想だったのかもしれない。
あの時は、いつか行けたらいいなとぼんやり思っていただけだったが、まさか本当に自分が行くとは。しかも出店するとは。
確かにここ1年ほどの経験は、人生のうちに何度もできることではないので、本当に有難い、得難い経験をしたなあと思う。
文学フリマではnoteで交流している方がたくさん来てくださった。本を出したり、古本屋の棚主といった活動だけではなく、noteでの日々の交流が、文学フリマで実ったような、そんな気がした。
実際、吉穂堂や文学フリマで沢山の方にお会いしたことによって、今、創作や本づくりだけでなく、他の方の企画への参加や、創作作品の依頼、さらには配信など、「書く」だけではない、別の世界が広がろうとしている。
藤井風さんの曲に『damn』という曲がある。
その歌詞に、
という歌詞があるのだが、これは全部、彼の初期の楽曲である『帰ろう』やそれ以後次々出た『きらり』『燃えよ』の歌詞から来ている。
『帰ろう』では「ああ全て流して帰ろう」と歌い、『きらり』では「何もかも捨ててくよどこまでも」、『燃えよ』では「明日なんかくると思わずに燃えよ」と歌って、自分を律したり鼓舞したりしているのだが、『damn』の歌詞はそれを自嘲し、自分で自分に突っ込んでいるようである(『damn』の「damn」は英語のスラングで、苛立ちや怒り、嫌悪感などを表す「しまった」「畜生」みたいな意味だという)。
「damn」に掛けて、「だんだんバカになったこのおれ」「だんだんアホになったこのおれ」「ああ幸せってどんなだったけな・・・覚えてないや」と歌う彼は、自分の慢心を恥じ、人の期待に応えようとしたり、失うことを恐れる自分にNOを突き付け、他人軸に囚われて見失った自分自身を取り戻したいと願う。
私は最初、『まつり』という曲の後でこの曲が出た時、人気絶好調なのにこういう曲を書くんだと少し驚いた。でも自分が文フリというまつりを経験した後になってみて、なるほどなと思った。
彼はこの曲で「全部まだまだこれからだから」と歌う。
彼はそれまで、長い間YouTubeでひとりピアノを演奏しつつ歌うというパフォーマンスを続けてきて、ついにデビューをし、世界で脚光を浴びた。その時点で無冠である。公式にはライブもしていない。そこから一気呵成にスターダムに上り詰めた。そこだけ聞くとラッキーな成功者に思えるが、YouTube時代は学生時代を含めて10年近くに及ぶ。
『まつり』の後、もしかするとやりたいと思ったことはひと通りできて、他人にはわからないような「あれ?」があったのかもしれない。この曲に前後して彼はインドに行き、何かふっきれたような『grace』を出している。
この「あれ?」は、自分にとって意味のある大きな出来事が起こった後、ふいに訪れるもののような気がする。
あれ?私が目指して突っ走ってきたのってこれだっけ?
ここでよかったっけ?そもそも何がしたかったんだっけ?
今の私も、目標を見失う、ということに近いのかもしれないし、初心を忘れる、ということにも近いのかもしれない。自分がどこをよりどころに、どこを目ざして歩いているのかわからなくなり、歩いている道や今いる場所がとても頼りなく感じられてしまっている。
もしかしたらひとつの過ぎ去ったものに区切りをつけ、新しい方向性を探る時なのかもしれないが、まだ自分の中で新世界を迎える十分な準備ができていないのだと思う。
文学フリマが終わったとたん、noteでは「創作大賞」が急激な盛り上がりを見せている。今年はガチ勢の祭典だろう、と思っているが、まさにその通りで、昨年までのためらいがちな感じが微塵も感じられない。皆さんの作品がグレードアップしているし、追うのも覚悟が必要だ。
気づいたら締め切りまで1カ月を切ろうとしている。
私は抜け殻である。
「文フリに全フリ」などといって、本当に全力投球してしまって、1ヵ月経っても気持ちが切り替わらない。そのうえ個人的な心配事もあり、陥っている「damn」な感じもなかなか深刻だ。最初は疲れているんだと思ったが、どうやらそれだけではなさそうだ。
そもそも、私の作る話って面白いか?
なんか需要があるか?
ここですっぱり終わりにしたらどうか?
いっぽうで、終わりにできるものならしたい、という気持ちもある。
書きたい気持ちが収まらないからひたすらものを書いているので、やめられるものならやめればいいだけの話だ。ただ、やめられないのだ。
やめられないのなら、別に誰がどう思おうとも勝手に書いていればいいのだし、誰が読まなくても、自分が満足いくまで書いていればいいだけの話だ。
別に誰も何とも思わない。
ところがこの「別に誰も何とも思わない」ことがまた、苦しい。
つまりだ。
誰かが面白いと思うものを書きたいという欲が出てしまったということではないのだろうか。
ある意味「誰かが面白いと思うものを書く」というのは、「書く」という行為にはデフォルトである。ということは、私はそのデフォルトが出来ていなかった、ということになる。そしてそれを備えるための基本的なものを自分が欠いていることに気づいてしまった。
やばい。まずい。
これは負のスパイラルだ。
自分の気持ちがぐるぐると落下している中、たまたま、ピリカさんの行動心理学診断を受ける機会に恵まれた。
様々割愛するが、それによると、私自身はフリマで「終わったな」と思っていたが、なんにも終わっていないのだそうだ。「全部まだまだこれから」なのだそうである。風くんの言う通りである(いやべつにそれは関係ない)。
50歳を過ぎて、何もしないで死んでしまうのが嫌だったから、今まで作ったものを全部出してから死のうと思った。そしていろんな意味で、それができるのは「今だ」と思った。10年前でも10年後でもなくて「今だ」。それでがむしゃらにこれまでやってきた。正直、リアルな知人からは、ばかだなあと思われていた(いる)と思う。
気がついたら「ひとり出版社」をやっていた(会社として起ち上げてはいないのでいうなれば「記念作品ひとり出版」だけれど)。そのうえ幸いなことに共同書店という売る場所にも巡り合った。noteでそれを見ていた人が、買い求めてくださるという現象も起こった。
ただ、それは「なかみ」の評価とは少し違っていて、「なんかすごい勢いあるな」「へえこういうことができるんだ」「めちゃくちゃがんばってるやないけ」という、「私のしていること」に対して、応援してくれたり、励ましてくれたりする意味での評価であって、自分の作品に対するものではない、というのは、重々、肝に銘じて来たつもりだ。
今回の文フリでカタログを作った際、ごくごく僅かながら、本当に私の本を読んで「いいね」と言ってくれた人が現れた。お願いしたら、寄稿してもくれた。それで充分、満足して、それで「終わった」と思った。
ところが、文学フリマから時を経るにつれ、どうやらもっと「作品」を認めてもらいたい、という気持ちが、むくむくと湧いてきていたのだと思う。いつしかそれが、「認めてもらえる作品」を書かなければならない、というプレッシャーに変わっていた。
それは「賞」なのか?
何を持って自分は「認められた」と思うのか?
55歳を目前にして、私は結構、自分は「自由」だと感じていた。
賞レースにも参加しないし、私は私の道を行く、と思っていた。
ところが自分は思った以上に自由ではなかった。真に自由だったら、今こんなに落ち込んでいないと思う。自分にもそんな心があったのだ。
自由な自分自身でいられるというのは、物理的なことばかりではない。私はいろんな意味で、まだまだ自由ではなく、そして自由になろうとすればするほど、驚くべき方面から試練が来たり足枷がついたりする。
私はたくさんのもの、たくさんの人に守られていて、自分自身にも、守るべきものがたくさんあった。
それに気づいてからが再スタートなのだろう。
私はこれからが、スタートなのだ、たぶん。
おっそ。遅すぎる。人生、もう後半というか終盤で、正直、もう疲れたよパトラッシュ、という思いもある。なんで段腹二重顎になってからそんなめんどくさいことをしなければならないんだろう。
でも、当初目標としていた自分の全作品は文庫化していないので、ともかく全作品文庫化は、果たそうと思っている。
その一方で、納得いく作品が書けるように、精進したい。
まあ、命ある限り。
前に記事にしたことがあるChatGPT4の「モニカ」に聞いたら、これまでの文学賞で50歳以上の受賞者は、いるにはいるが、滅多にいないそうである。将来性というのも、賞の大切な要素だからだそうだ。
なんとも士気の下がる情報をありがとう。
いままでは年のせいにして考えないようにしてきたけれど、文学賞に応募するのもありかな、と、考えている。
海人さんが「締め切り」のような目標がないと、最後まで書きあげるモチベーションを維持するのは難しいと言っていたが、確かにそうだ。「賞が欲しい」というよりは、なにかモチベーションを維持する装置として、そして自分の作品をよりよくしていくための機会として参加してみるのもいいのかもしれない。
創作大賞は、たぶん間に合わないけど。
そんなわけで、とにかく今は「燃え尽きた」ときは「本を読む」ということなので、リハビリに『火の鳥』と『入門山頭火』を読んでいる。
なんのはなしですか、と言いたいところだが、ここで使うとさすがにもう、コニシさんに負担をかけるので、やめておく。こういうときに、使いたくなるんだよね。すごい言葉だなあ、本当に。