言葉あれこれ #11 荒野と詩人と犬と
今日もお弁当が間に合い、ふぅとひと息。
朝、台所に立っているといろんなことを考える。
目が覚めて心臓が動いていてあまつさえ料理なんかできて、まずそれが幸せなことだなあと思う。以前少々大変な時期があったので、家事をしながらいろんなことを考えることができるようになった自分はすごいとすら思う。もちろん、やっていることの出来不出来は度外視なので、たいしたことはやっていない。具沢山の美味しい弁当もキャラクター弁当もできやしない。
でも復活とは素晴らしいことなのだ。福音書にもそう書いてある。
ひとしきり幸せを噛みしめたところで、朝、夜中に干さねばならなかった洗濯物を畳みつつ、ちらちら見ていたインスタのことを思い出した。
私はインスタでhighlandertoursscotlandというスコットランドの旅行会社をフォローしている。タータンのスカートをはいたおじさん(きっと私より年下だけど)が、スコットランドの名所旧跡を案内してくれる動画に、なぜかハマっているのだ。
https://www.instagram.com/highlandertoursscotland/
スコットランドの風景と言うのは、石と草原でできている。天気は割といつも悪くて、風が吹いている。つまり荒野だ。
私は長い間『嵐が丘』の舞台はスコットランドと思い込んでいたが、実際の舞台は作者であるエミリ・ブロンテが生まれ育ったイギリス(ヨークシャー)だった。でも、highlandertoursscotlandの動画を初めて見たときは、やっぱり『嵐が丘』を思い出した。
どちらかというと姉のシャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の方が好きだったが、『嵐が丘』も読んだ。読んだのは中高生のころで、正直内容をしっかり理解できていたとは言い難い。しかし陰鬱な復讐劇の物語も、今で言うサイコパス人格のようなヒースクリフの特異な言動や奇行にもなぜか惹きつけられたものだ。
おっと。このままでは「なんのはなしですか」案件になりそうなので、話を今朝に戻す。
とにかくhighlandertoursscotlandの動画は、ほとんどは荒野なのだ。石のお城、石のお墓。草原と崖とごつごつした岩と粗い砂の海。そんな風景を眺めるのがなぜか好きだ。廃墟好きというわけではないのだが、なにか心落ち着く。highlandertoursscotlandのおじさんは陽気で、とにかくひたすらスカートでスコットランド中を歩きまわり、たまに、日本で言えばチャンバラのように「闘いのシーン」を演出してみせたりする。動画のバックには壮大な音楽が流れていることが多い。
で、今日は名前の刻まれた簡素な石の前にいるタータンのおじさんの動画にかぶせて、こんなテロップが流れた。
Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
ん?これは『千の風になって』では?
音声を出してみるが、おじさんが朗読しているのは、どこからどう聞いても『千の風になって』だ。
キャプションを見てみると、こんな感じ。
翻訳機能で翻訳してみる。
カロ―デン戦闘って何・・・
基本的にhighlandertoursscotlandに出てくる歴史的事象は、ほとんど全くわからない。日本でいえばこの動画は、鎌倉を着物姿でめぐりながら案内しつつ「1213年の和田合戦の激戦地。義盛は三浦義村らと結び、北条氏打倒のために挙兵。しかし義村に裏切られ、和田一族は鎌倉で市街戦を展開した」みたいなキャプションをつけている感じ、なのかもしれない。
ちなみにカローデン戦闘(カロデンの戦い)は1746年当時の政治(王政復古の専制政治への反発)と宗教(カトリックとプロテスタント)と領土(どこの出身の王が支配するか)が絡み合った名誉革命の中で起きた戦闘で、ジャコバイト勢力(反革命勢力)とイギリス政府軍との戦いだったようだ。この戦いではどうもイギリス政府軍による虐殺が起こったらしい。おじさんがいるのはその跡地というわけね。
いやいや、このあたりは「へぇ、そうなんだ」と流すところ。
私が気になったのは、この詩を書いた「メアリー・エリザベス・フライ」さんだ。
実は、お弁当を作りながら、ずっと彼女のことを考えていた。
『千の風になって』はテノール歌手、秋川雅史さんの曲だ。今から20年ほど前に爆発的にヒットした。当時、曲のディテールについてさほど興味がなかったせいもあって訳詞だとは知らなかった。
カラオケ全盛期ということもあり日本国中で散々歌われていたが、それまでの日本人の死生観とはいまいち合わないと思った人もいたらしく、歌詞についてあまり良く思わなかった当時の中高年の方の意見を耳にしたことがある。
詩を全部載せるわけにはいかないので、先ほどの英訳のところだけ。
改めてネットで調べてみると、「アメリカで公開された作者不詳の詩の翻訳」と出てくる。メアリー・エリザベス・フライさんを調べると、以下のように掲載されていた。
この英詩はもともと、古来から欧米で葬儀の時などに朗読されたりして一般に広く流布していたらしい。言ってみれば本来の詩は「民話・伝承」の類と言えるのかもしれない。この詩がメアリー・エリザベス・フライさんが作ったと言われるゆえんは、お母さんを亡くして悲嘆にくれる友達に、彼女がこの詩を手書きして渡したかららしい。詩にはいくつかヴァージョンも存在し、彼女ひとりの創作とは言えないという点から「作者と言われる主婦」という表記になったようだが、別のサイトでは「彼女の最初の作品」とし「詩人」と書いているサイトもあった。
メアリー・エリザベス・フライさんは詩人だったのか?
それとも、『光る君へ』でまひろがさっと白居易の漢詩なんかを口にするように、先人の詩をその場でさらさらと書いただけなのか。
亡くなったのは99歳の時だったようだが、著名な"Do not stand at my grave and weep"の作者と言われる人が亡くなったという報道があるだけで、彼女が他に詩の作品をどこかで発表していたわけではないらしい。
私が朝、考えていたのはこんなことだ。
彼女がもし、詩人と言うわけではないのだったら、この詩の作者とされたことは思いがけない僥倖と受け止めたかもしれない。ずっと詩を書いている人なら、この詩の「作者といわれる主婦」として名が残ったのは不本意だったのではないか。もしそうならきっと、本来自分が書いたオリジナル詩でそうした栄誉をうけたかったに違いない。
なんにしても「詩人」とは言われることなく生涯を終えたと思われるが、こんな風に「知っていた詩を書いたら思いがけず作者になった」ということもあるんだなあ、と、そもそも、詩人として名を残すということはどういうことなんだろうと、卵焼きをひっくり返しながら考え込んでしまったのだった。
ところでスコットランドと言えば、犬が自殺する橋の噂をご存じだろうか。厳密にいえば「自殺」とは言えないのだろう。とにかく、通りかかると犬が飛び込んでしまう橋があるというのだ。
日々朗らかなおじさんによるスコットランドの風景を見ているが、鬱々とした悪天候の大自然を見ていると、そんなこともあるかもしれないなと思ってしまいそうになる。どんな怪異も起って不思議ではないような気がしてくる。
ちなみに、イギリス原産の犬種の多さは世界一らしい。中でもスコットランドはテリアやゴールデンレトリーバーの故郷でもある。犬を愛し犬に溢れた土地柄であるのに、いや”であるから”なのか、「犬の自殺の名所」とされる場所があるとは、何とも言えない気持ちになる。
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