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愛宕山ふりさけ見ればひさかたの光と蛙とバッターボックス

 振り返りの記事は、出すつもりがなかった。
 終わったことは終わったことだし、次に進むだけだ。
 メンタル回復期*から、それを信条のようにしてきたのだが、ここ最近、それを覆すような出来事が次々と身の回りに起き、その「信条」が崩れそうになるほどの気持ちの乱高下を味わっている。
 いや、——いた。

 でも、この記事を読んだとき、私の心はまさに「救われた」のだった――。

 結婚式のスピーチなどでは、よく、「人生は山あり谷あり」「まさかという坂がある」「病めるときも健やかなるときも」などという言葉がはなむけにされるものだが、使い古されたそれらの言葉は、結局ひとつの真実ではあるのだと思う。
 若いころはたいして響かない人生のパイセンの言葉が、中年以降にボディブローのように効いてくる、今日この頃。
 
 人の一生は、思いがけないことが訪れるのが当たり前デフォルト
 それに伴い、何度経験を重ねようと、逐一動揺するのもデフォルト。
 喜びの中に憤りがあり、楽しさの中にも悲しみがある。

 このたび、創作大賞の中間選考を経て、各賞に落選し別の賞をいただいた。その賞によって授賞式にも招かれた。私にとってそれは落語『愛宕山』の体験だった。

 普段私は、わかるひとにはわかる、というような文章の書き方はしないように心掛けている。でも今回は、飽くまで私が「そう感じた」というだけのことだから、こんなふうに表現してみた。そこで、沢山のことを学んで帰ってきた。

 そのあとには、ピリカグランプリの発表があった。そこではまた別の感情を味わった。たまたま、有難いことに私は読者賞候補ということで名前が挙がり、これから受賞者を投票で選ぶということになっているようだ。

 ピリカグランプリは、審査員のかたがたの真摯な姿勢がよく見えたし、真剣に取り組んでくださったのがわかるから、結果は素直に受け止められた(創作大賞の結果を素直に受け止められなかったというわけではない。モヤモヤは別の話。noteで書いている人は皆、読者であると同時に創作者であるということが主催者側にあまり理解されていなかったように思ったのがいちばんのモヤモヤ)。

 読者賞の候補に選んでいただいたのはとても嬉しいけれど、自分にとって秋ピリカがまだ終わらないということが少し苦しく、ひっぱったうえでまた落選というのも辛いなと思う気持ちも、正直ある。

 賞というのは不思議なもので、外側から眺めているうちは大したことが無いように思われるのだが、いったん内側に入ってしまうと、途端に精神を害される。ノーベル賞なんて一般人にはなんら関係がないが、川端康成と三島由紀夫の師弟愛憎から始まって、芥川賞をめぐっては太宰治あたりにとってはまったく命までをも左右するおおごとだったわけで、みな賞という魔物に喰われてしまったように見受けられる。しかし他方、賞のためかどうかはわからないが、しのぎを削り命を削った彼らの仕事が、今私たちに日本文学の感動を味合わせてくれているともいえる。

 賞の大小はともかく、自分には賞への執着があったわけではないし、実際のところ、執着がなかったから落選したともいえる。望めば得られるものではない。実力がなければ始まらないが、必ずしも実力だけとも言えない。

 気軽な気持ちで応募して、結局、自分の創作のいきつくさきのことを、否が応でも考えさせられたというのが本当のところだ。

 複雑な感情が渦巻き、絡み合い、自分でも何にそんなにこだわっているのか判然とせずにぐずぐずしていたので、一緒にレビュアー賞を受賞されたみなさんや、そっと心の内を打ち明けたかたがた、サトちゃんや青音色メンバーは、話を聞きながらもちょっと呆れた気持ちになっていたに違いない。
 私自身、上手く言語化できない自分に不甲斐ないやら情けないやら、どうしてしまったんだろうか私よ、と思っていた。

 そんなとき、みくまゆたんさんの記事でわたしの記事が紹介されている、という通知が来た。

 読みに行って、ガツンと衝撃をうけた。

 みくまゆたんさんは、私の『紙さま』という作品を引用してくださったあと、こんな風に感想を書いてくださった。

 ピリカコンテストで、個人的に1番好きだった作品です。「幼い頃から紙さまの声を聴くことができた」という設定が、選ばれし者の定めという感じで、ドキドキしました。
 魔女の宅急便のように小さい頃から「使命」や「他の人にはない能力」があるというストーリーが好きなので、個人的に惹かれたのかもしれません。

 これを読んで、自然に涙があふれ出た。
 
 そうだ、これだったんだ、と思った。
 自分が創作したものに対して、たったひと言「いちばん好き」という言葉が欲しい、そう、思っていたんだ、と。

 まっすぐに、矢のように。
 ただ好き、いちばん好き、というひとこと。

 感激でなかなか言葉がみつからなかったが、なんとか次のようにコメントを書いた。

私が創作を始めたときに「たったひとりに届けばいい」と思っていたこと、最近、いろんなことがあるなかで、初心を忘れかけていました。「みんなに好かれなきゃ」みたいな気持ちが落選の悲しみに繋がっていたのかもしれません。


 みくまゆたんさんの記事から、なにか文章を抜き出して引用しようかと試みたが、驚くべきことにどの言葉も私の心の琴線に触れまくるので、選ぶのが難しい。私にとっては、すべてが金言だった。

 自分の実力を振り返り、諦めて他に行くも良し、足りない部分を補おうと邁進するもよし、どんな道も正解だと思っている、とみくまゆたんさんは記事の中で言う。そして、

打席に立ち続ける。時には、心が折れそうになるかもしれないけれども。それでもバッターボックスに立つ。

 大切なのは、これなんだと思う。
 
 みんなが大谷翔平になれるわけではないし、なる必要もない。
 ただバッターボックスに立たなければ、何も始まらない。そして、いい球が来たときにいつでも打てるように、ただひたすら励む。

 創作って、芸能や芸術って、本当にそれだ、と思った。
 そして、なにかを忖度したり計算したりすることなく、好きな作品を作り、好きな作品を好きだといえること、それが、創作という分野においてはすごく大切なことだし、励まし、励まされ、お互いに磨き合っていくんだな、と。

 突然の手前味噌だが、最近の自作本『非時香果(トキジクノカクノコノミ)』の中で、詩の好きな登場人物がリルケの詩をこんなふうに一部披露している。

 「私が今気に入っているのは詩集です。特にリルケです」
 彼女はよどみなく答えた。
「『およそ芸術家であることは、計算したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に追い立てることなく、春の嵐の中に悠々と立って、そのあとに夏が来るかどうかなどという危惧を抱くことのない樹木のように成熟すること』」

『非時香果』より

 自分はもう、いろいろわかっていたんじゃないか?
 私が書いた創作大賞応募作のレビューを、その作者さん達が「このレビューは宝物だ」と言ってくれたこと。なによりもそれがいちばん、大事なことだったんじゃないか?
 
 改めて、そう思った。
 
 さらなる手前みそで恐縮だが、私の長編小説に『玄鳥』という作品がある。その本の冒頭には、小野道風のエピソードが出てくる。

静かな庭の池の上を、水平飛行する黒い影があった。燕だ。
ちょうど池のそばにある柳が風に揺れ、ふいに花札の十一月の謎を思い出した。花札をしたことはないが、描かれた絵が奇妙なのは知っていた。晩夏から初夏の風物である柳と燕、雨が降っている様子を表す小野道風と蛙。十一月は秋なのに明らかに春の風景だ。理由は諸説あり定かではない。
小野道風が描かれているのは、有名な蛙の逸話があるからだ。
平安時代の書家、小野道風は、自分の書道の才能に悩み、あきらめかけていた。ある雨の日のこと、道風が散歩に出かけると、柳に蛙が飛びつこうと、繰りかえし飛びはねている姿を見た。道風は「あんなに離れたところにある柳に、飛びつけるわけがない」と思っていた。すると、たまたま吹いた風が柳をしならせ、蛙はうまく飛び移った。道風は「自分はこの蛙ほども努力をしていない」と目を覚まし、書道をやり直すきっかけを得た、という話だ。道風は小野篁の子孫で、日本独自の書道のスタイルを築いた人とされている。小野妹子の子孫である小野篁は平安期、地獄とこの世を井戸を使って行き来していたというなかなか独特な人物だ。小野道風、小野小町は篁の孫らしい。

『玄鳥』冒頭より

 一昨日、青音色メンバーで『北斎と話芸』という林家あんこさんのイベントにでかけて、「すみだ北斎美術館」で北斎の絵を観る機会があった。小野道風の図案も数多く描かれていて、北斎の、弟子たちの、それを見かけるたびに自作のこの節を思い出していた。

 みくまゆたんさんの言葉は、まさにこの絵柄にぴたりとはまった。今私は、小野道風の絵にみくまゆたんさんの言葉をつけて絵師さんに描いてもらい、額装して部屋に飾りたいくらいに思っている。

 打席に立ち続ける。
 無心に精進。

 朝から感動で動悸がするという稀有な体験をしたその夜になって、今度はMarmaladeさんからも自作を紹介していただいた。

 夢中で読んでます。おすすめです。

”普通に「地球によく似た惑星」があって、
そのうち私も引っ越すんだなと思えた”
というMarmaladeさんの言葉にも
グッときました

 Marmaladeさんのイギリス滞在のお供になっている『春告鳥シリーズ』。こんな風に紹介していただき、改めて喜びを噛み締めた。
「果報者」というのはこういうのを言うんだなと思った。

 福島太郎さんの『銀山町 妖精奇譚』は、私も大好きな作品だ。それと合わせて、紹介されている僥倖。

 みくまゆたんさんからの言葉を皮切りに、いま、自分に最も必要な言葉が各方面から届けられ、私の心は救われている。

 たとえ「賞」という形にならなくても、「好き」と言ってくれた人がいたこと、「嬉しい」と喜んでくれた人がいたことが、私の誇り。

 自分の道をどう進んでいくかは、自分で決めればいいのだと思えた。

 常ならぬ私の動揺を心配してくださったみなさまに、改めて感謝の心でいっぱいになっている。こんな私を見守ってくれて、本当に、本当にありがとう。

 最後に。
 青音色の本が出来た。
 ・・・のだけれども、実は昨日まで自分だけ直しが入って、慌ててやり直していた。メンバーは巻き込まれてとばっちりだ。
 本当に、精進が足りない。
 集中力が欠けていたんだと思う。

 だがしかし、見て欲しい。
 ごめん、これだけは、言わせて。

すごいのできたよ!
しかも、ワンコイン(500円)!
たぶんメンバー3人の、いまだけ!


イラストレーターの「八月」さんに
表紙をお願いしました

 各小説の、冒頭部分を公開している。
 良かったら、記事から試し読みしてみて欲しい。

 
 
 東京文学フリマ39では、ウミネコ制作委員会さんのご厚意で、ブースに間借りさせていただくことになった。

 創作して、本を作って売って、一緒に楽しもうよ、という「文学フリマ」の精神は、ある意味「賞」とは真逆のベクトルにある。

 両方があっていい。
 両方を楽しんでいい。

 noteの中で私たちは、創作者であり読者であり、応援者であり、バッターボックスに立ち続ける打者なのだから。
 
 

※メンタル回復期*
40代後半から50代前半の10年くらいは「メンタル回復期」だったと思う。ふりさけみれば。


 みくまゆたんさん。
 原点に還ることが出来ました。
 心から、お礼を申し上げます。
 ありがとうございます!!

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 
 
 


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