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インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話10

さて、佐々井秀嶺師が帰ってくるまで、まだ時間がかかるとのことでした。

私は、朝はインドラ寺のお勤めに参加しましたが、ヒンドゥー語かパーリ語のお経を読んでいるので私にはまったくわかりません。

まわりの仏教徒の声をバックミュージックに瞑想をするのみでした。

お寺の壇上には、オレンジ色の袈裟を着た何人かの仏教僧がお勤めを先導している。

その中には、昨日の菩提・般若師もおり、彼だけは日本仏教の黒い袈裟を着ておりました。

前回の記事にも書きましたが、彼は臨済宗で修行をする禅僧です。


私が目を見張ったのは、彼の姿勢の良さ。

他のインド人僧に比べ、彼だけ背筋がシャンと延びている。


他のインド人の坊さんは背中が丸まっており、首は前に突き出しており、姿勢が崩れている。頼りない姿勢です。 

菩提・般若師だけ微動だにしない蓮華座の姿で、彼は修行がちゃんとできているのだなと明らかに感じ取れました。

「臨済僧ここに有り! 禅はすげえなあ」


と彼の姿を見て感動したのを覚えております。 と同時に、日本仏教も捨てたもんじゃないと思ったものです。 ちなみにタイの坊さんも、瞑想中の姿勢はあまり良くなかったです。


人格、性格は身体に出ると云います。 


日本人には何をするにも修行時代は屁理屈を言うを許さず、「ごちゃごちゃいわず、とりあえずやれ!」と徹底的に身体で覚えさせる文化があると思います。「目上」の人には口答えすら許されません。


あまりに理不尽なので私はそういう文化を好きではなかったですが、これにはやはり一理あります。 頭で覚えたことは忘れるが、体で覚えたことは忘れないからです。身体を使わせ、ある一定の型にはめてこみます。そうすることである程度考え方も変わるものです。そしてそれまで身に着けた自我を削いでいく。そうすることである一定の精神修養はできるものです。その後、その「一定」をどう越えるかはその人次第でしょうが


日本において瞑想といえば、坐禅か阿字観くらいしか発展せず、しかも禅は「瞑想法」とは言い難いものがあり、形而上的な思索に耽ることを戒めもします。 また、有無も言わさず座らせ、姿勢を正し、呼吸と丹田に意識を集中させるやり方は、瞑想法というよりも身体技法ともいうべき感覚があります。 

タイ仏教やチベット仏教では様々な瞑想法が発展したのに対し、日本には細やかな瞑想法は伝わってはいるものの、あまり発展していないのです。

近代まで哲学らしき哲学もでて来なかった日本人は、形而上的な思索をあまり好まない民族といえるでしょう。 いはゆる「ヤンキー的」なのです。

アメリカの沖仲士の哲学者エリック・ホッファーは日本人について、「好戦的」だとか、「戦士の伝統を有する国民」と言っているのを最近読みましたし(「エリック・ホッファーの人間とは何か」)、中国人は古来、日本人のことを「東夷(とうい:東の蛮族)」と呼びました。 


そういう民族にとっては、瞑想にふけることなどにあまり意味を見出せなかったのかもしれません。

(ちなみに日本で礼が発達したのは、日本人があまりに野蛮だったからだと私は見ています。) 


話しは逸れました。


佐々井師が帰ってくるまでの間は、師の日本のお弟子さんや筑波大のインド仏教徒の研究者Nさんなどがやって来られました。


佐々井師の誕生日に合わせて、祝賀に参加するためです。

私は、Nさんに連れられて、彼の顔なじみのインド人仏教徒の家を訪れました。

彼等は私のような見ず知らずの日本人にもインド料理をふるまってくれます。

Nさんからは、

「辛いけど大丈夫?」

といわれるも、私は辛いのは大好きな方なので自信たっぷりに

「大好きですよ! 何でも食べられます」

などと答えたが、尋常じゃなく辛かったw 


様々なインド人仏教徒の家に招かれましたが、子供たちが本当にかわいい。

まさに天真爛漫、純真無垢徒いう形容を絵にかいたような顔をしていて、相当に人懐っこい。 日本人の子供ももちろんそういう子はたくさんいるはずだが、最近の子供にありがちなこましゃくれた感がなく、あーしろこうしろといわれずにのびのびと育っているような感じです。


Nさんはヒンドゥー語を駆使して、インド人たちとコミュニケーションをとっていました。 やはり、その地域に馴染むには、現地語でコミュニケーションをとる必要があるのだと改めて気づかされたものです。 


昔、私は、英語さえ話せれば世界中の人と話せるから最低限英語さえ身に着けていれば良いだろうと考えていました。

私が初めて外国旅をしたのは22歳の時でしたが、無知すぎる3流大学のプータローだった私は、「海外=英語」という認識だったのです。

英語もほぼ話せないまま旅に出た私でしたが、それでもまず身につけようとしたのは英語。 まあ、世界的な潮流としてそれは致し方ないことではあります。

もちろん、英語を身に着けたことによって、たくさんの人と話すこともできるようになったし、大いにそのメリットを享受しておりますが、いわゆる「現地人」ともいうべき人達とそれほど深く交流ができたかと言えば、できなかったと言わざるを得ません。 色んな国を旅しましたが、今思えば、残念ですね。

もちろんあらゆる国の言語を身に着けるなんて途方もない努力なので、そんなことは思いもよりませんが、Nさんを見て、現地語でしっかりとコミュニケーションをとることの大切さを改めて思い知ったのです。


エミール・シオランという、絶望論者の思想家がこんな言葉を残しております。

「私たちはある国に住むのではない、ある言語に住むのだ」(告白と呪詛)


日本語と少しの英語しか使わず旅した私は、果たして「世界」を旅したといえるのだろうか、地球の表面の上澄みの上澄みの、その上ッカスほども見聞出来ていないのではないだろうか、という気さえするのです。 


身に着けた言語の数だけ、多くの「世界」に住むことができるのかもしれません。


ちなみに、日本に住んでいる外国人で日本語を勉強しようともしない人達がたまにいますが、彼らは日本には住んでいないのです。


続く







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