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「熊野詣で日記①」 〜1年に2度目の失職(笑)、そして旅立ち篇〜

もうちょうど一年前に熊野古道を歩いた時の日記をiPadに残していたのを思い出し、その日記を編集しnoteに残すことにしました。

今後熊野詣でをする人や、熊野に興味のある方の助けになれば幸いです。ただ、熊野と関係ないことも多いですが、あしからず。これから数日間連続投稿していきます。お時間の許す限り少しでもお付き合いいただけたら幸いです。

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2021年2月、私は勤めていたコールセンターから、派遣会社の担当の人を通じて突然の戦力外通告を受けた。

その会社で働き始めてからまだたったの5ヶ月の頃だった。

クビを宣告された時は、Covid-19(コロナ)が中国の武漢で発生してから約1年が経過していたときであり、日本はまだ混乱の最中にあった。 

私の解雇がコロナが原因のものだったのかどうかはよくわからないが、ちょうど隣の部署でも罹患者が出たりしたので、役立たずの私や他の余剰人員を整理する良い機会だと思ったのかもしれない。

そういえば、そのコールセンターで働き始める前も、私はコロナで仕事を失ったのだった。外国人インターン希望者を日本の企業に紹介したり、外国人に日本語を教えたりする仕事をしていたが、外国人が日本に入って来なくなり仕事がなくなった。

1年の間に2度失職してしまったということだ。


コールセンターの仕事は3月末までで契約終了ということになった。

派遣会社を介して働いていたので、所謂「派遣切り」というやつだろう。

したくもない仕事をこれからしなくて良くなるという嬉しさもあったが、「俺は一体今後どうなるのだろう」という不安もまた当然のごとくあった。


だがクビと言っても悪いことばかりではなかった。私を「会社都合」で辞めさせてくれたのは行幸という他はなかったと思う。

私は「コロナで失職した」ということになっており、3ヶ月の失業保険受給期間が5ヶ月にまで伸びた。

そしてその年の夏に再度コロナが大流行りしたことで更に2ヶ月受給期間が伸び、11月まで失業保険で暮らした。

「コロナ様様」という他ない。


もちろんコールセンターでは半年以上働いたので辞める前には有給もついた。

かつて旅ばかりしていた私は、その有給はもちろん旅に使おうと思った。

だが世界は「パンデミック」の最中であった。

外国を旅行しようにも世界はそういう雰囲気ではなく、自然、選択肢は国内に限られた。

有給は約2週間あった。

普通の旅行では面白さを感じない私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、かつて「蟻の熊野詣」などと形容され、古来多くの貴人から庶民、非民までが歩いた「熊野古道」を旅することであった。


熊野古道には、和歌山県の紀伊田辺から熊野本宮大社、そこから那智大社や熊野速玉大社までいく「中辺路(なかへち)」と、

紀伊田辺から紀伊半島の海沿いを歩き那智大社や速玉大社まで行く「大辺路(おおへち)」

また高野山から幾山も超えて熊野本宮大社まで行く「小辺路(こへち)」という3つのルートがある。

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とりあえず、中辺路と小辺路であれば4、5日もあれば熊野古道を制覇できるということもわかったし、テント泊でも行けそうだということがわかった。

テント泊ということは、とにかく金がかからない。

失業する身なのでお金が心配であったが、歩き巡礼ということであればお金の心配はしなくとも良さそうだった。そうとなれば行かない手はなかった。  


私は、当時住んでいたシェアハウスの住人のフィンランド人オリバーにもその話をふってみた。オリバーも通っている日本語学校が春休みに突入する頃だと言った。


オリバーとは1年半来の仲であった。 

彼は、フィンランドにいる時に日本に関する夢を何度も見るようになったことがきっかけで日本語を学ぶようになり、フィンランドでは日本人の先生について気功を習っており、ついには日本にまで来ちゃったというようなナイスガイだ。仏教が好きな、ヒッピーみたいなやつである。

オリバーは二つ返事で承諾した。

私たちはまず大阪に行ってそこで数日ゆっくりし、高野山を経由して紀伊田辺までいく、そしてそこから熊野古道に入る、そういう流れで旅をすることをおおまかに決めた。


3月18日、会社の最後の業務が終了した。

業務終了後は業務上のチャットで皆にさよならのメッセージを一斉送信し、約7ヶ月間のコールセンター業務を終えた。

その後は、私のお別れ会的な感じで、皆で会社近くの「王将」で食事をした。良い人たちに恵まれたと本当に思う。 仕事は嫌だったがそれだけは唯一の救いの職場だった。


21時ごろ博多駅前で職場の皆と別れ、それからは近くのHEARTSバスステーションでオリバーと合流し、大阪行きの高速バスに乗り込んだ。


酒も計4杯くらい飲んでいたので少し酔っ払っていたが、良い旅立ちであった。 久々の俺の旅が始まったのだった。





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