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インドのナグプール(南天竜宮城)へ行った話

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インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話14 最終回

インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話14 最終回

ナグプール滞在の後半、やっと佐々井師の仕事のお手伝い頼まれました。

仕事といいましても、佐々井師がお世話になっている日本人に対して出す便りを、佐々井師が口述して私がパソコンでタイピングするという作業でしたが。

3日か4日くらいはこの作業をしましたが、この作業中は私は佐々井師に付きっ切りで、時には休憩をはさみながら午前の遅い時間から夕方前くらいまでやっておりましたでしょうか。

佐々井師は当時長

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インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話13 (マンセル遺跡篇2)

インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話13 (マンセル遺跡篇2)

久々の投稿になります。

前回は、インドはナグプール近郊にある「南天鉄塔」と目されているマンセル遺跡とはそもそもどういうものかについて書きました。

真言密教の経典が隠されていたという、かつて南インド(南天)に存在した鉄塔のことです。

佐々井上人が自力で探し当てた遺跡が、その南天鉄塔ではないかということですが、私は、佐々井上人と師のお弟子さんのTさんに、そのマンセル遺跡に連れて行ってもらいました

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インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話12 (マンセル遺跡篇)

インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話12 (マンセル遺跡篇)

久々の投稿になります。 

ナグプール滞在中、私は佐々井秀麗師と弟子のTさんからマンセル遺跡に連れて行ってもらいました。

マンセル遺跡とは、佐々井秀麗師が発見した南天鉄塔の跡だと目される遺跡のことです。

では、「南天鉄塔」とは何でしょうか。

真言密教には、 「付法の八祖」と呼ばれる人(ほとけ!?)たちの名が伝わっております。

まず、密教の教主である「大日如来(だいにちにょらい)」が第一祖 

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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 5

インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 5

続きから

2009年~2010年に決行した世界一周の旅では、私は佐々井秀嶺を訪ねることができなかったと書きました。

2010年10月頃に、約1年4か月にわたる世界一周の旅を終えた後は、まだそこそこの資金が余っていたこともあり、日本をスーパーカブで旅し、真冬の四国遍路を歩きました。

世界一周をした後も旅熱が続いていた私は、日本でこのまま働くのか、また旅に出るのか悶悶としており、日本で植えこまれ

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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 4

インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 4

続きから

私が佐々井秀嶺という人を知ったのは、2009年のこと。

当時、世界一周の旅をしていた私は、インドのチベット亡命政府が置かれているダラムサラという町で、O君という早稲田大学の学生と仲良くなりました。

私たちはよく「ルンタ」という日本食レストランに入り浸り、そこに置いてある仏教関連の本を読んだり、色んなことを語らいあっていたのでしたが、彼はあるときこう言うことをいうのです。

「タクさ

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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 1

インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 1

こんにちわ。 いつもお読みいただきありがとうございます。

最近、「Jai Bhim ジャイ・ビーム インドと僕とお坊さん」というドキュメンタリーを見ました。

インドの新仏教徒のために粉骨砕身し働いている、佐々井秀嶺師というお坊さんを追ったものです。 

このドキュメンタリーを見て、2012年の夏、実際に佐々井上人にお会いしにインドのナグプールまでいったときのことを思い出し、その頃のことを書いて

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