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アダルト・チルドレンが抱える生きづらさについて考える#2

前回に続いてアダルト・チルドレンについて考えていきたいと思います。

前の記事「アダルト・チルドレンという概念について考える①」はこちら


アダルト・チルドレンの要因


◉機能不全家族という過酷な環境

先述したように、本来、子どもにとって安全で安心できる拠り所である家庭環境が「安全基地」としての役割を果たしていないことは大きな要因となり得ます。

特に機能不全家族の中のキーパーソンである親(養育者)が、次のような特徴を思っていると、その子どもは心理的な安全性を恒常的に脅かされることになります。

・拒絶的な関わり
・矛盾する指示の強要(ダブルバインド)
・共感性の低さ(あるいは無関心)
・境界線の侵害(過干渉・過保護)
・親子関係の役割が逆転している
・社会不信(社会的孤立)

では、一つずつ見ていきましょう。

 ・拒絶的な関わり

自分の中に生じた素直な気持ちを表現した際に、その気持ちを無視されたしり拒絶され続けた子どもは、心理的に強い恐怖や不安を抱えることになります。
そこで拒絶を回避するべく「親の望むいい子の自分」を演じたり、親の機嫌を取るために過剰に顔色を伺うなどのサバイバル技術を試していきます。
その一方、ありのままの自分の気持ちはずっと置き去りにされたままになるため、大人になってから「自己不存在」「無価値感」などに苛まれることがあります。

 ・矛盾する指示の強要(ダブルバインド)

2つの相反する指示を出し、それに従わせるように仕向けることを二重拘束(ダブルバインド)と呼びます。

たとえば……

「もっと頑張って勉強しなさい」と指示しておきながら、テストで100点をとると「いくら勉強ができても社会では通用しない」と不機嫌になる。

叱られた後に「自分の何が悪かったのか言ってみなさい」と言われ、考えられる答えをいくら言っても「違う!もっとよく考えろ」と叱られる。

「さっさとおもちゃを片付けなさい!」という指示したと思えば、「いいから早く寝なさい!」という指示も出す。

「叱らないから正直に言いなさい!」と指示しておきながら、いざ正直に話すと「なんでそんなことしたの!」と叱る。

「誰とでも仲良くしなさい!」と指示しておきながら、「どうして嫌なことされたときに嫌だって言わないの!」と叱る。

……などなど。

大人になれば、それがいかに理不尽な指示かはすぐにわかりますが、子どもには親(養育者)の指示内容が不適切だなどとは理解できません。
いつしか、「親の指示通りにできない自分がダメな人間だから、こんな不快な状況に追い詰められてしまうんだ」といった無力感や自己否定感を心の中に宿してしまうのです。

また、どちらを選んでもストレスがかかる現実を繰り返すことで、主体的に物事を選択したり決断するということを自然に避けるようになり、それは社会に出てから大きなハンデになってしまうこともあります。


 ・共感性の低さ(あるいは無関心)

子どもは、自分の気持ちに共感的に寄り添ってもらう経験を通して、「自分は大切な存在」「価値ある存在」「受け入れられる存在」といった自己肯定的な気持ち、自尊的な気持ちを育むと共に、この世界は安全で安心できるといった社会への信頼感も育みます。こうした感覚を「心の安全基地」と呼びます。

心の安全基地が育まれていくことで、子どもは外の世界で自由に冒険(探索)できるのです。

しかし、なんらかの事情によって、嬉しい気持ちも、悲しい気持ちもまるで理解してもらえない。あるいは、そんな気持ちのことはどうでもいいかのように無視されるなど、親(養育者)に共感的に接してもらう経験が乏しいと、子どもは家庭の中でも恒常的に孤立感を抱えることになります。

こうした経験を繰り返した子どもが「自分は愛されていないのではないか?」「自分という存在はここにはいてはいけないのではないか?」といった自己に対する不信感を心に抱いてしまうのも無理からぬことと言えます。

 ・境界線の侵害(過干渉・過保護)

・子どもの交友関係をコントロールしようとする。
・子どもの意思を確認することなく、なんでも先回りで決めてしまう。
・子どもが誰と、どこで、何をしているのかは親(養育者)が全て把握し、子どもの振る舞いを管理するのが当然という姿勢を強要する。
・子どもが自立的な振る舞いをすると、露骨に不機嫌になったり悲しむなどして罪悪感や羞恥心によって子どもをコントロールする。

こうして親(養育者)から必要以上に繰り返し介入され、操作的な関わりをされた子どもは、心の中に「自分は自分・人は人」といった心理的な境界線(自他境界線=バウンダリー)を育むことが難しくなり、その結果、自立的な心を制限され親(養育者)に依存した状態が定着してしまうことがあります。

また、自他境界線が確立されていないと、

自分が踏み込んで欲しくない領域に、他者から土足で踏み込まれても抵抗できない。
他人が入り込んで欲しくない領域に、不用意に踏み込んでしまい他人を無自覚に傷つける。

こうした人間関係のトラブルに繰り返し悩まされることは少なくありません。

 ・親子関係の役割が逆転している

子どもにとって親(養育者)には、

・安心して甘えることができる存在。
・安心で安全な環境を提供してくれる存在。
・物事の善悪やルールなど社会性を教えてくれる存在。

など、子どもの欲求に応える役割があります。
しかし機能不全家族の場合、

・親(養育者)のことを常に気遣い、察知し、機嫌をとることを要求する。
・親(養育者)の愚痴を親身になって聞くことを要求する。

など、本来、親(養育者)の担うべき役割を、子どもに担わせる逆転現象が起きていることが少なくありません。

子どもが親(養育者)の欲求を満たせば機嫌が良くなるのですが、欲求を満たさなければ途端に不機嫌になったり、悲しむなどして子どもに心理的なプレッシャーをかけ、「親(養育者)ファースト」の家庭を構築します。
その一方で、親(養育者)は子どもの欲求を気遣い、察知し、満たそうとはしません。

こうした環境の中で、子どもは自分という存在はこの世界で

・奪われる存在
・与えられない存在
・欠けている存在
・何かを提供できない自分は価値がない存在

といったネガティブな自己認識を形成してしまい、それが大人になってしんどさ、生きづらさ、息苦しさを生み出すことになるのです。

 ・社会不信(社会的孤立)

・親(養育者)がご近所付き合いをしない
・訪問してくる親族、友人がいない
・子どもが外部の人と関わることを厳しく制限する
・家族以外の他人がいかに怖い存在で、この社会がいかに危険に満ちているのかをことあるごとに刷り込む

など、健全な社会性を育むことを阻害する関わりをされるた子どもは、極端に自己防衛的でいつも緊張しストレスを抱え、この世界がただただ「生きづらい場所」と感じるようになり、自ら社会と距離をとって孤立していくケースも少なくありません。

他にも、虐待が行われる、親(養育者)が何らかの依存症を持っていたり、精神的に極端に不安定な状態にあるなどして、機能不全家族となっていることがあります。

さて、こうした機能不全家族の中心には「毒親」の存在があります。

◉「毒親」という概念


「毒親」は元々はアメリカの臨床心理士スーザン・フォワードの本「毒になる親」の中で作られた造語で、「子どもにとって有毒(有害)となる親」を表現する概念です。

儒教的な社会通念がある日本では、

「育ててくれた親に文句を言ってはいけない」
「育ててくれた親に迷惑をかけてはいけない」
「育ててくれた親には感謝しなければならない」

こうした考えが根強くあるため、たとえ子どもにとって「毒」になることを日常的に繰り返すような親(養育者)だったとしても、親(養育者)を批判的に捉えることに無意識に強い心理的抵抗を感じることが少なくありません。

その結果、自分の抱えている悩み、苦しみの正体がどこから生じているものなのかの自己分析を難しくし、鬱々とした人生を歩いていくことになるのです。

とはいえ、前述したように全ての原因を親(養育者)に求めても、一時的には気持ちが楽になるかもしれませんが、それによって抱えている悩み、苦しみが解消できるかといったら、それはまた別な話です。

また、悩み苦しみを生み出している原因は、家庭環境だけとも限りません。

家族以外の友達関係、恋愛相手、職場の人間関係に問題があることだってもちろんあります。

いずれにしても大事なのことは、アダルト・チルドレン的な問題を抱え苦しんでいる現実から抜け出していくには、「自分の存在そのものが問題」「自分の人格そのものが問題」といった思い込みから、意識的に一歩も二歩も距離をおき、過去を含めた自分の状況をメタ的(客観的)に観察しながら自己理解を深めていく必要があるということです。

この記事が、そのための一助になれば嬉しいです。

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吉田こうじ
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