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吉村 剛
2024年2月5日 22:07
第7話 『和道流博正会勝浦支部』 始めにこの話は、僕の記憶に基づき書いた短編小説であり、当時お世話になった諸先輩方の記憶と異なる事があることをあらかじめご了承ください。 「なあ、タコちゃん、山ちゃん、今日は、K川先生来んのかなぁ~。」タコちゃんは、もうおなじみのT君であり、山ちゃんは、名字に山が付くのでそのまま山ちゃんである。「さぁ~。まだ7時5分やから分からんで~。」とタコちゃん。僕の小
2024年2月15日 21:50
第10話 『私立 勝浦幼稚園』 記念すべき第10話である。小学生の時の話が多いが今回はもう少し遡って見ることにする。幼稚園の時の話。 「はーるよこい。はーやくこい。あーるきはじめたちぃちゃんが~。」昭和40年代中頃、当時那智勝浦町には幼稚園、保育所がいくつかあったが旧勝浦町(1区から6区)の子供達の多くは、勝浦幼稚園に通っていた。3歳で赤組、4歳で白組、5歳で青組だった。青組には、その歳
2024年2月5日 21:59
第6話 『ハマチの釣り堀』 僕の書くこのシリーズには、小学生の時の事が多いがやはりその時期が一番多感で思い出に残っているからだ。今回も小学生時代の話。 「たけひろ、ハマチの釣り堀つれったろか。」「ほんま、いくわ。お母ちゃん、お父ちゃんハマチの釣り堀連れてってくれるって。今晩のおかずいらんで~。」「タケちゃん、あんた、いつもそう言うて釣ってきたことないやん。」「あほいえ、今日はちゃうで。いつ
2024年2月13日 11:22
第8話 『タケちゃん頑張る(見下す奴は許さへんねで~)1』 今回は番外編という形で自分にあったことを書きます。少し自慢話になるけどご勘弁を。これも小学生の時の話です。 僕は、昔から自分が正しいと思えば年上だろうが目上だろうが相手がどんな立場の人であれ自分の意見を貫き通す性格だった。もちろん論破される時もある。そんな時は素直に謝るが、相手が確実に間違っているのに初めから相手に合わせるとか
2024年2月13日 11:31
第9話 『タケちゃん頑張る(見下す奴は許さへんねで~)2』 このシリーズNO.2である。初めこの2の話を書こうと思って書き始めたら前置きだけで8話になってしまった。だからこの2が初めから書きたかった内容である。 小学6年生の時の話である。僕らの勝浦小学校もご多分に漏れず秋に運動会があった。運動会の目玉種目に6年生のクラス対抗100m走があった。僕のお父ちゃんは、若い頃短距離で国体へ何回も出
2024年2月15日 22:12
第11話 『勝浦の子供達よスイカ氷に誇りをもて』 たまには食べ物の話を。 「うって~。うって~。おばちゃんうって~。」勝浦の子供達は昔から駄菓子屋の玄関を入るときは、この言葉を言う。売ってください、という意味。勝浦の子供達は行儀がよいのだ。(ほんまかなぁ~。)「はい、はい、何にするんかいのお~。」駄菓子屋のおばちゃんは店の奥から現れる。僕らの子供の時は、勝浦小学校の入り口の所にイトウ、入り
2024年2月20日 15:45
第12話『勝浦は、昔サンマで有名やったんやで』 勝浦に生まれ育った僕は、実家が、ひいじいちゃんの時代より約100年続くマグロの仲買で、マグロによって僕は大きくなったと言っても過言ではない。 実家は今、弟が継いでいるが、そのおかげで僕は観光の仕事に従事している。仕事柄、勝浦の恩人というか巨匠にお話を伺うこともあるのだが、今回はTさんの話を元に勝浦の漁業のことを書きたいと思う。明治、大正時代
2024年2月27日 20:40
第13話『第1回まぐろ祭り。その1』 今回より僕が携わってきたイベントに関し後世に伝えるために(大げさやけど、語り伝えてもらう為に)覚えている事を書きます。但し記憶なので事実と違っている場合もあることをあらかじめご了承ください。また、すべて実名で書かせていただきます、ご了承ください。 僕は、平成5年の12月に那智勝浦町観光協会で働くようになった。当時観光協会は、今の海産物センターの3階